ジガ・ヴェルトフ集団 – Wikipedia
ジガ・ヴェルトフ集団(英語:The Dziga Vertov Group、仏語:Groupe Dziga Vertov、1968年 – 1972年)は、かつて存在したフランスの映画作家集団である。ヌーヴェルヴァーグの中心人物であったジャン=リュック・ゴダールがいわゆる彼の「政治の時代」に、同グループの名のもとに匿名で政治的映画を集団的に製作、発表したことで知られる。
来歴・概要[編集]
1968年、ジャン=リュック・ゴダールとジャン=ピエール・ゴランを含む政治的にアクティヴな映画作家によって結成された。彼らの作品は、ブレヒト演劇の形式、マルクス主義イデオロギー、個人的著作性の欠如を主として定義されている。1920年代 – 1930年代のソビエトの映画作家ジガ・ヴェルトフから名をいただいたこの集団は、1972年の『ジェーンへの手紙』の完成直後に解散した[1]。
同集団は一般的に下記の9本の作品とともにクレジットされている[1]。
『勝利まで』は作品の主題に沿って完成することができず、最初の場面を撮ったわずかの後にパレスチナ解放機構のメンバーたちが殺されてしまった。ゴダールは、のちに1976年の彼の作品『ヒア&ゼア こことよそ』で既存の材料をつかった。同作でゴダールと彼のパートナー(アンヌ=マリー・ミエヴィル)は、『勝利まで』をつくるためのゴダール自身とゴランの方法を脱構築し、その方法とジガ・ヴェルトフ集団全体のマニフェストに対して、順番に異議を唱えていった[1]。
参加メンバー[編集]
監督・脚本[編集]
- ※「ジガ・ヴェルトフ集団」の名のもとに匿名で監督・脚本に参加した人物
- ジャン=リュック・ゴダール
- 『あたりまえの映画』監督・脚本・撮影、『ブリティッシュ・サウンズ』監督・脚本、『プラウダ』監督・脚本・編集・語り、『東風』監督・脚本・編集、『イタリアにおける闘争』監督・脚本・編集、『勝利まで』監督・脚本、『ウラジミールとローザ』監督・脚本・撮影・編集・出演、『万事快調』監督・脚本、『ジェーンへの手紙』製作・監督・脚本・撮影・語り
- ジャン=ピエール・ゴラン
- 『あたりまえの映画』監督・脚本、『東風』監督・編集、『イタリアにおける闘争』監督・脚本・編集、『勝利まで』監督・脚本、『ウラジミールとローザ』監督・脚本・撮影・編集・出演、『万事快調』監督・脚本、『ジェーンへの手紙』製作・監督・脚本・語り
- 『ブリティッシュ・サウンズ』監督・脚本、『プラウダ』監督・脚本・編集
- 『プラウダ』監督・脚本・編集
- 『東風』監督
- 『東風』脚本・出演
- 『東風』脚本
出演[編集]
参考文献[編集]
外部リンク[編集]
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