ポメラニア公の一覧 – Wikipedia

名前 出生 治世 死去 支配地域 配偶者 備考 ヴァルティスラフ1世 1091年ごろ 1121年-1135年 1135年 ポメラニア 異教徒の妻24人

ハイラ・フォン・ザクセン
1128年以前
1人の子女を儲ける

イーダ・ア・ダンマーク
1129年
3人の子女を儲ける

初代ポメラニア公、ポメラニア家を創設した。異教徒だったが、12世紀の初めにキリスト教に改宗。子のボギスラフ1世とともにオットー・フォン・バンベルクのポメラニアでの宣教を支持、成功させる。 ラティボル1世 1124年ごろ 1135年-1156年 1156年 ポメラニア プリブィスラヴァ・ヤロスラヴナ
1136年
4人の子女を儲ける 後にシュラファ=シュトルプを支配するラティボル系ポメラニア家の先祖。 ボギスラフ1世 1127年 1156年-1184年 1187年3月18日 ポメラニア=シュテッティン ヴァルブルガ・ア・ダンマーク
3人の子女を儲ける

アナスタシア・ポルスカー
1177年4月26日
2人の子女を儲ける

カジミール1世 1130年以降 1156年-1180年 1180年秋 ポメラニア=デミーン プリトラヴァ
子を儲けず ヴァルティスラフ2世 1160年ごろ 1180年-1184年 1184年ごろ ポメラニア=デミーン ソフィア・ポルスカー
子を儲けず ボギスラフ1世 1127年 1184年-1187年 1187年3月18日 ポメラニア=シュテッティンとポメラニア=デミーン ヴァルブルガ・ア・ダンマーク
3人の子女を儲ける

アナスタシア・ポルスカー
1177年4月26日
2人の子女を儲ける

シュヴィエントペウク 1156年以前 1156年-1190年ごろ 1190年代 ポメラニア=シュラファ=シュトルプ 未婚 アナスタシア・ポルスカー (摂政) 1164年ごろ 1187年-1208年 1240年ごろ ポメラニア=シュテッティンとポメラニア=デミーン ボギスラフ1世
1177年4月26日
2人の子女を儲ける ボギスラフ1世の未亡人。 ボギスラフ2世 1177年 1208年-1220年 1220年1月23日 ポメラニア=シュテッティン ミロスラヴァ・フォン・ポメレレン
1210年
3人の子女を儲ける ボギスラフ1世の子。 カジミール2世 1180年ごろ 1208年-1219年 1219年 ポメラニア=デミーン インガルド・ア・ダンマーク
1210年
2人の子女を儲ける ボギスラフ3世 1190年以前 1190年ごろ-1223年 1223年 ポメラニア=シュラファ=シュトルプ ポーランド大公ミェシュコ3世の娘
1223年以前
2人の子女を儲ける ボギスラフ2世の子、バルニム1世の弟。1190年、シュラファを父から譲り受ける。 ミロスラヴァ・フォン・ポメレレン (摂政) 1190年 1220年-1226年 1237年 ポメラニア=シュテッティン ボギスラフ2世
1210年
3人の子女を儲ける ボギスラフ2世の未亡人。 バルニム1世善良公 1217年/1219年ごろ 1226年-1264年 1278年12月13日 ポメラニア=シュテッティン アンナ・マリア・フォン・ザクセン
1238年9月4日と1242年7月18日の間
3人の子女を儲ける

マルガレーテ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1252年/1253年
1人の子女を儲ける

マティルデ・フォン・ブランデンブルク
1263年3月29日と1267年5月20日の間
6人の子女を儲ける

1227年以降、ポメラニア公は再び神聖ローマ帝国の臣下になる。 インガルド・ア・デンマーク (摂政) 1190年ごろ 1219年-1226年 1248年 ポメラニア=デミーン カジミール2世
1210年
2人の子女を儲ける カジミール2世の未亡人。 ヴァルティスラフ3世 1210年ごろ 1226年-1264年 1264年5月17日 ポメラニア=デミーン ゾフィア
1236年
3人の子女を儲ける 1264年に死去すると、バルニム1世が単独でポメラニアを統治した。 ラティボル2世 1223年以前 1223年-1238年 1238年 ポメラニア=シュラファ=シュトルプ 未婚 ボギスラフ3世の子。ボギスラフ2世の子かポメレレン公ムシチュイ1世の子とする文献もある。 バルニム1世善良公 1217年/1219年ごろ 1264年-1278年 1278年12月13日 ポメラニア アンナ・マリア・フォン・ザクセン
1238年9月4日と1242年7月18日の間
3人の子女を儲ける

マルガレーテ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1252年/1253年
1人の子女を儲ける

マティルデ・フォン・ブランデンブルク
1263年3月29日と1267年5月20日の間
6人の子女を儲ける

ポメラニア公国を再統一。 ボギスラフ4世 1255年ごろ 1278年-1295年 1309年2月19日/24日 ポメラニア マティルデ・フォン・ブランデンブルク=シュテンダル
1275年と1278年の間
子を儲けず

マルガレーテ・フォン・リューゲン
1284年8月13日
6人の子女を儲ける

義母と異母弟たちと共同統治。 マティルデ・フォン・ブランデンブルク (摂政) 不明 1278年-1294年 1316年12月20日 ポメラニア バルニム1世善良公
1263年3月29日と1267年5月20日の間
6人の子女を儲ける バルニム1世の未亡人。義子ボギスラフ4世と実子バルニム2世とオットー1世と共同統治。 バルニム2世 1277年ごろ 1294年-1295年 1295年5月28日 ポメラニア 未婚 ボギスラフ4世とオットー1世と共同統治。 オットー1世 1279年 1294年-1295年 1344年12月31日 ポメラニア エリーザベト・フォン・ホルシュタイン
1296年4月
2人の子女を儲ける バルニム2世とボギスラフ4世と共同統治。 ボギスラフ4世 1255年ごろ 1295年-1309年 1309年2月19日/24日 ポメラニア=ヴォルガスト マティルデ・フォン・ブランデンブルク=シュテンダル
1275年と1278年の間
子を儲けず

マルガレーテ・フォン・リューゲン
1284年8月13日
6人の子女を儲ける

ポメラニア=ヴォルガスト公国の初代公爵。 オットー1世 1279年 1295年-1344年 1344年12月31日 ポメラニア=シュテッティン エリーザベト・フォン・ホルシュタイン
1296年4月
2人の子女を儲ける ヴァルティスラフ4世 1290年以前 1309年-1326年 1326年8月1日 ポメラニア=ヴォルガスト エリーザベト・フォン・リンドー=ルピン
1316年/1317年4月11日
3人の子女を儲ける ボギスラフ4世の子。 バルニム3世大公 1300年ごろ 1344年-1368年 1368年8月14日 ポメラニア=シュテッティン アグネス・フォン・ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン
1330年
5人の子女を儲ける エリザベート・フォン・リンドー=ルピン (摂政) 1300年 1326年-1330年ごろ 1355年2月と1356年7月2日の間 ポメラニア=ヴォルガスト ヴァルティスラフ4世
1316年/1317年4月11日
3人の子女を儲ける ヴァルティスラフ4世の未亡人。 ボギスラフ5世大公 1318年ごろ 1330年ごろ-1368年 1374年4月23日 ポメラニア=ヴォルガスト エリシュカ・ポルスカー
1343年2月24日/25日
3人の子女を儲ける

アーデルハイト・フォン・ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン
1362年/1363年
4人の子女を儲ける

ヴァルティスラフ5世人民の父公 1326年11月1日ごろ 1330年ごろ-1368年 1390年 ポメラニア=ヴォルガスト アンナ・フォン・メクレンブルク=スタルガルト
1390年以前
子を儲けず ボギスラフ5世と共同統治。未婚とする史料もある。 バルニム4世善良公 1325年 1330年ごろ-1365年 1365年8月22日 ポメラニア=ヴォルガスト ゾフィア・フォン・メクレンブルク=ヴェルレ
1343年
3人の子女を儲ける ボギスラフ5世・ヴァルティスラフ5世と共同統治。 カジミール3世 1348年 1368年-1372年 1372年8月24日 ポメラニア=シュテッティン 未婚 バルニム3世の子。 ボギスラフ5世大公 1318年ごろ 1368年-1374年 1374年4月23日 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ エリシュカ・ポルスカー
1343年2月24日/25日
3人の子女を儲ける

アーデルハイト・フォン・ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン
1362年/1363年
4人の子女を儲ける

ヴォルガストから分離したシュトルプの初代公爵。 ボギスラフ6世 (ポメラニア公) 1350年ごろ 1365年-1393年 1393年3月7日 ポメラニア=ヴォルガスト ユディト・フォン・ザクセン=ラウエンブルク
1369年と1377年の間
子を儲けず

アグネス・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1389年9月14日/19日
ツェレ
2人の子女を儲ける

バルニム4世の子。 ヴァルティスラフ6世隻眼公 1345年 1365年-1377年 1394年6月13日 ポメラニア=ヴォルガスト アンナ・フォン・メクレンブルク=スタルガルト
1363年10月1日
4人の子女を儲ける ボギスラフ6世と共同統治。 シュヴィエントボル3世 1351年ごろ 1372年-1413年 1413年6月21日 ポメラニア=シュテッティン アンナ・フォン・ニュルンベルク
1363年9月17日
4人の子女を儲ける バルニム3世の子。 ボギスラフ7世年長公 1355年以前 1372年-1404年 1404年 ポメラニア=シュテッティン 不明
1404年以前
子を儲けず シュヴィエントボル3世と共同統治。 カジミール4世 (ポメラニア公) 1351年 1374年-1377年 1377年1月2日 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ ケンナ・フォン・リタウエン
1360年
子を儲けず

マルガレーテ・フォン・マゾヴィーン
1368年/1369年
子を儲けず

死後、ポメラニア=シュトルプからポメラニア=シュトルプ=スタルガルトが分離した。 ボギスラフ8世偉大公 1364年ごろ 1377年-1418年 1418年2月11日 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ=スタルガルト ゾフィア・フォン・ホルシュタイン
1398年ごろ
2人の子女を儲ける ヴァルティスラフ7世の兄弟、シュトルプから分離したスタルガルトの初代公。 バルニム5世 1369年 1377年-1402年 1402年/1403年 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ=スタルガルト ヘートヴィヒ・フォン・リタウエン
1396年9月27日
1人の子女を儲ける 1402年まで兄のボギスラフ8世と共同統治。 ヴァルティスラフ7世 1363年/1365年 1377年-1394年/1395年 1394年/1395年 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ マリア・フォン・メクレンブルク=シュヴェリーン
1380年3月23日
1人の子女を儲ける ヴァルティスラフ6世隻眼公 1345年 1377年-1393年 1394年6月13日 ポメラニア=ヴォルガスト=バース アンナ・フォン・メクレンブルク=スタルガルト
1363年10月1日
4人の子女を儲ける 1377年、ヴォルガストから分離したバースの初代公爵になる。 ボギスラフ8世偉大公 1364年ごろ 1394年/1395年-1418年 1418年2月11日 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ ゾフィア・フォン・ホルシュタイン
1398年ごろ
2人の子女を儲ける ヴァルティスラフ7世の兄弟。 バルニム5世 1369年 1395年-1403年 1402年/1403年 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ ヘートヴィヒ・フォン・リタウエン
1396年9月27日
1人の子女を儲ける 1402年まで兄のボギスラフ8世と共同統治。 ヴァルティスラフ6世隻眼公 1345年 1393年-1394年 1394年6月13日 ポメラニア=ヴォルガスト アンナ・フォン・メクレンブルク=スタルガルト
1363年10月1日
4人の子女を儲ける 1393年に弟のボギスラフ6世が亡くなり、ポメラニア=ヴォルガストを再統一。 オットー2世 1380年ごろ 1413年-1428年 1428年3月27日 ポメラニア=シュテッティン アグネス・フォン・メクレンブルク=スタルガルト
1411年ごろ
子を儲けず シュヴィエントボル3世の子。 カジミール5世 1380年以前 1413年-1435年 1435年4月13日 ポメラニア=シュテッティン カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1420年ごろまたはそれ以前
3人の子女を儲ける

エリーザベト・フォン・ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン
1439年ごろまたはそれ以前
1人の子女を儲ける

弟オットー2世と共同統治。 バルニム6世 1365年ごろ 1393年-1405年 1405年9月22日 ポメラニア=ヴォルガスト フェローニカ・フォン・ホーエンツォレルン
1395年ごろまたはそれ以前
3人の子女を儲ける ヴァルティスラフ6世の子。 ヴァルティスラフ8世 1373年 1393年-1415年 1415年8月20日/23日 ポメラニア=ヴォルガスト アグネス・フォン・ザクセン=ラウエンブルク
1398年ごろまたはそれ以前
4人の子女を儲ける 兄のバルニム6世と共同統治。 ボギスラフ9世 1407年/1410年 1418年-1446年 1446年12月7日 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ(シュトルプとスタルガルト) マリア・フォン・マゾヴィーン
1432年6月24日
ポーゼン
2人の子女を儲ける アグネス・フォン・ザクセン=ラウエンブルク (摂政) 1373年以降 1415年-1417年/1425年 1435年 ポメラニア=ヴォルガスト ヴァルティスラフ8世
1398年ごろまたはそれ以前
4人の子女を儲ける バルニム8世、シュヴィエントボル4世、ヴァルティスラフ9世、バルニム7世の摂政。 ヴァルティスラフ9世 1400年ごろ 1417年/1425年-1457年 1457年4月17日 ポメラニア=ヴォルガスト ゾフィア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク
1420年
4人の子女を儲ける バルニム6世の子。 バルニム7世年長公 1390年 1417年/1425年-1450年 1450年9月22日 ポメラニア=ヴォルガスト 未婚 弟ヴァルティスラフ9世と共同統治。 バルニム8世若公 1405年と1407年の間 1425年-1451年 1451年12月15日と19日の間 ポメラニア=ヴォルガスト=バース アンナ・フォン・ヴンストルフ
1434年ごろまたはそれ以前
1人の子女を儲ける シュヴィエントボル4世平静公 1408年ごろ 1425年-1432年 1432年 ポメラニア=ヴォルガスト=バース 未婚 ポメラニア=シュテッティンの摂政会議:1435年-1443年 ヨアヒム1世若公 1424年 1435年-1451年 1451年10月4日 ポメラニア=シュテッティン エリーザベト・フォン・ブランデンブルク
1440年9月29日
1人の子女を儲ける カジミール5世の子。 マリア・フォン・マゾヴィーン (摂政) 1408年/1415年 1446年-1449年 1454年2月14日 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ(シュトルプとスタルガルト) ボギスラフ9世
1432年6月24日
ポーゼン
2人の子女を儲ける エリク1世の摂政。 エリク1世 1381年/1382年 1449年-1459年 1459年5月3日 ポメラニア=ヴォルガスト=シュトルプ(シュトルプとスタルガルト) フィリッパ・オブ・イングランド
1406年10月26日
ルンド
1人の子女を儲ける ヴァルティスラフ7世の子。カルマル同盟のノルウェー国王、デンマーク国王、およびスウェーデン国王。 エリク2世 1418年と1425年の間 1457年-1474年 1474年7月5日 ポメラニア=ヴォルガスト アンナ・ゾフィア・フォン・ポメラニア=シュトルプ
1451年
12人の子女を儲ける オットー3世 1444年5月29日 1460年-1464年 1464年9月7日 ポメラニア=シュテッティン 未婚 ヴァルティスラフ10世 1435年 1457年-1478年 1478年12月17日 ポメラニア=ヴォルガスト=バース エリーザベト・フォン・ブランデンブルク
1454年3月5日
2人の子女を儲ける

マグダレーナ・フォン・メクレンブルク=スタルガルト
1472年
子を儲けず

ヴァルティスラフ9世の子。 エリク2世 1418年と1425年の間 1464年-1474年 1454年7月5日 ポメラニア=シュテッティン アンナ・ゾフィア・フォン・ポメラニア=シュトルプ
1451年
12人の子女を儲ける ボギスラフ10世大公 1454年6月3日 1474年-1478年 1523年10月5日 ポメラニア=ヴォルガストとポメラニア=シュテッティン マルガレーテ・フォン・ブランデンブルク
1477年9月20日
プレンツラウ
子を儲けず

アンナ・ヤギェロンカ
1491年2月2日
シュテッティン
8人の子女を儲ける

ボギスラフ10世大公 1454年6月3日 1478年-1523年 1523年10月5日 ポメラニア マルガレーテ・フォン・ブランデンブルク
1477年9月20日
プレンツラウ
子を儲けず

アンナ・ヤギェロンカ
1491年2月2日
シュテッティン
8人の子女を儲ける

1478年、公国を再統一する。 ゲオルク1世 1493年4月11日 1523年-1531年 1531年5月10日 ポメラニア アマーリエ・フォン・バイエルン
1513年5月22日
シュテッティン
3人の子女を儲ける

マルガレーテ・フォン・ブランデンブルク
1530年1月23日
ベルリン
1人の子女を儲ける

ボギスラフ10世の子。 ボギスラフ11世 (ポメラニア公)
(統治せず) 1514年 1514年 1514年 ポメラニア 未婚 ゲオルク1世の子。夭折したため統治しなかったが、11世として数えられる。公国を統治した11人目のボギスラフはボギスラフ13世である。 バルニム9世敬虔公 1501年12月2日 1523年-1531年 1573年11月2日 ポメラニア アンナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1525年2月2日
シュテッティン
7人の子女を儲ける 兄のゲオルク1世と共同統治。 バルニム9世敬虔公 1501年12月2日 1531年-1569年 1573年11月2日 ポメラニア=シュテッティン アンナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1525年2月2日
シュテッティン
7人の子女を儲ける ボギスラフ12世
(統治せず) 1542年8月27日ごろ 1542年 1542年9月15日以前 ポメラニア=シュテッティン 未婚 バルニム9世の子。夭折したため統治しなかったが、12世として数えられる。ボギスラフ10世以降、実際に公国を統治したボギスラフは13世と14世のみである。 フィリップ1世敬虔公 1515年7月14日 1531年-1560年 1560年2月14日 ポメラニア=ヴォルガスト マリア・フォン・ザクセン
1536年2月27日
トルガウ
10人の子女を儲ける ゲオルク1世の子。 エルンスト・ルートヴィヒ平等公 1545年11月20日 1560年-1592年 1592年6月17日 ポメラニア=ヴォルガスト ゾフィア・ヘートヴィヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
1577年10月20日
ヴォルガスト
3人の子女を儲ける フィリップ1世の子。 ヨハン・フリードリヒ強健公 1542年8月27日 1560年-1569年 1600年2月9日 ポメラニア=ヴォルガスト エレオノーレ・フォン・ザクセン=アイゼナハ
1577年2月17日
シュテッティン
子を儲けず 弟のエルンスト・ルートヴィヒと共同統治。 ボギスラフ13世 (ポメラニア公)
(統治した公爵のみ数える場合はボギスラフ11世 1544年8月9日 1560年-1569年 1606年3月7日 ポメラニア=ヴォルガスト クララ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1572年9月8日
11人の子女を儲ける

アンナ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
1601年5月31日
子を儲けず

兄弟のエルンスト・ルートヴィヒとヨハン・フリードリヒと共同統治。 バルニム10世若公 1549年2月15日 1560年-1569年 1603年9月1日 ポメラニア=ヴォルガスト アンナ・マリア・フォン・ブランデンブルク
1581年1月8日
ベルリン
子を儲けず 兄のエルンスト・ルートヴィヒ、ヨハン・フリードリヒ、ボギスラフ13世と共同統治。 ヨハン・フリードリヒ強健公 1542年8月27日 1569年-1600年 1600年2月9日 ポメラニア=シュテッティン エレオノーレ・フォン・ザクセン=アイゼナハ
1577年2月17日
シュテッティン
子を儲けず バルニム10世若公 1549年2月15日 1600年-1603年 1603年9月1日 ポメラニア=シュテッティン アンナ・マリア・フォン・ブランデンブルク
1581年1月8日
ベルリン
子を儲けず 1600年、シュテッティンを継承。 ボギスラフ13世
(統治した公爵のみ数える場合はボギスラフ11世 1544年8月9日 1569年-1603年 1606年3月7日 ポメラニア=ヴォルガスト=バース クララ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1572年9月8日
11人の子女を儲ける

アンナ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
1601年5月31日
子を儲けず

1569年、ポメラニア=ヴォルガスト=バースとフランツブルクを獲得。フィリップ・ユリウスの家庭教師。1603年、ポメラニア=シュテッティンを継承。 フィリップ・ユリウス 1584年12月27日 1592年-1603年 1625年2月6日 ポメラニア=ヴォルガスト アグネス・フォン・ブランデンブルク
1604年6月25日
ベルリン
子を儲けず エルンスト・ルートヴィヒの子。 ボギスラフ13世
(統治した公爵のみ数える場合はボギスラフ11世 1544年8月9日 1603年-1606年 1606年3月7日 ポメラニア=シュテッティン クララ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1572年9月8日
11人の子女を儲ける

アンナ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
1601年5月31日
子を儲けず

1603年、ポメラニア=シュテッティンを継承し、子のフィリップ・ユリウスにバースとフランツブルクを譲る。 フィリップ・ユリウス 1584年12月27日 1603年-1625年 1625年2月6日 ポメラニア=ヴォルガスト (バースとヴォルガスト) アグネス・フォン・ブランデンブルク
1604年6月25日
ベルリン
子を儲けず エルンスト・ルートヴィヒの子。 バルニム10世若公 1549年2月15日 1569年-1603年 1603年9月1日 ポメラニア=シュテッティン=リューゲンヴァルデ アンナ・マリア・フォン・ブランデンブルク
1581年1月8日
ベルリン
子を儲けず 1569年、ポメラニア=シュテッティンから分割されたリューゲンヴァルデを獲得。 フィリップ2世敬虔公 1573年7月29日 1606年-1618年 1618年2月3日 ポメラニア=シュテッティン ゾフィー・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
1607年3月10日
トレプトー・アン・デル・レーガ
子を儲けず ボギスラフ13世の子。 ゲオルク2世 1582年1月30日 1603年-1617年 1617年3月27日 ポメラニア=シュテッティン=リューゲンヴァルデ 未婚 フィリップ2世、フランツ、ボギスラフ14世の兄弟。ボギスラフ14世と共同統治。 ボギスラフ14世社交公
(統治した公爵のみ数える場合はボギスラフ12世 1580年3月31日 1603年-1625年 1637年3月10日 ポメラニア=シュテッティン=リューゲンヴァルデ エリーザベト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
1615年
子を儲けず ボギスラフ13世の子。1606年から1617年まで、リューゲンヴァルデを弟ゲオルク2世と共有している。 フランツ 1577年3月24日 1618年-1620年 1620年11月27日 ポメラニア=シュテッティン ゾフィー・フォン・ザクセン
1610年8月26日
ドレスデン
子を儲けず フィリップ2世の弟。 ボギスラフ14世社交公
(統治した公爵のみ数える場合はボギスラフ12世 1580年3月31日 1620年-1625年 1637年3月10日 ポメラニア=シュテッティン (シュテッティンとリューゲンヴァルデ) エリーザベト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
1615年
子を儲けず 1620年、フランツがなくなると、ボギスラフ14世はポメラニア=シュテッティンを継承した。 ボギスラフ14世社交公
(統治した公爵のみ数える場合はボギスラフ12世 1580年3月31日 1625年-1637年 1637年3月10日 ポメラニア エリーザベト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
1615年
子を儲けず 1625年、フィリップ・ユリウスが亡くなり、ボギスラフ14世はポメラニア公国を再統一した。