Month: January 2021

大淀祇園祭 – Wikipedia

大淀祇園祭(おおよどぎおんまつり・おいずぎおんまつり)は、三重県多気郡明和町大字大淀地区で行われる祭。斎王まつりと共に明和町2大祭に入る 地元では「ぎおんさん」と呼ばれている。「天王祭」の別名もあるがこちらでほとんど呼ばれていない。 江戸時代中期頃に疫病を払い五穀豊穣・漁業の発展を祈願する民間信仰から始まったと伝えられ毎年旧暦6月14日に近い土曜日に行われる。 津島神社及び八坂神社の流れを汲み、大字大淀の三世古・東区(東世古)・山大淀の3地区より山車が曳き出される。 東区(東世古) 宵宮(よみや)と呼ばれ、前日(金曜日)に竹大與杼神社で祭礼の後、午後5時ごろから引き出され、夜間にかけて巡行。 一時、途絶えていたが1990年代後半に復活している[1]。 山車は明和町と伊勢市の境界を流れる大堀川の橋を越えて伊勢市側まで曳かれ折り返す[2]。 三世古 この祭の中心になる地域。山車の他、神輿を一基保有している。 午前に竹大與杼神社で祭礼の後、神輿が巡行する。神輿は山車とは異なるコースを巡行する。 山車は午後1時ごろから曳き出される。地区内を巡行した後、午後4時半から5時ごろに大淀漁港に到着し2艘連ねた専用の漁船に載せられ港内を巡航する「海上渡御」が行われる[3]。 海上渡御に用いられる漁船は「なりひら」「ゆきひら」[4]と名付けられている。自力航行ができない為、小型船に曳航される。 後述の花火大会は三世古地区の3つの組(北組・西組・中組)が輪番で担当する[5]。 山大淀 竹佐々夫江神社で祭礼の後、午後5時ごろから曳き出されて夜間にかけて巡行。 三世古と異なる特徴として山車の前を進む行列に「乙姫」という稚児が加わる。 山車は各地区とも1基ずつ保有。後述の通り山車の構造や装飾、祇園囃子も共通しているがそれぞれ保有する地区内のみを巡行し、基本的に1か所に合流しないが記念行事等で合流することがある[6]。 また、夜には花火大会が行われ約2000発の打ち上げ花火の他「綱火」と呼ばれる近隣の花火大会では見られない地元独自の点火方式による仕掛け花火が行われ「おいずの花火」として近隣市町に広く知られている。ナイアガラが2度(中盤(中入と呼ばれる)とフィナーレ(千秋楽万歳と呼ばれる)あるなどローカルな花火大会ながら規模は大きく、フィナーレにはその年の世相(夏までに起こった出来事やこれから行われる大規模なイベント等)を現した枠仕掛けがある。                    [中止] 新型コロナウイルスの影響で2020年度、2021年度の大淀祇園祭と花火大会は中止となった。                        [練習] 7月後半あたりから各地区の公民館により、練習している。

Continue reading

カタール・スターズリーグ – Wikipedia

カタール・スターズリーグ(アラビア語: دوري نجوم قطر‎、Qatar Stars League)、通称カタールリーグは、カタールのプロサッカーリーグである。近年は豊富なオイルマネー(天然ガスマネー)を背景に有力選手を次々と獲得し、中東、湾岸諸国の中でも最も注目を浴びているリーグでもある。 1963年に創設し、2008年9月に正式にプロ化。 2012-13シーズンまで1部リーグ12チームと2部リーグ6チームで構成され、1部リーグの最下位チームは2部リーグに降格し、2部リーグの優勝チームが1部リーグに昇格、1部リーグの11位チームは2部リーグの2位チームと入れ替え戦を戦った。2部リーグに降格制度はない。 2013年5月7日、翌2013-14シーズンからリーグのチーム数が12から14へ拡大されることが発表された[1]。 入場料は、プロ化以前は無料だったが現在は20カタール・リヤル、VIP席は100カタール・リヤルとなっており、全ての試合で統一されている。 ACL出場の条件[編集] AFCチャンピオンズリーグ(ACL)において、カタールでは2004年から2008年まで2枠の出場枠が与えられていたが、ACL改革により2009年以降の出場枠は0.25枠となった。そのため、本大会に出場するためにはまず国内リーグで優勝し、その後4チームで争う西アジア地区のプレーオフで1位になる必要があった。しかし、AFCの基準を満たすことに成功したため2009年ACLにもプレーオフなしで2チーム参加できることとなった。詳しくはAFCチャンピオンズリーグ#大会形式を参照のこと。 国際大会での主要な戦績[編集] 参加クラブ(2013-14)[編集] 1部リーグ[編集] クラブ名 ホームタウン ホームスタジアム 収容人数 アル・ガラファ

Continue reading

大沢岳 – Wikipedia

大沢岳(おおさわだけ)は、長野県飯田市と静岡県静岡市葵区にまたがる赤石山脈(南アルプス)南部の標高2,820 mの山[2][3]。日本で55番目に高い山[4]。山域の上部は南アルプス国立公園の特別保護地区、西面などの中腹はその特別地域の指定を受けている[5]。山名は天竜川水系遠山川の北又沢の支流「大沢」の源頭部の山であることに由来する[6]。上部は高山帯でハイマツが分布し、ライチョウが生息する[7]。周辺の山域では、ニホンジカなどによる植物の食害が確認されている[7]。 登路は長野県側からの大沢渡からのコースと南アルプス縦走路の登山道が開設されている[6]。北又沢から大沢渡山荘に至る登山道が開設されていたが[3][8]、廃道となっている[9]。 大沢渡からのコース[編集] 大沢渡からのコースはしらびそ峠が起点であり、その詳細な経路を以下に示す[9]。 しらびそ峠 – 林道 – 大沢渡下降点 – 北又沢渡渉点 – 大沢渡山荘 – 林道跡合流点 – 唐松山(小広場) – 唐松峠

Continue reading

にけつッ!! – Wikipedia

『にけつッ!!』(ローマ字表記は「NIKETSU」)は、読売テレビ(ytv)で、2008年10月8日(7日深夜)から放送されているトークバラエティ番組である。 制作局である読売テレビの2012年4月からの放送時間は、毎週火曜日(月曜深夜)の1:23 – 1:53(JST、特別編成等で遅延の場合もあり)。 日本テレビをはじめ一部地域にもネットされている(後述)。 番組のコンセプトは、かつて同局で放送された『鶴瓶上岡パペポTV』[1]や『松紳』[2]に近いものになっており、この収録前には打ち合わせも無く、お互いが会ってはいけないというルールで本番に臨んでいる。 セット中央にはイスが2つ用意しており、開始当初は座ってトークをしていた。ジュニアのトークが身振り手振りし動かす事が多いため、現在は立ちトークに変わっているが、イスの用意は現在も行われている。2011年にジュニアが左足骨折で松葉づえで登場した回は、数回にわたって2人ともイスに座ってトークを行った。 2009年10月25日の16:25 – 17:25に、読売テレビ限定で『にけつッ!!大阪限定大放出スペシャル!』を放送した。この放送時には、普段実施していないステレオ放送とハイビジョン制作を取り入れた。 2010年1月4日の14:55 – 15:50に、読売テレビで『プレミアムにけつッ!!』を放送した。今回はその13日後に日本テレビでも放送される、この放送はハイビジョン制作で行われ、4:3画面に準じたテロップ装飾され地上アナログ放送はサイドカット形式となった。 2010年6月19・20日の16:55 – 17:30に、読売テレビ限定で『プレミアムにけつッ!!』を放送した。 2011年頃からトークの他に不定期ではあるがロケ企画を放送しており、「にけつッ!!大富豪飯」「ふれあい旅」「モノマネ居酒屋」など、トーク内で登場した企画を概ね前後編方式で放送している。 2015年10月8日23:59 – 翌0:54には、『プラチナイト』木曜版(『木曜ドラマ』の改編期休止代替特番扱い)で、番組開始以来初めて日本テレビ系列全国ネットで1時間SPが放送され、2016年12月9日1:09

Continue reading

国鉄タム8200形貨車 – Wikipedia

国鉄タム8200形貨車(こくてつタム8200がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍したタンク車である。 本形式と同一の専用種別であるタ4200形についても本項目で解説する。 タム8200形[編集] 本形式は、リン酸専用の15 t 積二軸ボギータンク車として1962年(昭和37年)3月14日から1965年(昭和40年)11月27日にかけて3両(タム8200 – タム8202)が三菱重工業にて製作された。 本形式の他にリン酸を専用種別とする形式は、タ4200形(1両)、タキ1200形(初代)(1両)、タキ1250形(8両)、タキ3650形(1両)、タキ11200形(14両)、タキ11300形(2両)、タキ17400形(2両)の7形式がある。 1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「侵80」(侵食性の物質、腐食性物質、危険性度合3(小))が標記された。 荷役方式は上入れ、上出し式であるがS字管は装備されていない。 所有者は東洋曹達工業1社のみであり、その常備駅は周防富田駅(その後1980年(昭和55年)10月1日新南陽駅に改名)であった。 塗色は、黒であり、全長は7,200 mm、全幅は2,487 mm、全高は3,365 mm、軸距は3,600 mm、自重は9.7 t、換算両数は積車2.4、空車1.0、最高運転速度は75 km/h、車軸は12 t長軸であった。

Continue reading

パルスフィールドゲル電気泳動 – Wikipedia

パルスフィールドゲル電気泳動(パルスフィールドゲルでんきえいどう、pulsed-field gel electrophoresis、PFGE)とは、分子量の特に大きいDNA断片を分離するためのゲル電気泳動の1方法である。基本的なアイデアは1982年(公開は1984年)にコロンビア大学(当時)のCharles R. CantorとDavid C. Schwartzによって発明された[1]。 10キロ塩基対(キロは1000を示す)程度以下の断片はアガロースゲル電気泳動などで分子量による分離をすることができるが、数十キロ塩基対を超える場合には分子ふるい効果が働かずうまく分離しない。PFGEであれば数万キロ塩基対までの巨大なDNA分子を分離することができる。 DNA鎖がゲル中を移動するには電場の方向に長く延びる必要がある。電場の方向が変わると、分子量の小さいものほどこの配置変化が速く起きるため、結果的に速く移動できると考えられている。 電場の交替させかたによって、大まかに2通りに分けることができる。なお、初期にはOFAGE(orthogonal-field agarose gel electrophoresis)という電極が直交し電場が均一でない装置が使われていたため、泳動結果が非常に見づらかった。現在では均一な平行電場を用いるため、通常のアガロースゲル電気泳動と同様な泳動結果が得られる。 反転させるもの[編集] もっとも単純な方法がFIGE(Field Inversion Gel Electrophoresis)である[2]。これは電場をかける向きを定期的に反転させ続けるだけのものである。移動速度は同じでも、分子量の小さいDNA断片ほど迅速に反転できるため、次第に分子量に応じて分離されることになる。この方法は簡便だが、600キロ塩基対程度までしか分離できない。改変法として、反転させるだけでなく電場の強さも変化させるZIFE(zero integrated field

Continue reading

上落合 (さいたま市) – Wikipedia

上落合(かみおちあい)は、埼玉県さいたま市中央区の町名。現行行政地名は上落合一丁目から上落合九丁目および大字上落合。郵便番号は338-0001[2]。 さいたま市中央区(旧与野市)の北部に位置する。住居表示が行われている地域は1丁目~9丁目に分かれており、最も南が1丁目、北が9丁目である。このほか、新都心の東側の鉄道用地内(一部はさいたま新都心駅にかかる)に、飛地状に大字上落合がある。 南側は区役所のある下落合、東側には大宮区吉敷町・錦町、西側は本町東、北側は大宮区桜木町に接しており、一部はJR東日本大宮駅の徒歩圏内である。また、南東の一部は浦和区上木崎に接している。また、上落合1丁目〜9丁目と大字上落合の間に、新都市がある。 地区の中央を国道17号(中山道・与野大宮道路)が南北に貫き、地下に首都高速道路も通る。鉄道はJR東北新幹線と埼京線が通過しており、国道17号との交点に北与野駅が所在する。 元は江戸期より存在した足立郡与野領に属する上落合村であった[4]。『新編武蔵風土記稿』では民家28。 世帯数と人口[編集] 2022年(令和4年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。埼玉県内では吉見町(約1万8千人)よりも人口が多い。 丁目 世帯数 人口 上落合一丁目 1,460世帯 3,207人 上落合二丁目 1,661世帯 3,733人 上落合三丁目 1,108世帯 2,150人 上落合四丁目

Continue reading

シェーファー・アンドラーシュ – Wikipedia

この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、インド・ヨーロッパ語族風にアンドラーシュ・シェーファーと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名) シェーファー・アンドラーシュ 名前 ラテン文字 Schäfer András 基本情報 国籍  ハンガリー 生年月日 (1999-04-13) 1999年4月13日(22歳) 出身地 ソンバトヘイ 身長 179cm 選手情報 在籍チーム 1.FCウニオン・ベルリン ポジション

Continue reading

高橋喜惣治 – Wikipedia

4代 高橋 喜惣治(たかはし きそうじ、1850年7月21日(嘉永3年6月13日[1])- 1918年(大正7年)4月15日[2][3])は、明治期の地主、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。のち左京(さきょう)と改名した[2][3]。名・猷[4][5][6]、諱・種健[7]、字・伯応[4][5][6]、号・鶴洲[4][5][6][7]、通称・喜惣治。 上総国埴生郡立木村[4](千葉県上埴生郡鶴枝村立木、長生郡鶴枝村を経て現茂原市)で、豪農、大庄屋・高橋千満太の長男として生まれる[1][4][5]。高橋家は曽祖父・信重以来、通称を喜惣治と称した[4][5][6]。富津の織本東岳(履道)から漢学を学び[4][7]、さらに江戸の島田重礼に入門し[4][7]、小野湖山に詩文を学んだ[7]。帰郷して大庄屋となった[5][6][7]。 1872年(明治5年)第三十九区戸長に就任[4][5][6]。第七大区地租改正惣代人、第七大区区会議員、第七大区四小区戸長などを歴任[4][5][6][7]。1879年(明治12年)初の千葉県会議員に選出され[2]、1886年(明治19年)4月に再選された[1][4][5][7][8]。1892年(明治25年)同志と政治団体・長生交際会を組織[7]。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙に千葉県第六区から出馬して当選し[5][6][7]、衆議院議員を1期務めた[2][3][8]。1897年(明治30年)6月、郡制実施に伴い長生郡会議員に当選[5][7][8]。さらに同年6月、貴族院多額納税者議員に互選され[1][5][6]、同年9月29日[9]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[2][8]。 その他、千葉県勧業諮問会員、同農会名誉会員、同教育会議長、禅徒生命保険副社長なども務めた[1][2][3][5][8]。また、1875年(明治8年)10月、山田敬蔵、白井喜一郎と共同で埴生郡地引村(上埴生郡東村、長生郡東村を経て現長南町)に私立中学・乃有学舎を設立し、教師に嶺田楓江を招聘して地域の教育進展に尽力した[3][4][5][6]。 晩年は政界を引退し文学に親しんだ[7]。 ^ a b c d e 『人事興信録』初版、477頁。 ^ a b c

Continue reading

勝山市立野向小学校 – Wikipedia

勝山市立野向小学校 国公私立の別 公立学校 設置者 勝山市 共学・別学 男女共学 所在地 〒911-0016 勝山市野向町竜谷第50号9番地 北緯36度05分31.7秒 東経136度29分42.1秒 / 北緯36.092139度 東経136.495028度 / 36.092139; 136.495028座標: 北緯36度05分31.7秒 東経136度29分42.1秒

Continue reading