西都市 – Wikipedia

西都市(さいとし)は、宮崎県の県央地域に位置する市。日本最大級の古墳群である国の特別史跡・西都原古墳群や、日向国主伊東氏の居城都於郡城で知られる。

宮崎県で6番目の面積を持つ市であり、市域の7割が山岳地帯である。

市を北西から南東に向かって、一ツ瀬川が貫流している。上流部では無数の小川が渓谷を刻み、それらの流れが集まって、九州最大の貯水量を誇る一ツ瀬ダム(米良湖)となっている。下流は宮崎平野が広がり、園芸農業、畜産業が盛んであるほか、西岸の洪積層台地には西都原古墳群が広がる。

中心市街地は都萬(つま)神社の南方に広がる妻(つま)地区。

隣接している自治体[編集]

地名[編集]

合併時の大字は以下のとおり。

  • 岡富(旧妻町)
  • 清水(旧妻町)
  • 黒生野(旧妻町)
  • 現王島(旧妻町)
  • 妻(旧妻町)
  • 右松(旧妻町)
  • 三宅(旧妻町)
  • 調殿(旧上穂北村)
  • 童子丸(旧上穂北村)
  • 穂北(旧上穂北村)
  • 南方(旧上穂北村)
  • 荒武(旧都於郡村)
  • 岩爪(旧都於郡村)
  • 鹿野田(旧都於郡村)
  • 都於郡町(旧都於郡村)
  • 山田(旧都於郡村)
  • 平郡(旧三納村)
  • 三納(旧三納村)
  • 加勢(旧三財村)
  • 上三財(旧三財村)
  • 寒川(旧三財村)
  • 下三財(旧三財村)
  • 藤田(旧三財村)
  • 尾八重(旧東米良村)
  • 上揚(旧東米良村)
  • 銀鏡(旧東米良村)
  • 中尾(旧東米良村)
  • 八重(旧東米良村)

その後、以下の大字が新たに発足した。

  • 茶臼原(1957年、穂北より分立)
  • 片内(1958年、三納より分立)

1970年代、中心部の妻地区で町名設置が行われた。

  • 桜川町1丁目~2丁目(1974年、妻・右松より分立)
  • 聖陵町1丁目~2丁目(1974年、妻より分立)
  • 御舟町1丁目~2丁目(1974年、妻・右松より分立)
  • 有吉町1丁目~3丁目(1977年、妻より分立)
  • 小野崎町(1977年、妻より分立)
  • 白馬町(1977年、妻より分立)
  • 中央町1丁目~2丁目(1977年、妻より分立)
  • 妻町1丁目~3丁目(1977年、右松・妻より分立)
  • 水流崎町(1977年、妻より分立)

その後、1990年代前後(詳細は不明)に以下の町名が設置された。

  • 旭1丁目~2丁目(右松・妻・調殿より分立)
  • 小野崎1丁目~2丁目(右松より分立)
  • 上町1丁目~2丁目(右松・妻・調殿・三宅より分立)
  • 下妻(右松より分立)
  • 中妻1丁目~2丁目(妻・調殿より分立)
  • 右松1丁目~5丁目(右松より分立)
  • 新町1丁目~2丁目(2003年、妻・右松・三宅・童子丸より分立)

記紀によると、天照大神の孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は日向の高千穂峰に降臨した。その後、居を構えたのが現在の西都市であったとされる[要出典]

西都市は日本最大の古墳集積地帯である。

律令期には現在市の中心部となっている妻(つま)地区に日向国国府、日向国分寺、国分尼寺が置かれ、日向国の中心地として栄えた。室町時代~戦国時代には日向国主伊東氏が市南部に都於郡城を構え本拠地とし、領国経営の拠点とした。天正遣欧少年使節主席正使としてヨーロッパに渡った伊東マンショは、都於郡城で生誕した伊東氏の一族である。薩摩国の島津氏からの侵略により伊東氏が一時衰退した際、都於郡城には島津義久が入城し、豊臣秀吉の九州征伐、高城の戦いにおける前線基地となったが、島津氏は根白坂の戦いにおいて豊臣秀吉に完敗し日向国から放逐され、都於郡城は戦後廃城となった。

江戸時代は、穂北に幕府の番所が設けられ妻・穂北(ほきた)地区は幕府の天領となり、三財(さんざい)・三納(みのう)・都於郡(とのこおり)地区は佐土原藩に組み入れられた。この時期には伊東氏飫肥藩領の赤江・城ヶ崎地区(現宮崎市赤江地域自治区)が、日向国の江戸・上方との交易本拠地としての性格を備え、西都地区は日向国の物流拠点としての機能を次第に失ったようである。また、市の中心に横たわり、市名の由来でもある西都原(さいとばる)台地は、古代より斉殿原(さいとのはる)と呼ばれていたが、江戸時代に西都原(「さいとのはる」から「さいとばる」へ)の呼称が定着したとされる。
児湯郡東米良村の一部は米良山であった。米良山は元和年間(1615年-1624年)に人吉藩の属地とされ、廃藩置県(1871年)の際には人吉県(後に八代県、球磨郡の一部の扱い)となり、1872年に美々津県(宮崎県の前身)児湯郡に移管された。その為、1872年まで現在の西都市寒川、尾八重、中尾、八重、銀鏡、上揚の各地区は球磨郡(当時の球磨郡)の寒川谷村、猪窪谷村、岩井谷村、尾八重谷村、椎葉谷村、鳥巣谷村、東八重谷村、銀鏡谷村、登山谷村、杖山谷村、浜砂谷村、横平谷村であった。その後、美々津県(上記の通り宮崎県の前身)に移管されて児湯郡寒川村、尾八重村、中尾村、八重村、銀鏡村、上揚村となった後、児湯郡東米良村の一部になり、後に西都市の一部となって現在に至っている。

近現代[編集]

1964年 – 2021年の市役所庁舎(2008年撮影)

近代以降は宮崎-妻・杉安(すぎやす)間に鉄道(後の国鉄妻線・1984年廃止)が敷設され一ツ瀬川流域の農産物・木材の集散地として栄えた。1955年(昭和30年)に児湯郡妻町・上穂北村が合併し、西都町が置かれ、1958年(昭和33年)に三納村・都於郡村を統合し市制施行、1962年(昭和37年)に三財村・東米良村を合併し現在の市域を持つに至った。1960年代には一ツ瀬ダムが建設され、この時期に市の人口は5万人を超え、杉安地区の一ツ瀬河畔は日向の嵐山と呼ばれ屋形船が行き交った。

1980年代前半には市街地再開発等が行われ、一時期は地方小都市における再開発成功事例として注目を集めるも、その後の過疎化・少子高齢化の進展、郊外型店舗の進出によって、現在中心市街地は衰退しつつある。その他、寒川(さぶかわ)地区は限界集落となってしまい、現在は全く居住者がいなくなってしまっている。寒川地区に居住者がいたことは寒川地区の人々の暮らしぶりを記録した映画『寒川』でのみ知ることができる。この映画は限界集落の現状を隈なく記録している。

宮崎都市圏の拡大・道路等の整備によって、西都市南部では宮崎市のベッドタウン化がわずかながら見られるが、人口は減少傾向にある。

2001年(平成13年)に東九州自動車道の西都IC – 宮崎西IC間が開通し、2010年(平成22年)には高鍋IC – 西都IC間が開通した。

行政区域の変遷[編集]

  • 1889年(明治22年)5月1日 – 町村制施行により、現在の市域にあたる場所に児湯郡上穂北村・下穂北村・都於郡村・三納村・三財村・東米良村が発足。
  • 1924年(大正13年)4月1日 – 下穂北村が町制施行して下穂北町となる。
  • 1924年(大正13年)8月1日 – 下穂北町が妻町に改称する。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 – 妻町と上穂北村が新設合併して西都町が発足。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 – 西都町と三納村と都於郡村が新設合併して新たに西都町が発足。
  • 1958年(昭和33年)11月1日 – 西都町が市制施行して西都市が発足。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 – 西都市が三財村と東米良村の一部を編入。東米良村の他の地域は木城村へ編入。
  • 市長:橋田和実(2021年2月5日就任、通算4期目)
  • 議会:定数18人[1]

国政・県政[編集]

国政[編集]

宮崎県議会[編集]

本市と西米良村で選挙区をなす。定数は1人。近年選出の議員は以下のとおり[2]

  • 2019年4月
    • 浜砂守(自由民主党)

公共機関[編集]

県の行政機関
消防
国の行政機関
司法機関
市の行政機関
  • 西都市歴史民俗資料館[3]
医療機関

経済・産業[編集]

農林畜産業が中心。

主な産物[編集]

農産物
ピーマン(生産量日本一)、しいたけ、ニラ、マンゴーなど
Demography Saito, Miyazaki.svg
西都市と全国の年齢別人口分布(2005年) 西都市の年齢・男女別人口分布(2005年)

紫色 ― 西都市
緑色 ― 日本全国

青色 ― 男性
赤色 ― 女性

西都市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

高等学校[編集]

中学校[編集]

市立

小学校[編集]

市立
  • 妻北小学校
  • 妻南小学校
  • 穂北小学校
  • 茶臼原小学校
  • 三納小学校
  • 都於郡小学校 [1]
  • 都於郡小学校山田分校(2021年3月休校、2022年3月閉校[4]
  • 三財小学校
  • 銀上小学校

専修学校[編集]

  • 宮崎医療福祉専門学校

学校教育以外の施設[編集]

職業訓練

空港[編集]

最寄の民間供用空港は宮崎空港である。

鉄道[編集]

市内に鉄道路線はない。そのため、JR時刻表(交通新聞社発行)には、中心駅が西都(妻)バスセンターと記載されている。最寄駅は、佐土原駅(宮崎市佐土原町)、日向新富駅(新富町)、高鍋駅(高鍋町)。いずれもJR九州日豊本線。市中心部より各駅まで車で30分弱。

廃止路線[編集]

バス[編集]

宮崎交通
妻地区の旧国鉄妻駅跡付近に宮崎交通のバスターミナル「西都バスセンター」があり、宮崎市街地・宮崎空港へ直通バスがあり、利用も多い。
山口運送(美登観光バス)
西都市と八代市、福岡市を結ぶ高速バスを運行する。
西都市コミュニティバス・デマンド型乗合タクシー
コミュニティバスは三和交通、デマンド型乗合タクシーは宮崎タクシーが運行を担当している。[5]
路線 運行経路 運行日
平野・石尾線
(専門学校経由も含む)
パオ – 松本 – 笠原 – 札の元 – 九流水 – 平野・石尾 月曜日・水曜日・木曜日・土曜日
長谷線 パオ – 宮の下 – 鳶野・法蓮寺 – 樫野 – 竹の内 – 札の元 – 長谷 火曜日・金曜日
山田・上沖線 パオ – 中村 – 青山 – 鹿野田 – 潮 – 筑後 – 都於郡町 – 三財支所 – 山田・上沖 – 中山 月曜日・木曜日
岩爪線 パオ – 中村 – 青山 – 鹿野田 – 潮 – 筑後 – 池の端 – 黒貫 – 岩爪 火曜日・金曜日
長園線 パオ – 中村 – 青山 – 鹿野田 – 潮 – 筑後 – 池の端 – 長園 水曜日・土曜日
長園通学線 長園線と同じ。 月曜日 – 土曜日
岩井谷・並木線 並木 – 小野 – 岩井谷 – 三財支所入口 – 藤田 – 青山下 – 中村 – バスセンター 火曜日・金曜日
加勢・小豆野線
(デマンド型乗合タクシー)
小豆野 – 加勢 – 三財支所入口 – 藤田 – 青山下 – 中村 – バスセンター 月曜日・木曜日
穂北線
(銀鏡・尾吐)
パオ – 下水流 – 立野 – 杉安峡 – 診療所前 – 一ノ瀬 – 尾吐 月曜日 – 土曜日
竹尾・平原線
(デマンド型乗合タクシー)
平原公民館 – 竹尾 – 穂北 – 童子丸 – バスセンター 火曜日・金曜日
春日・大口川線
(デマンド型乗合タクシー)
春日公民館 – 大口川北 – 城平 – バスセンター 火曜日・金曜日

かつて存在した路線バス[編集]

道路[編集]

市中心部を通る国道219号
高速道路
E10 東九州自動車道 : (28) 西都インターチェンジ
地域高規格道路
宮崎東環状道路(春田バイパス)
一般国道
国道219号
都道府県道(主要地方道)
宮崎県道24号高鍋高岡線、宮崎県道40号都農綾線

船舶[編集]

  • 宮崎港(宮崎市)まで車で40分
  • 細島港(日向市)まで車で60分
  • 通浜漁港(川南町)まで車で40分

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

著名な出身者[編集]

西都市を舞台とした作品[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]