Month: October 2017

執権 – Wikipedia

執権(しっけん)とは、鎌倉幕府の職名。鎌倉殿を助け、政務を統轄した。元来は政所の別当の中心となるものの呼称であった[注釈 1]。 歴代執権一覧[編集] 職名として「執権」が最初に用いられたとみられるのは、後三条天皇が設置した記録所の勾当の別称であったと考えられているが、文献上で確認できるのは1186年(文治2年)以後である。また、職事の蔵人の筆頭(通常は蔵人頭)を執権職事(しっけんのしきじ)と称した。 続いて、院庁でも別当のうち器量の者を1名執権に任じて院中雑務の責任者とした。これは後鳥羽上皇に葉室光親が任じられたのが初めとされ、鎌倉幕府の執権成立と前後している。ただし、院庁の執権は当初は非常設で、1246年(寛元4年)に任じられた葉室定嗣(光親の子)が常設化された院執権の最初と考えられている。これ以降の院執権は院司の筆頭として伝奏や評定衆を兼務して院庁の運営や評定の議事進行を担当した。院執権は江戸時代末期の光格上皇の時代まで存続した。 鎌倉幕府の組織は、もとは平家追討の功労によって公卿に列した鎌倉殿源頼朝の家政機関から始まったものであり、政所がその中核にあった(従って、1192年(建久3年)の頼朝の征夷大将軍任命以前より鎌倉幕府の諸機関は存在していた)。その政所職員である家司の筆頭に、朝廷の記録所や蔵人所で使われた「執権」を称する職名が与えられたと考えられている。伊豆へ配流された頃からの頼朝を支え、娘の政子を頼朝に嫁がせて2代にわたり将軍の外戚となった政所別当北条時政は、鎌倉殿の家司筆頭として「執権」を名乗るのに相応しい立場にあったと考えられている。 幕府滅亡後、鎌倉将軍府において成良親王を補佐した足利直義が執権と称されたほか、室町時代には管領の異称でもあり、江戸時代には武家の家老が称されることもあった[2]。 いわゆる初代の「執権」は、1203年(建仁3年)に北条時政が外孫である3代将軍源実朝を擁立した際に政所別当とともに合わせて任じられたのが最初とされている(異説として、初代政所別当である大江広元を初代執権とする説もあるが少数説である。また後述のように北条泰時の時代に初めて登場した説もある)。時政の就任以来、北条氏の権力確立の足場となる。2代執権の北条義時が侍所の別当を兼ねてからは、事実上、幕府の最高の職となった。基本的に鎌倉幕府は、鎌倉殿と御家人の主従関係で成り立っており、北条氏も御家人のひとつに過ぎなかった。 源氏将軍が3代の源実朝で途絶えてからは、摂関家、皇族から名目上の鎌倉殿を迎え、その下で執権が幕府の事実上の最高責任者となる体制となった。しかし、政敵となる有力御家人を次々と滅ぼし、また執権以外の幕府の要職の多くを北条氏が独占していくにつれて、御家人の第一人者に過ぎなかった北条氏の実質的権力は、漸次増大していった。また、摂家将軍・宮将軍の下では幕府で行われる訴訟の裁決は、将軍による下文ではなく執権による下知状によって行われることになり、執権が幕府における訴訟の最高責任者となって将軍は訴訟の場から排除されることになるが、これは単なる執権の権力の拡大ではなく鎌倉幕府を維持する上で必要性があったとする見方がある。この考えによれば、御恩と奉公の論理によって支えられていた鎌倉幕府において、将軍は御恩の一環として御家人の所領を安堵して彼らを保護する義務を負っていたが、御家人同士の所領争いの裁決を下すことで敗れた御家人に対する保護義務を反故にしたと受け取られ、将軍と訴訟に敗れた御家人との主従関係を破綻させる可能性を秘めていた。そのため、所領を安堵する将軍とは別に同じ御家人である執権が訴訟の裁許を行うことで、御家人同士の所領争いにおいて将軍と御家人における御恩と奉公の関係を壊すことなく公正な訴訟が執り行われることになり、幕府の訴訟制度の確立につながったとする。また、執権による公正な訴訟は御家人にとっても望ましいものであった[3]。また、合議制の訴訟制度の確立の過程で、かつ将軍の後見人(「軍営御後見」)でもあった北条泰時が、評定衆を取りまとめて将軍の代わりに裁決を行う役目として兼ねた職が執権の始まりで、時政・義時を執権としたのは過去の政所別当・軍営御後見を遡って「執権」と記した『吾妻鏡』の記述に由来とする説もある[4]。 やがて、北条氏の権力が増大するにつれて、幕府の公的地位である執権よりも、北条一門の惣領に過ぎない得宗に実際の権力が移動していくことになる。得宗の5代執権時頼が、執権の座を6代執権長時に譲り出家し、依然として幕府内の権力を保持し続けたことが、得宗への権力移動の端緒となる。これ以降、得宗と執権が分離し、実際の権力は得宗がもつようになり、執権は名目上の地位となった。さらに、9代北条貞時が幼くして得宗と執権の両方を継承すると、得宗家に仕える御内人が貞時の補佐を名目として幕府の政治に関与するようになった。 貞時は平禅門の乱で内管領平頼綱を滅ぼし、自ら政務を執るようになるが、嘉元の乱以降政務を放棄するようになり、最高権力者であるはずの貞時が政務を放棄しても長崎氏らの御内人・外戚の安達氏、北条氏庶家などの寄合衆らが主導する寄合によって幕府は機能しており、得宗も皇族出身の将軍同様に装飾的な地位に祭り上げられる結果となった[5]。貞時の子北条高時の時代になると、執権も得宗も形骸化し、北条家の執事というべき内管領の長崎氏が権力を握るようになった。 近代になって龍粛が1922年(大正11年)に著した『尼将軍政子』の中で源実朝没後に執権が鎌倉幕府の実権を掌握してからの体制を執権政治(しっけんせいじ)と表現して以後、この語が広く用いられるようになった。ただし、近年では実朝の死後は北条政子が「尼将軍」として実権を掌握しており、執権政治への移行は政子の死後であるとする見方が出されている。また佐藤進一は執権政治期を2つに分け、後期を得宗専制(とくそうせんせい)とよぶことを提唱し、鎌倉時代後期の政治史・法制史研究の前提として定着した。ただし、得宗専制のはじまりについては歴史家の間でも議論が別れている[6]。 なお、執権の多くは相模守に任官され、武蔵守に任官された事実上の副執権である連署と共に「両国司」(『沙汰未練書』)と呼ばれた[7]。 注釈[編集] ^ ただし、征夷大将軍の位階が政所を設置できる従三位に到達していない時期には、政所が停止されているにも関わらず執権は何ら制約を受けていないことから、鎌倉幕府の政所別当が執権を兼ねる例はあっても、2つの職は別の役職として切り離して考えるべきだとする考え方もある。また、北条泰時が執権だった時期には、叔父で連署の北条時房が筆頭の別当で泰時は次席の別当であったことも指摘されている[1]。 出典[編集] ^ 長又高夫『御成敗式目編纂の基礎的研究』(汲古書院、2017年)P180-181・185 ^

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アカイロ/ロマンス – Wikipedia

『アカイロ/ロマンス』は、藤原祐による日本のライトノベル。イラストは椋本夏夜(兼、原案協力)が担当。2008年8月から2009年12月に渡り電撃文庫で刊行された。 ストーリー[編集] 人間ではない「一族」がいた。昔に人との戦いに敗れひっそりと暮らしていたが、いつからか女しか生まれず、それ故に種としての存続もままならないほどになっていた「あやかし」。それまでも、これからも、彼女たちは人の世から隠れ、人知れず生きていく。そのはずだった。ある小さな諍いが「一族」の中で起こるまでは。 そして、その日。「一族」が起こした諍いは小さな波紋となり、町へと広がっていく。その結果として、霧沢景介と灰原吉乃の前に突如、枯葉と名乗る少女が現れる。彼女との出会いこそ、「鈴鹿の一族」にまつわる血塗れの幻想奇譚(アカイロ ロマンス)の始まりだった。 登場人物[編集] 霧沢景介(きりさわ けいすけ) 蔵物:かみらの枝 主人公。私立白州高校に通う高校生。1年A組。クラスメイトからはなぜか性悪メガネと呼ばれる。8年前に姉の霧沢雅が失踪したことを気に病んでおり、後によく似た境遇である吉乃のことを気にかけるようになる。 吉乃が亡くなった日に本家側と繁栄派側の戦闘に巻き込まれ、その後穏健派に付く。 棺奈に与えられた「かみらの枝」を使って戦う。確認されている中では唯一、蔵物を持つ真人間。 枯葉(かれは) 蔵物:つうれん メインヒロイン。「鈴鹿の一族」本家の次女。「鈴鹿の一族」では穏健派の頭領となる。一族内での争いから首から下を失っていたところを、灰原吉乃の体にて喪着を行う。そのため、吉乃が生前好きであった景介を夫とすると主張している。鈴鹿の一族に伝わる一族殺しの宝刀「つうれん」を所有し、自らの命と共に繁栄派に狙われている。 灰原吉乃(はいはら よしの) もうひとりのメインヒロイン。1年A組。クラス内では唯一、景介が話しかける以外は誰とも話さず、存在感のない少女。中学時代に失踪した尾ノ上梨々子とは親友同士の間柄。尾ノ上の失踪をきっかけに話しかけるようになった景介に恋愛感情を抱いている。 とある先輩の告白を断ったことをきっかけに学校内で激しいいじめを受けており、景介と遊びに行く約束をし、携帯のアドレスを登録したその日に受けた暴行で頭を打ち、死亡する。その死を最も近くで見ていた枯葉にその心の強さを認められ、喪着を行われる。 尾ノ上梨々子(おのうえ

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ポエ (植物) – Wikipedia

ポエ(アベイ語(英語版): poé)は、ストロンボシア科(広義のオラクス科を構成する科の一つ)ストロンボシア属(英語版)の高木の一種である。アフリカのギニア・コンゴ林全体に見られる[2]。 リベリア、ナイジェリア、カメルーン、中央アフリカ共和国、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、ガボン、アンゴラのカビンダ州に分布する[3]。変種 lucida はギニアビサウ、ギニア、シエラレオネ、リベリア、コートジボワール、ガーナ、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国に見られる[3]。 コンゴ民主共和国北東部のイトゥリの森(英: Ituri (Rain)forest)ではマメ科のリンバリ(スワヒリ語: limbali; 学名: Gilbertiodendron dewevrei)やイルウィンギア科(英語版)のエベウス(ガボンのファン語: eveuss; 学名: Klainedoxa gabonensis)などと共に炭素を蓄積する働きのある地上部バイオマスを形成する樹種の一つとなっている[4]。 通直で円柱形、径1メートルの高木で枝下短く、縦溝が見られる[2] 単葉が互生し、中形である[2]。花は白色である[3]。 種子の仁は15-18パーセントの油分を含むが、赤褐色で不快な臭いがする[5]。 ポエは自生地で薬用とされたり木材の供給源とされたりはしているものの伐採されると弱く、また生長の遅さの遅さもあるため、より大規模な商業的利用は望めないものと目されている[6]。

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ももいろ討鬼伝 モモタロウくん – Wikipedia

『ももいろ討鬼伝 モモタロウくん』(ももいろとうきでん モモタロウくん)は、鷹岬諒による日本の漫画作品。別冊コロコロコミック2013年12月号に読み切り作品として掲載され、2014年4月号から2017年4月号まで連載された。 桃太郎の子孫・桃百太郎(もも ももたろう)と、赤鬼族の少女・魔美をはじめとする美少女達との日々と、鬼族とのバトルを色気を交えて描いた漫画[1]。キャラクターの名前には果物・木の実・香料など植物関連の用語から取っているものが多い。 初期案ではいちごちゃんという人間の少女がヒロインとなる予定であったが、キャラクターが弱くセクシーさに欠けたため、「お色気で勝負するならもっと攻めるべきだ」という編集者のアドバイスを受けた鷹岬がキャラクターを作り直した結果、鬼娘の魔美というヒロインが出来上がったという経緯がある[2]。編集コンペには通ったものの、編集会議ではバッシングが相次いだと鷹岬は振り返っている[3]。 あらすじ[編集] 第34代目桃太郎としてこの世の鬼を退治する役目を背負った少年・桃百太郎(もも ももたろう、以下:百太郎)。 あるとき、鬼の少女・鬼堂魔美が秘宝のきびだんごを食べた結果、彼女の中に霊力が宿り、他の鬼たちに狙われたため、百太郎のもとに身を寄せることとなった。 登場人物[編集] モモタロウ陣営[編集] 桃百太郎(もも ももたろう) 本作の主人公である、第34代目桃太郎。鬼ヶ島小学校5年2組に転入してきた。現代の世にはびこる鬼たちを退治する役目を持っている。机を両断する、弓矢を切り払う、氷柱を叩き割るなど剣技は冴えているが、まだ幼いため美女に弱い。きびだんごを食べてしまった魔美を守るため、魔美の家(居城)に居候している。魔美の丹田に手を当てることできびだんごのパワーを引き出すことが出来る。 必殺技は霊力を光の刃に変えて薙ぎ払う「モモタロウ気功剣」で、磯銀鬼戦では気功剣を大砲に変えて放つ進化技「モモタロウ気功砲」を使用している。 作者である鷹岬は、1巻の巻末コメントにて、百太郎がエッチな人物であることを否定している。 真・モモタロウ(しん-) 初代モモタロウの残した元祖きびだんごの霊力で覚醒した百太郎。体は(きびだんごを食べた魔美同様)一時的に大人のように立派な体格に成長し、鉢金や鎧などの防具が現れる。目元に刺青のような紋章が浮かぶのが特徴。 通常時の気功剣がまるで通じない黒鬼を一撃で倒すほどの強さを有し、元祖きびだんごをヒロインたちが食べた後は彼女たちの持つ「特質」を一時的に借用できるようになった。

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ブッチ・キャット – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ブッチ・キャット” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年4月) この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。目安に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。出典検索?: “ブッチ・キャット” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年4月) ブッチ・キャット (Butch

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近岡理一郎 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “近岡理一郎” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年9月) 日本の政治家 近岡 理一郎 ちかおか りいちろう 生年月日 1926年9月7日 出生地 日本 山形県最上郡真室川村 没年月日

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アサヒグループ食品 – Wikipedia

アサヒグループ食品株式会社(アサヒグループしょくひん)は、アサヒグループホールディングス傘下の、食品や医薬品などの製造・販売を行う日本の企業である。本社を東京都渋谷区恵比寿南の旧カルピス本社ビル内に置き、登記上本店は東京都墨田区吾妻橋のアサヒビール本社ビル内に置く。 アサヒグループホールディングスには、酒類事業・飲料事業・食品事業・国際事業といくつかの事業があり、食品事業には、菓子や健康食品などを扱うアサヒフードアンドヘルスケア、ベビーフードなどを扱う和光堂、フリーズドライ食品を扱う天野実業の3社があった。2015年6月に事業再編を行うことが発表され、翌月にアサヒフードアンドヘルスケア・和光堂・天野実業3社の共同株式移転によって当社が設立され、2016年1月に各社の営業・マーケティング・研究開発・SCM・管理の各部門などの機能を吸収分割によって当社へ移管・部門統合した。2017年7月に製造子会社として存続していた3社を吸収合併した。 2020年4月にはアサヒグループホールディングス内における食品事業の再編に伴い、アサヒカルピスウェルネス(初代)のうち、健康食品などの通信販売事業と素材事業を当社が設立した準備会社へ移管の上、アサヒカルピスウェルネス(2代目)へ商号変更して当社の子会社となり[2]、 2021年1月にアサヒカルピスウェルネス(2代目)を吸収合併した[3]。 現在は、コンシューマ事業・健康食品通販事業・食品原料事業の3事業で展開しており、コンシューマ事業には食品菓子、フリーズドライ食品、ベビー関連、ヘルスケアの4つの分野が、食品原料事業には業務用、酵母素材、乳素材・フリーズドライの3つの分野にそれぞれ分かれる。 なおアサヒグループ食品への統合後も、各社が持っていた「アサヒ」・「和光堂」・「アマノフーズ」及びアサヒカルピスウェルネス(2代目)が扱っていた「カルピス」の各ブランドはそのまま存続されている。また、アサヒフードアンドヘルスケアや和光堂が扱っていた一般用医薬品・化粧品(スキンケア)や和光堂が扱っていた衛生用品(清浄綿・ウエットティッシュ)など食品以外の製品もそのまま引き継がれ、当社製品として扱っている。 登記上本店 東京都墨田区吾妻橋一丁目23番1号 本社 東京都渋谷区恵比寿南二丁目4番1号 SCM本部・茨城工場 茨城県常陸大宮市工業団地5番7号 SCM本部・栃木さくら工場 栃木県さくら市富野岡286番地 SCM本部・栃木小金井工場 栃木県下野市小金井18番地 SCM本部・大阪工場 大阪府吹田市西の庄町1番45号 SCM本部・岡山工場 岡山県浅口郡里庄町里見4215番地

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飯野健二 – Wikipedia

ゲームクリエイターの「飯野賢治」とは異なります。 飯野 健二(いいの けんじ、1954年7月7日 – )は、将棋棋士。関根茂九段門下。棋士番号は117。東京都葛飾区出身。 10歳の頃、父から教わり将棋を始める[1]。 1968年、6級で奨励会に入会。以降、三段昇段までは、各昇級昇段に1年以上をかけることなく順調に昇る。 1973年度後期から三段リーグ(旧制)で3期(1年半)を戦うが四段に上がれず、そこで三段リーグ制度が廃止。それから約1年後の1975年3月4日、武市三郎に勝ち、12勝4敗の規定により四段昇段(プロ入り)。その武市との一局で採用した戦法は、奨励会入会以来2度目の採用の振り飛車(阪田流向かい飛車)であった。「知らない将棋を指せば震えないだろう」と考えたからだという[2]。 プロ3年目の1977年度に、全棋士中5位の勝率(0.667)を挙げる。 第17期十段戦の予選(1977 – 1978年)で5連勝し、狭き門の十段リーグ入りにあと一歩と迫るが、予選決勝で大山康晴に敗れる(当時、本戦入りできるのは毎期2人のみであった) 第41期(1982年度後期)と第47期(1985年度後期)の棋聖戦で一次予選・二次予選を通過し、本戦進出。 第42期(1983年度)と第43期(1984年度)のC級2組順位戦で、2期連続で次点(4位)となり昇級を逸する(いずれも8勝2敗)。第49期(1990年度)にも8勝2敗の成績を収めたが、9位。 第1期竜王戦(1987 – 1988年)で5組優勝。本戦進出するとともに4組昇級。 第59期(2000年度)C級2組順位戦で累積3点目の降級点を喫し、フリークラスに陥落。以降、2011年までに順位戦復帰を果たせず、規定により引退[3]。 家族は妻と3人の娘[4]。三女は女流棋士の飯野愛で、女流育成会のち研修会に参加し、2013年10月より女流2級となり、女流プロとしての資格を得た。

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裸絞 – Wikipedia

裸絞の基本形リア・ネイキッド・チョーク。フィギュア4を用い首に右腕を回して左上腕あたりを掴み、左手で相手の後頭部を押して絞めている。 裸絞(はだかじめ)は、柔道、プロレス、総合格闘技で用いられる絞め技の一種である。着衣を利用しない絞め技である。講道館や国際柔道連盟 (IJF) での正式名。IJF略号HAD。現代仮名遣いにより、裸絞めと表記するのが一般的。 フィギュア4を用いた裸絞の基本形リア・ネイキッド・チョークの実演動画 米海兵隊ジョシュア・ストーンによるパーム・トゥ・パームを用いた裸絞の基本形リア・ネイキッド・チョークの実演 裸絞の基本形リア・ネイキッド・チョーク。パーム・トゥ・パームでもフィギュア4でもない腕の組み方をしている。 裸絞めの基本形はリア・ネイキッド・チョーク (RNC) である。リア・ネイキッド・チョークは相手の背後からの裸絞めである。 腕の組み方は方法は主に二つあり、一つは受の首に片腕を回してもう一方の片腕の肘の裏もしくは上腕のあたりを掴み、もう一方の手で相手の後頭部を押してそのまま絞める「フィギュア4」と呼ばれる方法である。肘関節内側を受の首下に引っ掛けて自分の腕をV字にして絞め両サイドからの頚動脈絞めにより参ったを狙う。一方、書籍『決定版講道館柔道』によるとこの組み方も攻撃個所は咽喉部だとしている[1]。 もう一つの腕の組み方は両掌を合わせる形で両手を組んで手首や前腕を相手の頸部を絞め上げる「パーム・トゥ・パーム」と呼ばれる方法である。川石メソッドではこのパーム・トゥ・パームのリア・ネイキッド・チョークを後絞(うしろじめ)と呼び[2]、フィギュア4のリア・ネイキッド・チョークを「裸絞」と呼んでいる。前腕部を相手の首下に引っ掛けて参ったを狙う。柔道形講道館護身術後絞でも受がパーム・トゥ・パームによるリア・ネイキッド・チョークを演じている。 全日本柔道連盟 – YouTubeチャンネル『平成26年度全日本形競技大会優勝組演技「講道館護身術」』 後絞(1m5s〜) – YouTube 相手の制し方は代表的なバックコントロール、バックマウントや背後から両脚による胴絞めのほか、四つんばいの相手への河津掛やステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロックの相手の脚の制し方を流用したものなどがある。 対処法は形が完成する前に相手の片手を掴んで腕を潜って防いだり、しのいでる間にフックされている脚を何とか外して向かいあったり、立ち姿勢で背後から不用意に前傾でかけてくる相手は背負い投げで前に落としたりだが、どれも出来ずに形に入られてしまった場合は最後の抵抗として即座に顎を引いて相手の腕を首下に入れさせない方法などがある。ただし、顎を絞め手の内側に挟んでも慣れた者はそのまま顎絞めに繋いだり顔を上げさせる方法を心得たりしているため、形に入られたまま顎を引いてしのぐというのは、主に短時間膠着で「待て」がかかる競技での対処となる。

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金曜ロードショー – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “金曜ロードショー” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年9月) 金曜ロードショー↓金曜ロードSHOW! ↓金曜ロードショー ジャンル 映画枠↓単発特別番組枠↓映画枠 出演者 【ナビゲーター】サッシャ 他(詳細は#出演者を参照) 製作 製作総指揮 鬼頭直孝(チーフP) プロデューサー

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