Month: October 2018

北海道中標津高等学校 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “北海道中標津高等学校” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年7月) 北海道中標津高等学校(ほっかいどうなかしべつこうとうがっこう、Hokkaido Nakashibetsu High School)は、北海道標津郡中標津町にある道立高等学校である。男女共学。学科は普通科、総合ビジネス科からなる。地元の通称はN高。 1948年(昭和23年) – 【創立】中標津村立中標津高等学校の設置が認可される。全日制普通科1間口を村立中標津中学校内に設置。【定時制設置】同年、定時制を設置。 1949年(昭和24年) – 【移管】中標津村から北海道に移管。北海道立中標津高等学校に改称される。【移転】校舎を新築したため、現在の町立中標津小学校の位置に移転。 1950年(昭和25年)

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高校野球ダイジェスト (テレビ埼玉) – Wikipedia

この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。目安に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。出典検索?: “高校野球ダイジェスト” テレビ埼玉 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年6月) 『高校野球ダイジェスト』(こうこうやきゅうダイジェスト)は、テレビ埼玉で毎年7月の全国高等学校野球選手権埼玉大会[注 1]期間中に放送されているスポーツニュース番組である。 1987年に15分(23:15 – 23:30)の『高校野球ニュース』としてスタート[1]。1988年に『高校野球ダイジェスト』に改題[1]。1989年より1995年まで、朝の時間帯の再放送枠は『モーニング高校野球』として独立して放送されていたことがあった[1]。 埼玉県営大宮公園野球場を中心に、埼玉県内の各野球場で行われた試合のハイライトシーンと、 全試合の結果を紹介する。また、大会に臨むまでの日々の練習や、球児を支えてきたマネージャー等へのインタビューで構成するドキュメンタリー特集コーナー「それぞれの夏物語」を放送する。 歴代出演者[編集] 放送時間[編集] 放送年 本放送

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岐阜第一高等学校 – Wikipedia

この項目では、岐阜県の私立高校について説明しています。1948年度に同名を名乗っていた公立高校については「岐阜県立岐阜高等学校」をご覧ください。 岐阜第一高等学校(ぎふだいいちこうとうがっこう)は、岐阜県本巣市仏生寺にある学校法人松翠学園の私立高校である。通称「一高」 1962年(昭和37年)に学校法人岐阜短期大学付属八幡高等学校岐阜分校として創立。その1年後1963年(昭和38年)に岐阜短期大学付属岐阜高等学校として創立し、さらに1975年(昭和50年)には学校法人を松翠学園岐阜第一高等学校とし現在に至る。岐阜県の私立高校では唯一工業科が設置されている。 制服は2002年度(平成14年度)より水色(以前は紺色)のブレザーにチェックのズボン、夏はポロシャツ、冬はセーター。2007年度(平成19年度)入学生から、ブレザーの色とズボンの柄が変更となった。カッターシャツがズボンからはみ出てはいけないので、普通の物より長くできている。国公立大学を目指すカレッジコースの生徒は、1・2・3年ともネクタイの色は赤、2008年(平成20年)4月の時点で1・3年生の体育科、普通科、工業科の生徒は青、2年生は緑である。ネクタイは、結ぶネクタイではなくピンネクタイとなっている。 普通科普通コースは第2学年より進学コース・情報コース・総合コースに分かれる。主に情報・総合コースは就職、進学コースは進学を目的としている。以前より指定校が増え進学コースの進学率が100%になる学年もみられる。 姉妹校として滋賀文教短期大学と岐阜女子高等学校がある。 国際交流が盛んで、毎年モンゴルやタイ・韓国・オーストラリアなどからの留学生を受け入れている。 また、校内の整備工場オートトレーニングセンターは東海地区唯一のビークルシミュレーションテスターを完備している。なお、オートトレーニングセンターは現在自動車分解整備事業(認証工場)であり、指定自動車整備事業(指定工場)のとして認可も出来るが、営利目的工場ではないため認証工場となっている。 2007年度(平成19年度)より、校舎等の耐震補強工事を始めており、2008年(平成20年)には西側校舎(西館)が新築され、同年5月より体育館の補強工事を行っており、東側校舎(本館)なども工事対象となっているほか、男女共学化に対応出来るよう工事が進められている。 ちなみに学校を創立する前には岐阜県立岐阜第一高等学校(現在の岐阜高等学校)が存在した。 2016年度(平成28年度)より、男女共学化された。 1957年 – 岐阜短期大学付属八幡高等学校岐阜分校として開校。 1958年 – 岐阜短期大学付属岐阜高等学校として創立、普通科・商業科を置く。 1959年 – 工業科を設置。

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平田内蔵吉 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “平田内蔵吉” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年7月) 平田 内蔵吉(ひらた くらきち、1901年 – 1945年)は、日本の医学者(民間療法家)、詩人。兵庫県赤穂市出身。弟の平田晋策は『新戦艦高千穂』などの作品がある戦争小説家。長男の平田穂生はシナリオライター。孫の平田オリザは劇作家である。 1901年4月26日、薬種商であった平田寛治(4代目夫平)[1]・静(しず)夫妻の長男として赤穂市加里屋に誕生。平田家は、江戸期赤穂藩森家の時代に龍野から移ってきた薬種商で、赤穂市加里屋にある名所「息継ぎ井戸」の西にあった[2]。父・寛治(4代目夫平)は家業の傍ら、詩歌・茶道・書などを好んだ他、1888年に開業した赤穂銀行の頭取も務めた[2]。 内蔵吉という名は、赤穂藩の筆頭家老で四十七士を率いた大石内蔵助良雄に由来[3]。 1919年、18歳の時に医師を志し、鹿児島の旧制・第七高等学校造士館理科乙類に入学[4]。折りしもその年、世界的大流行(パンデミック)となったスペイン風邪で父・寛治と長姉・町子を亡くす[3]。 1925年、京都帝国大学医学部に入学。その後、文学部哲学科に転籍し、同大学卒業後、京都府立医科大学(本科)に入学[3]。在学中に義母が胆石症を患ったが、加藤幾太郎の無痕灸(温熱瞬間療法)を受け約2週間で全治したことで鍼灸の道へ進む。 1927年 加藤幾太郎の大日本温熱療法研究所に入所。

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大阪 – 銚子線 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “大阪 – 銚子線” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2012年8月) この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。目安に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。出典検索?: “大阪 – 銚子線” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp ·

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ボルチモア (アルバム) – Wikipedia

『ボルチモア』(Baltimore)は、アメリカ合衆国のジャズ・ボーカリスト、ニーナ・シモンが1978年に発表したスタジオ・アルバム。シモンのアルバムとしては唯一CTIレコードからリリースされた[2]。 当時シモンはパリで暮らしており、本作のレコーディングはパリに近いブリュッセルで行われた[3]。プロデューサーのクリード・テイラーによれば、当時のシモンは気分の浮き沈みが激しく、ホテルのテレビを窓の外に投げ捨てたり、レコーディング中にも突然気難しくなることがあったため、テイラーはシモンをスタジオの外へ散歩に連れ出し、説得したという[3]。シモン自身は、選曲やアレンジからジャケットに至るまで自分の意思が反映されなかったことから、本作のレコーディングを楽しめなかったと公言している[4]。 タイトル曲はランディ・ニューマンがアルバム『小さな犯罪者』(1977年)で発表した曲のカヴァーで[4]、本作ではロックステディを取り入れたアレンジとなった[3]。「リッチ・ガール」はダリル・ホール&ジョン・オーツのカヴァーで、この曲のみウィル・リーとアンディ・ニューマークがリズム・セクションを務めている[1]。 反響・評価[編集] 『ビルボード』のジャズ・アルバム・チャートでは12位を記録した[5]。 Joseph McCombsはオールミュージックにおいて5点満点中2.5点を付け「彼女の声は、アルバムを締めくくるゴスペルの伝承歌に至るまで常に好調だが、アレンジャーのデヴィッド・マシューズは彼女にはミスマッチだ」と評している[2]。一方、スティーヴン・ホールデンは『ローリング・ストーン』誌において「ホール&オーツの”Rich Girl”の平凡なカヴァーを除けば、この新作LPは、自己革新によりもたらされた更なる震えをもって響いてくる」「最も偉大な歌手の一人による、素晴らしき復帰作」と評している[6]。また、ディラン・ジョーンズ(英語版)は2011年4月2日付の『インデペンデント』紙のコラムにおいて「ニーナ・シモン自身がレコーディングを楽しめなかったとしても、『ボルチモア』は彼女の最も強力なアルバムの一つだ」と評している[4]。 Side 1 ボルチモア – “Baltimore” (Randy Newman) – 4:40 エヴリシング・マスト・チェンジ – “Everything

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都市景観100選 – Wikipedia

都市景観100選(としけいかんひゃくせん)とは、国土交通省、都市景観大賞審査委員会が、1991年から2000年にかけて日本全国から選定した全国の高いデザイン水準を持つ100の街である。 1990年(平成2年)、当時の建設省は、都市景観に対する国民の意識啓発を目的として、毎年10月4日を「都市景観の日」と定めた。この日を選んだのは、「都市美(10月4日)」という語呂合わせに由来するという。良好な都市景観を育むため、互いに協力しあい、工夫をこらした意欲的な実践に、ともに取り組むことを広く呼びかけるために、都市景観の日実行委員会が編成された[1]。翌年1991年(平成3年)より、都市空間の構成並びに意匠についての総合的な工夫、配慮及びその結果作られている都市空間のデザインに着目し、総体としての都市環境が優れた地区並びに高い水準の都市空間デザインが行われている地区に対する「都市景観大賞」を表彰することとなった[2]。大賞10件は建設大臣賞として表彰を受けた。100選を選出する企画へと拡大したのは2年目からであったことが、実行委員会が2002年に出版した「日本の都市景観100選」(ISBN 4874607187)あとがきに示唆されている。 選定の対象となるのは、特定の都市区画における統一された都市計画である。たとえば、平成10年度大賞のひとつ「大阪城周辺地区」とは、大阪市の象徴といえる大阪城に対する「平成の大修理」による大阪城の復元と大阪城公園の利便性向上を評価したものであり、隣接するとはいえ別個の都市計画である大阪ビジネスパークの構築事業は評価の対象ではない。逆に、平成6年度大賞の「リバーピア吾妻橋周辺地区」は、アサヒビール吾妻橋工場跡地の再開発として、アサヒビール本社移転事業に加え、墨田区の墨田区役所新庁舎建設・墨田公園再整備と住宅・都市整備公団のリバーピア吾妻橋ライフタワー建設が加わった相乗り都市計画として一括して受賞している。平成3年大賞の「真締川周辺地区」とは、宇部市中心部を貫流する真締川親水公園の整備にとどまらず、両岸に広がる市街地の区画整理・再整備事業を含んだ総合計画をすべて含んでいる。中には過去の整備計画を評価したものもあり、平成11年度大賞の「平和記念公園及び平和大通り周辺地区」は、平和記念公園開園50周年を記念した受賞である。 大賞を受賞した100地区はバラエティに富んでおり、新規宅地開発(あすみが丘・向陽台・ナシオン等)、ウォーターフロント開発(お台場、名古屋ガーデン埠頭、神戸ハーバーランド等)、首都機能分散拠点開発(筑波研究学園都市・みなとみらい21等)、ビル再開発(リバーピア吾妻橋、恵比寿ガーデンプレイス等)、スプロール現象予防のための副都心形成(港北ニュータウン・新百合ヶ丘等)、市街地文教地区の形成(京都岡崎公園周辺・金沢城周辺等)・郊外文教地区の形成(酒田市飯盛山公園・長岡市千秋が原等)、緑地帯形成による都市化抑止(帯広の森・大津湖岸なぎさ公園等)、風致・歴史都市公園の整備(岐阜公園・奈良公園等)、道路整備・街区整備(仙台青葉通り・大阪御堂筋等)、伝統的町並みの維持(中近世の町割りを維持している今井町・川越・知覧など、明治~戦前に開発された函館・横浜・神戸・長崎・田園調布・盆栽町等)、それぞれが特徴を持つ。また、選定する地区の計画に対する選定委員会の評価も多彩で、「城跡の活用」という共通点を持ちながらも、日本初の木造天守の復元を達成した上に、大手筋の民家商店の外装を江戸時代風に統一して「城下町の復元」に成功した掛川市と、それと正反対に「城跡のイメージの払拭」を指向し、城の復元は現存遺構の移設に留め、高層の市庁舎ビルと公園広場の新設を実施した高崎市の双方とも大賞を授賞している。 大賞に対する賛否両論は当然のように発生する。リバーピア吾妻橋のビル群は、正面から姿を見せつけられる浅草の住人にすこぶる評判が悪く、好意的に受け入れられるまで数年の時間が必要だった。平成12年度にリゾート法適用第1号の開発地区であるフェニックスリゾートが含まれる「一ツ葉リゾート地区」が大賞を受賞したが、翌年には運営会社である宮崎シーガイアが会社更生法の適用を受けて破綻した。時間の経過とともに、伝統的町並みの高齢化・空家率の上昇、郊外ニュータウンからの都心回帰・少子高齢化、中核商業施設の撤退、郊外大規模店舗の躍進と都心商店街の衰退、箱物行政への批判など、全国の都市が抱える諸問題を大賞受賞地区も抱えるようになっている。 「都市景観大賞」10回分を重ねた「都市景観100選」の選出が終了した2001年度(平成13年度)からは、景観保全団体への表彰を含めた「美しいまちなみ賞」に形式を変えて「都市景観大賞」は継続している。100選に選ばれた地区も「美しいまちなみ賞」候補に入っており、今井町・栃木・大野・倉敷・新浦安・函館等が再受賞している。特に平成22年に大賞を受賞した倉敷は、平成11年度大賞「倉敷駅周辺地区」選出の鍵となったチボリ公園が平成20年に閉園に追い込まれ、倉敷駅北口の再開発に失敗したものと見なされていた中での受賞で、平行して進めていた南口から美観地区への誘導改良、地下電線化等の美観向上事業が再評価されることとなり、面目を保った。さらに平成23年度からは、都市計画を評価する「都市空間部門」と保全活動を評価する「景観まちづくり活動・教育部門」の二本立てとなり、継続している[3]。 都市景観100選 選定都市一覧[編集] 1991年度(平成3年)[編集] 1992年度(平成4年)[編集] 1993年度(平成5年)[編集] 1994年度(平成6年)[編集] 1995年度(平成7年)[編集] 1996年度(平成8年)[編集] 1997年度(平成9年)[編集] 1998年度(平成10年)[編集] 1999年度(平成11年)[編集] 2000年度(平成12年)[編集] 美しいまちなみ賞[編集]

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ベーメン・メーレン保護領 – Wikipedia

この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年9月) ベーメン・メーレン保護領 Protektorat Böhmen und Mähren (ドイツ語)Protektorát Čechy a Morava (チェコ語) 国歌: 我が家何処や ベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラヴィア保護領、独: Protektorat Böhmen und Mähren、チェコ語: Protektorát Čechy a Morava)は、ドイツがボヘミアとモラヴィアの主要部分に設置したチェコ人の保護領。

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チベット仏教 – Wikipedia

チベット仏教(チベットぶっきょう、チベット語: བོད་བརྒྱུད་ནང་བསྟན།)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。根本説一切有部律の厳格な律に基づく出家制度、仏教の基本である四聖諦の教えから、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教であり、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持つ。中国、日本、チベットなどに伝わる北伝仏教[2]のうち、漢訳経典に依拠する東アジア仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統のひとつをなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上瑜伽タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。7世紀から14世紀にかけて、インドから仏教が直接チベットに伝来したので、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が継承されている。 ラマと呼ばれる師僧、特に化身ラマ[注 1]を尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、この通称のために正統的な仏教ではないかのように誤解されていた[4]。ラマ教という呼称は19世紀の西洋の学者によって普及したものであり、チベット仏教に対する偏った見方と結びついていたため、現在では使用されなくなっている[5]。 密教に限らず、中期・後期中観派の著作・思想なども8世紀以降の、イスラーム勢力の台頭によって中国にまで伝達されにくくなった(そしてやがて滅ぼされることになる)インド大乗仏教の系譜を、ヒマラヤを挟んで目と鼻の先という地の利を活かし、(ネパールのネワール仏教を除けば)事実上世界で唯一継承してきた。 中国や中央アジアの仏教との相互影響は、その地理的な隣接に比して、比較的弱いといえる。一方、特にニンマ派や民間信仰のレベルではチベット独自の要素も見られるが、チベットでは仏教を取り入れるにあたって、サンスクリット語の原典からチベット語へ、原文をできるだけ意訳せず、そのままチベット語に置き換える形の逐語訳で経典を翻訳したため、チベット語の経典は仏教研究において非常に重要な位置を占める。 特に密教については、中国仏教では漢訳経典を通じて主に前期・中期密教が伝えられ、後期密教の漢訳と受容は限定的であったのに対し、チベット仏教は8世紀-12世紀にかけて後期密教(無上瑜伽タントラ等)の教えを中心としたインド密教を広範に受け入れ、独自に消化した点にも大きな特徴がある。 基盤となる顕教の教え[編集] どの宗派においても、一切有情が本来持っている仏性を「基」とし、智慧(空性を正しく理解すること)と方便(信解・菩提心・大慈悲などの実践)の二側面を重視し、有情が大乗の菩薩となり六波羅蜜を「道」として五道十地の階梯を進み、「果」として最終的に仏陀の境地を達成することを説く。哲学的には龍樹の説いた中観派の見解を採用しており、僧院教育の現場においては、存在・認識についての教学・論争による論理的思考能力と正確な概念知の獲得を重視している。その思想の骨格となる重要な論書としては、シャーンティデーヴァの著した『入菩薩行論』 (Bodhisattvacaryāvatāra)、マイトレーヤの著した『究竟一乗宝性論』 (Uttaratantra Śāstra) と『現観荘厳論』 (Abhisamayālamkāra) などがあるほか、アティーシャ(アティシャ)が伝えたとされるロジョン(blo sbyong, 和訳:心の訓練法)の教えが重視され、全宗派で修習されている。 密教的実践[編集] また、仏陀の境地を速やかに達成するための特別な方便として、各宗派においてインド後期密教の流れを汲む無上瑜伽タントラの実践が行われている。一般的に新訳派では無上瑜伽タントラを、本尊の観想を中心とした生起次第を重視する父タントラ、身体修練によって空性大楽の獲得を目指す究竟次第を重視する母タントラ、それらを不可分に実践する不ニタントラの三段階に分類する。密教の最奥義に相当するものにはニンマ派のゾクチェン(大究竟)、サキャ派のラムデ(道果)、カギュ派のマハームドラー(大印契)などがあり、各派に思想的特徴が見られる。

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