選抜高等学校野球大会 (鳥取県勢) – Wikipedia
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選抜高等学校野球大会における鳥取県勢の成績について記す。
選抜中等学校野球大会[編集]
- 1924年に初開催された頃は、県勢ではすでに鳥取中(現・鳥取西)が全国中等学校優勝野球大会で活躍し名を馳せていた。同校は1927年の第4回大会で初出場、1933年にも出場しているが、夏のように上位進出はしていない。
- 1932年には鳥取二中(現・鳥取東)が同校唯一の出場を果たしている。
- 1935年には米子中(現・米子東)が初出場を果たしているが、これ以後の県勢の出場は、1960年までの25年のブランクとなる。
選抜高等学校野球大会[編集]
- 1960年に岡本利之率いる米子東が2度目の出場を果たすと、宮本洋二郎の好投と隙のないバント戦法で勝ち進み、決勝戦に進出した。決勝では高松商に春夏通じ初(選抜唯一)のサヨナラ優勝本塁打を浴び敗れたが、これは現在まで春夏通じて山陰勢唯一の決勝進出である。翌1961年にも左腕・矢滝伸高の力投でベスト4に入った。
- 1970年代後半からは倉吉北が台頭した。特に1979年と1981年には矢田万寿男、坂本昇の力投で、それぞれベスト8、ベスト4に進出し、「山陰の暴れん坊」と呼ばれた。
- 1988年には全国高校野球選手権大会の第1回大会から予選に出場している倉吉東が悲願の初出場を果たし、強豪をなぎ倒して2勝を挙げた。
- 平成に入ってからは倉吉東、米子商(現・米子松蔭)、鳥取西、米子東が出場を果たしているが、今ひとつ力を発揮できない。特に1997年から2006年にかけての県勢は、選抜の重要な選考資料となる秋季中国大会において2003年に鳥取城北が4強に進出した以外は、初戦の勝利を挙げることもままならなかった。
- 2007年秋の中国大会で、鳥取県勢が久しぶりに活躍。出場3校がいずれも広島県勢を破り初戦を突破した。特に八頭は準優勝の活躍をみせ、翌春の第80回大会へ出場。初戦で平木良典が投球数79で完封勝利した。
- 2008年秋の中国大会では鳥取城北が、2010年の大会では鳥取中央育英が4強入りを果たしているが、選抜大会への出場はならなかった。
- 2011年秋の中国大会で鳥取城北が鳥取県勢としては47年ぶりに優勝を果たし、選抜初出場を果たした(開幕試合で三重に敗退)。
通算成績[編集]
出場 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
29 | 48 | 20 | 28 | 0 | .417 | 0 | 1 | 2 |
学校別成績[編集]
校名 | 出場 | 通算 | 最高成績 | 前身校 |
---|---|---|---|---|
米子東 | 9回 | 8勝9敗 | 準優勝 | 米子中 |
倉吉北 | 4回 | 5勝4敗 | ベスト4 | |
鳥取西 | 4回 | 2勝4敗 | 3回戦 | 鳥取一中 |
鳥取城北 | 3回 | 1勝2敗 | 2回戦 | |
倉吉東 | 2回 | 2勝2敗 | 3回戦 | |
境 | 2回 | 1勝2敗 | 2回戦 | |
八頭 | 1回 | 1勝1敗 | 3回戦 | |
鳥取東 | 1回 | 0勝1敗 | 初戦敗退 | 鳥取二中 |
鳥取工 | 1回 | 0勝1敗 | 初戦敗退 | |
米子松蔭 | 1回 | 0勝1敗 | 初戦敗退 | 米子商 |
米子北 | 1回 | 0勝1敗 | 初戦敗退 |
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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