テッポウユリ – Wikipedia
テッポウユリ(鉄砲百合、学名 Lilium longiflorum)は、ユリ目ユリ科ユリ属の多年生草本球根植物である。ラッパに似た形の筒状の花を横向きに咲かせる。川口市の市の花となっている。
丈が 50cm-1m 程度に生長し、楕円形で長い葉をつけ、葉脈は水平方向に入る。原産地での花期は 4-6 月で、茎の頂上に純白で細長い花を横向きにつける。花長は 10–15 cm、直径 5 cm ほど、花弁が6枚あるように見えるが根元がつながっており筒状になっている。雌雄同花である。
本種は外見・生態上の特徴が後述の近縁種タカサゴユリに酷似するが、一般にタカサゴユリよりも小型であり、葉が太めで、花が白く筋などが入らない点で区別する。ただし、本種はタカサゴユリとの園芸交雑種が多く、変異も起きやすいとされ、違いが判別しにくい場合も多い。一般的に球根植物は乾燥に強いが、本種は、乾燥に弱い。
日本の南西諸島および九州南部が原産で、本州以東では園芸用に移入されたものが分布する。沖縄県では自生種が群生する様子が見られる。
他の近縁種[編集]
ニワシロユリ[編集]
ニワシロユリ(Lilium candidum、英名 Madonna lily)はバルカン半島および西アジアを原産とし、花はテッポウユリに似て白いが短めで、葉は細い。茎は 1.2-2m にまで生長する。またバチカンの国花である。
シンテッポウユリ[編集]
シンテッポウユリ(新鉄砲百合、Lilium x formolongo)は、園芸用にテッポウユリとタカサゴユリがかけ合わされた交雑種とされ、外見上も両者の中間的な特徴を持つとされる。
一般に、発芽から開花までの期間が短く(概ね1年程度以内)、花が白いが葉が細めであるなど、両者の特徴を併せ持ち判別が困難である場合に「シンテッポウユリ」と呼ばれることもある。中には園芸用に花が上向きに傾いて咲くものが選別されている場合もあり、様々な種が存在していると考えられている。
これらの多くは園芸用に栽培されているが、それらの中には種子を稔らせるものもあるため、それが野生化することも考えられる。それだけ両種の間では交雑や変異等による変化が考えられ、外形上の判別が難しいことを示唆している。
テッポウユリ亜属[編集]
テッポウユリ亜属(学名:Leucolirion)には次の種が属する。
- テッポウユリ
- タカサゴユリ Lilium formosana
- 高砂百合は台湾百合とも呼ばれ、もともと台湾原産で、日本には1924年に移入されて、帰化植物として西日本に広く自生する[1]。
- ハカタユリ(博多百合)Lilium brownii var. colchesteri
- 中国原産で、日本には鎌倉時代に九州北部に移入された帰化植物とされる。しかし現在の分布は限られており、当地ではハカタユリの復活計画などが実施されている。
- ヒメサユリ(姫早百合、オトメユリ、乙女百合) Lilium rubellum Baker
- 丈が 15-60cm ほどと低めで、花期は 5-7 月、花被片にはアントシアニンが含まれ桃色から淡紅色の香りのある花を咲かせる。東北地方および新潟県の山地に自生しており、各地ではハルユリ(春百合)、アイヅユリ(会津百合)、コマチユリ(小町百合)などとも呼ばれる。なおササユリの変種(Lj var. rubellum Makino)とも考えられている。近年、園芸用採取やダム建設などで絶滅させられる生息地が相次いでおり、かつては絶滅危惧IB類(EN)に指定されていた。2007年8月の新レッドリストで準絶滅危惧(NT)(環境省レッドリスト)にランクされた。
- ササユリ Lilium japonicum
- 近畿から九州にかけて自生する固有種で、花期は 6 – 7月。花は桃色で独特の香りがある。栽培が困難のため一般には園芸用にはされないが、乱獲などを受け分布を狭めている。
- ジンリョウユリ Lilium japonicum var. abeanum
- ササユリの変種で、徳島県などで確認された。道路敷設など人為的開発および園芸用採取により分布を狭め、かつては絶滅危惧IA類(CR)に指定されていた。2007年8月の新レッドリストで、絶滅危惧IB類 (EN)(環境省レッドリスト)にランクされた。
- ウケユリ Lilium alexandrae
- 鹿児島県固有種。森林伐採や道路敷設など人為的開発および園芸用採取により更に分布を狭めており、絶滅危惧IA類 (CR)(環境省レッドリスト)に指定されている。
- タモトユリ Lilium nobilissimum Makino
- テッポウユリより葉が広く、花は白色で、同亜属原種の中では唯一上向きに咲く。絶滅危惧IA類 (CR)(環境省レッドリスト)に指定されている。トカラ列島口之島の固有種だが乱獲により一旦は野生絶滅とされた。しかし後に自生地由来株の植え戻しが行われており、上記判定に修正された。
- Lilium regale E. H. Wilson
- 英名 Regal lily。中国四川省に自生し、白に中央がやや黄色の花を咲かせる。日本では英名から「リーガルユリ」と、または「トランペットリリー」などと呼ばれる。
人間とのかかわり[編集]
園芸種[編集]
日本では墓地に添える花として好まれ、また西欧でも冠婚葬祭で好まれ(下記の#イースターリリーを参照)、特にテッポウユリとタカサゴユリ、およびその交雑種は盛んに栽培され、園芸や切り花などにされる。
本種は結実するが、球根の分球により比較的容易に増やすこともでき、タカサゴユリを掛け合わせた丈夫な園芸種や小形にしたものなどもある。ただし前述のとおり連作障害が出やすいため、畑や庭などに植える場合でも3年程度で植え替えが行われる。
食用・生薬[編集]
- ササユリ、ヒメサユリ – 根は食用とされる。
- ハカタユリ – 原産地の中国では「百合根」として生薬に用いられる。
花言葉[編集]
- 全般 – 純潔、威厳、無垢など。
- テッポウユリ、タカサゴユリ、ニワシロユリ – 正直、甘美など。
切手[編集]
イースターリリー[編集]
キリスト教西方教会では、復活祭にテッポウユリを教会の祭壇に飾るなどする習慣があり、これをイースターリリー(Easter lily)と呼ぶ。それはキリスト教の伝説からきている。つまり、イエスが十字架につけられた後、ゲッセマネの園に白いユリが現れた。イエスが最後の瞬間に受けた痛みと苦しみは、汗となり、すべて白いユリに落ちたという。このため伝統的に、キリスト教徒は復活祭にユリを祭壇の周りに置き、イエスの復活を記念して飾ってきた。ただし、この聖書に記載されている花は伝統的にユリと訳されてきたが、中東原産のユリまたは道路沿いの普通の野草である可能性がある(最近の『新共同訳聖書』では「花」、参照:ヨハネによる福音書6:28=山上の説教の一部)。もともと日本で生まれたこのユリが、アメリカではイースターリリーになり、現在アメリカが最大の生産地になった訳であるが、これには屈折した歴史がある。[2]
テッポウユリは、日本の琉球と台湾が原産である。1777年にスウェーデンの植物学者カール・ツンベルクによって記録され、医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトもそうした紹介に携わり、その球根は1819年にイギリスに持ち込まれ、1853年には再度持ち込まれた。イギリスの宣教師と船員たちはテッポウユリをその成長にふさわしいイギリス領バミューダに持ち込んだ。また、日本政府は1873年のオーストリア・ウィーンでの万国博覧会にテッポウユリを展示して、その花の美しさの欧米での人気に拍車をかけた。[3]
1880年代に、トーマス・サージェント(Thomas Sargent)がバミューダから米国フィラデルフィアに球根を持ち帰り、すぐ非常に人気が高まり、復活祭を飾る花になった。19世紀の終りには、バミューダはイースターリリーの主要生産地になっている。しかし、1898年にウイルスによりバミューダのテッポウユリ産業は完全に破壊された。このため日本がイースターリリーの主要生産国として置き換わり、1941年に日本の真珠湾攻撃で中断されるまで、毎年3,000万種類の球根を米国に輸出した。一方、1919年に、第一次世界大戦の退役軍人であるルイス・ホートン(Louis Horton)はテッポウユリの球根の箱をオレゴン州に購入していて、それ以来イースターリリーは米国に定着した。第二次世界大戦の発生後、テッポウユリの球根の価格が非常に高くなったため、投機家が活躍する対象になった時期がある。第二次世界大戦の終りには、太平洋海岸のワシントン州バンクーバーからカリフォルニア州ロングビーチまで、約1,200のメーカーがテッポウユリを植えていた。しかし現在では、イースターリリーを生産しているメーカーは約10社にすぎず、米国オレゴン州とカリフォルニア州の沿岸地域に集中しており、世界のイースターリリーの約95%が米国市場で生産されている。
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