東京芸術大学 – Wikipedia

東京藝術大学(とうきょうげいじゅつだいがく、英語: Tokyo University of the Arts)は、東京都台東区上野公園12番8号に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は藝大、東京芸大(東京藝大)、TUA。

国立大学法人法(および旧国立大学設置法)に基づく法的な正式名称は東京術大学である。一方、大学側では届け出以前から使用していた旧字体のも通称として使用している。

2008年(平成20年)4月1日から、英語表記をそれまでの Tokyo National University of Fine Arts and Music (TNUFAM) から、Tokyo University of the Arts (TUA) に変更した[1]

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歴史・特色[編集]

本学は1949年(昭和24年)5月、前身の東京美術学校 (旧制)と東京音楽学校 (旧制)が統合して設立[2]された大学である。旧制時代も含めると、日本の芸術系大学の中でも最高峰と位置付けられている[3]

2004年(平成16年)4月1日に国立大学法人法の制定および国立学校設置法の廃止により、これまで国の機関の一部であった大学は法人格を取得して「国立大学法人東京芸術大学」となり、同時に東京芸術大学を設置。

きめ細かな少人数教育を通じて、国内外の第一線で活躍する数多の芸術家や教育者、研究者を育成・輩出している[4]

日本国内では現在に至るまで一般的に「芸大」の呼称で社会的に認知され、通用している[3]

前身[編集]

東京美術学校[編集]

1885年(明治18年)に文部省の図画調査会において官立美術学校の設立が提案され、アーネスト・フェノロサ、岡倉天心、狩野芳崖等が中心となって「図画取調掛」が設立される。

その後1887年(明治20年)10月4日に「東京美術学校」と改称、1889年(明治22年)2月に現在の上野校地(旧教育博物館跡)に移転し、授業を開始した。当初は日本画、木彫、工芸の三科で、後に西洋画科、建築科などが設置された。「東京藝術大学」開学の2年後(1952年(昭和27年))に閉校。

東京音楽学校[編集]

1878年(明治11年)、伊沢修二は、目賀田種太郎と連名で音楽教育の意見書を文部大臣に提出。1879年(明治12年)、文部省に伊沢修二を御用掛とする音楽取調掛が設立され、日本の音楽教育に関する諸調査等を目的とした。

翌年以降、東京師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)生や東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)生への音楽教育を行う教員の育成を行い、音楽専門教育機関の役割を果たすようになった。その後、数回の名称変更を経て、1887年(明治20年)10月4日に「東京音楽学校」と改称される。1890年5月12日には新校舎(現在の旧東京音楽学校奏楽堂が含まれていた校舎)が現在の奏楽堂の位置に落成された。

また1893年(明治26年)に、一時東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の附属学校となったが、1899年(明治32年)に独立。数回に渡る機構改革を経て「東京藝術大学」開学の2年後(1952年(昭和27年))に閉校した。

年表[編集]

  • 1949年(昭和24年)5月31日 – 新制大学東京芸術大学が創立。東京美術学校、東京音楽学校を包括。
  • 1950年(昭和25年)4月 – 音楽学部に邦楽科を設置。
  • 1951年(昭和26年)4月 – 大学別科(音楽)を設置。
  • 1952年(昭和27年)3月 – 国立学校設置法の改正により、東京美術学校・東京音楽学校を廃止。
  • 1954年(昭和29年)4月 – 美術専攻科および音楽専攻科を設置、音楽学部附属音楽高等学校を東京都千代田区神田駿河台に設置。
  • 1963年(昭和38年)4月 – 大学院美術研究科、音楽研究科(修士課程)を設置。
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月 – 美術学部附属古美術研究施設を奈良市に設置。
    • 7月 – 入試の一次学力試験に代わり能研テスト(知能検査)導入を決定[5]
  • 1970年(昭和45年)4月 – 芸術資料館を設置。
  • 1973年(昭和47年)4月 – 保健管理センターを設置。
  • 1975年(昭和50年)4月 – 美術学部工芸科を改組し、工芸科とデザイン科を設置、言語・音声トレーニングセンターを設置。
  • 1976年(昭和51年)5月 – 美術学部附属写真センターを設置。
  • 1977年(昭和52年)4月 – 大学院美術研究科、音楽研究科に博士後期課程を設置。
  • 1982年(昭和57年)8月 – 栃木県に那須高原研修施設を設置。
  • 1987年(昭和62年)3月 – 茨城県に取手校地取得、旧奏楽堂が上野恩賜公園内に復元完成。
  • 1988年(昭和63年)4月 – 留学生センターを大学の内部組織として設置。
  • 1991年(平成3年)10月 – 取手校地を開設。
  • 1994年(平成6年)10月 – 新奏楽堂の新営工事を開始。
  • 1995年(平成7年)4月 – 大学院美術研究科に、独立専攻として文化財保存学専攻を設置、音楽学部附属高等学校を上野校地に移転。
  • 1996年(平成8年)3月 – 千葉県松戸市に国際交流会館を設置。
  • 1997年(平成9年)4月 – 演奏芸術センターを設置。
  • 1998年(平成10年)
    • 3月 – 新奏楽堂が完成。
    • 4月 – 大学美術館を設置(芸術資料館の転換)。
  • 1999年(平成11年)
    • 4月 – 美術学部の既設学科を改組し、先端芸術表現科を取手校地に設置。
    • 7月 – 新奏楽堂内にパイプオルガンを設置。
  • 2000年(平成12年)4月 – 情報処理センター(芸術情報センター)を設置。
  • 2001年(平成13年)4月 – 副学長の設置、事務局・学生部事務一元化。
  • 2002年(平成14年)4月 – 取手校地に附属図書館取手分室を設置。音楽学部の既設学科を改組し、音楽環境創造科を取手校地に設置。
  • 2003年(平成15年)4月 – 大学院美術研究科(修士課程)に先端芸術表現専攻を設置。
  • 2004年(平成16年)4月 – 国立大学法人化され、国立大学法人東京芸術大学となる。音楽学部附属音楽高等学校が創立50周年を迎える。
  • 2005年(平成17年)4月 – 神奈川県に横浜校地を開設、大学院映像研究科(修士課程)映画専攻を設置。各キャンパスと関連施設等にIP電話を導入。
  • 2006年(平成18年)
    • 4月 – 大学院映像研究科(修士課程)にメディア映像専攻を設置 、大学院音楽研究科(修士課程)音楽学専攻を改組し、音楽文化学専攻を設置。
    • 9月 東京都足立区に千住校地を開設、大学院音楽研究科音楽文化学専攻の一部と音楽学部音楽環境創造科を千住校地に移転。
  • 2007年(平成19年)4月 – 創立120周年を迎える。大学院映像研究科に博士後期課程を設置。社会連携センターを設置。
  • 2008年(平成20年)4月
    • 大学院音楽研究科(博士後期課程)音楽専攻内に音楽音響創造研究分野・芸術環境創造研究分野を設置。
    • 音楽学研究領域を音楽文化学研究領域に改組。
    • 大学院映像研究科にアニメーション専攻を設置。
  • 2010年(平成22年)5月 – 社会連携センターを学内教育研究組織として整備。
  • 2014年(平成26年)9月 – スーパーグローバル大学創成支援事業に採択。
  • 2016年(平成28年)
  • 2018年(平成30年)
    • 4月 大学院国際芸術創造研究科に博士後期課程(アートプロデュース専攻)を設置。
    • 10月
      • 芸術作品の展示や教職員・学生・卒業生の作品販売を行う「藝大アートプラザ」を開業(小学館との協業)[6]
      • 2019年度より学費の値上げを発表[7]

基礎データ[編集]

所在地[編集]

  • 上野キャンパス(東京都台東区上野公園)
  • 取手キャンパス(茨城県取手市小文間)
  • 千住キャンパス(東京都足立区千住)
  • 横浜キャンパス

徽章[編集]

アカンサス (acanthus spinosus) の葉[8]の輪郭を模様化した中に「芸大」の文字を収めたもの。

美術学部と音楽学部が統合されて芸大となった1949年以降、新しい徽章を定める必要が生じたため、校内のコンペから選ばれた。美術学部工芸科鋳金部の清水廣によるもの。(清水廣は清水九兵衛として彫刻を主として活躍)

現在、美術学部(絵画科、彫刻科、工芸科、建築科、デザイン科、先端芸術表現科、芸術学科)と、音楽学部(作曲科、指揮科、声楽科、器楽科、邦楽科、楽理科、音楽環境創造科)の2学部14学科と、大学院の美術研究科、音楽研究科、映像研究科が置かれている。

永らく「美術」と「音楽」の二学部のみであったが、2005年4月に大学院映像研究科を設置し、映像芸術(映画・アニメーション)や舞台芸術(演劇・舞踊)までを包括した総合芸術大学への改革を進めている。

これまでに国内外で活躍する芸術家、演奏家、作曲家、研究者、教育者を数多く輩出している。

実技の科[9]の試験にあっては実技試験を最も重視する。受験者倍率は、科により毎年数十倍に達するものの、近年の少子高齢化を受けて全体的には減少傾向にある。

教育および研究[編集]

学部[編集]

美術学部[編集]

音楽学部[編集]

この他に早期音楽教育を目標に掲げた以下の教育プログラムが2014年より順次開始されている。

  • 早期教育プロジェクト (EEP)(2014年度より開始)
  • 東京藝大ジュニア・アカデミー(2017年度より開始)
  • スペシャルソリストプログラム (SSP)(2016年度より開始)

研究科[編集]

美術研究科[編集]

美術研究科には「東京藝術大学の講座に関する規則」によると、講座として、保存修復、保存科学がある。いずれも博士講座。このほか、美術学部の項で列挙した講座も教育・研究に当たる。

  • 修士課程[32]
    • 絵画専攻
    • 彫刻専攻
    • 工芸専攻
    • デザイン専攻
      • 研究分野:デザイン[45]
    • 建築専攻
      • 研究分野:建築設計[46]、環境設計[47]、構造計画[48]、建築理論[49]
    • 先端芸術表現専攻
      • 研究分野:先端芸術表現[50]
    • 芸術学専攻
    • 文化財保存学専攻
      • 研究分野:保存修復[57]、保存科学[58]、システム保存学[59]
    • グローバルアートプラクティス専攻
  • 博士後期課程
    • 美術専攻[60]
    • 文化財保存学専攻
      • 研究領域:文化財保存学(保存修復[69]、保存科学[70]、システム保存学[71]

音楽研究科[編集]

音楽研究科

  • 修士課程[72]
  • 博士後期課程

映像研究科[編集]

学部を持たない独立した大学院である。修士課程と博士課程が置かれており、2005年に設置された映画専攻を始め、メディア映像専攻、博士課程の設置を経て、2008年にはアニメーション専攻が設置された[83]

  • 修士課程[84]
    • 映画専攻(2005年度開設)
      • 研究分野:映画表現技術(領域:監督、脚本、プロデュース)、映画制作技術(領域:撮影照明、美術、サウンドデザイン、編集)
    • メディア映像専攻(2006年度開設)
      • 研究分野[85]:構造表現(領域:メディアデザイン、メディアアート)、構造設計(領域:メディア技術、メディア研究)
    • アニメーション専攻(2008年度開設)
      • 研究分野:研究・理論(領域:研究・理論)、創造表現(企画制作、立体アニメーション、平面アニメーション)
  • 博士後期課程(平成19年度開設)
    • 映像メディア学専攻[86]
      • 研究領域:映像メディア

国際芸術創造研究科[編集]

  • 修士課程
    • アートプロデュース専攻

大学別科(音楽学部)[編集]

1951年に設置された、音楽に関する技能を教授する2年制のコースである。個人指導による授業が展開されている[87]

  • 専修:声楽、器楽(ピアノ、オルガン、弦楽器、管打楽器、古楽)、指揮 邦楽

芸術研究院(教員組織)[編集]

  • 芸術表現学系
    • 純粋美術表現領域
    • 総合美術表現領域
    • 音楽表現領域
    • 映像制作領域
    • 映像技術領域
  • 芸術理論学系
    • 美術理論領域
    • 音楽理論領域
    • アートプロデュース領域
  • 芸術資源学系
    • 文化財保存修復領域

主な研究室[編集]

油画技法材料研究室[編集]

美術学部(絵画専攻)に属し、絵画の材料と技術の側面から、実技・講義・演習を通して油画の定義、成立と発展についての教育や研究を行う。ゼミナールの内容は学生の制作および発表、フラ・アンジェリコなどの模写実習によるテンペラ画の考察、支持体、地塗り、絵具の自家製法、写真、デジタル撮影など。2008年時点では、佐藤一郎が指導しており、佐藤の訳書であるマックス・デルナー著『絵画技術体系』(美術出版社)の講読・実習を行っている。

明治期の油画の材料・絵画技術の実態を知るために、大学資料館に所蔵される全作品を調査し出版[88]、また明治後期、西洋画科が設立された当時の教官と学生作品について油画保存修復研究室(1994年設立)との共同調査も出版されている[89]

キャンパス[編集]

大きく分けて上野、取手、横浜、千住の四つのキャンパスが存在する[90]。JR東日本常磐線に沿っているところから、沿線自治体が芸大と連携して地域振興を図る「JOBANアートライン」事業が行われている[91]

上野キャンパス[編集]

東京都台東区上野公園(北緯35度43分8.3秒 東経139度46分20.5秒 / 北緯35.718972度 東経139.772361度 / 35.718972; 139.772361 (東京芸術大学上野キャンパス)

上野キャンパスは敷地が道路によって分かれており、北側には音楽学部、南側には美術学部がある。東京音楽学校と東京美術学校は、現在の奏楽堂付近で旧四軒寺通りによって分けられており、後の音楽学部の拡張とともに屏風坂通り(現在の都道452号線)付近に正門が移動することとなった。

音楽学部[編集]

1号館から5号館、練習ホール館、奏楽堂、赤レンガ1,2号館、大学会館、事務局・保健管理センター、社会連携センター、音楽学部附属音楽高等学校、不忍荘、車庫、テニスコートが立ち並ぶ。

美術学部[編集]

中央棟、絵画・彫刻・金工の各棟、A – Cの3つの総合工房棟、附属図書館、大学美術館、大学美術館(旧館)、正木記念館、陳列館、藝大アートプラザが立ち並ぶ。

  • 両学部正門付近には守衛所が設置されている。体育館は少し離れた場所に位置する。
  • 食堂は音楽学部内の大学会館一階のキャッスル食堂、美術学部の大学美術館内一階にある大浦食堂の2つが利用できる。
  • 同大学へは正門の他、奏楽堂の裏のテニスコートの横に置かれている入り口からも入ることができる。
  • 旧博物館動物園駅跡の向かいにある美術学部の門は元々、現在の美術学部の正門の位置にあった門で、新大学美術館の新設に伴い移転されたものである。
  • 赤レンガ1号館は東京都内最古のレンガ建築物である。
  • 旧東京音楽学校奏楽堂は上野恩賜公園内に移設された。
交通アクセス

取手キャンパス[編集]

茨城県取手市(北緯35度52分46.4秒 東経140度7分3.3秒 / 北緯35.879556度 東経140.117583度 / 35.879556; 140.117583 (東京芸術大学取手キャンパス)

取手キャンパスでは、美術学部先端芸術表現科の全学年と、絵画・彫刻・工芸・デザイン・建築の各科の1年次の授業を行う。その他、美術学部共通工房棟、美術学部専門教育棟、メディア教育棟、美術学部登窯、野外制作場、福利施設、短期宿泊施設、大学美術館取手館、守衛所が置かれている。 また、メディア教育棟内には附属図書館取手分室、芸術情報センター取手分室が設置されている。

交通アクセス[92]

横浜キャンパス[編集]

旧富士銀行横浜支店、現・東京芸術大学映像研究科横浜キャンパス

神奈川県横浜市中区(北緯35度26分57.5秒 東経139度38分14.0秒 / 北緯35.449306度 東経139.637222度 / 35.449306; 139.637222 (東京芸術大学横浜キャンパス)

馬車道校舎、万国橋校舎、新港校舎の3つの校舎が存在し、歴史的建造物である旧富士銀行横浜支店の建物に大学院映像研究科が置かれている。馬車道校舎では映画専攻、新港校舎ではメディア映像専攻、万国橋校舎ではアニメーション専攻がそれぞれ設置されている。

交通アクセス
  • 馬車道校舎 – 横浜高速鉄道 みなとみらい線馬車道駅 下車すぐ
  • 新港校舎 – 横浜高速鉄道 みなとみらい線馬車道駅またはみなとみらい駅 下車徒歩15分
  • 万国橋校舎 – 横浜高速鉄道 みなとみらい線馬車道駅 下車徒歩10分

千住キャンパス[編集]

東京都足立区(北緯35度44分48.7秒 東経139度48分7.6秒 / 北緯35.746861度 東経139.802111度 / 35.746861; 139.802111 (東京芸術大学千住キャンパス)

大学院音楽研究科音楽文化学専攻の一部と、音楽学部音楽環境創造科が置かれている。
なお、このキャンパスは2006年9月に開設された。

交通アクセス

その他の校地[編集]

上石神井校地[編集]

東京都練馬区。石神井寮(学生寮)が置かれている(平成26年4月閉寮)[95]

駒込校地[編集]

東京都文京区。外国人教師宿舎が置かれている[96]

奈良校地[編集]

奈良県奈良市。附属古美術研究施設が置かれている[97]

那須校地[編集]

栃木県那須郡那須町。那須高原研修施設が置かれている[98]

松戸校地[編集]

千葉県松戸市。国際交流会館が置かれている[99]

附属機関・施設[編集]

美術学部附属 古美術研究施設[編集]

奈良、京都を中心に存在する飛鳥以降の各時代の建築物、絵画、彫刻、工芸品等の日本古来の優れた作品の研究を行っている。主に美術研究旅行や、教職員・学生の古美術研究、および実習に利用される[100]。なお、この施設は奈良県奈良市登大路に設置されている。

美術学部附属 写真センター[編集]

写真を中心とした視覚芸術に関する研究の増大を目的に開設された。開設授業として、写真表現演習II、写真概論、現代写真論があり、そのほかに集中講義も実施している[101]

音楽学部アートリエゾンセンター[編集]

2006年秋、千住キャンパスが開校した際に設置された。足立区をはじめとする学外との連携企画について、その立案、調整、実施を担う[102]

音楽学部音楽研究センター[編集]

開架閲覧室、試聴室、音響研究室、小泉文夫記念資料室からなる。開架閲覧室は、音楽の専門書、参考図書をはじめ、楽譜、マイクロフィルム、レコードなどを所蔵し、レポートや卒業論文、博士論文などの作成、または個人の研究に利用できる音楽学部の学生・教員の研究施設である。試聴室は、個人の研究のためにテープやレコードを聴く施設である。音響研究室は、室内音響や電子音響の研究、録音・録画方法の研究、楽器や音声の音色・ピッチに関する研究などを行う施設である。録音室、音響実験室、楽器研究室、AV実習室、内外の音響学会誌を揃えたゼミ室が付設されている。小泉文夫記念資料室は、音楽民族学の研究資料を整理保管、研究する施設である。資料の大半は、小泉文夫教授が世界数十か国の現地調査で収集したもので、諸民族の楽器700余点をはじめ、書籍、楽譜、録音録画資料を観覧、閲覧できる[103]

附属図書館(東京藝術大学国際藝術リソースセンター (IRCA) 内)[編集]

附属図書館は、1949年5月の東京藝術大学発足時に、東京美術学校文庫と東京音楽学校図書課の蔵書を統合することで始まったものである。46万点の蔵書のうち8割近くは、芸術関係の資料である。同附属図書館は美術学部内に設けられている[104]

東京藝術大学大学美術館[編集]

1996年に着工。現在の収蔵品は2万8000件近くに達している。一階には学生食堂である大浦食堂が、地下には絵画材料を小規模に販売している「画翠芸大店」がある。なお、昭和6年3月に東京美術学校敷地内に開設した売店は現・有限会社レモン(レモン画翠)の流れにある[105]

社会連携センター[編集]

社会連携活動の総合窓口として2007年設置。国際化社会の中で日本が戦略的文化外交を展開するための事業や、技術開発力と文化外交力を身につけた人材育成を遂行することを目的として、2013-2018年の期間限定で「アートイノベーションセンター」を設置している[106]

言語・音声トレーニングセンター[編集]

1975年4月学内共同教育研究施設として設置が認められたもので、主に正しい発声、発音の授業を開設している[107]

演奏芸術センター[編集]

新しい総合的な舞台芸術作品の創造を行うことを目的として、美術学部・音楽学部の枠を超えた教育研究を行う場を創っている[108]

奏楽堂[編集]

演奏芸術センターが運営。1984年に解体、移築された旧東京音楽学校奏楽堂の跡地に新たに建築された。地上5階、地下2階のホールでフランスのガルニエ製オルガンが設置されている。座席数は最大で、1,140席。

芸術情報センター[編集]

学内共同利用施設としてセンターの芸術情報システムを整備運用し、研究、教育および事務処理等の利用に供すると同時にキャンパスネットワークの適切かつ効率的な管理運用を行い、東京藝術大学における情報化を推進している
[109]

藝大アートプラザ[編集]

東京藝術大学が企画開発した作品や、同大学の教員等が創作した作品等の教育研究成果を、社会に対して積極的に発信するとともに、文化芸術を身近なものにして、心豊かな生活や活力ある社会の実現に寄与することを目的として2005年に設置された[110]

保健管理センター[編集]

東京芸術大学の学生および教職員の保健管理に関する専門的な業務を行い、学生および教職員の心身の健康の保持増進を図ることを目的として、運営されている[111]

グローバルサポートセンター[編集]

留学生の奨学・生活指導に関する業務を行う施設である[112]

大学会館[編集]

学生および教職員の福利厚生を図るための総合施設である。一階にはキャッスル食堂が設けられている[113]

体育館[編集]

主に保健体育科目の教育・研究および同大本学の行事に利用するほか、学生の課外活動等に利用されている。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校正門から道路を挟んだ向かい側から右に、約50メートルに位置する[114]

那須高原研修施設[編集]

東京藝術大学および音楽学部附属音楽高等学校の学生・生徒および教職員の教育・研修および課外活動のために使用することを目的として設置されたものである[115]

取手校地 利根川荘[編集]

東京芸術大学の教員、学生、職員が取手校地における正課および課外活動、その他の教育活動を遂行するため、短期の宿泊に利用することを目的として取手キャンパス内に設置された宿泊施設である[116]

国際交流会館[編集]

外国人の留学生・研究者に居住の場を提供し、併せて教育研究上の国際交流に寄与することを目的として、設置された[117]

石神井寮[編集]

同大学学生、同大学院生のために1975年に竣工したものである。なお、同大学音楽学部附属音楽高等学校生徒の入寮はできない。平成26年4月に閉寮[118]

藝心寮[編集]

石神井寮に代わり平成26年に新たに設置された学生寮。東京都足立区東和に位置する[119]

藝大山岳部黒沢ヒュッテ[編集]

長野県黒沢高原に1960年に建築学者の山本学治氏が設計し建築、東京藝術大学山岳部の山小屋とされた。

小島アートプラザ[編集]

3階部分の一部を美術研究科の研究室が使用している。学生が主体となり、町中アート大学コジマラジオが運営されている[120]

外国人教師宿舎[編集]

学生生活[編集]

学園祭[編集]

「藝術祭」、通称「藝祭」と呼ばれ、毎年9月に3日間にわたって催されている。上野公園内を練り歩く神輿や地元アメ横商店街をサンバ隊で練り歩く[121]

アートパス[編集]

取手校地と千住校地における最大の展覧会・成果発表。毎年12月に催される。「取手アートパス」では絵画科油画専攻と先端芸術表現科が、「千住アートパス」では音楽環境創造科が主催、企画運営している[122]

サークル[編集]

文化、体育会系の2つのサークルの他[123]、同好会も置かれている[124]

文化系サークル[編集]

体育会系サークル[編集]

同好会[編集]

楽団[編集]

アンサンブルリーム[編集]

作曲科における専門研究の一環としての演奏実践を主な目的として2017年3月に設立[125]

東京藝大チェンバーオーケストラ[編集]

2003年に創設され、東京藝術大学音楽学部と大学院に在籍する弦楽器の精鋭、25名が中心となって、様々な活動を行う室内オーケストラである[126]

東京藝大シンフォニーオーケストラ[編集]

音楽学部の2~4年までの弦・管・打楽器専攻生を主体として編成されるオーケストラ[127]

東京藝大ウィンドオーケストラ[編集]

音楽学部器楽科管打楽器専攻学生を中心に組織された吹奏楽団。1935年東京音楽学校に生徒吹奏楽団として発足、1949年に吹奏楽研究部となった[128]

藝大フィルハーモニア管弦楽団[編集]

東京藝術大学に所属するプロフェッショナル・オーケストラであり、オーケストラ演奏を専門とする研究部員によって組織されている。主な活動としては毎年春と秋に開かれる定期演奏会、声楽家との合唱付オーケストラ作品の演奏、オペラ研究部との共演、年度始めの新卒業生(各科最優秀者)紹介演奏がある。その他、年末には恒例の『メサイア』演奏会、『第九』公演などを行っている。教育面では、器楽科、声楽科学生との協奏曲等の共演および作曲家学生の作品演奏(モーニングコンサート)、指揮科学生による演奏会、試験・演習など、学生の演奏経験の拡充に資している。さらに各地の音楽文化向上のための出張演奏も行っている。このオーケストラの前身である旧東京音楽学校管弦楽団は、日本初の本格的なオーケストラであり、現在ではポピュラーに演奏されている、ベートーヴェンの『交響曲第5番「運命」』『第9番「合唱付き」』、チャイコフスキーの『交響曲第6番「悲愴」』などを日本初演した[129]

大学関係者組織[編集]

同窓会[編集]

音楽学部と美術学部とで別々に分かれている。

東京藝術大学美術学部杜の会
東京藝術大学美術学部の同窓会で、昭和62年に「美術学部同窓会」として設立され、平成8年より「杜の会」と改められ現在に至る[130]
東京藝術大学音楽学部同声会
東京藝術大学音楽学部の同窓会で、明治22年に設立された。

刊行物[編集]

藝大通信
東京藝術大学の広報誌であり、年に2回、9月と3月頃発行される[131]

大学関係者一覧[編集]

附属学校[編集]

対外関係[編集]

海外協定校[編集]

2017年5月1日時点、23カ国・地域の69大学・機関と大学間交流協定を締結している[132]

アジア[編集]

アメリカ[編集]

オセアニア[編集]

中東[編集]

ヨーロッパ[編集]

自治体との協力[編集]

香川県や長野県と、文化芸術振興や地域振興における包括連携協定を結んでいる[133]

芸大事件[編集]

1970年代後半に、当時音楽学部教授だった海野義雄がヴァイオリンの購入を東京芸術大学と学生に斡旋し、その見返りとして楽器輸入販売業者から80万円相当の弓と現金100万円を受け取っていた。1981年に発覚。

セクハラ事件[編集]

2015年4月の新入生歓迎コンパにおいて、美術学部に所属する50歳代の男性教授がソファで横になっていた女子学生の服に手を入れ胸を触るなどのセクシャルハラスメント行為を行った。女子学生はこの教授の担当授業を履修していたが、登校できない状態になった。同年7月に女子学生が大学に申し出て事件が発覚し、11月に停職5カ月の懲戒処分が下されたが、大学の調査に対して教授は「酔っていて覚えていない」と述べたとされる。本件につき、宮田亮平学長(当時)は「すべての関係者に心からおわびする。このような事態が再び繰り返されることがないよう、信頼の回復に努める」という声明を発表した[134][135]

アカハラ事件[編集]

2016年12月、50歳代の准教授が自分の研究室に所属する学生に対するアカデミックハラスメント行為により停職1か月の懲戒処分を受けた。当該准教授は特定の学生に対し、泣きながら研究内容を非難したり、飲み会を断った理由を厳しく問いただしたりするといった行為を2015年の春から数ヶ月にわたり続けた。これにより学生は心身の不調をきたし、2015年12月から休学することになった。大学は本件に関して「二度とこのような事案が起きないよう、更に啓発活動の強化や一層の相談体制の充実を図り、信頼の回復に努めて参ります」という声明を発表した[136][137]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]