鈴木あづさ – Wikipedia

鈴木 あづさ (すずき あづさ、1974年8月15日 – ) は、日本の作家(ペンネーム:水野 梓)で ニュースキャスター。日本テレビ放送網報道局経済部のデスクとして財務省と内閣府を担当する報道記者。過去には読売新聞社編集委員、『NNNドキュメント』ディレクター・プロデューサー、『news every』デスクを歴任した。早稲田大学第一文学部、オレゴン大学ジャーナリズム学部卒業。

『小説家』『テレビ局の現役社員』『報道キャスター』の3つの顔を持つ。

幼少期・学生時代[編集]

東京都生まれ。祖母の水野冨美子は東洋英和女学院の国語の教師で、柳原白蓮や『赤毛のアン』を訳した村岡花子(NHK連続テレビ小説『花子とアン』のモデル/吉高由里子(演))を教えた。そんな祖母から本を読む喜びを教えてもらう。祖母の家を訪れると、いつもお小遣いの代わりに新しい本を一冊買って待っていてくれて。『いやいやえん』『小さいモモちゃん』シリーズ、『ガラスのうさぎ』『モモ』など。いつもワクワクする物語の世界の入り口だった[1]

幼少期からジャーナリスト志望だった。小学生の時は新聞委員を務めた。将来の夢は新聞記者。小学3~4年生くらいから小説家にも憧れた。当時は友達関係で悩んでいて、学校ではずっと図書館にこもっていた。司書の先生が勧めてくれたのが「孤高の人」(新田次郎著)という小説で、主人公が1人で山と向き合う姿勢に「孤独でもいいんだ」「何でもうまくやろうとしなくていいんだ」と気分が楽になった。小説の登場人物との会話が救ってくれた[2][3]

早稲田大学第一文学部入学。大学在学中にアメリカ合衆国の大学に海外留学をし、オレゴン大学のジャーナリズム学部を卒業し、帰国後、早稲田大学を卒業。卒業論文は小説だった[4]

『日本テレビ』入社[編集]

1999年(平成11年)日本テレビ放送網に入社、報道局に配属[5]

報道局社会部では 警視庁や皇室等を取材。原子力・社会部デスクを経て、NNN北京支局(現在のNNN中国総局)に異動。中国特派員を経て日本に帰国。帰国後は『NNNドキュメント』のディレクター・プロデューサー、『news every』のデスクを担当[4]

2014年(平成26年)NNNドキュメント14『反骨のドキュメンタリスト~大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃』でギャラクシー賞月間賞を受賞。2013年(平成25年)1月に世を去った大島渚が、1963年(昭和38年)日本テレビの「ノンフィクション劇場」で手がけた『忘れられた皇軍』。補償なき在日韓国人傷痍軍人の街頭活動に強い憤りを持って迫る大島のカメラは何を告発しようとしていたのか。妻・小山明子や当時のスタッフの証言を軸に、是枝裕和や田原総一朗らと検証する内容。鈴木はディレクターを担当した[2][6][7]

『読売新聞』出向[編集]

その後 読売新聞社に出向。編集委員として、医療や社会保障、教育を担当。出向契約解除後は 報道局経済部に異動。デスクの傍ら財務省と内閣府を中心に取材を担当[4]

『会社員』&『ニュースキャスター』&『小説家』三刀流[編集]

2020年(令和2年)3月30日よりBS日テレ『深層NEWS』メインキャスターに右松健太と共に就任。翌年からは金曜日担当となる[8][9]

2021年(令和3年)小説『蝶の眠る場所』で小説家デビュー(ペンネームは水野梓)。デビュー作とは思えない緻密な設定とリアリティ、そして映像が見えるようあ描写で高評価を得る。テレビ局のドキュメンタリー番組の女性ディレクターが、すでに犯人に死刑が執行されている殺人事件を冤罪(えんざい)だと証明していく物語。いじめ、犯罪者の家族の苦悩、LGBT等も描かれている[5][4]

とある事件ドキュメンタリー制作を担当したとき、死刑や冤罪、テレビ報道の功罪について小説を書きたいと思った。2014年(平成26年)から執筆をスタート。『NNNドキュメント』で取り上げた「高齢初犯」という番組をポプラ社より出版したことで、当時の編集者に小説を持ち込んだ。当時の文芸編集部・吉川健二郎は「持ち込まれた段階で既に物語としての完成度が非常に高く、とても初めて小説を書いた方の作品とは思えなかった。すぐに会議を開き満場一致で出版を決断しました」と明かした[10]

文芸評論家の北上次郎(「本の雑誌創刊者)は「物語にどんどん引き込まれていき、デビュー作とは思えないほど全体が素晴らしい。文章がなめらかであることに留意。しみ入るように体に溶け込んでくる。小説を読むことの喜びがここにある。この作者、ハードボイルドに向いているのではないか」と論評している[11]

  • ペンネームの「水野梓」は『花子とアン』の時代の東洋英和女学校で国語を教えていた祖母の姓を貰った。本の楽しさを教えてくれて、いつか小説家になれたらと、夢を見るきっかけを作ってくれた思慕を込めたという。インタビューで祖母について「96歳のとき火事で亡くなってしまったが、独り暮らしで自活し、前日まで万葉集を図書館で引き写していた。自分に厳しく人に優しく、それでいてユーモアがあり、いつも教え子が家に遊びにきていた。凜として立つ明治の女という感じでかっこいいなぁ、祖母のような生き方がしたいと思ってペンネームを水野梓としたら、水野さんに出会えた」と回顧した[10][1]
  • 2021年6月現在、9歳の息子を持つ母親である[2]
  • 3つの名刺を持ち歩く。肩書がそれぞれ異なっている。「日本テレビ経済部デスク」「『深層NEWS』キャスター」「水野梓」[12]

担当番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

新聞[編集]

雑誌[編集]

水野梓 名義

関連項目[編集]