Month: January 2018

湘南乃風〜湘南爆音BREAKS!〜 mixed by The BK Sound

『湘南乃風〜湘南爆音BREAKS!〜 mixed by The BK Sound』(しょうなんのかぜ・しょうなんばくおんブレイクス ミックスド・バイ・ザ・ビーケーサウンド)は、2010年8月4日に発売された湘南乃風のMIXアルバム。 湘南乃風のセレクターであるThe BK Soundがこれまで湘南乃風がリリースしてきたシングルやアルバムに収録された楽曲からアッパーチューンを中心にノンストップ・ミックスした、湘南乃風初のMIXアルバム。 シングルやアルバムに収録された楽曲や新曲2曲に加え、HAN-KUNのソロアルバム『VOICE MAGICIAN』に収録された楽曲、INFINITY16のプロデュースによるワンウェイアルバム『無限十六シリーズ』に収録されたメンバーのソロ楽曲も収録。ちなみに「睡蓮花」「Rockin’Wild」「Wild Speed」「Real Riders」の4曲は今作だけの別リミックスバージョンで収録されている。 初回盤はB5サイズのビニールポーチ仕様で、CDとタオルを封入。 睡蓮花 (REMIX) 6thシングルのリミックス。 4 THE

Continue reading

アナスタシウス3世 (ローマ教皇) – Wikipedia

表 話 編 歴 ローマ教皇(120代:911年 – 913年) 古代 ペトロ33?-67? / リヌス66?-78? / アナクレトゥス79?-91? / クレメンス1世91-101 / エウァリストゥス101-108 / アレクサンデル1世109-116 / シクストゥス1世116-125 / テレスフォルス125-136 / ヒギヌス136-142 / ピウス1世142-155 / アニケトゥス155-167 / ソテル167-174 /

Continue reading

沖国大米軍ヘリ墜落事件 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “沖国大米軍ヘリ墜落事件” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年2月) 沖縄国際大学米軍ヘリコプター墜落事件(おきなわこくさいだいがくべいぐんヘリコプターついらくじけん)とは、2004年8月13日に在日米軍(アメリカ海兵隊)のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した事件である。 2004年8月13日午後2時15分頃、アメリカ軍普天間基地所属の大型輸送ヘリコプターCH-53Dが訓練中にコントロールを失い、沖縄国際大学1号館北側に接触、墜落、炎上した。搭乗していた乗員3名は負傷したが、1号館内にいた大学職員20数名、他民間人に負傷者は出なかった。この墜落事故により同大学は電話・インターネット回線等を切断され、また接触した1号館はローターによる損傷と炎・ススによる被害を受け、またその周辺の木々も焼かれてしまった。このため一号館は、翌2005年7月30日までに取り壊され(その後汚染土壌も除去された)、2006年11月11日に再建工事が竣工した。 沖縄県で住宅地にアメリカ軍のヘリコプターが墜落したのは1972年の復帰後初めてのことであった。近くの民家やガソリンスタンド、保育所などにヘリコプターの部品が落下したこともあり、事故に対しては宜野湾市をはじめとした沖縄県内の各方面から非難が相次ぐ。 墜落直後の米軍の対応[編集] 事故直後、消火作業が終わった後にアメリカ軍が現場を封鎖し、事故を起こした機体を搬出するまで日本の警察・消防・行政・大学関係者が現場に一切立ち入れなかったことも反発を招いた。さらに当該機のローターブレードには氷結などによる亀裂・劣化を検出するために放射性物質であるストロンチウム90が1個ずつ(CH-53Dのローターブレードは6枚なので合計6個)のステンレス容器に納められており、そのうちの1つが今回の事故で機体の燃焼により損壊し放射能汚染を引き起こした疑いが持たれている[1]。ただし、米国大使館は報道機関に対して、ストロンチウム90は機体の燃焼、熔解で気化した可能性が高いと回答している。そして、アメリカ軍によって土壌や機体は回収されてしまったことで詳細を解明することは困難になった。 事故原因[編集] 日米合同の事故分科委員会は、「回転翼の後部ローターを接ぐボルトに重要な部品を装着していなかった整備ミスが事故発生の原因である」との調査報告書を提出した。 アメリカ側は整備員がヘリコプターの回転翼の角度を調節する駆動部と油圧システムとを接続するボルトに装着すべき割りピンの取り付けを怠ったため、飛行中にそのボルトが抜け落ち、後部の回転翼が操縦不能に陥ったと説明している[2]。 事故からおよそ1か月後の9月12日には事故現場の沖縄国際大学で抗議集会が行なわれ、主催者発表で3万人が参加した。これは、1995年10月に開催された沖縄米兵少女暴行事件抗議県民総決起大会(8万5千人参加-主催者発表)以来の大規模なものであった。 墜落直後のアメリカ軍による規制によって、大学関係者や宜野湾市当局はおろか宜野湾市消防本部や沖縄県警察すらも現場に入れない状況が続いた。そのため、日本の施政権・大学の自治を侵害する事件であるとして、大学関係者のアメリカ軍への抗議が続いている。現在、墜落現場には事故で焼けたアカギの木がモニュメントとして保存されている。 沖縄県警察は航空危険行為等処罰法違反で、公訴時効いっぱいの3年間捜査を行なったが、日米地位協定の壁に阻まれ全容解明はならなかった。2007年8月、乗員のアメリカ海兵隊軍曹ら4人を氏名不詳のまま書類送検したものの、同月10日、那覇地方検察庁はその全員を不起訴処分とした。

Continue reading

マクラーレン・MP4/4 – Wikipedia

マクラーレン・MP4/4 (McLaren MP4/4) は、マクラーレンが1988年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーである。 MP4/4の設計は1987年夏の終わりごろから本格的にスタートした[3]。エンジンをTAG(ポルシェ)からホンダに変更したが、チーフデザイナであるスティーブ・ニコルズによると、このホンダとの契約が正式締結され明らかにされるのが9月4日(1987年イタリアグランプリで発表[4])と遅かったため、白紙の状態から6か月でデザインを完了させなければならなかった[3]。 設計開始が遅れたため、シーズンオフの間、ホンダエンジンを使った実走テストにはMP4/3Bが使用された。MP4/4がシェイクダウンを行ったのは開幕戦の11日前で、イモラで行われたシーズン前テストの最終日だった[5][3]。 1988年シーズン開幕戦から最終戦まで使用され、圧倒的な強さで全16戦中15勝を記録し、アイルトン・セナに自身初のドライバーズタイトルとマクラーレンにコンストラクターズタイトルをもたらした。 当初、1988年に向けてのモノコックデザインはマクラーレンの元テクニカルディレクターであったジョン・バーナードがデザインした前年用「MP4/3」をリファインして使用する予定であった[6]。しかし、レギュレーションが安全性向上のため改訂されドライバーの足を前車軸より後ろに下げる規定(新フットボックス規定)が定められたこと、ブラバムからゴードン・マレーが加入していたことなどが重なり、MP4/3までの大柄なスタイルから一変。MP4/4はマレーが2年前に設計し「フラットフィッシュ(ヒラメ)」の異名をとったブラバム・BT55とよく似て全高が低く、ドラッグが少ないデザインとなった。 マレーの風洞実験によるデータでは、シートの角度を通常より寝た姿勢となる35度にすることで、7%優れた空力特性を得られる利点が判明していた。7%数字が変わるというのはそれまで聞いたことも無い数価であり、マレーはブラバム所属時代のBT55設計時からこのアイディアの導入を強く望んでいた。マクラーレン合流後にスティーブ・ニコルズとニール・オートレイにも図面を見せ、コンセプトに賛同を得られたことからMP4/4のドライバーポジションは強く寝ているマシンとなった。マレーによると、このマシンに乗る際にドライバーはそれまでには無かったような角度に体を斜めに寝かせ、首を立てる姿勢になるが、それには慣れが必要で特にプロストは姿勢よく背中を立てた状態で座りたがるスタイルのため、シェイクダウン直後のテストではプロスト用のシートは角度を上げてアジャストしていた[7]。しかしそれだとヘルメットの位置が理想より上になってしまうため気流を遮断してしまい、セナよりタイムで損をするだけでなくコクピット内に大量の空気が入り込むことが判明したので、プロスト用のシートポジション設定はかなり時間がかかった。マレーの要請により、搭載したホンダのRA168Eエンジンも、前年型のRA167Eからクラッチとフライホイールを小径化することなどで全高は50mm以上[8]、クランクシャフト位置は28mm[9]下げられ、ワイズマンシステムを基にした3軸ギアボックス[10]の採用など、各部に低重心化が図られていた。マレーによれば、サスペンションジオメトリーはBT55と全く同じとのことである[要出典]。 モノコックを低くしたためフロントサスペンションは前年までのようなプッシュロッドがレイアウトできず、ガイドローラーを介したプルロッドとなった。 ターボエンジン最終年のこの年、燃料搭載量が195Lから150Lに引き下げられ、ターボエンジンに求められる燃費性能はより厳しくなった。しかしホンダはこの条件を逆手にとり、低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使して他のエンジンメーカーを圧倒した[10]。 ホンダ・RA168Eエンジンは大きく3つの仕様が投入された。開幕戦のブラジルGPではXE1型と呼ばれるものが使われたが、第2戦のサンマリノGPではXE2型を投入した。XE1型ではスロットルバルブが各シリンダに配置されていたが、XE2型ではスロットルバルブがエアチャンバーの手前に移動された[8]。これはターボの過給圧を2.5バール以下でより正確にコントロールするためである[8][11]。第4戦メキシコGPでは、より高回転で高出力を得ることができるXE3型が投入された。これは主に高地対策によるもので(メキシコGPは高度2300mのメキシコシティで開催のため)同GPのみで使用。以後のレースではXE2型が使用された[8]。 シーズン前半までは、サイドポッド上面にシュノーケル状のダクトを設け、そこからターボへと空気を送り込んでいたが、第8戦イギリスGPではサイドポッド上のダクトを廃し、サイドポッド前端から入る空気をターボに送り込むようにダクトをデザイン変更したマシンを持ち込んだ。ところが初日である金曜日にこのマシンは不調だったため、その金曜の夜のうちにシュノーケル状のダクトを付けた仕様に戻され[12]土曜日の予選を戦ったが、ポールポジションをフェラーリのゲルハルト・ベルガーにさらわれてしまい、MP4/4が1988年シーズンで唯一ポールポジションを逃したグランプリとなった。また決勝でもシュノーケル状のダクトが使用された。 イギリスGPの次戦第9戦ドイツGPには再びダクトをサイドポッド内に移動したマシンが持ち込まれ、以後最終戦まで同形状のマシンが使用された。 スペック[編集] ホンダRA168Eエンジン シャーシ[編集] エンジン[編集] シャーシ履歴[編集] MP4/4はMP4/4-1からMP4/4-6までの6台が製造された。開幕戦のブラジルGPにはMP4/4-1からMP4/4-3までの3台が用意された。

Continue reading

チョバム・アーマー – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “チョバム・アーマー” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年9月) チョバム・アーマー(Chobham armour)は1960年代に開発された複合装甲の一種であり、イギリスの戦車研究所があるイングランドサリー州の町チョバム・コモンの地名に由来する。当初は俗称であったが、現在ではセラミック製の装甲を持つ車両の代名詞ともなっている。かつてはバーリントン、ドーチェスターといった他の呼称も存在した。 チョバム・アーマーの詳細は今でも公開されていないが、セラミックタイルが金属製のマトリックスと呼ばれるケースに収められ、保持板と何層もの樹脂によって接着されているという構造は明らかになっている。セラミックの高い硬度により、高性能対戦車榴弾(HEAT)等の成形炸薬弾や運動エネルギー弾に対しては高い防御効果があるとされる。 現在までにチョバム・アーマーを装備していることが公表されている戦車はM1エイブラムス、チャレンジャー1/2だけである。チョバム・アーマーはイギリスのFV4211の開発に際して発明されたが、最初に実装されたのはアメリカのM1エイブラムスであった。 防御性能[編集] この節の加筆が望まれています。 装甲に使われているセラミックの硬度が著しく高いため、成形炸薬弾頭や運動エネルギー弾(KE-penetrators)に対しては優れた防御効果を持つ。セラミックは(たとえ粉々になっても)貫通弾を阻止する高い能力を持っている。 セラミックタイルは複数着弾に対する問題を抱えており[1]、連続的な衝撃に対しては防御力が急速に低下してしまう。防御力の低下を最小に抑えるためには、タイルは可能な限り小さいことが望ましいが、タイルを格納するマトリックスには実用性の観点から1インチ(25mm)程度の厚みは最低限必要である。また、タイルによってカバーされる領域も直径4インチ(10cm)以下となると実用的観点から不便である。マトリックスに格納された六角あるいは正方形のタイルは、加熱したマトリックスに等圧的に押し込むか[2]、またはエポキシ接着剤で固定されている。なお、タイルを等圧的にマトリックスの中に押し込めておく方法は、接着材を使う方法と比べ、運動エネルギー弾に対する防御効果が著しく高いことが90年代の初頭に判明している[3]。 マトリックスは保持板によって支持されるが、これにはセラミックタイルを裏側から支える機能だけでなく、衝撃によるマトリックスの変形を防ぐという機能もある[4] 。保持板の質量は、典型的には複合装甲の質量全体の半分程度を占める。 セラミックタイルでは傾斜装甲による優位性はない、むしろ一発の着弾で多くのタイルが割れる。そのため割れが伝播しないようにあらかじめ分割されている[5]。

Continue reading

大西ライオン – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “大西ライオン” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年4月) テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。検証可能性に基づき除去される場合があります。 大西 ライオン(おおにし ライオン、1979年11月13日 – )は、日本のお笑いタレント。本名、大西 功二(おおにし こうじ)。 所属事務所は吉本興業東京本部(東京吉本)。吉本総合芸能学院東京校5期生。大阪府豊能郡豊能町出身。大阪府立刀根山高等学校卒業。血液型はB型。身長167cm、体重80kg。 上半身裸に腰巻姿、ダンボールでできたライオンの被り物(当初はしていなかった)で、劇団四季版のミュージカル『ライオン・キング』のモノマネ芸が有名。 持ちギャグは「心配ないさー!」。元ネタは、「ライオンキング」の1幕終盤に歌われる「ハクナ・マタタ(気にするな、の意)」の歌詞で、主役であるシンバが子供から大人に成長した際の第一声である。原曲に比べかなりキーを上げて歌う場合が多いが、高音部も非常に伸びやかに歌い上げることができる。ライオンキングを見たのは一回だけであると発言しており、実際は、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)での「岡村オファーがきましたシリーズ」を見てだと言う。これが芸人を志すきっかけであり、セリフを暗記するまで見かえしている。またライオンキングを見に行ったとき実際に劇団四季の楽屋に招待され、劇団四季からすると偽物にもかかわらず出演者たちに「本物だ!」と喜ばれた。

Continue reading

コンサートはチューリップ – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “コンサートはチューリップ” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年7月) 『コンサートはチューリップ』は、チューリップのライブアルバム。1985年12月21日発売。サブタイトルは、『DON’T MISS THE BIGGEST FUN YOU CAN HAVE WITH THE TULIP』。

Continue reading

ホッキョクギツネ – Wikipedia

季節ごとの体毛の変化 (上:夏、下:冬) ホッキョクギツネ(北極狐、学名: Vulpes lagopus)は、哺乳綱ネコ目イヌ科に分類される北極地域原産の小型のキツネの1種。ツンドラの3つのバイオーム(生物群系)すべてに見られる。 かつてはホッキョクギツネ属 Alpex の唯一の種とされてきたが、現在の分類ではキツネ属 Vulpes に含まれ、北米に住むキットギツネ Vulpes macrotis に近縁である[2]。 王立協会が2014(平成26)年6月11日発行のProceedings of the Royal Society Bに掲載された論文によると、当種の起源はヒマラヤ-チベット高原にあるという。ヒマラヤと崑崙山脈で新発見のVulpes qiuzhudingiの化石(360-508万年前)が持つ高い肉食性を示す歯が、当種に極めて類似することがその根拠とされる。この発見は、これまでの最古の記録から300-400万年遡るという[3]。

Continue reading