Month: February 2019

ヤンマル山 – Wikipedia

ソウル特別市内での位置 ヤンマル山(ヤンマルさん、朝鮮語: 양말산)は、大韓民国ソウル特別市永登浦区汝矣島の、現在の国会議事堂の場所に、かつて存在していた山[1][2]。 かつてはこの山に牧場を設けて羊や馬を育てていたため、ヤンマ山(養馬山、羊馬山、양마산)と呼ばれ、後にヤンマル山(「マル」は「馬」を意味する朝鮮語の固有語である)と称されるようになった[1][3]。また、麓の平地はヤンマル原(양말벌)と呼ばれていた[3]。 この山の高さは海抜およそ190mであった。 汝矣島は漢江の中の島であるが、この山は水害を免れる場所であったため、それが現在の「汝矣島」の地名の由来となったとする説もある[1][2]。 現在は、この山を削った場所に、国会議事堂が建設されている[1][2]。 出典[編集] ^ a b c d “[영등포] 영등포동, 여의도동, 양화동,신길동, 대림동 – 영등포구” [[永登浦]

Continue reading

長楽寺 (京都市) – Wikipedia

長楽寺(ちょうらくじ)は、京都市東山区にある時宗(遊行派)の寺院。山号は黄台山(おうだいさん)。本尊は准胝観音。洛陽三十三所観音霊場第7番札所。 円山公園の東南方に位置する。かつての境内地は円山公園の大部分や真宗大谷派の大谷祖廟(東大谷)の大半の境内地を含む広大なものであった。長楽寺は、一説によれば延暦24年(805年)勅命により最澄が延暦寺の別院として創建したのに始まるという。『平家物語』「灌頂巻」によると、文治元年(1185年)には高倉天皇の中宮で安徳天皇の生母である建礼門院(平徳子)が壇ノ浦の戦いの後、この寺で出家したと伝えられる。 法然の弟子、隆寛はこの寺に居住して多念義を唱えた。隆寛の系譜は寺院名をとって後に長楽寺義・長楽寺流・長楽寺派といわれた。 至徳2年(1385年)に時宗の僧国阿がこの寺に入り、時宗の寺に改められた。 延享2年(1745年)、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗により1万坪もの境内地を没収された。没収された土地は長楽寺に隣接する真宗大谷派の大谷祖廟に寄進されている。 これ以降、寺勢は衰微しはじめ、文化年間(1804年 – 1818年)には養福寺に寺地の一部を譲って浄土宗西山派に改宗する。しかし、1870年(明治2年)には時宗遊行派に改めた。また、1871年(明治4年)に上知令によって境内地を政府に没収された。没収された土地は1886年(明治19年)に円山公園の一部とされた。 1906年(明治39年)には、時宗遊行派の有力寺院である七条道場金光寺を統合する。長楽寺が所蔵する重要文化財の時宗祖師像7躯(慶派仏師の作)は、金光寺から移されたものである。 2008年(平成20年)、文化財を納めた収蔵庫が火災によりほぼ全焼した。この際、一遍木像(重要文化財)を始めとする全ての文化財は住職らによって火災直後に運び出されたため難を免れた。 本尊の准胝観音は天皇即位時にしか開帳されない「勅封・厳秘」の本尊であり、玉躰護持と皇室安寧祈祷の本尊とされる。その姿は立像で1面3目18臂、二匹の龍の上に蓮台があり、その上に立っている。 伝説によれば、伝教大師最澄が入唐の際に海難に遭遇したので三宝に祈願したところ、二頭の龍に跨がった准胝観音が顕れて最澄の衣に飛び移ると、たちまち波風が収まったといわれ、その姿を彫ったものであるという。 普段は厨子(後水尾天皇の中宮・東福門院が寄進した「泰安の厨子」)の中に安置されている。また、御前立本尊となっている阿弥陀如来像(阿弥陀三尊像)は崇徳天皇持念仏といわれる。 最新の開帳は今上天皇の即位に伴う2019年(令和元年)5月1日から6月16日までの開帳となる[1]。 なお、本尊両脇には伝・最澄作の弁才天像と円爾(聖一国師)がインド・中国・日本の三国の土で作ったといわれる布袋尊像が安置されている。 本堂 – もとは安土桃山時代に建てられた伏見城の御殿の1つ。後に正伝寺に移築されて法堂となっていたものを、1890年(明治23年)に当寺に移築。 鐘楼 建礼門院御塔

Continue reading

滋賀県警察部 – Wikipedia

この項目では、1948年以前の滋賀県の警察について説明しています。現在の滋賀県の警察については「滋賀県警察」をご覧ください。 滋賀県警察部(しがけんけいさつぶ)は、戦前の内務省監督下の滋賀県が設置した府県警察部であり、滋賀県内を管轄区域とする。 1948年(昭和23年)3月6日に廃止となり、滋賀県警察部は国家地方警察滋賀県本部と大津市警察などの自治体警察に再編されることになった。 1876年(明治9年)1月 滋賀県庁に第四課を設置。 1880年(明治13年)4月 滋賀県警察本署に改称。 1886年(明治19年)7月 滋賀県警察本部に改称。 1890年(明治23年)10月 滋賀県警察部に改称。 1905年(明治38年)4月 滋賀県第四部に改称。 1907年(明治40年)7月 滋賀県警察部に改称。 1928年(昭和3年)7月 特別高等警察課を設置。 1945年(昭和20年)10月 特別高等警察が廃止。 1933年(昭和8年)時点 警務課 特別高等警察課 高等警察課 刑事課 保安課 衛生課 健康保険課 1933年(昭和8年)時点

Continue reading

ヴァージニア・グレイ – Wikipedia

ヴァージニア・グレイ(Virginia Grey、1917年3月22日 – 2004年7月31日)は、アメリカ合衆国の女優。 主な出演作品[編集] 突貫勘太 Palmy Days (1931) (クレジット無し) 秘密 Secrest (1933) (クレジット無し) 泥酔夢 Dames (1934) (クレジット無し) ゴールド・ディガース36年 Gold

Continue reading

ジョン・スミス (植物学者) – Wikipedia

ジョン・スミス(John Smith、1798年 – 1888年)はイギリスの植物学である。王立植物園(キューガーデン)の最初の学芸員を務めた。 1822年、植物園で温室の保温の仕事を行うストーブ・ボーイとして雇われた。植物園長のウィリアム・ジャクソン・フッカー、ジョセフ・ダルトン・フッカーとともに、ヴィクトリア女王によって王立植物園が王室のプライベート・ガーデンから公共植物園に変更された時代を見守り、植物園が忘れ去られることを防いだ。19世紀の後半に、植物園への予算の優先度が下がり、縮小されることからも防いだ。1841年に学芸員となり1864年まで学芸員を務めた。シダ類に強い関心を持ち、入園時に40種であったシダの種類を1,084種まで増やした。 Smith, John. Catalogue of Ferns in the Royal Gardens at Kew. HMSO, London, England. 1856.

Continue reading

YouTuber – Wikipedia

YouTuber(ユーチューバー)は、動画共有サイトYouTube上で自主制作の動画作品を継続的に公開している個人および組織であり[1]、その中でも特にYouTubeチャンネルに重点を置いて活動している配信者たちを指している。英語圏では「YouTube Creator」「YouTube Personality」「YouTube Star[2]」「YouTube Celebrity[3]」などの呼び方もされている。 YouTuberは、2007年5月ごろにYouTubeが閲覧数の多いユーザーに「YouTubeパートナープログラム」への参加を勧誘したことが始まりとされる。当初は商業コンテンツ供給者だけに勧められたものであった[4]。のちにビデオ画面隣側への広告掲載を条件にユーザーが利益を得ることが可能となり、2011年4月にはパートナープログラムを一般ユーザーにも開放。より多くのユーザーが利用できるようになり、YouTubeの広告で収入を得る人物も現れた[5]。なお、2017年4月から総再生回数が1万回以上でないとパートナープログラムへの参加が認められなくなったが、2018年2月からはさらに過去12か月間の総再生時間が4,000時間以上、かつチャンネル登録者数が1,000人以上とより厳しい条件に引き上げられた。加えてコミュニティの著作権侵害(英語版)、スパムなどの監視が強化され、ポリシーに準拠していることの評価が厳格化されるようになった[6][7]。 チャンネル収益化状況[編集] ドイツのオッフェンブルク大学のマティアス・バルトル教授の調査によると、「広告収入で生計を立てることを企てるユーチューバーの96.5%が平均的なアメリカの貧困ラインを下回る収入しか得られない。再生回数が上位3%の人気ユーチューバーは1か月の再生回数が140万回を超えるが、それでも平均年収は1万6,800ドルであり、アメリカの貧困ライン収入1万2,140ドルをかろうじて上回る程度だ」としている[8]。ノースカロライナ大学のアリス・マーウィック氏は「ケーブルテレビでレギュラー出演の仕事を得ているのならいい稼ぎになるが、YouTubeに出演してもそうはならない。YouTubeで50万人のチャンネル登録者を持つことができたとしてもスターバックスコーヒーなどで働かざるを得ないでしょう」と指摘した[8]。チャンネル登録者数1000人と、視聴者に見られた動画の総時間数(4000時間)この条件を達成しないと収益化できない。 YouTuberの最も基本的な収益手段はいわゆる広告収入であるが、YouTubeの広告収入のアルゴリズムは常に変化しており詳細は公表されていない。バルトル教授は再生回数1,000回につき1ドル程度と算出しているが、インフルエンサーマーケティングの調査会社であるヒューゴ・オブ・エージェンシーのハリー・ヒューゴによると収入は一定ではなく、再生回数1,000回につき35セントや、5ドルの場合もあるという。 広告収入(アドバタイジングレベニュー)以外の収益手段としては「チャンネルメンバーシップ[9]」「スーパーチャット[10]」「スーパーステッカー[10]」「スーパーサンクス[11]」といった四通りのデジタルアイテムがある。これらによって広告表示のための再生回数の多さだけに捉われず、よりニッチでコアなファンコミュニティの形成による自由でクリエイティブなプライベートプロフィット環境の実現も後押しされている。 チャンネルメンバーシップ – 月額メンバーシップ購入者に会員限定動画、早期視聴、会員限定ライブ配信、会員専用ライブチャット、ライブチャットでの各種表示特権、コミュニティタブでの各種特権、会員限定デジタルコンテンツ、グッズショップでの割引コードなどを提供できる[9]。 スーパーチャット – 2017年1月開始。ライブ配信チャットでの投稿コメント付帯の寄付機能[10]。 スーパーステッカー – 2019年11月開始。ライブ配信チャットでの専用アニメーション画像付帯の寄付機能[10]。ライブのムードメーカーになって配信者とのシンパシーをより育める。 スーパーサンクス

Continue reading

北海道砂川高等学校 – Wikipedia

北海道砂川高等学校(ほっかいどうすながわこうとうがっこう、英: Hokkaido Sunagawa High School)は、北海道砂川市にある、公立(道立)の高等学校。2004年4月に北海道砂川北高等学校と北海道砂川南高等学校が統合されて誕生した。北海道で初めて単位制を導入している。 少子化による公立高校の統合・再編の一環として、砂川北高等学校が平成16年度から新入生の募集を停止し、同時に砂川南高等学校が砂川高等学校となった。2006年3月に砂川北高等学校が最後の卒業生を送り出して閉校となったことに伴い統廃合が完了した。このような経緯から校舎は1981年に改築された旧・砂川南高等学校のものが使用されている。校舎老朽化が進む中、旧・砂川北高等学校跡地に新校舎を建設して移転するという案も出ているが、財政的な問題で実現は厳しい状況となっている。 北海道砂川北高等学校[編集] 1938年 – 砂川高等家政女学校として開校 1941年 – 砂川町立砂川高等女学校に改称 1945年 – 庁立移管、北海道庁立砂川高等女学校に改称 1950年 – 学制改革により北海道立砂川北高等学校に改称、共学校へ移行 2004年

Continue reading

安田駿 – Wikipedia

安田 駿(やすだ しゅん、1月28日 – )は、日本の男性声優。愛知県出身。フリー ヒューマンアカデミー新宿校出身。青二プロダクション(ジュニア)に所属していた 2020年1月1日青二プロダクションを退所し、フリーになったことをTwitterで発表した。[1] 趣味はカラオケと音楽鑑賞、ゲーム、特技にはバスケットボール。 可愛い系のボイスが得意。 太字はメインキャラクター。 ゲーム[編集] GIGANT SHOCK(2018年、アントン) Readyyy!(2019年、綾崎小麦) 吹き替え[編集] アンソニー(アナベル 死霊博物館) ディスコグラフィ[編集] キャラクターソング[編集] 発売日

Continue reading

ブルックス・レノン – Wikipedia

ブルックス・レノン 名前 本名 Brooks Howard Lennon 基本情報 国籍 アメリカ合衆国 アイルランド 生年月日 (1997-09-22) 1997年9月22日(24歳) 出身地 アリゾナ州マリコパ郡パラダイスバレー 身長 178cm 選手情報 在籍チーム アトランタ・ユナイテッドFC

Continue reading

パルショータ – Wikipedia

パルショータ(Parshot)はエチオピアの醸造酒[1]。モロコシとトウモロコシを原料とし、同国南部に居住するデラシェ(Dirashe)の間で生産および消費される[1]。世界的にも珍しい、主食とされている酒である[1]。 生産の背景[編集] エチオピアを含むサブサハラアフリカでは、穀物やイモ類などの主食だけでは必須アミノ酸などの栄養素が不足するため、副食物として豆などが利用される[2]。また、エチオピア北部ではテフを原料に含む主食のインジェラなどから必須アミノ酸を補給している[2]。これに対して同国南部のデラシェ自治区(英語版)では、害虫による被害のため豆の栽培が困難なことなどから、モロコシやトウモロコシをアルコール発酵させてアミノ酸スコアを高めたパルショータなどの醸造酒を製造し、大量に摂取している[2]。 モロコシとトウモロコシの粉末を主原料とし、モリンガステノペタラ(英語版)やアビシニアガラシ(英語版)などの葉の乾燥粉末と水を加える[3]。3ヶ月以上かけて乳酸発酵させたのち、加熱して糊化させる[3]。続いてオオムギやトウモロコシ、コムギ、モロコシなどの発芽した種子の粉末と水を加え、糖化を行う[3]。得られた液体は土器に入れて密閉し、2 – 14日ほどかけて酵母を増やす[3]。加水して練ったモロコシとトウモロコシの粉末にこの液体を混合すると、アルコール発酵が進行する[3]。完成したパルショータは、3日間飲むことができる[3]。 なお、主な産地であるデラシェ自治区(英語版)では1 – 2月の乾季にモリンガステノペタラなどの葉が採集できないため、同期間のみ代わりの醸造酒を造る[4]。一つはネッチ・チャガ(nechchaka)と呼ばれ、原料に葉の乾燥粉末を加えず乳酸発酵の期間を約1ヶ月と短くする以外は、パルショータと同じ製法である[3]。ただし、完成後は1日のうちに飲む必要がある[3]。もう一つはカララ(kalala)と呼ばれ、モロコシとトウモロコシの粉末と熱湯を混ぜて糊化を進め、発芽種子の粉末を加えて計2日間で造る[3]。こちらも、完成後は1日しか飲めない[3]。 飲用と成分[編集] 飲用の際は、パルショータに水を加えて1.3 – 2倍に希釈する[4]。なお、ネッチ・チャガも2倍に希釈して飲み、カララは原液のまま飲む[4]。デラシェの30代男性を対象とした調査では、希釈したパルショータを1日に5kg摂取している[5]。希釈後のアルコール度数は約3%だが酩酊する事はまれだという[5]。なおデラシェの人々は、穀物の粉から作る団子を朝夕に食べるのを除き、パルショータ以外のものを飲食しない[5]。 希釈したパルショータ100gあたりの熱量は68 – 109kcalであり、4 – 6kg飲む事で1日の活動に必要なカロリーの補給が可能である[5]。タンパク質およびリジンは希釈したパルショータ100gあたり、それぞれ1.7 – 3.3gおよび50

Continue reading