三殿台遺跡 – Wikipedia

三殿台遺跡(さんとのだいいせき)は、神奈川県横浜市磯子区岡村にある縄文時代から古墳時代にかけての大規模な集落遺跡である。国の史跡。250軒以上の竪穴住居跡が見つかり、その大部分が弥生時代のものである。遺跡は現地保存されており、敷地内に復元住居や遺構の保護施設がある。また展示施設横浜市三殿台考古館があり、出土した遺物などが展示されている。

標高約55メートルの小高い台地上の住宅街の一角にある。遺跡範囲は広さ約10000平方メートルが保存されているが、既に消滅した部分を含めると本来は40000平方メートルの規模だったと推定されている[1]

この周辺の丘の斜面に貝塚が点在していたことから、1899年(明治32年)に遺物を採集し、鳥居龍蔵と共に調査をした地元の医師、藤田清玐(せいはち)が「屏風ヶ浦岡村貝塚」として『東京人類學會雑誌』で紹介した[2]。その後小規模な発掘調査が何度か行われた。

1961年(昭和36年)、遺跡の乗る台地が隣接する横浜市立滝頭小学校岡村分校(現・横浜市立岡村小学校)の校地拡張予定地となったことで、和島誠一を主任として大規模な発掘調査が行われ、約10000平方メートルの遺跡残存部全域が発掘され、縄文・弥生・古墳の3時代に亘る集落跡が確認された[3][4]。1966年(昭和41年)に国の史跡に指定され、翌1967年(昭和42年)、三殿台考古館が開館し遺跡とともに公開された[5]。住居跡は252軒が確認され、うち8軒が縄文時代、43軒が古墳時代、残余の大部分が弥生時代のものである[注 1]

横浜市三殿台考古館・住居址保護棟。建物周囲に並ぶ杭列は竪穴住居跡の検出地点を示したもの。

所在地・交通[編集]

神奈川県横浜市磯子区岡村町4-11-22

イベント[編集]

考古館における展示のほか、勾玉作りや弓射ち体験、土器作り体験などのイベントを年間を通して開催している。またオリジナルグッズ販売も行っている[6](横浜市埋蔵文化財センターでは通信販売[7])。

横浜出身の音楽ユニットゆずの5thアルバム『すみれ』(2003年)付属ブックレットの写真に、本遺跡内で撮影されたものがあり[8]、ゆずファンも訪れるスポットとなっている[9]

注釈
  1. ^ 三殿台考古館サイトでは「170軒近く」を弥生時代のものとしているが、この数字は資料によって差があり、『国史大辞典』6巻(吉川弘文館 1985年)は「縄文時代8軒、弥生時代200軒、古墳時代43軒」とし、『図説 日本の史跡』1(同朋舎出版、1991年)は「縄文時代8軒、弥生時代151軒、古墳時代43軒、不詳約50軒」とする。
出典

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]