カーゴ・カルト – Wikipedia

カーゴ・カルトcargo cult)とは、主としてメラネシアなどに存在する招神信仰である。いつの日か、先祖の霊・または神が、天国から船や飛行機に文明の利器を搭載して自分達のもとに現れる、という現世利益的な信仰である。直訳すると「積荷信仰(つみにしんこう)」。「海の向こうから神が豊穣をもたらす」という信仰自体は、日本のまれびと信仰、琉球のニライカナイ信仰など、アジアの島嶼地域の信仰としては普遍的なものであるが、近代文明の捉え方について独特の形態をとることが特徴である。

近代まで文明の利器を知らなかった現地人は西洋人が持ち込んできた工業製品に対して、これは当地の先住民のために神が作ったものであり、白人は神と特別な繋がりを持って不当にそれらを占有したのだ、と考えた。

したがって、カーゴ・カルトでは、白人達の振る舞いと同じような儀式を行うことで「白人」の影響を打ち破り、先祖が自分達を認識し白人にではなく自分達に積荷を送ってくれるようになる、とされている。また、白人は先祖が姿を変えたものだ、という理解もある。

特徴は呪物崇拝としての文明の模倣である。かつて積荷が運ばれて来たときの状況(太平洋戦争時のアメリカ軍の装備や振る舞いなど)を再現して、滑走路もどき、空港もどき、事務所もどきなどの模倣施設を作り、ココナッツと藁で作ったラジオもどきなどの模倣品を作り、さらには島民自身が軍人、船乗り、航空兵の行動を模倣した[1]。またライフルに見立てた小枝を持ち、階級章の絵や「USA」という文字列などをボディペインティングし、「訓練」や「行進」をこなした。木を削って「ヘッドフォン」を作り、それを着けて「管制塔」に座り、「滑走路」に立ち「着陸信号」を振り、「滑走路」をたいまつで照らし狼煙を上げることもした。類感呪術型カーゴ・カルトでは、より多くの飛行機を呼び寄せることを期待して、藁で飛行機の実物大模型を作り、新しい軍用滑走路もどきも作られた。作られた飛行機はメスなので、これでオスの飛行機が誘われて来るとも考えられた。

カーゴ・カルトに熱中する余り、島の人々の中には模倣施設や運ばれてくる積荷用の倉庫の建設にかまけ、農耕・出漁を放棄した上、莫大な富がもうすぐ現れる、という確信のもとに豚などの蓄えを惜しげもなく消費したり、今までの財品は邪魔になると考えて食料や犬の歯などおよそ財産と考えられる物は捨ててしまうこともあった。

このほか、予知夢によって、いつどこから積荷がやって来るかが予言されることがままあった。予言を語る際は痙攣や踊りを伴う。

カーゴ・カルトはメラネシア各地で断続的に発生してきたが、特にニューギニア島で頻発した。北東部のタロ運動英語版、東部のヴァイララ狂信などである。小規模なカーゴ・カルトは西部のアスマット族やダニ族などに見られた。

カーゴ・カルトによってそれまで存在していた宗教習慣(精霊信仰)は急変した。

ジョン・フラム信仰[編集]

バヌアツ・ニューヘブリデス諸島のタンナ島では、アメリカにはジョン・フラムという神がおり我々に工業製品を授けてくれる、という信仰が生まれ、アメリカ人を崇拝の対象としている。ジョン・フラムという名前は、「アメリカから来たジョン」という意味の「ジョン・フロム・アメリカ」に由来するものではないかと考えられている[2]。また、イギリスのエジンバラ公フィリップをジョン・フラムの兄弟および積荷を積んだ飛行機の操縦者であるとして信仰の対象に含めている地域もある。

カーゴ・カルトの大半は21世紀までに消滅したが、現在でもタンナ島のジョン・フラムやエジンバラ公に対する信仰は続いており新宗教のような形に収まっている。ジョン・フラムが再来するとされている2月15日には毎年祭りが開かれており、バヌアツ国会にはジョン・フラム信仰の議員も存在する[3][4][5]

信仰要因[編集]

孤立した社会が初めて外の世界と接触する際、先住民は衝撃を受け新参者が神通力を持った霊的存在であると考えてしまう場合がある。日本でもまれびと信仰などが存在した。

しかし、時が経つにつれて、外から来た者達が不死の霊的存在ではなく普通の(死を免れない)人間であり、彼らの力は神通力ではなく彼らの装置(または荷物)によるものであることが明らかとなってゆく。この「魔術的」装置を欲しがる人々にカーゴ・カルトが現れることが多いが、貿易で装置を入手することはきわめて難しい。地理的孤立もあって、カーゴ・カルトの関係者はたいてい現代技術に関する知識をほとんど持たず、西洋人の説明に不審を抱く。キリスト教や現代西洋社会関係のシンボルは、魔術的人工物として彼らの儀式に取り入れられる。文化の違いと地理的な孤立が独特な思想発展をもたらす。

この信仰は、財産を共有し合うメラネシアの伝統文化が核になっているとみられる[6][7][8]

「カーゴ・カルト」概念に対する批判[編集]

ナンシー・マクダウェルは、カーゴ・カルトなる概念は西洋人の偏見が作り出した虚構のメラネシア文化であり、現実にはそのような文化は存在しないと主張している。メラネシアの人々のこの信仰は、突如現れた旧来の常識では理解不能な異文明を、旧来の常識をもってどうにか止揚した彼らなりの解釈のしかたであり、この思考自体は何ら突飛なものではなく全世界普遍の反応であって「カーゴ・カルト」とは人類普遍の考え方の一部を切り出して名前を付けただけのものである、としている[9]

  • 1867年 オランダ領ニューギニア(ニューギニア島西部・現在のインドネシアパプア州)で、かつてこの地に富をもたらしたマンレスが復活する、というカーゴ・カルトに類似した運動が起こる。
  • 1885年 フィジーでトゥカ運動が始まる。これが記録に残る最古のカーゴ・カルトである。
  • 1919年 パプアニューギニアのヴァイララ狂信英語版がパプアニューギニアで実地研究を行った最初の人類学者の一人フランシス・エドガー・ウィリアムズに記録され1923年に発表される。
  • アメリカ合衆国が大日本帝国を相手に戦った太平洋方面作戦中、アメリカ軍の膨大な軍需物資がメラネシアの島々に空中投下され、島民の生活が一変した。戦後アメリカ軍が引き揚げ文明の利器が投下されなくなると、島民は物資投下を期待して模倣施設や模倣軍隊を作り始めた。
  • 1945年 Pacific Iranz monthly1945年11月号にて初めて「cargo cult」(カーゴ・カルト)という単語が登場した。著者はANGAU(Australian New Guinea Administrative Unit)で准尉を務めていたノリス・バード。
  • 21世紀以降、メラネシアの島々ではカーゴ・カルトは完全に消滅した。今日では当時の「儀式」を偲ぶ祭りが行われるのみである。

類似信仰[編集]

  • オランダから植民地として圧政を受けていたオランダ領東インドの人々の間では、12世紀の王ジョヨボヨ(en:Jayabaya)が『バラタユダ』に書いた「北方から黄色い人間の軍隊が来攻、異民族支配を駆逐し、代わって支配するが、それはジャグン (トウモロコシ) 一回限りの短い間である」という予言が度々信じられており、1942年3月1日にオランダ領ジャワ島に上陸した日本軍はこの予言に重ねられて被支配層の人々から歓迎を受けた。インドネシアは独立後も似た様な予言が度々語られている[10]
  • アステカ民族は1519年にやって来たスペイン人を、「一の葦の年(1519年)に復活する」と宣言してアステカを去った白い善神ケツァルコアトル(白い肌に黒い髪をしており生贄の儀式を嫌うという点にスペイン人が共通していた)と同一視したため、侵略を許してしまった。
  • 19世紀後半にアメリカで発生したゴースト・ダンスは、インディアンがアングロアメリカ人から抑圧された事で生まれた儀式である。パイユート族英語版の予言者ウォヴォカ英語版は、特定の形式で踊る事で先祖が鉄道に乗って帰還し、到来する新たな世界ではインディアンの自由とバッファローが復活し白人が抑圧される事になると説いた。
  • 現代のUFO信仰はカーゴ・カルトになぞらえられる。一部のUFO信奉者は近代兵器には宇宙人からもたらされた技術が用いられていると考えている。また一方でUFO信奉者自身もカーゴ・カルトの事例を古代宇宙飛行士説の説明に用いる。エーリッヒ・フォン・デニケンら古代宇宙飛行士説論者は上述の近現代における南太平洋のカーゴカルト信仰のような出来事が太古の地球においても宇宙人との接触によって引き起こされ、世界各地の神話や不思議な遺跡(オーパーツ)はその名残だと主張する。
  • 2020年末から2021年頭にかけての時期にアメリカのQアノンが日本国内に拡散する過程において、「ドナルド・トランプ大統領が日本人全員に6億円配布する」・「米軍がバチカンから押収したC-17輸送機400機分の金塊を含む3垓5000京円の資産をトランプ大統領が全世界に分配する」「政治家・官僚・芸能人などの著名人の中に大量の犯罪者が紛れ込んでおり、米軍が彼らを逮捕して横田基地からグアンタナモ米軍基地の刑務所に強制連行している。逮捕の事実を隠蔽するために精巧なゴムマスクを被った偽物が本物を演じている」などといった噂が流布した[11][12]

その他の用法[編集]

この文化は物理学者リチャード・P・ファインマンのカリフォルニア工科大学での卒業式式辞で言及され、また彼の著書『ご冗談でしょう、ファインマンさん』に収録されたことでも知られる。この式辞でファインマンは、カーゴ・カルトの信者は外見上は正しく空港やヘッドセット、竹の「アンテナ」を作るが、飛行機は来ないと指摘した。ファインマンは、科学者もしばしばその愚に陥るが、そのような科学の形だけを真似ただけの、正直さに欠ける行為は「カーゴ・カルト・サイエンス英語版」であり、尊敬にも支援にも値しないものだと主張した。

消費社会[編集]

  • 「カーゴ・カルト」は現代、とりわけ商業分野において用いられる。商業的に大成功を収めたもの(人、食品、製品、サービス、作品など)には大抵、劣化コピーを作る模倣者が現れるが、オリジナルの本質を捉えていないため成功には繋がらない。このような模倣行為、または、思慮不足のために行った無駄な努力・儀式をカーゴ・カルト的とする。
    • 「cargo cult」という英熟語は、本質を理解せず表層のみを模倣する人々を指す。
  • 表層にだけ拘り実態を見ない、という意味では、カタログ世代(性能数値、品質、材質、機構、製造企業などに過剰に拘り、肝心の使い心地や必要な機能を考慮しない)という流行語もこれに該当する。

ソフトウェア[編集]

関連作品[編集]

参考文献[編集]

  • Jebens, Holger (ed.). Cargo, Cult, and Culture Critique. Honolulu: University of Hawai’i Press, 2004.
  • Kaplan, Martha. Neither cargo nor cult : ritual politics and the colonial imagination in Fiji. Durham : Duke University Press, 1995.
  • Lawrence, Peter. Road belong cargo : a study of the Cargo Movement in the Southern Madang District, New Guinea. Manchester University Press, 1964
  • Lindstrom, Lamont. Cargo cult: strange stories of desire from Melanesia and beyond. Honolulu : University of Hawaii Press, 1993.
  • Worsley, Peter. The trumpet shall sound : a study of “cargo” cults in Melanesia. London : MacGibbon & Kee, 1957.
  • Harris, Marvin. “Cows, Pigs, Wars and Witches: The Riddles of Culture”. New York : Random House, 1974.
  • Inglis, Judy. “Cargo Cults: The Problem of Explanation”. Oceania vol. xxvii no. 4, 1957.
  • K, E. Read. “A Cargo Situation in the Markham Valley, New Guinea”. Southwestern Journal of Anthropology vol. 14 no. 3, 1958.
  • Trenkenschuh, F. 1974. Cargo Cult in Asmat: Examples and Prospects'”, in: F. Trenkenschuh (ed.), An Asmat Sketchbook, vol. 2, Hastings, NE: Crosier Missions.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]