尾上菊五郎 (7代目) – Wikipedia
七代目 尾上 菊五郎(しちだいめ おのえ きくごろう、1942年10月2日 – )は、日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「尾上菊五郎」の当代。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。日本芸術院会員、重要無形文化財「歌舞伎立役」の各個認定の保持者(人間国宝)。 本名は寺嶋 秀幸(てらじま ひでゆき)。公称身長167cm・体重65kg・AB型[1]。妻は富司純子、長女は寺島しのぶ、長男は五代目尾上菊之助。 来歴・人物[編集] 20代の菊之助時代に三之助の一人として人気を博した。またその端整な顔立ちから、NHK大河ドラマ『源義経』(1966/昭和41年)を当時最年少で主演した。静御前に扮した藤純子とはこの共演を縁に、後に結婚した。かつては女形中心だったが、年を増すごとに男っぽさが強くなり、立役中心となった。後述の人間国宝も歌舞伎立役として認定されている。 現代歌舞伎のスターにして、お家芸の世話物を得意とし、特に江戸っ子の小悪党をやらせたら、右に出る者はいないとまでいわれるほどである。「尾上菊五郎劇団」を主宰して江戸歌舞伎の世話物を今日に伝えることをライフワークとしている。 現在は孫の丑之助が立派な歌舞伎役者に成長するように育てるべく、丑之助の母方の祖父にあたる中村吉右衛門と共に菊之助に協力して教育に当たっている。なお、丑之助からは本名の秀幸からとった「ひーま」と呼ばれている。 1971年 社団法人日本俳優協会幹事 1977年 社団法人日本俳優協会評議員 1985年 社団法人日本俳優協会理事
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