大阪窯業セメントいぶき500形電気機関車 – Wikipedia

いぶき500形電気機関車(1999年10月17日、大井川鉄道千頭駅にて撮影)

大阪窯業セメントいぶき500形電気機関車(おおさかようぎょうセメントいぶき500がたでんききかんしゃ)は、かつて大阪窯業セメント(大阪セメントを経て現在の住友大阪セメント)が伊吹工場専用線で使用していた直流用電気機関車である。同専用線廃止後は大井川鉄道(現・大井川鐵道)に譲渡され、同社でED500形電気機関車となっている。

いぶき501が1956年(昭和31年)1月15日付で日立製作所水戸工場にて竣工し、いぶき502が同年2月6日付で同工場にて竣工した。50 t箱形機で、近江長岡駅から分岐していた伊吹工場専用線で使用されていた。形式名の「いぶき」は同専用線の名の由来になった伊吹山から取られたもので、車両中央に大阪セメントの「ライオン印」が掲げられていた。同線のセメント輸送が1999年(平成11年)6月末限りでトラックに切り替えられ廃線となったため、同年10月に大井川鉄道へ譲渡された。同社へは同年10月5日から同月6日にかけて輸送された。翌7日に新金谷車両区で構内試運転が行われた。同社で形式がED500形に改められた。

静態保存されていた当時の502

いぶき501は2000年(平成12年)2月22日[1]付でED501として竣工し、同月下旬に運用を開始。同年3月18日に新金谷駅で行われた出発式で、本格的に運用を開始した[2]。この際、「いぶき号運転開始 平成12年3月18日」と書かれたヘッドマークを装着し、往路では単機で客車3両を牽引し、復路ではE103とのプッシュプルで客車3両を牽引した。一方、いぶき502は同4月25日付でED502として竣工したが、大井川鉄道での営業運転実績はない。

2005年(平成17年)2月開港の中部国際空港埋立土砂輸送のため、2000年5月に三岐鉄道へ転出することとなった。ED501は貸与、ED502は譲渡されることが決定され[3]、同月18日に同社へ搬入され、同年6月10日付で竣工した。その後、三岐線での運用を開始した。

中部国際空港埋立土砂輸送終了後の2003年(平成15年)3月18日[4]、501は大井川鐵道(2000年10月に再編・改称)へ返却された[5]。同日、502は車籍を抹消され、西藤原駅構内での静態保存が開始されたが、2014年(平成26年)ごろに保々へ移され、2015年(平成27年)5月までに解体された。

主要諸元[編集]

  • 全長:12,600 mm
  • 全幅:2,700 mm
  • 全高:3,830 mm
  • 機関車運転整備重量:50.0 t
  • 電気方式:直流1500V(架空電車線方式)
  • 軸配置:B-B
  • 台車方式:組立台枠
  • 主電動機:HS277-Br-16形×4基
  • 歯車比:16:76 (1:4.75)
  • 1時間定格出力:600 kW
  • 1時間定格引張力:9,000 kg
  • 最大運転速度:65 km/h
  • 1時間定格速度:23.8 km/h
  • 動力伝達方式:1段歯車減速吊り掛け式
  • 制御方式:重連総括制御(三岐鉄道使用時)、抵抗制御、直並列2段組合せ制御
  • 制御装置:電磁空気単位スイッチ式
  • ブレーキ装置:EL14A空気ブレーキ、手ブレーキ、発電ブレーキ
  1. ^ 2月21日という説もある。
  2. ^ 2000年(平成12年)2月に本線試運転を開始し、同年3月18日に営業運転を開始したという説もある。
  3. ^ このため、ED502は大井川鉄道では2000年5月17日付で車籍を抹消された。
  4. ^ 3月24日という説や3月27日という説もある。
  5. ^ この際、「ライオン印」と車体裾の白帯が省略されている。

参考文献[編集]

  • イカロス出版『蒸気機関車EX』Vol.6
  • 交通新聞社『私鉄車両編成表 ’00年版』
  • 交通新聞社『私鉄車両編成表 ’01年版』
  • 交友社『鉄道ファン』2000年6月号
  • JTBパブリッシング『私鉄機関車30年』
  • JTBパブリッシング『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』
  • JTBパブリッシング『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』

外部リンク[編集]