Month: April 2020

ですですですですです。ラビッツですっ! – Wikipedia

『ですですですですです。ラビッツですっ!』は2016年1月2日から12月31日までラジオ関西のアニたまどっとコム枠で放送されていたラジオ番組[1] 東京都を中心に活動するアイドルグループ「です。ラビッツ」がメインパーソナリティを務めるラジオ番組。1回の放送はフリートーク、番組へのメールの紹介、コーナー、エンディングの4部で構成されている。BGMやコーナー間のSEにはパーソナリティであるです。ラビッツの楽曲が使用されている。なお、放送開始時は『デスデスデスデスデスラビッツですっ!』という番組名であったが、パーソナリティの『です。ラビッツ』の改名に合わせ、第47回から番組名が変更された。 放送局 日時 ラジオ関西 アニたまどっとコム枠 毎週土曜日24:00 – 24:30(2016年1月2日 – 12月31日) インターネットラジオ配信 別冊ラジ関 毎週火曜日更新(2016年1月5日 – 2017年1月3日) コーナー[編集] いけないことですっ!(第2回~) 悪いことをしてしまったリスナーのメールを紹介し、リスナーが二度と悪いことをしないように、デスラビッツのメンバーが全力で叱るコーナー。叱るメンバーは都度サイコロで決定する。 釣りたいんですっ!(第3回~)

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エルビス・オン・ステージ – Wikipedia

『エルビス・オン・ステージ』 (Elvis: That’s the Way It Is) は、1970年のアメリカ映画。ドキュメンタリー映画。 1960年代、エルヴィス・プレスリーはマネージャーであるパーカー大佐が長期映画契約を取ったため、ライヴ公演が出来ない状態であった。映画契約が終了し、再開したライヴ公演を記録した映画である。 1970年7月19日から1970年9月9日まで撮影された。 ライヴ公演の様子は 8月10日オープニング・ショー 8月11日ディナー・ショー 8月11日カクテル・ショー 8月12日ディナー・ショー 8月12日カクテル・ショー 8月13日ディナー・ショー 8月14日ディナー・ショー 8月14日カクテル・ショー が収録された。内、下2つは観客の様子を収録したのみで、エルヴィスは後姿、または遠くに映っている程度である。

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デュエルドリーム – Wikipedia

デュエルドリーム(DUEL DREAM)は、コナミアミューズメントが開発したメダルゲーム。6ステーション製で、筐体上部には大型モニターが2台設置されている。大型モニターでは、バーチャルディーラー「コレット[1]」が本物のディーラーのように実況してくれる。ジャパンアミューズメントエキスポ2020にて、スマッシュスタジアムと同時に出展[2]。計5回のロケテストの後、4月14日に正式に稼働開始。及び公式サイトがオープンした。 e-AMUSEMENT PASSに対応[3]。 本ゲームは、先にも述べたように6ステーション制で、大型モニターが2台搭載されている。2台のモニターを囲むように3ステーションずつ配置されている。主なゲーム性は、ツナガロッタのようになっている。 (JAEPO2020及びロケテストでは)「デュエルビンゴ」、バトルシステムを搭載しない「ビンゴ」、「パズル」、「ポーカー」となっており(詳しいことは後述)、カジノを連想させる。またジャックポットにも種類があり、それについても後述する。 通常ゲーム、ジャックポット抽選共通でボールでの抽選を行う。抽選機構外側に吹き出し口があり、そこからボールを飛ばす。 チャンスエリアに入り、チャンスエリア内の穴に入ると、抽選が確定する。最低8球抽選。SPボールを獲得すると、2球追加される。(ボールを飛ばす抽選方式はセガのギンガーンのプラネットラッシュ抽選機を彷彿とさせる。) バーチャルディーラーについて[編集] まずバーチャルディーラーとは、バーチャルYouTuberの技術を応用し、遠隔操作することで、さまざまなライブイベントなどに対応した、CPUでは出来ない実況をしてくれるというもの[4]。 ディーラーキャラクターについては、今のところはコレットのみとなっている[5]。 バーチャルYouTuberの詳しい内容については、バーチャルYouTuberを参照。 通常ゲーム[編集] デュエルビンゴ CPUのキャラクターとビンゴで成立ライン数を競う。ビンゴライン数が同じ場合はリーチの数が多い方が勝利となる。 ビンゴ 上記のデュエルビンゴとは違いバトルをしないモード。 パズル 盤面上の抽選された番号が描かれている色の玉が消え、この際、ぷよぷよ等の要領で消えた部分に上に控えている色玉が落ちてくる。この時、3個以上同色の玉が隣接した場合、さらにそれが消えることにより、連鎖が発生する。以後、条件を満たさなくなるまで連鎖が継続し、8連鎖以上でボーナスを獲得出来る。更に、各色に描かれた番号をゲーム中に全てHIT(例えば、ゲーム終了までに青色の1〜5番を全てHIT等)すると、色玉クリアとなり、色玉クリア後は、その色の玉がゲーム終了まで出現しなくなる。また、ボーナスを獲得出来なくても、☆付きの色玉が落ちてくることがあり、連鎖で消すことにより、☆を獲得することが出来る。☆付きの色玉は基本☆が1つしか描かれていないが、長い連鎖が発生する(3連鎖以上)などして、☆が2個以上描かれた色玉が出現(主に4連鎖以上達成時に出現)したりすることもある。☆はゲーム終了までに合計12個以上獲得出来れば配当獲得。 ポーカー

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水上はるこ – Wikipedia

水上はるこ(みなかみはるこ、1947年8月16日 – )は、元雑誌編集者、音楽評論家、翻訳家。本名非公開。 愛媛県生れ、山口県下関市で育つ。1966年、山口県立下関南高等学校卒業後[1]、新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント )に入社。数カ月の研修を経て音楽雑誌「ミュージック・ライフ」編集部に配属された。そのタイミングで来日したビートルズのコンサートをすべて見て、コンサート評を書いた。当時の編集長は星加ルミ子だったが、水上はボブ・ディランやジャニス・ジョプリンなどを好み、星加編集長の「そんな記事を書いても雑誌は売れない」というポリシーと対立し、3年後に一度、会社を辞めている。高校時代にはフォーク・ソングにも興味をもち、ギターを弾いて歌っていた。その頃、2歳年下の中川五郎と文通しており、1968年8月、京都・山崎の宝積寺で催された「第3回フォークキャンプ」で会う。この時、遠藤賢司とも会っている。 1971年12月、今野雄二(故人)からの電話があり、当時の「平凡パンチ」や「an an」の編集者が企画した英国旅行に空席があることを知らされ初の海外旅行をする。大晦日にロンドンの「マーキー (Marquee Club) 」で催されたヴィネガー・ジョー(ロバート・パーマーが在籍)を前座にすえたウィッシュボーン・アッシュのコンサートを見た。ライナーノーツなどを書いて貯めたお金で、1972年にサンフランシスコに行き半年住む。ビル・グラハム (Bill Graham) 運営の「ウインターランド (Winterland Ballroom) 」に通い、グレートフル・デッド、マイク・ブルームフィールド、ボズ・スキャッグスなどを週末ごとに見に行き、カリフォルニア大学バークレー校に集まるヒッピーたちとも交流した。 当時は海外に行ってコンサートを見る音楽評論家はまだ少なく、帰国すると「平凡パンチ」「MCシスター」などにもアメリカ・レポートを書いた。 フリーランスとして3年間仕事をしていた時期、既成の音楽雑誌に満足できない若者たちと当時「ミニコミ」と呼ばれていた冊子「Revolution」を発行し、そのグループに渋谷陽一もいた[2]。 フリーランス時代の活動に注目した新興楽譜出版社の草野昌一社長に「また会社に戻る気はないか」と説得され再入社。「ミュージック・ライフ国際版」「プラスワン」などのサブ・マガジンを編集していた。1974年1月、ボブ・ディランがザ・バンドと共にカムバック・コンサートをするのを取材したい、と草野社長に申し入れたが「ボブ・ディランの記事を書いても売れない」とまたも却下される。しかし「今年の冬のボーナスは出さないから、それでも行きたいのなら」と妥協案を出され、シカゴでボブ・ディランを、サンフランシスコでジ・オールマン・ブラザーズ・バンドのコンサートを見た。このように、好きなバンドはとことん追いかけるという水上の姿勢は引退後も続いている。 1974年2月、草野社長に「ニューヨークに遊学させてほしい」と申し入れると、給料を払い続けるからアメリカで勉強してこいと許可がおり、ニューヨークに住みはじめる。ニューヨークでは人気上昇中のブルース・スプリングスティーンと出会い、デビュー前の多くのパンク・ミュージシャンと友だちになり、伝説となったキング・クリムゾンのコンサートを見るなど大きな収穫を得た。この時に撮影したトーキング・ヘッズのクリス・フランツ

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リクルートメディカルキャリア – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “リクルートメディカルキャリア” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年10月) この記事の主題はウィキペディアにおける組織の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。基準に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。出典検索?: “リクルートメディカルキャリア” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年10月) 株式会社リクルートメディカルキャリア(RECRUIT MEDICAL

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陸前原ノ町駅 – Wikipedia

陸前原ノ町駅(りくぜんはらのまちえき)は、宮城県仙台市宮城野区五輪(ごりん)二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。JRの特定都区市内制度における「仙台市内」に含まれる。 1925年(大正14年)に宮城電気鉄道が仙台駅から西塩釜駅まで開通した際に、同時に開業した。この時の所在地は宮城郡原町だった[1]。原町は駅の開業から3年後の1928年(昭和3年)に長町と共に仙台市に編入合併された[2]。 仙台市電は市の中心部に環状線を開通させた後、四方へ分岐する支線の建設を続けた。その一つである原町線は、原町苦竹に軍需工場である東京第一陸軍造兵廠仙台製造所があったことから、陸軍から早期の開通を求められていた。この支線の建設は太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に始まったが、資材不足の影響から遅々として進まず、陸前原ノ町駅前まで全線開業するのは終戦後の1948年(昭和23年)である[3]。原町は商業地として栄え、1970年(昭和45年)には原町地区の商業店舗数は1,000を超えるほどだった。この頃、他所の地域の人々が仙石線や仙台市電を利用して買い物のために原町を訪れていた[4]。しかし、交通渋滞などの社会問題と経営赤字から、1976年(昭和51年)に原町線を含む仙台市電全線が廃止された[5]。 当駅は車両基地である陸前原ノ町電車区を併設していた。このため、当駅を始発、終着とする列車が過去に存在した[6]。陸前原ノ町電車区は仙石線の地下化に関連して、1991年(平成3年)に福田町駅付近へ宮城野電車区として移転し、現在は仙台車両センター宮城野派出所という名称になっている。仙石線の地下化は2000年(平成12年)に完成し、これに伴って当駅も駅舎が一新された。 年表[編集] 相対式ホーム2面2線を有する地下駅で、石巻方から仙台トンネルに進入してすぐの場所に設置されている。当初は半地下式で建設予定だったが、軌道敷跡地の有効利用などを理由として、地下式での施行となった[9]。駅舎は地上にあるが、駅の南側は駅舎より土地が低いため階段を使って上がることになる。 仙石線地下化工事開始以前のホームは2面3線であり、構内には陸前原ノ町電車区の留置線が広がっていた。駅東側には陸前原ノ町車掌区もあり、仙石線運行の拠点であった。東塩釜駅や石巻駅とともに、車両の夜間留置が行われていた。 仙石線地下化に際して、当駅は位置を変えずに地下化された。このため、1996年(平成8年)に陸前原ノ町電車区の跡地を横切る形で一時的な線路の経路変更が行われ、2000年(平成12年)3月の地下区間開業まで仮駅舎と2面2線の仮ホームで営業が行われた。仮駅舎を含めると、現在の駅舎は3代目にあたる。 以前は駅長・助役(一時期は管理助役も)配置の管理駅であり、榴ケ岡駅 – 福田町駅間の各駅を管理下に置いていた。現在はJR東日本東北総合サービスが受託する業務委託駅である。 自動券売機・自動改札機設置。またNewDaysもある。 駅の正面は仙台市の「アクセス30分構想」(オムニバスタウン)に基づき、近隣から乗り入れる仙台市営バスと宮城交通のバスに加え、タクシーと送り迎えの自家用車を捌く(キスアンドライド)スペースが確保されている。 のりば[編集] (出典:JR東日本:駅構内図) 利用状況[編集] JR東日本によると、2020年度(令和2年度)の1日平均乗車人員は3,481人である[利用客数 1]。 1999年度(平成11年度)以降の推移は以下のとおりである。 乗車人員推移

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第17回全日本中学校陸上競技選手権大会 – Wikipedia

第17回全日本中学校陸上競技選手権大会(だい17かいぜんにほんちゅうがっこうりくじょうきょうぎせんしゅけんたいかい)は、1990年8月18日 – 8月19日に徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場で行われた、陸上競技の大会である。 競技種目[編集] 男子(17種目) 女子(12種目) 達成された記録等[編集] 小島雅章は男子として大会4人目の100m&200m2冠達成 男子リレーの湖北は大会初の連覇を達成 男子[編集] 種目 名前(学年) 風速 記録 所属 備考 1年100m 古門宣泰(1) -2.1 11秒91

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宮薗節 – Wikipedia

宮薗節(みやぞのぶし)は、「薗八節(そのはちぶし)」ともいい、江戸時代中期の宮古路薗八(みやこぢ そのはち。初代。生没年不詳)を祖とする浄瑠璃音楽の古曲[1]のひとつ。1993年(平成5年)4月15日に重要無形文化財に指定され、宮薗節保存会の会員が保持者として「総合認定」[2]された。永井荷風は小説『雨瀟瀟(あめしょうしょう)』の中で、薗八節は浄瑠璃の中でもっともしめやかであると評している[3]。 現存する浄瑠璃音楽[編集] 現在、浄瑠璃音楽として残っているものは、義太夫節[4]、常磐津節、清元節、河東節、一中節、宮薗節、新内節、富本節である。このほか半太夫節と外記節が河東節に、大薩摩節が長唄に、豊後節から分かれた繁太夫節が地歌に、それぞれ吸収されて特殊な一部分として残存している。 宮薗節の概略[編集] 宮薗節は、宮古路豊後掾の流れを汲む浄瑠璃音楽であり、豊後掾門弟の宮古路薗八(初代)が京都で創始したものである。二世宮古路薗八が「宮薗鸞鳳軒(みやぞのらんぽうけん)」と改名して以来「宮薗節」と呼称されるようになったとされる。代表曲は「鳥辺山」「桂川恋の柵」「夕霧由縁の月見」など。 重要無形文化財[編集] 宮薗節の指定要件は「宮薗節保存会会員が立語り、立三味線を演奏するものであること」である。 括弧内は芸名 三井千恵子(宮薗千恵) 山田喜代子(宮薗千加寿) 佐藤佐喜子(宮薗千碌) 菊池ふみ(宮薗千文) 斉木ツギ子(宮薗千祐三) 土屋秀子(宮薗千碌司) 早川志津(宮薗千愛) 藤井文子(宮薗千波) 風間杜美(宮薗千章) 上治玉子(宮薗千蔦) 吹井和子(宮薗千和恵)

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アームス – Wikipedia

この項目では、アニメ制作会社について説明しています。皆川亮二の漫画については「ARMS」を、その他のアームスについては「アームズ」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “アームス” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年2月) 有限会社アームス(英: Arms Corporation)は、かつて存在した日本のアニメ制作会社。1996年11月18日に設立され、深夜アニメを中心に制作[1]。2017年8月に株式会社コモンセンスへ商号を変更して活動を縮小し、2020年5月31日に解散した[1]。 スタジオ旗艦でプロダクションマネージメントを務めていた清水修を代表として、1996年11月18日に設立された。 アダルトアニメの制作とぴえろのグロス請け業務を目的としてスタジオ旗艦より分社された会社である。当初はピンクパイナップルやグリーンバニーといった大手アダルトアニメレーベルを中心に、「ARMS」・「ダンディ・ライオン」・「Triple X」(トリプル・エックス)・「呀龍スタジオ」などの別名義も用いながら数々のタイトルを制作していた[4]が、年を経るに従いタイトル売上は下降へと転じ、公式サイトでは毎月の更新毎にプロデューサーの越中おさむが苦しい胸の内を明かすようになっていく[5][6][7][8][9]。こうして18禁OVA制作に見切りを付け始める一方、2004年に入ると『MEZZO -メゾ-』を皮切りにTVシリーズの自社制作を開始。その後、公式サイトは約1か月間のサーバ整理と称して2年以上もの休眠状態に入り、それまでのサイト内容は一切閲覧不可となった[10][11]。 2005年12月22日には、ストーリー原案・キャラクターデザイン・作画監督にりんしん、脚本にたかおかよしおを迎えて制作した『緋忍伝 呀宇種』の第1巻「朧月の章」をピンクパイナップルから発売した[12]が、売上はもはや当初の作品のようには伸びず、続巻制作を断念。それ以降、18禁OVAは制作していない。 2007年2月20日には、長らく休眠状態にあった公式サイトがリニューアルオープン。当時社内に机を置いていた梅津泰臣[13]の次回作であった、『KITE

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