バラツケー – Wikipedia

バラツケー[1]
欧字表記 Barraques
品種 アングロアラブ(アラブ血量31.25%)
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1927年
死没 不明
Comtat(サラブレッド)
Titine(アングロアラブ)
母の父 Kerro(アラブ)
生国 フランス
生産者 ピレネー=アトランティック県
競走成績
生涯成績 不詳
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バラツケー英: Barraques、1927年 – 不明)は、フランスで生産されたアングロアラブの種牡馬である。種牡馬としては日本で繋養されると、その子孫は戦後を通じて日本のアングロアラブ競馬において大いに繁栄した。

※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。

父はサラブレッドのComtatであるが、その父系を遡るとエクリプスの直子のうちポテイトーズ、キングファーガスでなくジョーアンドリュースへと至る傍流系統にあたる。

1930年に農林省がフランスのバスピレネー県で85,000フランで購入した[1]。その年に日本に輸入され、1931年8月に血統登録がなされている。

北海道浦河町に存在した日高種馬牧場で国有種牡馬として繋養されると[1] 、数多くの活躍馬を送り出した。戦後に限っただけでも、日本競馬における最高負担重量での勝利記録を持つタマツバキ、読売盾争奪東西対抗戦連覇のニユーバラツケー、南関東公営競馬で活躍したミネフジらがその代表産駒として挙げられる。

そしてミネフジの子タガミホマレは1970年代後半から1980年代にかけてアングロアラブの中央・地方リーディングサイアーに8回輝き、タイムライン・シナノリンボーらの後継種牡馬も成功。2000年代に入っても、シナノリンボー産駒で1990年代前半に上山で活躍したレオグリングリンの子マリンレオが2003年のNARグランプリアラブ最優秀馬を受賞し、2009年9月27日には日本で最後のアングロアラブ種単独競走となった[注釈 1]福山の「アラブ特別レジェンド賞」を同じくレオグリングリン産駒のザラストアラビアンが制している。

バラツケーの血統(ジョーアンドリュース系 / 「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名はシャギア・濠サラ (血統表の出典)

Comtat
1912

父の父

Vinicus
1900

Masque 1897  
 
Wandora 1887  
 

父の母

Contree
1897

Imp. border Minstrel 1880  
 
Region 1883  
 

アア Titine
1919

母の父

アラ Kerro
1910

アラ Imp. Farhan 1897  
 
アラ jahel 1905  
 

母の母

アア Bougiere
1914

アア Marat 1902  
 
Boudeuse 1903 Boudoir 1890
Andrea 1895 11-g

参考文献[編集]

  • 帝国競馬協会『馬匹血統登録書第7巻』帝国競馬協会、1935年、187頁。
  • 競馬前夜通信社『軽種馬牡馬血統書』,競馬前夜通信社,1949年、116頁。
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注釈[編集]

  1. ^ 2014年現在。

出典[編集]

  1. ^ a b c 競馬前夜通信社『軽種馬牡馬血統書』,競馬前夜通信社,1949年、116頁。

外部リンク[編集]