木村伊量 – Wikipedia

木村 伊量(きむら ただかず、1953年11月16日 – )は、日本の新聞記者、ジャーナリスト。朝日新聞社前代表取締役社長。

香川県高松市出身。香川県立高松高等学校を経て[1]、1976年3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年4月、朝日新聞社に入社。最初の赴任地は岐阜支局だった。1980年、衆院選をめぐり愛知県岡崎市で発生した大規模な選挙違反事件と汚職事件を取材。翌1981年まで半年間、事件に関する連載記事を執筆した[2]

1982年、東京本社政治部へ異動。政治部記者として、首相官邸、自民党、外務省などを担当。西ドイツ長期取材。1993年、米コロンビア大学東アジア研究所研究員[3]、1994年、ワシントン特派員としてホワイトハウス、国務省、大統領選挙を担当。

1997年に帰国後、政治部次長へ異動。1998年、社長秘書役[3]、2000年に論説委員(政治・外交・安全保障担当)。2002年の人事で政治部部長に就任、2003年に編集局長補佐[3]。ゼネラルマネジャー兼東京本社、2006年人事にて、ヨーロッパ総局長[4]。東京本社編集局長補佐、朝日新聞GLOBE編集長、2010年6月付け人事で、西部本社代表(役員待遇)、2011年6月、取締役(広告・企画事業担当)に就任。

2012年6月26日、朝日新聞社代表取締役社長に就任[5]。秋山耿太郎から2代続けての政治部出身の社長だった。

社長就任にともなって、クロスオーナーシップである、公益財団法人朝日新聞文化財団理事長、株式会社テレビ朝日取締役等兼務した。また、2013年度より朝日賞選考委員(委員長)を務めた。

ヘラトリ朝日、ならびに紙ベースの英字新聞事業から撤退したのちも請負っていたインターナショナル・ヘラルド・トリビューンの発行を、同紙が2013年10月15日からインターナショナル・ニューヨーク・タイムズに改称することを機に停止、ジャパンタイムズに営業権譲渡した。

2014年10月20日、2013年に大英博物館との協力関係を9年延長したことを評価され、駐日英国大使館においてティム・ヒッチンズ大使により外国人に与えられる名誉大英帝国勲章「Honorary Commander of the Most Excellent Order of the British Empire」(Honorary CBE。大英帝国司令官クラス)が伝達される[6]

2014年11月14日、吉田調書問題や従軍慰安婦問題を巡る一連の捏造・誤報の責任をとる形で、持田周三常務取締役・杉浦信之取締役とともに辞任を表明した[7]
同年12月5日、臨時株主総会と臨時取締役会を開き、代表取締役社長の辞任決定[8]。社長を辞任する際に「特別顧問」に就任しようとしたが、社内の反発が強く辞退に追い込まれ[9][10][11]、追われるように朝日新聞社を退社する。

退社後は、2015年7月31日付けで、日本外国特派員協会に加盟し、フリーのジャーナリストとして活動している[12]

  • 鈴木博之、藤森照信、隈研吾、松葉一清 共著『奇想遺産Ⅱ-世界のとんでも建築物語-』新潮社、2008年10月。

    ISBN 978-4103055327。

  • 『私たちはどこから来たのか私たちは何者か私たちはどこへ行くのか 三酔人文明究極問答』ミネルヴァ書房、2021年

関連項目[編集]