漣川後任兵暴行致死事件 – Wikipedia

漣川後任兵暴行致死事件
場所 大韓民国の旗 韓国 京畿道漣川郡
日付 2014年4月7日
標的 A一等兵(20歳・男)
攻撃手段 いじめ、暴行、暴言、脅迫、虐待
死亡者 A一等兵(20歳・男)
犯人 B兵長(主犯・25歳・男)、C下士官(23歳・男)、D兵長(22歳・男)、E上等兵(21歳・男)、F上等兵(21歳・男)、G一等兵(22歳・男)
テンプレートを表示

漣川後任兵暴行致死事件(ヨンチョンこうにんへいぼうこうちしじけん)は、2014年4月7日に韓国の京畿道漣川郡にて陸軍第28師団砲兵連隊所属のA一等兵(20歳)が兵役による入隊直後に第28師団 第6軍団の先輩兵士6名による陰湿ないじめと激しい暴行により死亡した殺人事件である。加害者には殺人罪の他に余罪が加わり、長期の懲役刑が宣告された。「1970年代ですら存在しなかった前例未聞の事件」として世間からの激しい批判を浴びた事件であり[1]、この事件直後の約2ヶ月後に江原道高城郡兵長銃乱射事件が発生したこともあって、兵役や軍隊の在り方が再考されていくことになった。被害者の死亡直前に家族が国家人権委員会に暴行の疑いを訴えていたのにも関わらずに国家人権委員会は却下処分して事件を発表しなかったことでも問題になった。本事件の調査と並行して4月に行われた陸軍による実態調査ではそれまで未報告だった約4000件のいじめが発覚して軍内のいじめ横行の実態が浮き彫りになった[2]

A一等兵は大学の看護学科生で優秀な成績を収めており、敬虔なクリスチャンでもあった[3]

2014/2に兵役による入隊直後のA一等兵は陸軍第28師団に医務兵として配置された[4]。3/8に第28師団内の第6軍団 医務部隊に配属後に先輩兵士から1ヶ月間激しい暴行や悪質ないじめを受け続け、4/6に胸を主犯のB兵長の足で蹴られて意識不明となる[2][5]。激しい暴行を受けたことにより気道が詰まって脳震盪を起こして呼吸停止となり、翌7日に死亡が確認された[2][5]。A一等兵の遺体は壮絶なアザだらけで1ヶ月間暴行された跡があった[2][5]

事件当日の前夜から殴打が続いており、4/5 午後9:45頃にB兵長ら6名はA一等兵に4時間以上暴行を加え続けた。事件当日午前にA一等兵が殴られて倒れると、B兵長らは脈拍や酸素飽和度を確認して異常がなければ「仮病だ」といって暴行を続けた[4]。同日午前10時頃にB兵長らはベッド下に唾痰を2回吐いてA一等兵に舐めさせた[4]。同日午後3:30頃にB兵長らは冷凍食品を一緒に食べながら食べる音がうるさいという理由でA一等兵の胸・顎・頬を殴った[4]。殴ったことでA一等兵の口から食べ物が飛び出すと、床に落ちた食べ物を舐めて食べさせた後にA一等兵の頭部と腹部を殴ってA一等兵がうつむいた状態で暴行を続けた[4]。尿を垂らして倒れたA一等兵は意識不明となって翌日死亡が確認された[4]。A一等兵は事件当日には意識が朦朧として水を飲んでもヨダレを垂らしてまともに食べられないほど衰弱していた[6][7]。4/9にA一等兵以外のB兵長を含む5人は拘束起訴されてG一等兵のみが不拘束起訴となった[1][8]

A一等兵が受けた虐待[2][6][9][5]

  • 1ヶ月間殴る・蹴るなどの暴行を日常茶飯事に1日90発以上受け続ける。
  • 棒が折れるほど殴られ続ける。
  • 「ワンワン」と犬のように吠えさせられて這い回らせられながら加害者が床に吐いた唾痰を舐めさせられる。
  • 午前3時まで睡眠を禁止される。
  • 性器にアンチプラミン(消炎鎮痛剤)を塗らせられる。
  • 下着を破っては着替えさせられることを繰り返される。
  • 歯磨き粉を食べさせられる。
  • 横になって水1.5ℓを飲まされる。
  • 自分・母親・姉・仲間に対する暴言を吐かれ続ける。

犯人はB兵長(主犯・25歳)・C下士官(23歳)・D兵長(22歳)・E上等兵(21歳)・F上等兵(21歳)・G一等兵(22歳)。

この内現場にて殺害に直接関与したのはB兵長・D兵長・E上等兵・F上等兵の4名で、4/11の現場検証にて再演を行なった。

主犯のB兵長は、殴って暴行を繰り返してはA一等兵に点滴を打たせて容態が少し回復すると再度暴行を行い、それを繰り返していたという[6]。「自分の父親はギャングだ」などと嘘を言ってA一等兵を脅していた。B兵長は、新兵にもA一等兵への暴行を命令していた[6]。B兵長はA一等兵の配属前から同僚兵士に絶えず暴行を加えており、A一等兵への暴行に加担したE上等兵は「死ぬ程殴られた」と述べている[1]。G一等兵に対しても2013/12に水拷問を行なったり、歯磨き粉を食べさせたことが確認されている[4]。下士官は部隊を指揮する幹部である階級であり、C下士官は兵長であるB兵長よりも位が高かったが、B兵長の方が年上であるという理由で従っていた[1](これは儒教的な年功序列による朝鮮文化の伝統が大きく関わっている)。C下士官は兵士を管理し、暴力を止めさせる責任がある義務支援官だったのにも関わらずにA一等兵への暴行を幇助して止めなかった[6]。2014/4/4の大隊練兵場での応急処置教育にてC下士官は拡声器を持った手でA一等兵の頭を殴り、他の兵士たちはそれを目撃したが、誰も申告せず、A一等兵が頼れる人は誰もいなかったという[6]

軍と国家人権委員会の対応への疑惑[編集]

A一等兵の死亡直前に遺族が国家人権委員会に「殴打の疑いがある」と訴えたが、死亡直後の2日間に現場調査が行われたのにも関わらずに国家人権委員会は6月に却下処分していた事実が明らかになった[2][10][7][11][12]。連絡を受けて病院に駆けつけた遺族は全身アザだらけのA一等兵を確認したが、A一等兵が暴行を受けた事実を把握し、単なる「窒息死」「気道閉塞による脳損傷」であるという説明に納得できなかったという[2][5][11][12]。その後軍人権センターが関連捜査記録を確保し、2014/7/31の軍人権センターによる記者会見にてイム・テフン所長[1][13]によって真相が暴露される一週間前まで遺族は軍から真相を伝えられていなかったために真相を把握しておらず、軍は事件の残酷な内容を記者会見での真相暴露まで公開していなかった[2][10][7][11][12]。軍人権センターによる真相暴露後に国家人権委員会は8/4に急に事件を公表して陸軍トップの権五晟(クォン・オソン)陸軍参謀総長が辞任した[2][10][7][11][12]。また、事件裁判の法廷に出席した軍側の証人は2人だけで、真相を正確に把握していたH一等兵は証人としなかった[7]。裁判の関係者によると軍検察は遺族に真相を隠すために重要な証人を申請しなかったと見ることができるという[7]。ハンギョレによると人権団体関係者らは2009年にヒョン・ビョンチョルが就任して以来、軍・検察・警察などの国家機関の人権侵害に対する職権調査がまともに行われていないと指摘しているという[10]

国防部は、第28師団砲兵部隊連隊長・大隊長・本部砲隊長・当直者など16名の懲戒処分を発表した[7]。その内8名は最も軽い譴責処分となり、6名は1-3ヶ月間の停職・減給処分、2名は各5・10日間の謹慎処分となった[7]

裁判判決[編集]

2016/6/3に国防部高等軍事裁判所は最終審判で殺人罪が成立し、B兵長に懲役40年、D兵長・E上等兵・F上等兵に懲役7年、C下士官に懲役5年を宣告。第2審ではB兵長は懲役35年を宣告されていたが、最高裁判所が認めずに第2審へ差し戻しとなった[14]。B兵長は国軍刑務所で服役中に監房仲間を殴打したり、体に小便をするなどの行為をしていたため、それを考慮されて懲役40年が確定した[14]。第28師団軍事法廷で開かれた4回目の公判ではB兵長に強制わいせつ容疑が追加された[3]。裁判では一部の一般市民が加害兵士らに向かって声を荒げることもあった[3]

その後の経緯[編集]

2011年に論山訓練所にて髄膜炎で死亡したI訓練兵の母主導の下、2016/1/16にソウル特別市西大門区峴底洞に「軍被害治癒センター」が設立された[15]。開所式にはA一等兵の母、I訓練兵の母、洪川韓国兵士脳腫瘍死亡事件の被害者 Jの母と姉、2015/4の軍内性的暴行事件の被害者で当時治療中のK兵士とその父が参加した[15]

関連事件[編集]