ジャスティン・ワーナー – Wikipedia

ジャスティン・パリス・アシュビー・ワーナーJustyn Paris Ashby Warner、1987年6月28日 ‐ )は、カナダ・ノースヨーク出身の陸上競技選手。専門は短距離走。100mで10秒09、室内60mで6秒57の自己ベストを持つ。2013年モスクワ世界選手権と2015年北京世界選手権の男子4×100mリレー銅メダリストで、両大会の決勝においてアンカー(4走)を務めた選手である。

2005年[編集]

7月に地元カナダのウィンザーで開催されたパンアメリカンジュニア選手権に出場すると、男子100m決勝で10秒26(+0.7)のジュニアカナダ記録(当時)を樹立。1994年にカールトン・チェンバース英語版がマークした10秒30を塗り替えて銀メダルを獲得した[1]。男子4×100mリレーではアンカーを務め、40秒25をマークしての銀メダル獲得に貢献した。

2006年[編集]

8月に北京世界ジュニア選手権に出場すると、男子100mでファイナリストになり、決勝では各ラウンドを通じて一番良いタイムの10秒39(-0.5)をマーク。惜しくもハリー・アイキネス=アリエティ(10秒37)に0秒02差で敗れ銀メダルに終わったが、100mでは男女通じてカナダ史上初のメダリストとなった[2]。4×100mリレーでは1走を務め、予選を39秒64のジュニアカナダ記録を樹立。決勝でも予選のタイムに迫る39秒78をマークしたが、ジャマイカ(39秒05)、アメリカ(39秒21)、イギリス(39秒24)に次ぐ4位でメダルを逃した[3]

2012年[編集]

3月のイスタンブール世界室内選手権男子60mで初のシニアの世界大会ファイナリストになり、決勝は6秒65で7位に入った[4]。オリンピック初出場となったロンドンオリンピックでは、男子100m予選を自身初の10秒0台となる10秒09(+1.5)で突破し、準決勝でも自己ベストタイの10秒09(+1.7)をマークしたが決勝には進めなかった[5]。男子4×100mリレーではカナダチーム(ギャビン・スメリー英語版オルセイ・スミス英語版ジャレド・コナフトン英語版、ワーナー)のアンカーを務めると、予選を38秒05の好タイムで突破。決勝でワーナーは5,6番手でバトンを受け取ると、直線で日本とフランスのアンカーを抜いて3位でゴールし、この種目では1996年アトランタ大会以来のメダル獲得と思われたが、3走のジャレド・コナフトンがワーナーにバトンを渡す直前に内側のラインを踏んだとして、レーン侵害の失格に終わった[6]

2013年[編集]

8月のモスクワ世界選手権男子4×100mリレーに出場し、カナダチーム(ギャビン・スメリー、アーロン・ブラウン、Dontae Richards-Kwok(英語版)、ワーナー)のアンカーを務めると、メンバーに100mで9秒台の自己ベストを持つ選手がいない中、決勝でカナダ歴代4位(当時)の記録となる37秒92をマーク。ジャマイカ(37秒36)、アメリカ(37秒66)に次ぐ3位に入り、この種目では1997年アテネ大会以来のメダルとなる銅メダル獲得に貢献した[7]

2015年[編集]

5月にナッソーで開催された世界リレー男子4×100mの予選でアンカーを務めたが、1-2走間のバトンミスによってバトンはワーナーまで渡らなかった。しかし、ワーナーは周りのレーンのアンカーと一緒に走り出し、ゴール手前で力を抜いたものの最後まで走りきった。8月に北京世界選手権に出場すると、2011年大邱大会以来の出場となった男子100mは予選で10秒20(-0.1)の組5着に終わり、準決勝には進めなかった[8]。男子4×100mリレーでは予選でカナダチーム(ワーナー、アンドレ・ドグラス、ブレンドン・ロドニー英語版、アーロン・ブラウン)の1走を務めると、38秒03の好タイムをマークして組5着(全体6位)で決勝に進出した。決勝ではカナダチーム(アーロン・ブラウン、アンドレ・ドグラス、ブレンドン・ロドニー、ワーナー)のアンカーを務めると、ゴール直前で中国のアンカーに抜かれ38秒13の4位でゴールしたが、その後2位でゴールしたアメリカがオーバーゾーンで失格となり、カナダは3位に繰り上がり2大会連続の銅メダル獲得となった[9]

弟のイアン・ワーナー英語版は2007年世界ユース選手権男子100mで7位、妻のニキータ・ホルダー英語版は2011年大邱世界選手権女子100mハードルで6位の実績を持つ。

自己ベスト[編集]

記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、+は追い風を意味する。

主要大会成績[編集]

備考欄の記録は当時のもの

外部リンク[編集]