大韓帝国の警察 – Wikipedia
大韓帝国の警察(だいかんていこくのけいさつ)は、大韓帝国に設けられた警察制度について解説する。 従来の李氏朝鮮では、中央に捕盗庁を置き、地方には道観察使(知事に相当)が直接、治安の維持を図っていた。 1894年(開国503年)の甲午改革で捕盗庁を廃止して警務庁が設置され、近代的な警察制度を導入することになった。しかし、日露戦争まで改革は遅々として進まなかった。 日露戦争の最中の1905年(光武9年、明治38年)に、日本より警務顧問・丸山重俊を招聘し改革が行われることになった。 中央政府の内部(内務省に相当)に警務局(警保局に相当)を置き、警察制度を整備していった。 また、首都の漢城府(現ソウル特別市)には、東京の警視庁に倣い警視庁が設けられ、首都警察の任に就いた。 韓国併合に先立つ1910年(隆熙4年、明治43年)6月、韓国統監府に警察を全面委託することになり、大韓帝国警察は廃止された。 警務局の組織[編集] 1909年(隆熙3年)時点 警務課 保安課 民籍課 警察官練習所 1909年(隆熙3年)時点 漢城府 中部警察署、東部警察署、西部警察署、北部警察署、南部警察署、銅峴警察分署、龍山警察署 京畿道 仁川警察署、開城警察署、漣川警察署、江華警察署、楊州警察署、驪州警察署、安城警察署、水原警察署 江原道 春川警察署、通川警察署、江陵警察署、蔚珍警察署、平昌警察署、原州警察署、鉄原警察署、金城警察署
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