アースマラソン – Wikipedia

アースマラソン(英語:EARTH MARATHON)は、吉本興業に所属するお笑いタレントの間寛平が芸能活動を休止して、マラソンとヨットで地球を一周したプロジェクト。

2008年12月17日に大阪府大阪市のなんばグランド花月をスタートして、千葉県鴨川市からヨット[1] で太平洋を横断。その後、アメリカ合衆国 – 大西洋 – ヨーロッパ – 中央アジア – 中華人民共和国を経て、ゴールの大阪城音楽堂(最終ゴールは出発地と同じなんばグランド花月)を目指す。移動距離は陸上2万km、海上1万6000kmの、計3万6000kmに及ぶ。

アメリカでは、ロサンゼルス、シカゴ[2] を通過し、ニューヨークを目指す。ニューヨーク – ル・アーヴル間の大西洋をヨットで横断。ヨーロッパでは、当初予定のスペインのマドリードを通過せずにフランスに上陸し、デンマークのコペンハーゲンを目指す。そして、2009年10月2日にコペンハーゲンで行われるIOC総会の2016年夏季オリンピック・パラリンピックの開催都市発表の瞬間に立ち会った[3]。寛平は、2016年の東京オリンピック・パラリンピック招致大使に任命されていた[4]

寛平の日々の記録映像は公式サイトに掲載され、そのVTRはテレビ番組や動画サイトなどにも提供される。また、動画の著作権は、非営利目的ならコピー・流布が自由な「クリエイティブ・コモンズ(CC)ライセンス」が採用され、個人がブログなどで自由に利用できるようになる。日本テレビ系列のニュース番組や情報番組を中心に現地からの生中継も行っており、福留功男や羽鳥慎一などが司会・ナビゲーターを務める特別番組でも放送・報告されている。

万全のバックアップ体制で臨むものの、寛平は吉本興業が自身に対し生命保険をかけたのに関して「死ぬのを期待されている」と嘆いていた。
実際に通過するコースには荒れた冬の太平洋や治安上の問題がある中東地域、さらに、中国による核実験で核汚染が懸念されているウイグル[5] があり、寛平の生命や健康が心配されていた。

2010年1月4日、立ち寄ったトルコにて寛平が前立腺がんを発症していることが判明。同13日に公表。専門医の判断により続行には問題ないとされ、今後は治療を行いながら本プロジェクトを続けていくことになった[6]
トルクメニスタン到達後マラソンを一時中断してアメリカで放射線治療を受け、6月18日に再スタートした。

以下、「大阪 – 千葉」と「千葉 – ロサンゼルス」・「福岡 – 大阪」については日本時間(JST)による日付・時間表記。その他は現地時間による日付・時間表記。

マラソン:大阪 – 千葉[編集]

ヨット:千葉 – ロサンゼルス[編集]

経度の目安:千葉(東経140度)、アメリカ・ロサンゼルス(西経118度)。

マラソン:ロサンゼルス – ニューヨーク[編集]

ヨット:ニューヨーク – ル・アーヴル[編集]

経度の目安:アメリカ・ニューヨーク(西経74度)、フランス・ル・アーヴル(西経0度)。

マラソン・ヨット:ル・アーヴル – コペンハーゲン[編集]

マラソン・ヨット:コペンハーゲン – トルクメニスタン[編集]

治療中断:カリフォルニア[編集]

  • 2010年
    • 4月20日 – サンフランシスコに到着[9]
    • 6月12日 – 放射線治療がほぼ終わったため、6月17日にアメリカを出国すると発表した。
    • 6月17日 – トルクメニスタンへ向け、アメリカを出国。

マラソン:トルクメニスタン – 青島[編集]

ヨット:青島 – 福岡[編集]

  • 2011年
    • 1月1日 – 現地時間午前7時00分、時愛喜号で青島を出航。
    • 1月4日 – 日本時間午前7時45分、博多港内、西福岡マリーナに到着。2年ぶりの日本への帰国を果たす。同日、MBS毎日放送の正月特番『春一番!笑売繁盛』に福岡からの生中継で出演。同番組司会の西川きよしとトークを交わした。同日午後には大阪に向けてマラソンを再開。

マラソン:福岡 – 大阪[編集]

運営・サポート[編集]

運営[編集]

プロジェクトの運営は吉本興業、日本テレビ、電通の3社による『間寛平アースマラソン製作委員会』で行う。

主なサポートスタッフ[編集]

肩書は当時のもの。

  • 土屋敏男 – 日本テレビ放送網編成局デジタルコンテンツセンターエグゼクティブディレクター、第2日本テレビVOD事業部長。アースマラソンの企画・運営に携わっている。
  • 比企啓之 – 当時:よしもとデベロップメンツ代表取締役社長。寛平の元マネージャーでヨットに同乗するパートナー。洋上における動画の撮影、ブログの更新を行っている。
  • 坂本雄次 – マラソンコーディネーター。ランナーズ・ウエルネス代表取締役社長。『24時間テレビ』におけるチャリティーマラソンの伴走者としても知られる。マラソン部分の全般についてサポートを行った。
  • 馬場正彦 – 気象海洋コンサルタント社長。海洋の気象を予報し、ヨットの進路や方針の決定をサポートしている。
  • 海宴隊 – 整備や装備の充実など、ヨットサポートを行っている。

サポート企業・団体[編集]

過去のサポート企業・団体[編集]

応援ソング[編集]

自身の病気療養のため、2008年7月から公の場の活動をセーブしていた歌手で寛平の友人でもある忌野清志郎が、寛平本人からの依頼により、下記2曲を「応援ソング」として書き下ろした[11]。清志郎自身にとって、およそ2年3か月ぶりの新曲制作であり、歌手活動として生涯最後のレコーディング作品となった。清志郎の訃報をアメリカで受けた寛平は人目をはばからず号泣し、清志郎を偲んだ。

下記2曲はCD発売されておらず、配信限定でリリースされている[11]

  • RUN寛平RUN (ランかんぺいラン)」/ 作詞・作曲:忌野清志郎
  • 走れ何処までも (はしれどこまでも)」/ 作詞・作曲:忌野清志郎

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]