Month: July 2019

蛇も蚊も – Wikipedia

蛇も蚊も(じゃもかも)は、神奈川県横浜市鶴見区の生麦地区に伝わる祭りである。茅で作った大蛇を担いで町内を練り歩く祭りで、1992年に横浜市の無形民俗文化財に指定された[1]。 祭りの起源については口述による伝承のみで、詳しい文献は残っていないが[2]、300年前[3]ないし400年前[4]と考えられている。市場・鶴見・生麦の旧三村は東海道沿いにあり、農村地域であった現在の鶴見区北部とは異なって、街道から民俗文化がもたらされたと考えられる。隣接する潮田村とともに海沿いの村であったが、いわゆる”磯付海辺村”で本格的な漁業が許されなかった潮田村に対し、御菜八ケ浦の一つの漁村であった生麦には、海からの伝承ももたらされた[5]。元は生麦地区全体の祭事であったが、明治の中頃から生麦地区内の本宮地区の道念稲荷神社と原地区の神明社の2ヶ所で行われるようになった。 言い伝えによると、道念稲荷神社は甲州の身延山の奥の、大蛇にまつわる伝説のある七面山で修行をした道念和尚が、生麦の地に立ち寄った際に建立したという[4]。 祭りは例年、6月の第一日曜に行われる。本宮地区の3体の大蛇はそれぞれ長さ15間(約27メートル)、胴回り3尺ほど(約1メートル)で、目は貝殻、舌はショウブ、角は木の枝で作られる[4]。朝8時に町内の人々が大蛇を担いで道念稲荷神社を出発し、「蛇も蚊も出たけい、日和の雨けい」の掛け声とともに町内を練り歩き、家々の門口に大蛇の頭を差し入れて悪疫を追い払う。最後は生麦小学校に集まった3体が「絡み」と呼ばれる儀式を行う。宮司によるお祓いのあと3体のうち1体の首が落とされ、道念稲荷神社で焚き上げられる。かつては鶴見川の河口に大蛇を流していたが、環境への配慮から行われなくなった[2]。原地区では、午前中に本宮地区とは少し異なる意匠の2体の大蛇が作られ、昼過ぎに出発する。本宮地区よりやや内陸に位置する原地区は集合住宅など比較的新しい世帯も多く、そうした家でも悪疫払いを行う[2]。夕方には神明社で絡み合いを行い[1]、翌日に焚き上げられる。6月初旬は旧暦の端午の節句に近く、両地区の地元の子供たちが多く参加することも特徴である[2]。 「蛇も蚊も」の名前の由来は諸説あるが、疫病をもたらす悪霊を払う「蛇」と、疫病の媒介となる「蚊」を退散させる意味が込められていると考えられる。「蛇も蚊も出たけい、日和の雨けい(じゃもかもでたけい、ひよりのあめけい)」のお囃子は、「ヘビもカも出て行ったかい。晴天の中、雨は降ったかい」と、作物への恵みの雨を願う、雨乞いの意味も込められている[2]。 参考文献[編集] 鶴見区史編集委員会『鶴見区史』鶴見区史刊行委員会、1982年。

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ナイル・サハラ語族 – Wikipedia

ナイル・サハラ語族(ナイル・サハラごぞく、Nilo-Saharan langauges)は、アフリカのナイル川、シャリ川の上流の地域(ヌビアも含む)に分布する語族。話者は言語学者メリット・ルーレンの1987年の調査によると1100万人とされる。 ナイル・サハラ語族にどの言語を含めるかについては異論がある。 1963年にジョーゼフ・グリーンバーグが著書「The Languages of Africa」でナイル・サハラ語族の各語派の分類説を発表した。特にソンガイ語(英語版)について意見が分かれた。エスノローグ(Ethnologue)、アンベッサ・テフェラ(Anbessa Tefera)、ペーター・ウンゼト(Peter Unseth)はシャボ語も含まれるとしたが採用されなかった。後にクリストファー・エーレト(Christopher Ehret)が周囲に同族の言語がない孤立した言語であるという説を立てた。 カドゥ諸語(英語版)はグリーンバーグを踏襲してコルドファン語派に含まれるとする説、ロジャー・ブレンチ(Roger Blench)などのナイル・サハラ語族に含まれるとする説、エーレトなどの孤立した言語とする説がある。 標準の分類ではニジェール・コンゴ語族とされるマンデ語派もソンガイ語(英語版)との類似からナイル・サハラ語族に含まれるとする説が出ている。 古代クシュ国のメロエ語も含まれるのではないかという説があるが情報が少なすぎて決定には至っていない。 また同様に最近まで母語話者のいたウガンダのオロポム語(英語版)が、クリアク語派(英語版)やナイル諸語と同系ではないかといわれることがある。 さらにニジェール・コンゴ語族との関係が取り沙汰されることもある。エドガー・グレゲルセン(Edgar Gregersen ,1972) が両者を合併してコンゴ・サハラ語族を立てたり、上記のブレンチ(1995)がニジェール・コンゴ語をナイル・サハラ語族(中央スーダン語派(英語版))に編入する案を出したりしているが、保留の態度が主流である。 このようにどの言語をナイル・サハラ語族に含めるかは様々な説があり、そもそも全く別系統の言語の寄せ集め(ゴミ箱分類群)という説もある[1]。

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フランクフルト宣言 – Wikipedia

フランクフルト宣言(フランクフルトせんげん、英語: Frankfurt Declaration)は、1951年7月に社会主義インターナショナルが西ドイツのフランクフルトでの第1回大会にて採択した宣言で、正式名称は「民主社会主義の目的と任務」[1]。宣言は資本主義と共産主義の双方と対決する方針を打ち出し、特にボルシェヴィキや国際共産主義運動との対決に重点を置いた(反共主義)[1]。 この宣言は、1989年6月のストックホルムで開催された第18回会議で更新された[2]。 フランクフルト宣言では、資本主義による弊害に対する反抗として社会主義が生まれ、社会主義は生産手段の社会的所有や計画的な経済を目指す。しかしロシアのボルシェビキ革命以来の共産主義は一党独裁を行い自由を抑圧している。民主社会主義はこの両方に反対し、人権や自由と経済的計画化を結びつけ、民主主義の社会を実現する、とした[3] 。 フランクフルト宣言は以下から構成される。 前文 – 13項目。 本文 政治的自由主義。 経済的自由主義。 社会的民主主義と文化の進歩。 国際的民主主義。 1.19世紀このかた、資本主義は巨大な生産力を発展させた。だがそこで大多数の市民は生産に関して影響力を持ちえないようにされてしまった。資本主義は人権よりも所有権を尊重し、財産も社会的権利もない賃金労働者という新しい階級を生みだし、階級間の闘争を激化させた。 (略)3.社会主義は生産手段を所有・管理する少数者への依存から国民を解放することを目的とする。社会主義はすべての国民の手に経済の決定権を与え、自由な人間がそれぞれ平等な資格で共に働く共同社会を作りだすことを目的とする。 (略)8.共産主義は硬直的独断思想となり、マルクス主義が有していた批判精神とも両立しえないものとなっている。 (略)9.社会主義者は、自由と社会正義の実現のために資本主義の階級対立を克服しようとしているのだが、これに対して共産主義者は一党独裁の確立だけのために、階級対立を激化させようとするのである。国際共産主義は新たな帝国主義の道具となっている。共産主義が政権をとったところでは、自由が奪われ、自由へと到る可能性すらも否定されている。国際共産主義は軍部と恐怖警察とに基礎をおいている。富と特権の著しい格差が生み出され、新たな階級社会が出現している。共産主義の経済では強制労働が重要な役割を演じている。 (略)11.民主社会主義は国際的な運動であるが、その解釈に厳格な統一性を決して要求するものではない。

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植田尚樹 – Wikipedia

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “植田尚樹” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年7月) この記事の主題はウィキペディアにおける音楽の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。基準に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。出典検索?: “植田尚樹” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年7月) 植田 尚樹(うえだ

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堺市消防局 – Wikipedia

堺市消防局(さかいししょうぼうきょく)は、堺市の消防部局(消防局)である。同市に消防事務を委託している高石市域と大阪狭山市域も管轄している。2008年10月1日、堺市高石市消防組合(9月30日)が解散し、発足した。 主力機械となる車両[編集] 台数は2018年4月1日現在 普通消防ポンプ自動車:23 小型水槽付消防ポンプ車:4 水槽付消防ポンプ自動車:22 平成17年度以降に配置された車種の一部にはフロントウインチが搭載されており救助タンク車(通称RT)と呼ばれ、局内7つの兼任救助隊の運用する主力機械となった。 はしご付消防自動車:6 屈折はしご付消防自動車:1 大型高所放水車:1 泡原液搬送車:1 化学消防自動車:8 大型車のシャーシで艤装したものが多い。これは、堺・高石両市共に大阪湾上の埋立地に石油コンビナートをはじめ重化学系の工場が多く所在するためである。 特殊化学車:1 高規格救急自動車:30 救助工作車:5 4台がⅢ型で、1台がⅡ型である。※Ⅱ型については元大阪狭山市消防本部の車両である。 局特別高度救助隊:バス型車である。(艤装はテイセンテクノ) 中・南高度救助隊:低床III型車に更新された。 局予備車両:本部特別高度救助車が更新に伴い予備化した。

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がっこうぐらし! – Wikipedia

『がっこうぐらし!』(SCHOOL-LIVE!)は、海法紀光(ニトロプラス)(原作)、千葉サドル(作画)による日本の漫画作品。『まんがタイムきららフォワード』(芳文社)にて、2012年7月号[3]から2020年1月号にかけて連載された。 作品概要 「ゾンビ的な存在が突如出現、殺害された人間はことごとく同族と化し急速に増殖した結果、社会はほとんど崩壊状態に陥る。わずかに生き残った女子学生たちは学校に立て籠もって寝泊まりし、日々を過ごす」という、ホラー系・サバイバルものによくある設定を用いつつ、キャラクターたちは可愛いらしく、ストーリーは「日常系」ほのぼの漫画の様なテイストで描かれている(特に序盤はその傾向が強い)のが特徴である[4][1][5]。原作者の海法によれば、ゾンビ物の作品としてすぐ思い浮かぶような、バトルアクションものとは異なる路線を目指しており[6]、過ぎ去っていく日々を精一杯生きる、登場人物たちの学校生活を描くことが意図されているという[7]。2020年1月時点でシリーズ累計発行部数は280万部を突破している[8]。 メディアミックスとして、2015年7月から9月までテレビアニメが放送され、2019年1月25日に実写映画版が公開された。なお、原作漫画版、テレビアニメ版、実写映画版にてそれぞれストーリー展開が異なる。 さらに原作完結後、最終回のその後を描く『がっこうぐらし!〜おたより〜』が同誌2020年8月号から2021年10月号まで隔月で連載された[9][10]。 原作ストーリー 高校編(第1巻 – 第5巻) 女子高生の丈槍由紀、恵飛須沢胡桃、若狭悠里らが住む街や通う巡ヶ丘学院高等学校は、人間をゾンビに変えてしまう感染症のパンデミックによって地獄絵図と化していた。他の生存者はなく外界との接触を断たれている学校内で、当初の避難生活を導いてきた教師の佐倉慈は、避難生活を部活の一環として捉える「学園生活部」を創立し、生き残った由紀たち3人を部員に迎えるが、その矢先に命を落とす。しかし、由紀は現実の災禍を認識できないかのような態度をとり続け、生前と同じ姿の慈や生徒たちを空想しながら、「学校全体を借りて寝泊まりする部活」を楽しんでいた。胡桃と悠里は由紀の空想に話を合わせつつ、彼女の明るさにも救われているが、次第に生徒会室の備蓄食料や生活物資は尽きていく。 3人は由紀の「遠足に行こう」という提案に便乗する形で物資補給に校外へ出て、慈の車を運転してショッピングモールへ辿り着くと、そこで同校の下級生の直樹美紀を救出し、彼女を部員に迎える。美紀は当初、由紀の言動やそれを是としている胡桃と悠里のことを共依存と批判して軋轢を生むが、由紀が彼女なりに不穏な事態を何らかの形で認識し、皆を明るく励まそうとしていることを認めて和解する。その直後、慈の遺品から「職員用緊急避難マニュアル」が発見される。それは感染症の正体が生物兵器によるバイオハザードで、巡ヶ丘学院が有事を想定した拠点施設であることを示唆するものであった。胡桃は真相を確かめるため、避難マニュアルに記された校舎地下のシェルターに潜入するが、そこでゾンビとなり果てていた慈に負傷させられてしまう。悠里は、ゾンビ化しつつある胡桃を殺さなければならないという現実に直面して苦悩するが、慈を倒した美紀がシェルターから持ち帰った薬品によって、胡桃は後遺症の可能性を残しつつも一命を取り留める。 避難マニュアルには、災禍の元凶として疑わしい大学「聖イシドロス大学」と、企業「ランダル・コーポレーション」の名が連絡先として記されていた。卒業後の進路に例えつつ、4人はどちらを先に調査すべきか悩む。そんな中、4人が風船やラジオを用いて発信し続けていたSOSが実を結び、外界からのヘリコプターが飛来するが、ヘリは墜落して校舎を巻き込む火災を起こしてしまう。炎と煙の中で分断された4人は、由紀の機転や現実とも幻ともつかない慈の導きにより、全員が難を逃れる。しかし学校のインフラは壊滅状態となり、4人は由紀の提案に乗る形で、高校を「卒業」して聖イシドロス大学へ「進学」することを決断する。 大学編(第6巻 – 第9巻) 大学へ向かう「卒業旅行」の最中、4人は「ワンワンワン放送局」からのラジオ放送を受信し、DJからキャンピングカーを手に入れる。また、胡桃がゾンビから認識されなくなったり、悠里が妹の記憶を取り戻したりする中、4人は鞣河小学校からのSOSを受けて救助に向かうと、悠里が鞣河小学校で助けた(と主張する)少女るーちゃんを連れ、一行は聖イシドロス大学にたどり着く。しかし、構内に入るなり大学の武闘派の生存者からクロスボウで攻撃を受け、さらに自動車で追い回される。一行を助けたのは、武闘派とは別グループの3人の少女たちであった。3人の少女たちは大学で穏健派として自堕落同好会というサークルをやっており、日々ゲームやDVD鑑賞など自堕落に過ごしていた。学園生活部の面々は各個室を割り当てられ、大学内で学園生活部を再スタートさせた。同好会をつくる大学の3人は、高校での学園生活部の苦労を聞かされ今までの生活を省み、自堕落の生活を断ちこの危機に直面しようと決心する。 武闘派は「リソースは一元化」を掲げ情報を共有しようと策略する。しかし、高上が感染したことが分かると感染の原因が学園生活部にあると断定し、学園生活部を含む穏健派を捕まえるべく追うこととなる。胡桃・悠里を中心とした学園生活部の面々の事態も悪化し、特に胡桃は今までの後遺症に加え記憶が薄れるなどの症状も現れ始め、他のメンバーとは別々に行動するようになる。 美紀は以前訪れたことのある理学部棟を再び訪れ、推測の域ではあるが新しい情報を手に入れる。それは「このパンデミックは世界中に広がっており、空気感染で広まっていく。空気感染に対する免疫があったとしても、ウイルスは変異することがあり、その免疫は今後持続するとは限らない。」といった内容であった。大学内を徘徊していた胡桃を発見した由紀は、胡桃を説得し学園生活部の元へ戻すことに成功する。そのころ、高上に続き頭護にゾンビ化の兆候が出たため、恐慌をきたした頭護は「学園生活部が感染させたのだから当然解毒剤も持っているに違いない[注釈 1]」と思い込み、「解毒剤」を穏健派に要求するが、篠生に見限られ、逆に胡桃、アキ、篠生の三人によって追われ、「墓」の近くを放浪したあげく、最終的には神持によって「墓」に突き落とされて殺害される。その神持も車で大学を脱出するものの、エンストしてしまいゾンビに囲まれるなど、武闘派は次々と崩壊してゆく。 ランダル編(第10巻

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ロドヴィコ・ヴィアダーナ – Wikipedia

ロドヴィコ・ヴィアダーナ(Lodovico (Grossi da) Viadana, 1560年頃 – 1627年5月2日)はイタリアの作曲家、音楽教師、フランシスコ会の托鉢修道士。通奏低音の技法、とりわけ数字付きバスの慣習を定着させ、ルネサンス音楽の没落と、バロック音楽の興隆を決定づけた最初の重要人物。本来の苗字はグロッシ(Grossi)であったが、伝統的に出身地が姓であるかのように扱われてきた。 パルマ近郊のヴィアダーナ出身。おそらくはコスタンツォ・ポルタに師事して、1594年にマントヴァ大聖堂の教会楽長に着任。1597年にローマに行き、1602年にはマントヴァのサン・ルカ大聖堂の聖歌隊指揮者となる。イタリア中の様々な聖堂で矢継ぎ早に地位を得た。1614年から1617年までの3年間に、ボローニャ管区全域(フェラーラ、マントヴァ、ピアチェンザほか)で聖職者として地位を得る。1623年までにブセットに移り、サンタンドレア女子修道院に勤めた。パルマ近郊グアルティエーリに没する。 楽曲と意義[編集] ヴィアダーナは、初期バロック音楽の通奏低音の技法の発展や、数字付きバスとして知られるその記譜法において、重要人物である。この手法はヴィアダーナの発明ではなかったが、幅広い売れ行きを誇った曲集《通奏低音つきの100の教会コンチェルトCento concerti con il basso continuo 》(1602年ヴェネツィアにて出版)において、最初に出版譜に数字付きバスを用いたのがヴィアダーナであった。アゴスティーノ・アガッツァーリは1607年に、論文の中でこの新しい記譜法の解釈の仕方について述べているが、少なくとも進歩的なイタリア音楽の中心的都市では、その頃までには演奏家たちがこの新しい手法を明らかに学び取っていた。 ヴィアダーナはほとんど宗教曲だけを作曲した。ミサ曲、詩篇唱、マニフィカト、モテット、エレミアの哀歌などである。だが、2巻のカンツォネッタと、8声の器楽曲集《合奏曲集Sinfonia musicali 》も遺されている。初期作品は明らかにルネサンス音楽様式によっており、厳格なアカペラ様式と、声部間のバランスのとれた練れたポリフォニーが特徴的である。だが、1602年以降は、頻繁なコンチェルタートの楽句や、通奏低音の常用によって、いよいよ初期バロック音楽様式で作曲されている。とりわけ後期作品においては、モノディ様式も利用され、例えば作品27の《詩篇集》ではヴェネツィア楽派の進歩的な複合唱様式も採用されている。そのうえ、後期作品のいくつかには、後世の協奏曲様式を先取りする要素もある。楽器編成は指定されていない(まだそうした習慣は広く行われていなかった)ものの、声楽グループと器楽グループの間で出たり引っ込んだりのやりとりが行われている。 ヴィアダーナは多少の世俗音楽も作曲したが、厳格な聖職者の一員に期待される程度の量しか遺していない。そこに含まれるのは、2巻のカンツォネッタ集(3声のためのカンツォネッタ集と、4声のためのカンツォネッタ集)や、器楽のためのシンフォニア集である(その実体はむしろカンツォーナ集である。1590年~1610年においては命名法が緩く、シンフォニアは、幻想曲やカンツォーナ、リチェルカーレなどに置き換えることができた)。シンフォニアにおいて個々の楽曲は、別々のイタリアの都市名がつけられており、あたかも初期の標題音楽の観を呈している。

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南島原市立小林小学校 – Wikipedia

南島原市立小林小学校(みなみしまばらしりつ こばやししょうがっこう)は、長崎県南島原市深江町乙にある公立小学校。 歴史[編集] 1876年(明治9年)に小林治市が私財を投じて創立。その名にちなんで「小林小学校」という名称になった。2011年(平成23年)に創立135周年を迎えた。 校章[編集] この節の加筆が望まれています。 校歌[編集] 1962年(昭和37年)に制定。作詞は西川武治、作曲は山口健作による。歌詞は3番まであり、3番に校名の「小林小学校」が登場する。 1876年(明治9年)9月18日 – 深江村末宝に「第五大学区 第三中学区[1] 小林小学校」が開校。 1877年(明治10年)6月4日 – 学区改正[2]により、「第五大学区第二中学区[3]小林小学校」に改称。 1878年(明治11年)12月24日 – 郡制の施行に伴い学区が改正され、「南高来郡 島原部[4]小林小学校」となる。

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桂小すみ – Wikipedia

桂(かつら)小(こ)すみ 結三柏は、桂文治一門の定紋である。 本名 松本(まつもと)優子(ゆうこ) 別名 杵屋(きねや)佐之萌(さのもえ) 生年月日 (1973-03-07) 1973年3月7日(49歳) 出身地 日本・神奈川県横浜市 師匠 三代目桂小文治 名跡 1. 松本優子(2003年 – 2018年)2. 桂小すみ(2018年 –

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