Month: March 2020

沖浜町 (福岡市) – Wikipedia

沖浜町(おきはままち)は、福岡県福岡市博多区の町名。現行行政地名は、沖浜町である。町内の港湾施設の総体としては「中央ふ頭」と呼ばれる。土地利用については、北部及び南東部において、旅客ターミナル、コンテナヤード、物流倉庫などの港湾施設が集積し、南西部において、町内のマリンメッセ福岡が、近接する福岡国際会議場(石城町)、福岡サンパレス(築港本町)及び福岡国際センター(築港本町)とともに、コンベンションセンターの大規模な集積地の一部を構成している。面積は約39ヘクタール。2021年6月末現在の人口は23人[1]。郵便番号は812-0031。 福岡市の中心とされる中央区天神の北側、博多区の北西端で、海に面する地域に位置する。町内全域が1937年(昭和12年)から1995年(平成7年)にかけて海面の埋立によって造成された埠頭である。南西、北西及び北東で博多湾に面して岸壁等を形成し、南東で石城町と、南西の一部で築港本町と隣接する。また南西は那珂川の河口部(港湾区域)を介して那の津(須崎ふ頭)に面し、北東は御笠川の河口部(港湾区域)を介して東浜(東浜ふ頭)に面する。 都市計画[編集] 都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[2]において、沖浜町を含む中央ふ頭と隣接する博多ふ頭、天神周辺、博多駅周辺を核とした一体の地域が都心部として位置付けられている。用途地域は、全域が準工業地域に指定されている。また、都市計画法及び港湾法に基づく臨港地区にも指定されている。さらに、沖浜町の一部に石城町及び築港本町の各一部を加えた区域約16.8ヘクタールの地区については、地区計画の区域として「中央ふ頭地区地区計画」[3]が定められ、展示場、ホテル、会議場等のコンベンション関連施設の立地などにより、ウォーターフロントの交流拠点にふさわしい市街地の形成等を図ることが目標とされている。 交通に関しては、公共交通機関としてはバス及び船舶がある。 鉄道[編集] 鉄道は通っていない。最寄りの駅は福岡市交通局が運営する福岡市地下鉄箱崎線の呉服町駅であり、距離は道程で約2キロメートルである。呉服町駅附近のバス停から沖浜町(中央ふ頭、博多港国際ターミナル)へ向かうバスの便が多い。 バス[編集] バスについては、西日本鉄道が運営するバスが運行しており、次の停留所がある。一部の路線ではBRTも運行されている。 マリンメッセ前 博多港国際ターミナル 中央ふ頭 国際航路[編集] 国際航路には、博多港(「博多港国際ターミナル」)と釜山港(大韓民国釜山市)とをつなぐ航路として、次の船舶がある。また、「中央ふ頭クルーズセンター」では国際クルーズ客船の発着がある。 道路[編集] 主な幹線道路は次の通り。 博多港国際ターミナル 中央ふ頭クルーズセンター マリンメッセ福岡 (左:A館、右:B館)

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バーゼルIII – Wikipedia

バーゼルIII (バーゼルスリー、第3次バーゼル合意またはバーゼル基準、英語: Basel III)は、銀行の自己資本規制比率、ストレステスト、市場流動性リスクに関する、グローバルであるが各国の裁量に任される規制の枠組みである。第三回目となるバーゼル合意であり、(バーゼルI(英語版) 、バーゼルIIを参照)2007年から2008年にかけて起こった金融危機で明るみに出た金融規制の欠陥への対応として開発された。銀行の流動性の向上、銀行のレバレッジの低減を図るため、銀行の自己資本規制を強化することを目的とする。 バーゼルIIIは、2010年11月にバーゼル銀行監督委員会の加盟国間で合意され、2013年から2015年までに導入される運びとなっていた。ただし、実施は2019年3月31日に繰り返し延長され、その後2023年1月1日までに再延長された[1][2][3]。 バーゼルIIIの基準の狙いは、銀行の自己資本規制比率に関するバーゼルIIで定められた要件を強化することである。加えて流動資産の保有と資金調達の安定性に関する要件を導入し、それによって取り付け騒ぎのリスクを軽減しようとしている。システム上重要な金融機関という概念に加えて、バーゼルIIIもマーク・カーニーの構想によるものであった。 主な方針[編集] CET1自己資本比率規制[編集] 当初、2010年のバーゼルIII規則では、各行はリスク加重資産(Risk Weighted Assets; RWA) のうち、4.5%は普通株式(バーゼルIIの2%から増加)で資金を調達する必要があった。 2015年以降、銀行は普通株式等Tier1(Common Equity Tier 1; CET1)比率を常に4.5%以上に維持する必要がある[4]。当比率の計算方法は以下の通り。 CET1RWAs≥4.5%{displaystyle

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叙州 – Wikipedia

叙州(じょしゅう)は、中国にかつて存在した州。北宋から元代にかけて、現在の四川省宜賓市一帯に設置された。 1114年(政和4年)、北宋により戎州は叙州と改称された。叙州は潼川府路に属し、宜賓・南渓・宣化・慶符の4県を管轄した[1]。 1281年(至元18年)、元により叙州は叙州路と改められた。叙州路は四川等処行中書省に属し、宜賓・南渓・宣化・慶符の4県と富順州・高州の2州を管轄した[2]。 1373年(洪武6年)、明により叙州路は叙州府と改められた。叙州府は四川省に属し、直属の宜賓・南渓・慶符・富順・長寧・興文・隆昌の7県と高州に属する筠連・珙の2県、合わせて1州9県を管轄した[3]。 清のとき、叙州府は四川省に属し、宜賓・南渓・慶符・富順・長寧・興文・隆昌・屏山・高・筠連・珙の11県と馬辺庁・雷波庁の2庁を管轄した[4]。 1913年、中華民国により叙州府は廃止された。 ^ 『宋史』地理志五 ^ 『元史』地理志三 ^ 『明史』地理志四 ^ 『清史稿』地理志十六 表 話 編 歴 宋朝の行政区分  

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佐賀県立三養基高等学校 – Wikipedia

佐賀県立三養基高等学校(さがけんりつ みやきこうとうがっこう)は、佐賀県三養基郡みやき町原古賀に所在する公立の高等学校。進学校でありながら、部活動では剣道の強豪校でもある。 文部科学省の学力向上フロンティアハイスクールに指定されており、英語に力を入れている。 歴史 1919年(大正8年)に佐賀県立佐賀中学校の分校として設置され、翌1920年(大正9年)に独立。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校となった。全日制農業科、家政科、普通科国際文化コースや定時制普通科、三川分校が存在した時期もあるが、現在では全日制課程普通科のみである。独立した1920年(大正9年)を創立年としており、2015年(平成27年)には創立95周年を迎えた。 設置課程・学科 全日制課程 普通科(定員1学年あたり200名(5学級)) 校訓 「質実剛健」、「文武心三道一如」、「念ずれば花開く」 校章 3本の矢を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。 校歌 歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。校歌としては珍しく、歌詞の中に掛け合いがある。また、校歌と別に応援歌がある。 入学試験 前期試験と後期試験を取り入れている。 1919年(大正8年)10月27日 – 佐賀県三養基郡中原村に「佐賀県立佐賀中学校 三養基分校」として設置される。

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モスクワ音楽院 – Wikipedia

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2019年5月) ポータル クラシック音楽 モスクワ音楽院(正式名称: チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院、ロシア語: Московская государственная консерватория имени П. И. Чайковского、英語: Moscow Tchaikovsky Conservatory)は、ロシアの音楽教育機関。パリ音楽院、ジュリアード音楽院と並ぶ世界三大音楽院の一つ。 モスクワ音楽院のボリショイ・ザール 目次 1 歴史 2 近況

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テムズ・スクラマサクス – Wikipedia

座標: 北緯51度29分03秒 西経0度08分38秒 / 北緯51.484202度 西経0.143874度 / 51.484202; -0.143874 ベアグノズのサクス 大英博物館に展示されているベアグノズのサクス 材質 鉄に銅、真鍮、銀の象嵌。 寸法 全長72.1 cm (28.4 in)幅 38.7 mm (1.52 in)柄の長さ 8.2 mm (0.32 in)

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ボヴァリー夫人 (2014年の映画) – Wikipedia

『ボヴァリー夫人』(原題:Madame Bovary)は2014年に公開されたアメリカ合衆国・ドイツ・ベルギー合作のドラマ映画である。監督はソフィー・バルテス、主演はミア・ワシコウスカが務めた。本作はギュスターヴ・フローベールが1856年に発表した小説『ボヴァリー夫人』を原作としている。 18歳のエマは父親の薦めで医者のシャルルと結婚することになった。ところが、田舎町での生活は退屈極まるものであり、エマが思い描いていた楽しい日常とはほど遠いものであった。しかも、シャルルは仕事熱心なあまりエマを気にかけようとしなかった。そんなある日、エマはレストランの店員(レオン)から言い寄られ、満更でもない気分になったが、結局は金持ちの侯爵と不倫することにした。侯爵との関係を通して華やかな世界を垣間見たエマは「自分もあの世界の一員になりたい」という思いを強くし、借金をしてまで彼らと同じ服装をするようになった。これが原因でエマは転落することになる。 キャスト[編集] 2012年3月30日、ミア・ワシコウスカが本作に出演するとの報道があった[3]。5月10日、エズラ・ミラーの出演が決まったと報じられた[4]。10月、リス・エヴァンスが起用された[5]。2013年9月30日、ローガン・マーシャル=グリーン、ローラ・カーマイケル、オリヴィエ・グルメがキャスト入りした[6]。同月、本作の主要撮影がフランスのノルマンディーで始まった[6][7]。2015年6月12日、オーガスト・レコーディングスが本作のサウンドトラックを発売した[8]。 マーケティング・興行収入[編集] 2013年10月31日、本作の劇中写真が初めて公開された[9]。2014年8月30日、本作はテルライド映画祭でプレミア上映された[10]。9月9日、ミレニアム・エンターテインメントが本作の全米配給権を獲得したとの報道があった[11]。10日、第39回トロント国際映画祭で本作の上映が行われた[12]。2015年1月29日、本作のオフィシャル・トレイラーが公開された[13]。2015年6月12日、本作は全米15館で限定公開され、公開初週末に2万841ドル(1館当たり1389ドル)を稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場47位となった[14]。 本作に対する批評家の評価は平凡なものに留まっている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには68件のレビューがあり、批評家支持率は43%、平均点は10点満点で5.68点となっている。サイト側による批評家の見解の要約は「原作小説は映画化が極めて難しい作品であるというのが定説だが、残念なことに、『ボヴァリー夫人』はその定説の正しさをまたしても証明してしまった。」となっている[15]。また、Metacriticには19件のレビューがあり、加重平均値は52/100となっている[16]。 ^ “ボヴァリー夫人”. 映画.com. 2020年4月28日閲覧。 ^ “Madame Bovary (2015)”. The Numbers. 2020年4月28日閲覧。

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ビーツ・エレクトロニクス – Wikipedia

ビーツ・エレクトロニクス(英: Beats Electronics)は、アメリカのオーディオ機器のブランド。 本社はアメリカ合衆国・カリフォルニア州サンタ・モニカ[1]。従業員は300名で、2013年の総売り上げは15億ドル。 会社を設立したのは音楽プロデューサーでラッパーのドクター・ドレーと、インタースコープ・レコードの創業者であるジミー・アイオヴィン(英語版)。さらにトレント・レズナーが、チーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めている。 一時期は、台湾のスマートフォンメーカーであるHTCが大半の株券を持っていたが、2012年に出資比率を25%に低減し2013年に残りの株式を売却した。同時にカーライル・グループは、少数株主としてHTCに替わった[2]。 ビーツの製品は、ヘッドフォンやスピーカーのブランドになっており、ブランド名は『Beats by Dr. Dre(ビーツ・バイ・ドクター・ドレー)』。特にヘッドフォンは世界的に有名であり、アスリートやミュージシャンなどを中心に愛用者は数多く存在する。また、音質としては低音(英語版)を強調している。 2008年から2012年までは、モンスター・ケーブルがすべてのビーツ製品のデザイナーを務めた。その後はビーツ・エレクトロニクス内部で生産している。また、自社製品に使用するため他の企業のオーディオ技術のライセンスを取得し、オンライン音楽「ビーツ音楽サービス」を2014年に開始した。2014年5月28日にAppleは、2014年末までに、現金と株式の合計30億ドル(約3,000億円)でビーツを買収した[3]。 2008年 2009年 Beats TourとBeats Soloをリリース。 米国の歌手レディー・ガガが製作に参加した製品HeartBeatsをリリース。 iBeatsをリリース。 米国の歌手のディディが製作に参加した製品DiddytBeatsをリリース。 Beats

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サクラメント 死の楽園 – Wikipedia

『サクラメント 死の楽園』(原題:The Sacrament)は2013年に公開されたアメリカ合衆国のホラー映画である。監督はタイ・ウェスト、主演はAJ・ボーウェンが務めた。本作のストーリーは1978年に人民寺院が引き起こした集団自殺事件を基にしている[3]。 ストーリー[編集] カメラマンのパトリックは妹(キャロライン)から「エデン教区という新興宗教を取材してはどうか。エデン教区はドラッグを自由に使える理想郷を建設しようとしている教団だ。興味があるなら紹介したい。」というメールを受け取った。エデン教区の「理想郷」へと向かったパトリックだったが、そこには誰もいなかった。教団はヘリコプターでしか辿り着けない険阻な場所にコミュニティを移転したのだという。教団にますます興味を引かれたため、パトリックは同僚2人(サムとジェイク)の協力を得て彼に関するドキュメンタリーを撮影することにした。一行は意気揚々と「理想郷」へ向かったが、その道中、ヘリコプターのパイロットから「貴方たちに何かあったとしても、私は明日ここを離れます」と強く言われた。飛行場に着陸した後、一行はいきなり揉め事に遭遇した。「理想郷」の人々は「パトリックさんが一人で来ると思ったから、入村を特別に許可したんですよ」と言い始め、撮影チームの入村に難色を示したのである。しかし、彼らの指導者、アンダーソンから許可が下りたため、一行は入村することができた。 「理想郷」のゲートに到着した一行だったが、武装した門番がなかなか通してくれなかった。ジェイクとサムは「厄介な場所に来てしまった」と内心後悔していたが、パトリックは特に気にしていなかった。ほどなくして、そこにキャロラインがやって来て、彼女の口添えのお陰で一行はゲートをくぐることができた。キャロラインは撮影チームを歓迎すると共に、手違いによって入村に時間がかかったことを詫びた。休息を取った後、ジェイクとサムは村人にインタビューを試みた。村人は意外にも2人に協力的で、アンダーソンや「理想郷」の素晴らしさを熱心に語ってくれた。「理想郷」で看護師を務めるウェンディは「この村には医療物資が豊富にあるんですよ。村人の皆さんは村に全財産を寄付する決まりなので、予算は潤沢なのです」と2人に説明した。 村人たちが幸福に暮らしている様子を眺めながらも、撮影チームは違和感を覚えていた。キャロラインはサムがアンダーソンにインタビューできるよう手配してくれたが、アンダーソンは1対1のインタビューには応じようとせず、信者たちの目の前でインタビューするよう求めてきた。サムはやむなくその要求を呑んだが、インタビューが進むにつれてアンダーソンの言葉は徐々に過激なものになっていった。最後の方になると、サムはアンダーソンの剣幕に押され、会話の主導権をすっかり失っていた。感動した信者たちはアンダーソンに惜しみない拍手を送り、そのままパーティーに突入した。 パーティーの最中、耳の不自由な女の子(サヴァンナ)がサムにメモ書きを渡してきた。そこには「助けて」とだけ書かれていた。不審に思った撮影チームが秘密裏に調査したところ、アンダーソンに異を唱えた人たちが暴力によって洗脳されているという事実を突き止めた。ジェイクは「一刻も早くこの村から立ち去りたい」と言ったが、サムは「ヘリコプターが自分たちを置いて帰ったとしても、苦しむ人々を置き去りにするわけにはいかない」と強く主張し、ジェイクが折れることとなった。その後、2人がパトリックを探しに行くと、彼は乱交に興じていた。呆気にとられる2人に対し、キャロラインは「兄さんからお金を得るにはこうするしかなかった」と釈明した。「理想郷」への不信感を募らせた2人は眠らずにその日の夜を過ごした。 翌朝、ある出来事をきっかけに、アンダーソンは恐ろしい決断を下すのだった。 キャスト[編集] 2012年9月6日、イーライ・ロスがタイ・ウェスト監督の新作映画のプロデューサーに就任したと報じられた[4]。ロス自身も映画監督ではあったが、ウェスト監督に全幅の信頼を置いており、演出に口を出すようなことはなかったという[5]。10月29日、主要キャストが発表された[6]。2013年8月3日、タイラー・ベイツが本作で使用される楽曲を手掛けるとの報道があった[7]。2014年5月6日、ミラン・レコーズが本作のサウンドトラックを発売した[8]。 公開・興行収入[編集] 2013年9月3日、本作は第70回ヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映された[9]。8日、第38回トロント国際映画祭で本作の上映が行われた[10]。18日、マグネット・リリーシングが本作の全米配給権を獲得したと報じられた[11]。2014年2月21日、本作のオフィシャル・トレイラーが公開された[12]。6月6日、本作は全米1館で限定公開され、公開初週末に583ドルを稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場101位となった[13]。 本作は批評家から好意的に評価されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには70件のレビューがあり、批評家支持率は64%、平均点は10点満点で5.86点となっている。サイト側による批評家の見解の要約は「ストーリーの進むスピードが遅すぎると感じる人もいるかもしれない。しかし、『サクラメント 死の楽園』の緊迫した雰囲気とよく練られたアイデアは目の肥えたホラーマニアを満足させられるレベルにある。」となっている[14]。また、Metacriticには21件のレビューがあり、加重平均値は49/100となっている[15]。 外部リンク[編集]

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新城島 – Wikipedia

沖縄本島と八重山列島の位置図 新城島(あらぐすくじま)は、沖縄県八重山郡竹富町に属する八重山諸島の島。上地島(かみじじま[3]、かみぢじま[1][4])及び下地島(しもじじま[3]、しもぢじま[1][4])の2つの島の総称である。 離れた2つの島からなることから、八重山方言で「離れ」を意味するパナリまたはパナリ島とも呼ばれる[4][5][6]。なお、下地島については、宮古列島(沖縄県宮古島市)にも同名の下地島が存在する。 新城島は、西表島の南東約7km、石垣島の南西約23kmの石西礁湖に位置する[7]。上地島と下地島からなり、2島の間は約420mある[7]が、東側はリーフで繋がっており、大潮の干潮時にはリーフの一部が水面上に現れて、歩いて渡ることができる[8]。 上地島は、東北から南西方向に細長く延びた島で、同方向の長さが約2.5km、最大幅が約0.7km[8]。大部分は森で覆われている。集落は西海岸中部にあり、2001年時点で26戸の家屋が残っていた[6]が、常時住んでいる人口は10人未満である[9]。 下地島は、南北方向約1.3km、東西方向約1.5kmの略半円形の島である[8]。集落は現存しない[3]。かつての集落は北部に位置していた。現在は牧畜業が営まれ、外周部の森と海岸以外は全体が肉用牛の牧場になっている。下地島に滞在しているのは牧場の管理人のみである。 自然[編集] 全域が西表石垣国立公園に含まれる。 島周辺は、かつての南西諸島におけるジュゴンの最大の生息地の一つであったとされる。新城島ではジュゴンの捕獲が許可され、その干し肉を人頭税の一部として琉球王府に献納していた[10]。現在では沖縄本島近海以外ではジュゴンは絶滅したと考えられているが、新城島近海での目撃例もある[注 1]。 八重山列島の他の島と同様に、野生化したインドクジャクが繁殖していたが、2006年から2009年にかけて集中的に駆除された[12][13]。 人口[編集] 住民基本台帳人口(各年3月31日時点)[14] 年度 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年

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