安城市立高棚小学校 – Wikipedia

安城市立高棚小学校(あんじょうしりつ たかたなしょうがっこう)は、愛知県安城市高棚町にある公立小学校。

  • 高棚町全域が校区であり、公立中学校に進学する場合は安城市立安城西中学校に進学する。小学校までは、一番遠い新池分団の人で30分程度隣に家がある人もいる。登下校は、班で行動する。校庭には大きなポプラが埋まっており50年以上の歴史がある。学校の行事で米を育てたり、近くの稗田川の探検をする。稗田川といえば高浜市というイメージだが稗田川は高棚町の新道川、デンソー高棚工場と周りの田の排水で成り立っている。高棚町には、有名な偉人がおりそれは、昔高棚町が高棚村だった時近くを流れる明治用水(豊田、岡崎、安城、刈谷、西尾を流れる)の測量をした石川喜平と言う人がいる。4年生の授業で石川喜平について学ぶ[1]
  • 旧・碧海郡依佐美村の小学校であった。依佐美村の4つの小学校(小垣江小学校・野田小学校・半高小学校・高棚小学校)が存在したが、安城市に編入された高棚・井杭山・二本を校区とする高棚小学校が安城市に、他の3校は刈谷市の小学校となっている。
  • 1873年(明治6年) – 第56学区小学高棚学校として開校。空臨寺[注釈 1]を仮校舎とする。
  • 1881年(明治14年) – 空臨寺の隣接地に校舎を新築し、移転する。
  • 1882年(明治15年) – 愛知県碧海郡第64番小学高棚学校に改称する。
  • 1887年(明治20年) – 第2大学区第7番中学第74・75番小学高棚学校に改称する。校区は高棚村、榎前村、和泉村となり、和泉村に分教場を設置する。
  • 1889年(明治22年)10月1日 – 高棚村と榎前村が合併し、高棚村となる。
  • 1890年(明治23年)10月20日 – 高棚村から榎前村が分立する。
  • 1892年(明治25年) – 高棚尋常小学校に改称する。
  • 1897年(明治30年) – 現在の安城市高棚町郷181(高棚保育園の場所)に校舎を新築し、移転する。校区は高棚村、榎前村、和泉村、福釜村。和泉村の分教場を廃止する。
  • 1903年(明治36年) – 校舎を増築する。
  • 1906年(明治39年)5月1日 – 高棚村、小垣江村、野田村、半高村、榎前村の一部(井杭山)が合併し、依佐美村が発足する。
  • 1907年(明治40年) – 依佐美第二尋常高等小学校に改称する。校区は高棚、井杭山となる。
  • 1908年(明治41年) – 高等科を廃止し、依佐美第二尋常小学校に改称する。
  • 1913年(大正2年) – 雨天体操場が完成する。
  • 1917年(大正6年) – 高等科を設置し、依佐美第二尋常高等小学校に改称する。
  • 1921年(大正10年) – 校舎を増築する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 – 碧海郡依佐美村高棚国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 – 依佐美村立高棚小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 – 依佐美村が分割され、高棚、井杭山、二本木は安城市へ、半城土、高須、小垣江、野田は刈谷市に編入される。高棚小学校は安城市の小学校となり、安城市立高棚小学校に改称する。校区は高棚のみとなり、井杭山、二本木は安城市立中部小学校校区となる。
  • 1957年(昭和32年) – 現在地に校舎が完成し、移転する。
  • 1972年(昭和47年) – プールが完成する。
  • 1976年(昭和51年) – 新校舎(鉄筋コンクリート造2階建)が完成する。
  • 1977年(昭和52年) – 体育館が完成する。
  • 1982年(昭和57年) – 校舎(鉄筋コンクリート造3階建)が完成する。
  • 1985年(昭和60年) – 管理棟が完成する。

交通アクセス[編集]

周辺施設[編集]

  1. ^ 現在の愛知県安城市高棚町郷119にある寺院。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]