三木汐莉 – Wikipedia
三木 汐莉(みき しおり、1991年12月25日 – )は、大阪府出身の元陸上競技選手。専門は短距離走と障害走。400mハードルの自己ベストは日本歴代9位の56秒92で、同種目の2011年神戸アジア選手権日本代表。400mハードルの元ジュニア日本記録保持者、4×400mリレーの元日本高校記録保持者でもある。
B型。四條畷市立田原中学校、東大阪大学敬愛高等学校、東大阪大学卒業。
中学生時代まで[編集]
陸上は中学から始める。小学生時代に友人と「中学に進学したら一緒に陸上部に入ろう」と約束したのがきっかけだった。中学時代は100mで大阪3-5番手の実力を持ち、近畿大会で3位に入った実績もあるが、全日本中学校選手権には出場できなかった[1]。
高校生時代[編集]
2007年、家から近くてトラック種目も強いなどの理由から東大阪大学敬愛高等学校に進学。ハードルは夏から始め、10月に日本ユース選手権の400mハードルで4位に入った。
2008年、7-8月のインターハイには100m・400m・400mハードル・4×100mリレー・4×400mリレーの5種目に出場すると、400mハードルを高校歴代6位タイ・高2歴代最高(ともに当時)の58秒79で優勝。アンカーを務めた4×400mリレーは3分41秒31の高校記録(当時)樹立と優勝に貢献し、大会2冠を達成して女子最優秀選手に選出された。10月には国民体育大会の400mでこの種目初の全国タイトルを獲得すると、ユースの選手ながら日本ジュニア選手権の400mハードルも制した。日本選手権リレーの4×400mリレーではアンカーを務め、3分41秒23の高校記録(当時)樹立に貢献した。
2009年、6月の日本選手権には100m・200m・400mハードルの3種目で初出場を果たした(結果は全て予選敗退)。7-8月のインターハイには200m・400m・400mハードル・4×100mリレー・4×400mリレーの5種目に出場すると、400mハードルはこの種目で女子選手初となる2連覇を達成[注 1]、アンカーを務めた4×400mリレーでも3分37秒86という驚異的な高校記録(当時)樹立と2連覇に貢献し[注 2]、2年連続となる大会2冠を達成した。10月には日本ジュニア選手権の400mハードルでも2連覇を達成し、2年連続で400mハードルの高校2冠を達成した。
大学生時代[編集]
2010年、4月に東大阪大学へ進学。6月に日本選手権の400mハードルで日本歴代7位・ジュニア日本記録(ともに当時)の57秒53をマークして4位。7月の世界ジュニア選手権で主要国際大会の日本代表と世界大会を初めて経験すると、3走を務めた4×400mリレーは他国の選手と接触してバトンを落とすミスが響き予選敗退に終わったが、400mハードルでは日本歴代6位・ジュニア日本記録(ともに当時)の57秒35をマークして銅メダルを獲得し[注 3]、世界ジュニア選手権の女子ハードル種目(100mハードル・400mハードル)で日本勢初のメダリストとなった。9月の日本インカレの400mハードルでは2位に終わり、大学1年目は大学の全国タイトルを獲得することはできなかったが、10月に日本ジュニア選手権の400mハードルで3連覇を達成した。
2011年、6月に日本選手権の400mハードルで56秒92の自己ベストをマークして初の表彰台となる3位。7月にはアジア選手権の400mハードルで初めてシニアの日本代表を経験して5位に入った。9月の日本インカレには5種目に出場し、アンカーを務めた4×400mリレーは優勝に貢献して大学の全国タイトルを初めて獲得したが、200mと400mハードルはそれぞれ2位に終わり、個人種目で大学の全国タイトル獲得を逃した。10月の日本選手権リレーは4×400mリレーでアンカーを務め、東大阪大学の初優勝に貢献するとともに、シニアの大会で初の全国タイトルを獲得した。
2012年、6月に日本選手権の400mハードルで2年連続の表彰台となる3位、日本学生個人選手権は200mで個人種目初となる大学の全国タイトルを獲得した。9月には日本インカレの400mハードルで初優勝を果たすと、アンカーを務めた4×400mリレーも2連覇に貢献して大会2冠を達成した。10月の国民体育大会は400mハードルで2位に入り、シニアの大会で個人種目の全国タイトル獲得まであと一歩に迫った。
2013年、9月に日本インカレの4×400mリレーで2位、10月に国民体育大会の400mハードルと日本選手権リレーの4×400mリレーでそれぞれ2位と、大学4年時はあと一歩のところで全国タイトルを獲得することはできなかった。
人物・エピソード[編集]
- 「中学に進学したら一緒に陸上部に入ろう」と約束した友人の横瀬彩也香とは大学まで同じチームメートだった。横瀬は800mで高校時代に2008年日本ユース選手権と国民体育大会(少年A)の2冠達成、大学時代に2010年日本学生個人選手権で優勝、2010年世界ジュニア選手権日本代表などの実績を持つ。
- ハードルは高校進学後に始めたが、きっかけは故障のため新人戦の短距離種目に出られず、枠が空いていた400mハードルにエントリーしたためだった。しかし、当初はあまりにも危なっかしいハードリングだったため、怪我の可能性も考えて、陸上部の顧問が大会の1週間前に出場か欠場かを本人に確認したという[1]。中学時代はハードルをやったことがなかったこともあり、両足で飛べるように練習を始めたため違和感なく400mハードルに溶け込めたという。
- 趣味は写真を撮ること。
自己ベスト[編集]
記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、+は追い風を意味する。
主要大会成績[編集]
備考欄の記録は当時のもの
国際大会[編集]
日本選手権[編集]
リレー種目は日本選手権リレーの成績
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
2008 | 日本選手権 | 横浜市 | 4x100mR | 準決勝 | 41秒11 (4走) | |
4x400mR | 4位 | 3分41秒23 (4走) | 高校記録 | |||
2009 | 日本選手権 | 広島市 | 100m | 予選 | 12秒54 (+0.5) | |
200m | 予選 | 25秒57 (+1.2) | ||||
400mH | 予選 | 1分03秒37 | ||||
2010 | 日本選手権 | 丸亀市 | 100m | 予選 | 12秒37 (+0.4) | |
400mH | 4位 | 57秒53 | 日本歴代7位 ジュニア日本記録 |
|||
横浜市 | 4x400mR | 予選 | 3分49秒38 (1走) | |||
2011 | 日本選手権 | 熊谷市 | 100m | 準決勝 | 12秒18 (0.0) | |
200m | 7位 | 24秒65 (-0.7) | ||||
400mH | 3位 | 56秒92 | 西日本学生記録 関西学生記録 |
|||
横浜市 | 4x100mR | 5位 | 46秒04 (4走) | |||
4x400mR | 優勝 | 3分37秒42 (4走) | ||||
2012 | 日本選手権 | 大阪市 | 100m | 予選 | 12秒01 (+2.2) | |
400mH | 3位 | 57秒15 | ||||
横浜市 | 4x100mR | 3位 | 45秒92 (4走) | |||
4x400mR | 2位 | 3分36秒67 (4走) | ||||
2013 | 日本選手権 | 調布市 | 400mH | 8位 | 59秒51 | |
横浜市 | 4x100mR | 7位 | 46秒45 (4走) | |||
4x400mR | 2位 | 3分40秒83 (4走) |
その他[編集]
参考文献[編集]
注釈[編集]
- ^ 女子400mハードルがインターハイ実施種目になったのは2001年から
- ^ それまでの高校記録は、昨年の日本選手権リレーで自身らがマークした3分41秒23だった。
- ^ 大会当時は4位だったが、大会終了後に優勝した選手のドーピング処分で順位が繰り上がった。
- ^ 予選のみ出場。東大阪大学は46秒59で優勝
出典[編集]
外部リンク[編集]
記録 | ||
---|---|---|
先代: 山形依希子 (57秒65) 1992年6月13日 |
女子400mハードル ジュニア日本記録保持者 (57秒53 – 57秒35) 2010年6月6日 – 2015年7月31日 |
次代: 石塚晴子 (57秒09) 2015年7月31日 |
先代: 櫻井里佳 (57秒42) 2005年7月3日 |
女子400mハードル 西日本学生記録保持者 (57秒35 – 56秒92) 2010年7月24日 – 2016年5月8日 |
次代: 石塚晴子 (56秒75) 2016年5月8日 |
先代: 坪田愛 (58秒58) 2007年6月30日 |
女子400mハードル 関西学生記録保持者 (58秒49 – 56秒92) 2010年5月21日 – 2016年5月8日 |
次代: 石塚晴子 (56秒75) 2016年5月8日 |
受賞 | ||
先代:
2007年 |
インターハイ 女子最優秀選手 2008年 |
次代: 新宮美歩 2009年 |
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