Month: May 2018

ハットフィールド・ハウス – Wikipedia

ハットフィールド・ハウスの主館。17世紀建造 敷地内に15世紀末に建てられたビショップ館の一部が遺されている ヘンリー8世(1491-1547) 王女時代のエリザベス 現存の主館を建てたロバート・セシル(1563-1612) ハットフィールド・ハウス(Hatfield House)は、イングランドのハートフォードシャーにある中世のカントリー・ハウス(貴族の館)。15世紀末に高位聖職者の邸宅として建造されたのち王室の宮殿のひとつとして使われ、17世紀初期にロバート・セシルが改築して自邸とした。現・所有者は子孫の第七代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルだが、一般公開されている。主館であるハットフィールド・ハウス、聖職者邸だったころの一部であるビショップ館、庭園のハットフィールド公園から成る。 15世紀末にイーリー大聖堂のモートン枢機卿によって建造されたが、ヘンリー8世の宗教改革の際に没収され、国王の子供たちの宮殿として使用された[1]。メアリー1世やエリザベス1世らが育った場所として知られる。ジェームズ1世の時代にロバート・セシルが手に入れ、以降セシル家の邸宅として今に至る[1]。大物政治家を輩出したセシル家の人脈が多数出入りする政界サロンとしても有名で、1903年には日英同盟締結を求められていた伊藤博文も招かれている[2]。 主館[編集] モートン卿が建て、ヘンリー8世の子供たちが暮らした古い館を取り壊して、1607年から1612年にロバート・セシルが新たに造った3階建てレンガ造りのカントリー・ハウス[3]。17世紀のイングランド建築の代表例で、ジェームズ1世様式の館としてはイングランドで五指に入る重要な建造物である[3]。西翼が1835年の火災で破壊された[3]。 ビショップ館[編集] もともとイーリー大聖堂の聖職者たちの邸宅で、国王らもしばしば訪れる場所だった[4]。1480年にモートン卿が赤レンガ造りの新しい館を建てた[4]。1515年ごろからヘンリー8世が別邸のように使いはじめ、娘のメアリー王女を住まわせていたが、1538年に正式に所有し、幼いエリザベス王女やエドワード王子(エドワード6世)も暮らしはじめる[4]。1549年にジョン・ダドリーに譲られたが、エリザベスの反対によって戻され、メアリーの死で自らが即位する1558年まで暮らし、即位後もしばしば訪れた[4]。エリザベスの死後、ジェームズ1世の妃アン・オブ・デンマークのものになったが、1607年にジェームズ1世がロバート・セシル邸との交換を望んだためセシル家のものとなり、主館は取り壊されて改築された[4]。残された厩と門楼は15世紀の貴重な遺構として保存され、レストランなどに使われている[4]。 ハットフィールド公園[編集] ハットフィールド・ハウスの敷地と庭園を含む7500平方mの公園で、17世紀初期に造園され、19世紀半ば、20世紀後半に整備が行なわれた[5]。ヘンリー・ムーアなどの野外彫刻も多数配置されている。 多くの作品のロケ地として使用されている。 外部リンク[編集] 座標: 北緯51度45分38秒 西経0度12分33秒 /

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ゆびきり – Wikipedia

この項目では、日本の風習について説明しています。その他の用法については「ゆびきり (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ゆびきり(指切、指切り)は、近世以降の日本において、約束の厳守を誓うために行われる、大衆の風習。 フック状に曲げた小指を互いに引っ掛け合い、唱えごとをする[1]。唱えごとは、「指切拳万、嘘ついたら針千本呑ます」という、約束を違えたときに課される名目上の罰を内容とするまじないの言葉を共に唱えて意思を確認し合う[2]。 「拳万」は「握り拳(にぎりこぶし)で1万回殴る」[2]、「針千本呑ます」は「ハリセンボンを呑ませる」ではなく、「裁縫針を1000本呑ませる」という意味であり、このまじない言葉は地方によって異なる(後述)。また「指切り」の語自体も地方によって違っている[3]。 平安時代の検非違使庁によって罪人に対し腕を切り落とす断手刑が実施されており、対して指を切り落とす指切りは鎌倉時代初期には味方討ちをした御家人もこれを科した記録があった[4]。この指切り罰は江戸時代初期まで盗人、撰銭令違反者、キリスト教徒へ科刑した資料が散見されている[4]。なお、江戸時代に入ると指切りの法制自体に記述はないが、「指詰め」の形で私刑として存続したようである[4]。 他に、室町幕府が永正9年(1512年)8月に定めた『撰銭令』の条例(令自体は永正2年に発布)には、違反した者は、「男は頸(くび)をきり、女は指をきらるべし」との肉体刑を記している。12世紀末の『吾妻鏡』には、戦時中、御方討(味方討ち・同士討ち)をしてしまった者は、「指切の刑」に処されたことが記述されている。 遊女[編集] かつて遊女が男に対し相愛誓約の証として、自らの小指または髪を切り渡したり、腕などに男の名を入れ墨することがあり、これを「指切髪切り入れ黒子」と称した[1]。天和3年(1683年)の世継曾我には「自らも十郎様とは新造の昔より、馴染を重ね参らせて、ゆびきりかみ切いれぼくろ」の記述がある[1]。また、この行為を特に心中立てとも称した[5]。 博徒[編集] 江戸時代の遊女が行った心中立てと同じく、「以後隠すことなく元に戻らない決意の証」を示す指切りとして小指を切り取ることはやくざの間では処罰の方法として行われた[5]。 ローマ帝国[編集] 石井良助によれば、ローマ帝国のローマ人やゲルマン人の間で使われたラテン語による口頭契約の一種に「promissio」があり、これは「pro」が『前に』、「mittre」が『置く』の意味で、問答に際して当事者同士が互いに右手を伸ばして握手したことに由来したことに触れ、ところ転じて日本においては契約の形式をあまり問題にしなかったものの、指切りのみはその形式のまれにあたるもので、古くは指のことを手と称したこともあり、つまり指切りはすなわち手切りであり、それが訛って今日に言うところの『契り(手切り=ちぎり)』、契約の意味に転じたと言われる[1]。 「拳万」の語は元は関東地方の児童語[6][注釈 1]で、まじない言葉自体が地方によって様々であり、他の文言としては 東京都:「指切り、かまきり、嘘いうものは、地獄の釜へぽったりしょ」[6] 神奈川県:「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」[6] 愛知県:「いびきり、いびきり、3年過ぎたら、乳から下へくされよ」[6] などが存在した。 世界の指切[編集]

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アトランティック・ディビジョン (NBA) – Wikipedia

アトランティック・ディビジョンは北米のプロバスケットボールリーグNBAのイースタン・カンファレンスの3つのディビジョン(地区)のうちの1つ。現在は、ボストン・セルティックス、ブルックリン・ネッツ、ニューヨーク・ニックス、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、トロント・ラプターズの5チームが所属する。ラプターズを除くチームはいずれもアメリカ東海岸の都市に本拠地を置いている。トロントのスポーツチームは長年アメリカ合衆国北東部のチームとのライバル関係があった(特にMLB、NHLのチームはボストンやニューヨークのチームと強いライバル関係にある。)。 ディビジョンは、1970-71シーズンにバッファロー・ブレーブス、クリーブランド・キャバリアーズ、ポートランド・トレイルブレイザーズの3チームが加わり、リーグが14チームから17チームに増加したときにそれまでのイースタン・ディビジョン、ウェスタン・ディビジョンが再編され、イースタン・カンファレンス、ウェスタン・カンファレンスが創設された際、創設され、セルティックス、ブレーブス、ニックス、シクサーズの4チームが所属した。 ボストン・セルティックスが最多の22回地区優勝しており、次に優勝が多いのは、ラプターズの7回である。NBAチャンピオンは9回誕生しており、セルティックスが6回、シクサーズ、ニックス、ラプターズがそれぞれ1回優勝している。NBAチャンピオンとなったチームは、1972-73シーズンのニックスを除いていずれも地区優勝したチームである。 1982-83シーズン、全てのチームが勝率5割以上を達成した。また、1983-84シーズンには所属する5チーム全てがプレーオフに進出した。 目次 1 所属チーム 2 かつて所属したチーム 3 歴史 4 順位変動 5 脚注 所属チーム[編集] ボストン・セルティックス – 1970年にイースタン・ディビジョンから加入 ブルックリン・ネッツ

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小田急10000形電車 – Wikipedia

小田急10000形電車High Super Express[注 1] 10000形「HiSE車」(祖師ヶ谷大蔵駅 2012年2月)  基本情報 運用者 小田急電鉄 製造所 日本車輌製造[1]・川崎重工業[1] 製造年 1987年 – 1989年 製造数 4編成 運用開始 1987年12月23日 引退

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おやこで英会WA! – Wikipedia

『おやこで英会WA!』(おやこでえいかいわ!)は、読売新聞日曜版『よみほっと』に連載された、英語の学習を目的としたコーナー及びひちゃこによる漫画作品。 2010年1月10日から2013年3月31日まで連載された。監修は神田外語大学、協力は神田外語キッズクラブ、講師は神田外語学院のネーナ細中ニコリッチが担当した。「初歩の英会話」をテーマとしており、扱われる英語表現は易しいものが多い。小学生を対象としたコーナーだが、タイトル通り親子で一緒に学べるように保護者や教育者向けのアドバイスを掲載するなど工夫されている。 漫画は4コマ漫画で左上、右上、左下、右下の順に読んでいく構成。ふきだし部分のセリフは、英語で書かれているものと、日本語で書かれているものの二通りある。英語で書かれているものは英文の下に和訳が書いてある。ふきだし部分以外のセリフは日本語で記述されている。 漫画の左側にはタイトルやレッスン回数、テーマとなっている英語が書かれていてネーナによる解説が載っている。また『YOMIURI ONLINE』にて英語の発音を聞くことができた。携帯電話でも発音を聞けるようにQRコードも載せており英語学習に力を入れていたコーナーだった。連載当時は携帯サイト『NEWS読売・報知』に加入すると過去分や特別編を視聴できた。 初回はキャラクター紹介イラストが掲載され、4コマ漫画は2010年1月17日から始まった。連載開始からしばらくの間は、4コマの下にキャラクター紹介が載っていた。最終回には漫画ではなくキャラクターが集合した大きなイラストが掲載された。連載開始から最後のレッスンまで総レッスン回数は162回、最終回のイラストを含めると合計163回の掲載だった。 主な内容[編集] 米国から小学5年生のトムが来日し、さくらの家にホームステイして季節感を交えた異文化交流の様子を英会話で紹介する。 登場人物[編集] さくら いつも元気な小学5年生の少女。 かいと さくらの弟。スポーツ万能な小学3年生。 はじめ さくらとかいとの父親。旅行会社に勤務している。 みつき さくらとかいとの母親。料理が大好き。あわてん坊なところがある。 ラッキー さくら一家のペット。さくらが拾った雑種犬。 トム

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駐日エチオピア大使館 – Wikipedia

駐日エチオピア大使館በጃፓን የኢትዮጵያ ኤምባሲ 駐日エチオピア大使館 画像左がエチオピア国旗 所在地 日本 住所 東京都港区高輪3-4-1 高輪偕成ビル2階 座標 座標: 北緯35度38分5.9秒 東経139度43分53.4秒 / 北緯35.634972度 東経139.731500度 / 35.634972; 139.731500

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クラマース=ワニア双対性 – Wikipedia

原文と比べた結果、この記事には多数(少なくとも5個以上)の誤訳があることが判明しています。情報の利用には注意してください。正確な表現に改訳できる方を求めています。 クラマース=ワニア双対性(Kramers–Wannier duality)は、統計力学での対称性である。クラマース=ワニア双対性は、低温での2次元の正方格子イジングモデル(英語版)(square-lattice Ising model)の自由エネルギー(free energy)を、高温の別なイジングモデルの自由エネルギーとを関連付ける双対性である。この双対性はヘンリク・クラマース(Hendrik Kramers)とグレゴリー・ワニア(英語版)(Gregory Wannier)により1941年に発見された。この双対性を用いて、クラマースとワニアは、正方格子イジングモデルの臨界点の正確な位置を見つけた。 同様な双対性は、他の統計モデルの自由エネルギーの間の関係も確立している。例えば、3次元ではイジングモデルはあるゲージイジングモデルの双対である。 直感的な考え方[編集] 2次元イジングモデルは格子(チェスボード状の正方形の集まり)上で定義される。有限格子では、辺はトーラスを形成するように結合できる。この種類の理論では、対合を構成することができる。例えば、ラルス・オンサーガー(Lars Onsager)は、Y-Δ変換が三角格子に使えるのではないかと提唱した[1]。さて、離散的なトーラスの双対は自己自身である。さらに、非常に非秩序な(高温度)系の双対は、非常に秩序のある(低温度)系である。これは、フーリエ変換が大きな帯域幅をもつ(標準偏差が大きい)信号を帯域幅の小さな(標準偏差の小さい)信号にするためである。従って、逆温度を持つ本質的に同じ理論であることがわかる。 一方の理論の温度を上げると、もう一方の理論は温度が下る。相転移が一つしかない場合、相転移は交叉する点、すなわち双方の系の温度が等しくなる点で起こる。2次元イジングモデルは無秩序状態から秩序状態へ移るので、無秩序相と秩序相の間には 一対一写像に近い写像が存在する。 理論は一般化され、現在では、様々な考え方が融合している。例えば、四角形格子は円[2]、ランダム格子[3]、非等質トーラス[4]、三角格子[5]、 labyrinth[6]、ツイストした境界を持つ格子[7]、カイラルポッツモデル[8]など、様々なものに置き換えられる。 これらの変数を定義する。 (K∗,L∗){displaystyle (K^{*},L^{*})} での低温展開は、

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巨石記念物 – Wikipedia

カルナックの列石群 巨石記念物(きょせききねんぶつ、英: megalith)は、自然石で、あるいは面取り・化粧仕上げなどの一部の加工のみが加えられた石で、築かれた構築物。単一のものや後述するような列石など集合体の形態をとるもの、ストーンヘンジのような建造物に近い形態のものを指す。世界中に分布し、伝播説もある。 「巨石記念物」という名称は、有史以来の全ての石造建造物を指すのではなく、新石器時代から初期金属器時代までの、特に「巨石使用」を特徴とする構築物についてこのように呼称する。通常は、ピラミッドやジッグラトのようにある程度確立された工法による石組み構造の建築物は除外され、やや原始的な文化という意味合いを持たせて、古代の構造物が単に巨石で築かれていることを強調して使用される用語である。 巨石記念物はその巨大さから起源について古来からさまざまな憶測を呼んできた。たとえばカルナック列石においては、それらの列石群は聖コルネリウスによって石へ変えられたローマの兵士であるとか、カエサルの軍営の跡地だなどと言われていたし、フランソワ・ラブレーはパンダグリュエルの中で巨石記念物を巨人と結び付けている[1]。科学的な研究が始まったのは17世紀ごろのことで、イギリスではジェームズ1世治下でイニゴ・ジョーンズが、チャールズ2世治下でジョン・オーブリーがストーンヘンジの調査を行い[2]、特に後者はオーブリー穴と呼ばれる遺構を発見したことで有名である。フランスにおいてはノルマンディー貴族コシュレルによってドルメンの発掘が行われ、それが墓所であることが確認されている。しかしながら18世紀から19世紀にかけては欧州を席巻したケルト文化ブームの影響もあって、これら巨石記念物はケルト人とりわけドルイドによる宗教施設だというロマン的な見方も流行した。一方、より科学的な人々はこうした建造物をオリエントの進んだ文明、ピラミッドを建てたエジプト文明などの影響によるものと分析した。こうした見解を根本から覆したのが20世紀に発明された放射性炭素年代測定で、この技術によれば巨石記念物の多くは、ケルト人はおろか、ピラミッドすら建っていない紀元前4000年から3500年ごろに着工されたものであると判明した。[3]こうしてこれらは現在おおよそ新石器時代のものであるとみなされている。ヨーロッパにおける巨石文化の担い手は、ハプログループG2a (Y染色体)と考えられる[4][5]。 主な種類[編集] G・ダニエル (Glyn Daniel) などの分類に基づく。多くの形態が複合されていることも多い。ヨーロッパでは、大西洋岸・ケルト地域に多く分布し、ケルト人の遺跡と誤解されることがあるが、ケルト以前の先住民による遺物であり、ケルト人との関係は無い。 農耕儀礼、太陽崇拝、天文台説などがある。 現代の巨石文化[編集] 東南アジアで、現在も首長の地位を高めるために祭りの一環として建立が行われることがある。 ^ ルブタン 91,157p ^ パトゥリ 196p

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