Month: November 2017

アタカマ砂漠 – Wikipedia

アタカマ砂漠(アタカマさばく、英: Atacama Desert、スペイン語: Desierto de Atacama)は、チリのアンデス山脈と太平洋の間に広がる海岸砂漠である。全体の平均標高は約2,000mにも達し、その過酷さからアタカマ砂漠への道は「死への道」と恐れられた。砂漠内にはオアシスがあり、東西交易の拠点としてアンデス山脈と沿岸を結んでいる。世界で最も降水量の少ない地域として知られる[1]。 東西の幅は平均160kmに満たない一方、南北の広がりは1000kmあり、長大な盆地状をなす。アンデス山脈と海岸の山地によって湿った空気が遮断されているため、世界でも最も乾燥した砂漠であり、40年間まったく雨が降らなかった地域もある。不毛で岩塩や石灰の堆積層で覆われている所が多く、銅・銀・ニッケル・リチウムなどの鉱物資源に富んでいる。天然の硝酸ナトリウム(チリ硝石)の産出は世界最大であり、1940年代初期まで大規模に採掘されていた。また、世界最大のリチウム産地である[2]。代表的な寒流であるペルー海流が作る西岸砂漠の一つである。約5000もの地上絵があるが、これらはナスカのような巨大なものではなく、傾斜地に描かれている。 もともとはチリ・ボリビア・ペルーの3か国に分割されたが、太平洋戦争の結果、全域がチリ領となる[3]。 地球物理学的解説[編集] 中華人民共和国新疆ウイグル自治区にあるタクラマカン砂漠と同じような盆地型高地砂漠である。海岸沿いに形成された山地とアンデス山脈によって挟まれた地形をなす。これはナスカプレートが南米プレートの下に沈み込むことによって形成された初期造山運動によるアンデス山脈と、その後に生じた造山運動による海岸線の隆起によって挟まれた地形のためと推定されている。 そのため、アタカマ砂漠内にはかつて海であった証拠として中央部の低地帯にアタカマ塩原が形成され、ここを中心として岩塩や石灰からなる山地が形成されている。 人との関わり[編集] アンデス山脈に近い地域では山頂の雪解け水によって地下水脈が形成され、標高の低い地域ではそれが地上に湧き出してオアシスが形成される。このオアシスには集落が形成され、アタカマ砂漠を横断する交通および商業の要衝となっている。過去に栄えたインカ帝国でもこのオアシス間の交通を重視しており、ペルーのインカ道と並びアタカマ道と呼ばれる。 オアシス間を結ぶ道路はアタカマ道に沿って国道が整備されており、舗装されている箇所と舗装されていない箇所がある。 オアシスの恩恵を受けられない場所ではロア川(英語版)を水源にしているが、近年の地球環境の変化による影響のほか、上流部で鉱山開発や都市化のために取水量が激増した影響から、下流部の水不足が深刻化している。 チリ政府の経済政策により近隣の港で衣類にかかる関税が撤廃されたことで、輸入されたが買い手がつかなかった古着が不法に廃棄され、環境汚染が発生している[4]。 2007年、日本人冒険家の永瀬忠志が横断に成功している[5]。 関連項目[編集] ウィキメディア・コモンズには、アタカマ砂漠に関連するメディアがあります。 座標:

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ユージン・インジック – Wikipedia

画像提供依頼:顔写真の画像提供をお願いします。(2019年5月) ユージン・インジック(Eugen Indjic, 1947年3月11日 – )は、ユーゴスラビア出身のピアノ奏者。[1][2][3] ベオグラードの生まれ。父はペータル2世に仕えたセルビアの軍人で、母はロシア出身のアマチュアのピアニストだった。4歳の時にアメリカ合衆国に移住し、フレデリック・ショパンの幻想即興曲やポロネーズ集のレコードを聴いてピアノに興味を持ち、グルジア出身のピアニストであるリューボフ・ステファーニにピアノを学んだ。1955年に市民権を得、1958年にはNBCの放送に出演してピアノ演奏を披露している。1959年から1964年までアレクサンドル・ボロフスキーの下で研鑽を積んだが、1960年にはワシントン・ナショナル交響楽団と共演し、その翌年から10年間、アーサー・フィードラーの要請でボストン・ポップス・オーケストラに客演を重ねた。一方でレナード・バーンスタイン奨学金を得てハーバード大学に進学し、ローレンス・バーマンとレオン・キルヒナーにシェンカー理論等の音楽理論を学び、1969年に優等の成績で卒業している。1968年にはアルトゥール・ルービンシュタインと出会い、ルービンシュタインが亡くなるまで親交を深めた。1970年にはショパン国際ピアノコンクールで第4位、1972年にはリーズ国際ピアノ・コンクール第3位、1974年にはルービンシュタイン国際ピアノコンクールで第2位をそれぞれ獲得した。 インジックの演奏したショパンのマズルカ集の録音は、ジョイス・ハットーの演奏として名義を書き換えられて発売されたことがある[4]。 ^ アーカイブ 2017年2月14日 – ウェイバックマシン ^ アーカイブ 2017年7月8日 – ウェイバックマシン ^ ユージン・インジック

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京都扶持衆 – Wikipedia

京都扶持衆(きょうとふちしゅう)とは、室町時代に室町幕府の征夷大将軍と直接主従関係を結んだ関東地方・東北地方の武士。京都御扶持衆ともいう。 なお、この言葉の語源については、渡辺世祐が作った[1]学術的用語であり、史料上に出てくる用語としては「京都御扶持者」[2]「京都御扶持之輩」[3]であるため、「京都扶持者」の方が正確なのではないか?とする渡政和の指摘もある[4]。 室町時代の関東地方は、鎌倉公方と呼ばれる将軍の代理人が鎌倉府の長として統治し、事実上幕府からは間接統治となっていた。鎌倉公方は次第に幕府と対立するようになり、将軍の位も望むようになる。このような鎌倉公方の動きを牽制するため、幕府は鎌倉公方と対立している関東や奥羽の有力武士と直接主従関係を結んだ。 これらの武士は京都扶持衆(当時の記録では京都御扶持者)と呼ばれ、鎌倉府の管轄国内の武士でありながら、鎌倉府に出仕する義務はなく、鎌倉公方の指揮も受けず、直接将軍の指揮下に入った[5]。幕府はこれら京都扶持衆を組織し、反鎌倉公方活動をおこなった。こうした武士は4代将軍足利義持の時代には十数家あったとされている。幕府は表向きはこうした扶持衆の行動を批判したものの、実際にはこれに物心様々な援助を与えていた。 実際に京都扶持衆となったのは、甲斐武田氏、常陸山入氏、小栗氏、真壁氏、大掾氏、下野宇都宮氏、那須氏、小野寺氏、陸奥篠川御所、伊達氏、蘆名氏、南部氏、白河結城氏、湊氏[6]、桃井氏、塩松石橋氏、犬懸上杉氏(上杉憲秋)、海道五郡輩(岩城・岩崎・標葉・相馬・楢葉の諸氏)[4]が挙げられる。 これらの家々は鎌倉公方足利持氏が元関東管領上杉禅秀に攻められた上杉禅秀の乱において、義持の禅秀討伐令を無視して禅秀を支援し、あるいは中立的態度を取った[7]。これらは、その裏で追討令を発した義持自身が持氏の勢力弱体化のために秘かに認めた行為であった。これを知った持氏は京都扶持衆に対する見せしめとして小栗満重を討伐し(小栗満重の乱)、それに加担したとして同じく扶持衆の宇都宮持綱や桃井宣義など[8]をも滅ぼすが、将軍・義持はこれを関東から親幕府勢力の一掃を図った「私戦」として激しく非難して三管領や山名時熙・赤松満祐に持氏討伐の是非を諮問する騒ぎとなっている。結局、持氏の謝罪で一旦は納まったものの、以後も京都扶持衆を介在させて持氏の勢力拡大を阻もうとする幕府と彼らの討伐の機会を狙う持氏の対立は続き、永享の乱の原因の1つとなった。 永享の乱による鎌倉公方の滅亡後、親幕府派の関東管領山内上杉家が関東の支配権を握ったために関東の京都扶持衆は自然消滅したと考えられている。 関連文献[編集] ^ 『関東中心足利時代之研究』(雄山閣、1926年) ^ 『満済准后日記』応永30年7月5日条 ^ 『兼宣公記』応永30年8月17日条 ^ a b 渡政和「〈京都様〉の〈御扶持〉について -いわゆる〈京都扶持衆〉についての考察-」(初出:『武蔵大学日本文化研究』第5号(1986年)/所収:植田真平 編『シリーズ・中世関東武士の研究

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森谷優里 – Wikipedia

この存命人物の記事には、出典が全くありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “森谷優里” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年7月) 森谷 優里(もりや ゆうり、1994年5月7日 – )は、日本のキーボーディスト。作曲家。編曲家。様々なアーティストのライブにバックバンドとして参加している。他にもCDのレコーディング、MVへの出演、作曲・編曲、テレビ出演等、活動は多岐にわたる。 現在は、なかむらゆめみると共に、ポチ (バンド)というユニットとしても活動している。 1994年5月7日生まれ。A型。3歳からピアノを始めた。「コルクボードに貼られたいくつかの習い事のチラシの中からピアノを自分で選んだという記憶がふんわりとあります。」と話している。小中高時代の合唱コンクールでは伴奏を務めた。 小学2年生から高校2年まではサッカーをしており、中学生の頃はサッカー少年だったとの事。 しばらくピアノから離れていたがUVERworldに出会いバンドに興味を持ったことで高校では軽音部に入りピアノを再開。 2013年、洗足学園音楽大学へ入学。

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今宵、212号室で – Wikipedia

『今宵、212号室で』(こよいにひゃくじゅうにごうしつで、Chambre 212)は2019年のフランス・ルクセンブルク・ベルギーのロマンティック・コメディ映画。 監督・脚本はクリストフ・オノレ、出演はキアラ・マストロヤンニ、ヴァンサン・ラコスト、バンジャマン・ビオレなど。 破局の危機に瀕した1組の夫婦が体験する不思議な一夜を描いている[3]。 実生活で元夫婦のマストロヤンニとビオレが夫婦を演じていることが話題になった[4]。 2019年5月に開催された第72回カンヌ国際映画祭で主演のマストロヤンニがある視点部門最優秀演技賞を受賞した[3]。 ストーリー[編集] 大学教員のマリアは付き合いはじめてから25年、結婚してから20年になる夫リシャールとパリのアパルトマンで2人暮らしをしている。夫とは「兄妹」のような関係になってしまったと感じているマリアは教え子たちをつまみ食いする浮気を繰り返していたが、ある日、リシャールにバレてしまう。25年間、自分は浮気をしていないと怒るリシャールと距離を置くために、マリアはアパルトマンの真向かいにあるホテルの212号室で一晩を過ごすことにする。ホテルの窓からは夫の様子がつぶさに見える。 ホテルの部屋で寝ていたマリアが物音で目を覚ますと、そこには25歳のリシャールがおり、夫を裏切った上にアパルトマンを出てきたマリアを責める。動揺するマリアだったが、若くてハンサムなリシャールとセックスしてしまう。ことを終えたマリアの前に今度はリシャールが15歳からマリアと結婚するまで交際していた年上の女性イレーヌが20年前の姿のままで現れる。イレーヌはマリアと結婚したリシャールとは二度と会わないと誓って別れたものの、リシャールを忘れられないと言う。さらに、亡くなった母や祖母が現れてマリアの奔放な男性遍歴を責める。マリアに唆されたこともあり、イレーヌは今のリシャールに会いに行く。リシャールは昔と変わらぬイレーヌの姿に驚きつつも、マリアに裏切られた傷心をイレーヌで癒そうとする。しかし、リシャールとの復縁を強く望むイレーヌに対し、リシャールはマリアと別れるつもりは全くなく、イレーヌはその現実を思い知らされる。一方、マリアの前には彼女の「意思」を具現化した存在やこれまで浮気した相手の男たちが次々と現れる。こうして、結婚は間違いではなかったのか、別の選択もあったのではないかと考えさせられたマリアとリシャールだったが、この奇妙な体験を通じて改めて互いを理解するようになる。 夜が明けてホテルを出たマリアは、そこでリシャールと顔を合わせる。リシャールが「今夜は家に帰るか?」と尋ねると、マリアは「そうね。予定もないし」と答え、歩いて仕事に向かう。 キャスト[編集] 作品の評価[編集] 映画批評家によるレビュー[編集] アロシネによれば、フランスの39のメディアによる評価の平均点は5点満点中4.1点である[5]。 Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「タイトル(英題:『On a Magical Night』)の夕暮れほど特異ではないが、『今宵、212号室で』はちょっとしたロマンティックな雰囲気に浸りたい観客を満足させるには十分にフランス人らしい奇抜な言動を見せてくれる。」であり、31件の評論のうち高評価は65%にあたる20件で、平均点は10点満点中6.2点となっている[6]。 Metacriticによれば、12件の評論のうち、高評価は4件、賛否混在は8件、低評価はなく、平均点は100点満点中53点となっている[7]。

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きると – Wikipedia

この項目では、コンピュータゲームのきるとについて説明しています。手芸技法については「キルト」を、スコットランド民族衣装のキルトについては「キルト (衣装)」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “きると” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年7月) きると ジャンル 恋愛アドベンチャーゲーム 対応機種 Windows 98/98SE/Me/2000/XPPlayStation 2 発売元 CLOVER(Win)Nine’s

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イコールワン福岡SUNS – Wikipedia

イコールワン福岡SUNS(イコールワンふくおかサンズ、英: Equal-One Fukuoka Suns)は、日本の社会人アメリカンフットボールチーム。本拠地は福岡県福岡市博多区[1]。Xリーグ所属。 2017年2月1日に創部。2017年の入替戦に勝利しX2リーグへ昇格。2018年の入替戦にも勝利し、前年の電通クラブキャタピラーズ以来のX1リーグの昇格チームとなった。九州で初めてXリーグに加盟したチームである。 2017年2月1日に福岡SUNS(ふくおかサンズ)として創部、Xリーグ加盟。同年7月8日に福岡市に本社がある株式会社オーパーツがスポンサーとなり、オーパーツ福岡SUNSと改名[2]。同年のX3リーグウエストで優勝し、入替戦でも富士ゼロックスJ-Starsを破り、X2リーグに昇格。 2018年のX2リーグウエストで優勝[3]。2019年より新しくX1リーグを編成するに当たり、Xリーグウエスト最下位であったサイドワインダーズとの入替戦が行われることになったが、2018年12月2日に行われた入替戦でサイドワインダーズを22-7で破り、X1 Area昇格を決めた[1]。 2019年4月1日より、メインスポンサーが株式会社みらいふに変更となったことに伴い、チーム名もみらいふ福岡SUNSに変更された。 2020年4月1日、栗原嵩(前IBMビッグブルー)とコージ・トクダ(お笑い芸人・元ブリリアンメンバー)が加入。 2021年6月1日、メインスポンサー変更により、チーム名がイコールワン福岡SUNSに変更された[4]。 7月3日、田村丈(元プロ野球選手)が加入することが発表された[5]。同月7月17日、筬島直人(元ラグビー選手)が加入することが発表された[6]。7月31日には黒川ラフィ(元ラグビー選手)も加入した。[7] 年度 所属 リーグ戦 ポストシーズン 勝 敗 分 順位

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海 – Wikipedia

「海洋」はこの項目へ転送されています。中国の人工衛星については「海洋 (人工衛星)」をご覧ください。 海(うみ[注 1]、英: the sea または the ocean[注 2])は、地球上[注 3]の陸地以外の部分で、海水に満たされたところ[1]。海洋とも言う。 主な海洋として、太平洋、大西洋、インド洋などがある。 海は地表の70.8%を占め、面積は約3億6106万km2で、陸地(約1億4889万km2)の2.42倍である。平均的な深さは3729m。海水の総量は約13億4993万立方キロメートルにのぼる[2]。ほとんどの海面は大気に露出しているが、極地の一部では海水は氷(海氷や棚氷)の下にある。 海は微生物から大型の魚類やクジラ、海獣まで膨大な種類・数の生物が棲息する。水循環や漁業により、人類を含めた陸上の生き物を支える役割も果たしている。 天体の表面を覆う液体の層のことを「海」と呼ぶこともある。以下では主に、地球の海について述べる。 呼び方・分類[編集] 日本語での うみ / みずうみ という分類法 海水は、塩(ナトリウムイオンと塩化物イオン)を主成分とするミネラルなどが、おおむね濃度3%台で水に溶け込んでいる[3]。ヒトの味覚では海水は「塩辛い」「しょっぱい」と感じられ、古来、海水を塩田などで濃縮して塩を得てきた。

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マンフレド・ウガルデ – Wikipedia

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はウガルデ、第二姓(母方の姓)はアルセです。(Template:スペイン語圏の姓名) マンフレド・ウガルデ 名前 本名 マンフレド・アロンソ・ウガルデ・アルセManfred Alonso Ugalde Arce ラテン文字 Manfred Ugalde 基本情報 国籍 コスタリカ 生年月日 (2002-05-25) 2002年5月25日(19歳) 出身地 エレディア 身長

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ミッシングリンク – Wikipedia

この項目では、古生物学における用法について説明しています。その他の「ミッシングリンク」については「ミッシングリンク (曖昧さ回避)」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ミッシングリンク” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2008年1月) ミッシングリンク・ミシングリンク(Missing-link)とは、生物の進化過程を連なる鎖として見た時に、連続性が欠けた部分(間隙)を指し[1]、祖先群と子孫群の間にいるであろう進化の中間期にあたる生物・化石が見つかっていない状況を指す語。失われた環とも。 チャールズ・ダーウィンの進化論によると、生物が自然淘汰の生存競争を勝ち残るために、時に変異を遂げてA種⇒B種⇒C種と徐々に進化したのであれば、祖先Aと子孫Cの中間的な特徴を持つB生物も世の中にいて当然と考えられる。しかし、そうした進化の中間期にあたるB生物が(絶滅したとしても)化石からも発見されていないケースが見られる。これは進化の過程を「つなぐ環が失われている」状態ではないか、という意味合いから、後年になってミッシングリンクと呼ばれるようになった。別パターンとして、子孫C生物は確認されているが、以前の始祖がどのような形態であったのかが不明なケースもある。 なお、ダーウィン自身はこの言葉を使っておらず、著書『種の起原』の中では「中間種(intermediate varieties)」や「移行期のつながり(transitional links)」という表現[2]をしていた。 ミッシングリンクは、種と種の間をつなぐ小さな移行よりも、やや大きい群の間での進化移行期や分岐点となる生物について言及されることが多く、過去に発見された例では、爬虫類と鳥類の中間種と言える始祖鳥が有名である[3]。これ以外にも進化中間期の化石生物は様々見つかっていることから、ミッシングリンクは進化における謎の間隙ではなく、単に進化中間期の化石証拠がまだ見つかっていない状況を示している。 古生物学におけるミッシングリンク[編集] 中間型化石が発見され、ミッシングリンクが埋められていく様子 古生物を扱う分野において、ミッシングリンク(失われた環/鎖)とは、進化の途上に位置する、発見されていない中間形の化石のことを指す。ただし学術用語ではない。学術的には「未発見の中間型化石」などと呼ぶ。

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