修那羅峠 – Wikipedia

修那羅峠(しゅならとうげ・しょならとうげ)は、長野県小県郡青木村田沢と東筑摩郡筑北村坂井(旧:坂井村)[注 1]の境にある峠。標高は914 mで、石仏群が有名である。丸子信州新線(主要地方道)が通る[2]。本項目では、峠の近くに位置する安宮神社(やすみやじんじゃ、海抜1,037 m[6])についても併せて解説する。

古代から交通・文化の要所であった小県地方と安坂[注 2]・麻績地方を結ぶ峠で、地理院地図などには「しならとうげ」と記載される[7]一方、地元では北信方言の特徴的音韻[注 3]から[8]、もっぱら「しならとうげ」と読む。安宮神社は、地元では親しみを込めて「しょならさま」「しょならさん」と呼ばれる[9]

かつては安坂峠[注 2](あざかとうげ)と呼ばれていた。

「修那羅」(しゅなら)は梵語で石を意味する「アシュナ」 (ashu-na) の略音「シュナ」と、チベット語で峠を意味する「ラ」との合成語であり、「石峠」を意味する。

古くは「須那羅」とも書かれた。早稲田大学古美術部研究会の報告によれば、『日本書紀』中の素那羅の人々が定着した土地だという。石田肇はこの説を踏まえ、「須那羅」は朝鮮語の Soi=nara (=「金の国」、すなわち金官国の意味)で、継体朝から推古朝ごろに朝鮮半島からこの地に移住した渡来人たちが、故国の名前を伝承したのが起源であるという説を提唱している。

修那羅峠の石仏(2012年10月)

江戸時代末期ないし、幕末から明治初年にかけ、行者の修那羅大天武[注 4]が峠近くに修験場を構えた。修那羅大天武は万延元年(1860年)にこの地に住み着き、明治5年に死去した[6]が、生前に舟窪山[注 5][6](峠の西)で、安宮神社を開いたと伝えられている[6]。安宮神社の御祭神は、大国主命と修那羅大天武命である。

安宮神社の境内には、ブナやクリの林が広がる[6]。その林の中に[6]、善光寺平・小県・安曇野・松本方面の信者たちから寄贈された石造仏・石造神(総数860体)が寄進されている。石神仏の特徴は、神仏習合のものが多いことで[9]、『修那羅大天武一代記』(大正3年記)によれば、これらの石像の大部分は、大天武が住み着いた万延元年から、没した明治5年までの十数年間に建立されたという。石像の高さは30 cmから50、60 cm程度で、無造作に土の上(山道の片側)に並べられている。その形は、悪霊神、苗鹿大明神、蚕神、猫神[注 6]、馬神、催促金神、狼神、地蔵、大日如来など様々である[注 7][6]。古川純一 (2007) は、それらの石像の材料は、かつてこの峠に多数あった石の中でも良質なものであるとする説を述べている。修那羅の守本尊は、他の石仏たちより一段高い尾根筋にある。また、元来から子安神として安産、子育て祈願が盛んで、女神様(おんながみさま)が祀られている[19]

かつては「安坂峠」[注 2]と呼ばれていたが、修那羅大天武が広く庶民の信仰を集めたことで、修那羅様への参道として「修那羅峠」と呼ばれるようになった。また、1964年(昭和39年)に三石武古三郎が信越放送のPR誌『日本の屋根』でこの峠を紹介したことで、広く世間に知られ、新しい観光地となった。1969年(昭和44年)3月30日には、「修那羅山安宮神社石神仏・木神仏」が筑北村文化財に指定されている[9]ほか、1992年(平成4年)には、長野県観光選定委員会によって、観光みどころ百選「史跡」の部に、「修那羅峠の石仏群」が選出されている[21]

安宮神社の境内は、桜の名所として知られ、5月中旬に満開を迎える[9]。また、6月上旬ないし中旬ごろにミヤコワスレの花が見頃を迎える[22][9]

アクセス[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 東筑摩郡坂井村は合併により、2005年(平成17年)10月11日から「東筑摩郡筑北村坂井」となった[3]
  2. ^ a b c 東筑摩郡筑北村の前身の1つである坂井村は、1874年(明治8年)に筑摩県筑摩郡の永井村と、安坂村(あざかむら)が合併して誕生した。
  3. ^ 北信方言では、高年齢層を中心に「衆(しゅう)」を「しょう」、「まんじゅう」を「まんじょう」と発音するなど、ウ段開拗音とオ段開拗音の混同が見られる[8]
  4. ^ 修那羅大天武は1795年(寛政7年)に越後で生まれた。彼が近くの農民を救ったことへの礼として、石神仏が寄進されたとされている。
  5. ^ 舟窪山は、修那羅峠の名にちなんで「修那羅山」とも呼ばれる。
  6. ^ 特に猫神が目立つが、その理由について高森忠義 (1999) は、「養蚕が盛んだったころ、農家の人たちがネズミから蚕を守るために猫神を寄進した」と述べている。
  7. ^ 石仏たちの中には、近くに生えているブナの樹木の成長に伴い、その木に取り込まれたようなものもある。

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]