『微笑』(びしょう)は、横光利一の短編小説。横光の遺作で、晩年の傑作といわれることの多い作品である[1][2]。作者死後の1948年(昭和23年)、雑誌『人間』(第3巻第1号)1月号に掲載され、単行本は同年3月25日に斎藤書店より刊行された[3][4][5]。海軍の武器研究生に引き抜かれた数学の天才青年との出会いから、ある俳人が彼との心の交流、別れまでを綴った物語。敗戦の色濃い大東亜戦争末期の日本の焦燥を背景に、日本の絶対的勝利が確実となると信じ、光線照射兵器の夢を語る青年と、彼の美しい微笑に魅せられた俳人の心の軌跡が綴られ、戦中を真摯に生きた者たちの叙情が描かれている[6][2]。 「梶」という名前の横光利一自身らしき人物を主人公にした、いわゆる「梶もの」(神谷忠孝により名付けられた[7])の一つである。「梶もの」には他に、『厨房日記』『終点の上で』『恢復期』『罌粟の中』などがある[7]。 作品背景[編集] 登場人物の天才青年・栖方は、井伏鱒二の回想や[8]、鷲尾洋三の回想によると[9]、モデルとなった青年がいて、その科学者の手で進行しつつある「素晴らしい新兵器」の話を横光から聞かされたという[9][7]。横光の弟子の一人であった石川桂郎は、栖方のモデルを次のように指摘しつつも、その青年の話一切が虚偽であったことを回想している[10]。 「鶴」投句者である伊豆三郷と親しくつき合つていて、三郷の弟子に斎藤という帝大の学生がいた。俳号をたのまれて私は梓方と名付け親になつたが、その梓方は海軍少尉の軍服を着、短剣をさげていた。先生の晩年の小説「微笑」の主人公が梓方になるわけだが、彼はしきりと横光先生に会いたがつた。「微笑」を読んだ人達には説明するまでもないが、ある種の電光発射機を発明し、その光線に当たつた敵機、軍艦など一瞬にして破壊されるという。現に伊豆三郷たちの横須賀句会へあつまる人達の中に、海軍の高級事務官がいて梓方の発明の話に同調していたのだ。/いよいよその電光発射機が実物され、二階級特進の栄誉を得、天皇の御前でお言葉をいただいたと言い、二十歳そこそこの梓方が大尉の襟章をつけているのを私も見ている。(中略)丁度私の店へたずねてきた梓方を連れて、ある日、先生にお目にかかると、軍人らしい正しい礼のあと、いきなり、先生の表札がどれくらい盗まれましたか、私は四枚持つております、と放言し、つづいてアインシュタインの相対性原理について臆することなく先生と議論をかわす。(中略)梓方の案内で水交社へ車をとばし、特攻隊の特別食堂ではなかつたけれど将、佐官食堂で、柔かいビフステキのほか四五品、洋食が選ばれ、先生は日本酒、私達はビールを飲んだ。その夜先生を主賓の俳句会が催される氏家衛(俳号・英茸雨)宅へご案内すると、そこに思いもかけず吉屋信子氏がいて、先生は俄かに不機嫌になつた。(中略)梓方の話一切が嘘偽とわかつたのは終戦直前だつた。(中略)自己弁護になるが、終戦後、私はそのことで、梓方のことで横光先生を訪ね、お詫びしたことがある。/「みんな夢をみていたんですよ。しかし梓方君の、あの微笑を思い出して見給え、今日だつて僕達は一緒につられて笑いたくなる。ねえ君ィ、そうじやないですか……」/ひところ言われただけだつた。 — 石川桂郎 「回想の文学歴遊」 初出誌においては、GHQ/SCAPの検閲で大幅修正が入ると判断した雑誌編集者が、自己検閲を行なったために[11]、横光の直筆原稿とは違っているが、単行本では横光の原文どおりとなっている。これは事後検閲に推移したことによって、GHQ検閲官がすべてに目を通していなかった可能性が想定されている[12]。なお、同時収録の『厨房日記』は「不許可」と検閲されて、二・二六事件の勃発が欧米の植民地圧迫による影響があったと書かれている部分が、再版から削除改稿させられた[12]。また戦前から書き継がれた未完長編『旅愁』や、『夜の靴』も検閲され、「伏せ字は絶対に許されず、削除のあとをとどめないように訂正するよう」に強制改稿させられていたことが、当時の担当編集者の日記[13]やプランゲ文庫所蔵のゲラ刷りの存在から確認されている[12]。このことがあったことで『微笑』は、雑誌掲載時に編集者が自己検閲したのだという[11][12]。 あらすじ[編集] 晩春のある日、俳人の梶は、同じ俳人の高田から、弟子の青年へ色紙を書いてほしいと頼まれた。青年は俳号を「栖方」という21歳の帝大生で数学博士だった。その天才ぶりから横須賀の海軍へ研究生として引き抜かれ、特殊な光線武器の開発に携わり、常に海軍や憲兵に見張られ、その息抜きで高田の句会に参加しているらかった。梶は、暗い日本を救う一縷の希望の光にすがりたい思いで、その青年の訪問を待ちわびていたので、学生服でまだどこか腕白少年の面影の残す無邪気な栖方の懐かしいような美しい笑顔に魅了された。しかしこんなふうに明るく談笑する彼の父は左翼で投獄され、そのため代々勤皇家の母の実家が母子の籍を奪い返したという話を、梶は高田から聞いていた。両親が離婚していることが栖方のひそかな悩みであった。それは相反する父母の思想体系という、数学の排中律にも似た解決困難な問題だと、梶は思った。 栖方から零の観念やアインシュタインの相対性原理の間違いについての話を聞くうち、梶には栖方が狂人なのか孤独な天才なのかよくわからない思いがした。だが梶はその日以来、栖方の光線のことが気になり、もしそれが事実なら、戦争に勝っても負けても生命の危険にさらされるであろう彼の行末が心配になった。後日再び、栖方は海軍中尉の服装で梶を訪ね、今まで命の危険にさらされ、間一髪で一命をとりとめた話などもした。その十数日後、高田のところへ憲兵が現れ、栖方は発狂しているから彼の言うことは一切信用しないようにと注意をしに来た。梶は高田に、「あの青年も僕らも狂人としておこうじゃないですか。その方が本人のためにはいい」と言った。梶は今までの話がただの科学者の夢をだと思うと、空虚で残念でもあり、ほっとした安心もあり、辷り落ちていく暗さも感じた。2日後、梶のところへ栖方から手紙が来た。天皇陛下から拝謁の御沙汰があり、感涙で参内した報告だった。 そして翌日、一人で梶を訪ねた栖方は、狸穴にある水交社へ梶を食事に招待した。栖方は父島で新兵器の実験をして来た帰りだと言った。その話を聞くうちに、梶にはそれが真実味を帯びて迫ってきた。祖国の勝ちを望んでいるにもかかわらず、もしそんな新武器を悪人が手にした日には、事は戦争の勝ち負けのことでは済みそうもないと、梶は一抹の不安を覚え、相反する自分の中の排中律を思った。六本木へ向かう都電の中で、自分の尊敬する年上の職工を呼びつけにしなければならない苦痛を語る栖方は、梶にはとても狂人には思えなかった。水交社に着くと栖方は、恩賜の軍刀をもうじき僕も貰うんだと子供らしく言いながら梶を部屋へ案内した。将校たちは、日本の敗北の濃厚な状況に、みな沈んだ面持ちだった。食事を終え、水交社の中庭で栖方は、僕はこれから数学を小説のように書いてみたいと梶に言った。そして帰り道に栖方は、今まで死ぬことは恐くはなかったが、先日から急に死が恐くなって眠れなくなった、僕はもうちょっと生きていたい、と梶に打ち明けた。 秋風がたったころ、栖方の学位論文通過の祝賀句会が横須賀の技師の家で開かれ、梶も招かれた。庭の外には憲兵が見張っていた。その夜は二階に泊まり、梶の隣で酔って眠る栖方の臍が見えた。その臍は、「僕、死ぬのが何んだか恐くなりました」と呟く風に梶は感じた。その後、秋から激しくなった空襲で梶と栖方は会わなくなった。栖方の光線もついに現れなかった。高田の情報では、栖方はささいな理由で軍の刑務所に入れられ、技師は結婚した翌日に急病で死んだという。戦争が終わり、ある日新聞に技術院総裁談話として、わが国にも新兵器として殺人光線が完成されようとしていたことと、その発明者の青年が敗戦の報を聞くと同時に口惜しさのあまり発狂して死亡したと載っていた。梶は、祝賀会の帰り三笠艦を見物して横須賀駅で別れる時、栖方が、「では、もう僕はお眼にかかれないと思いますから、お元気で」と強く敬礼した姿を思い出した。 梶は栖方の美しかった初春のような微笑と思うと、見上げた空から落ちてくる一つの明晰判断にも似た希望を待ち望む心が、自ら定まって来るのが不思議だった。そして栖方が零の観念や排中律について語った言葉を思い出し、今でも彼がパッと笑って、廻転している扇風機を指差しては、こう人々に言いつづけているように思われた。「ほら、羽根から視線を脱した瞬間、廻っていることが分かるでしょう。僕もいま飛び出したばかりですよ、ほら」 登場人物[編集] 梶 有名な俳人。標札を盗まれることもある。妻がいる。 高田 俳人。梶の友人。弟子たちと句会を開く。 栖方
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