Month: August 2020

鹿歩山古墳 – Wikipedia

鹿歩山古墳(かぶやまこふん/かぶさんこふん)は、岡山県瀬戸内市牛窓町鹿忍(かしの)にある古墳。形状は前方後円墳。岡山県指定史跡に指定されている。 牛窓湾の前方後円墳5基 湾内位置 古墳名 墳丘長 築造時期 史跡指定 北東 牛窓天神山古墳 85m 4c中-後 瀬戸内市指定史跡 南 黒島1号墳 81m 5c前-中 なし 北西 鹿歩山古墳 84m

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イルメナウ – Wikipedia

この項目では、ドイツ、テューリンゲン州の都市について説明しています。その他の用法については「イルメナウ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 紋章 地図(郡の位置) 基本情報 連邦州: テューリンゲン州 郡: イルム郡(ドイツ語版) 緯度経度: 北緯50度41分14秒 東経10度54分51秒 / 北緯50.68722度 東経10.91417度 / 50.68722; 10.91417 標高: 海抜

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南サルデーニャ鉄道ADe300形気動車 – Wikipedia

同じくマコメール駅に停車中のADe302号機、2015年 同型のサルデーニャ鉄道ADe1形の車内 南サルデーニャ鉄道ADe300形気動車(みなみサルデーニャてつどうADe300がたきどうしゃ)はイタリアのサルデーニャ島南部の私鉄であった南サルデーニャ鉄道(Ferrovie Meridionali Sarde(FMS))で使用され、同線廃止後、現在ではサルデーニャ鉄道(ARST Gestione FdS[1])が保有している電気式気動車である。また、本項ではADe300形と編成を組む制御気動車であるRpe350形についても記述する。 イタリア西部地中海に位置する、イタリアで2番目に大きな島であるサルデーニャ島では、主要な幹線を運営する1435mm軌間のイタリア国鉄路線のほか、いくつかの私鉄路線が敷設されており、多くの路線はイタリアでの狭軌の標準である950mm軌間のものであった。その私鉄の一つである南サルデーニャ鉄道はサルデーニャ島南西部と、同島南西端部で陸繋砂州でつながるサンタンティーオコ島に79.3kmと33.1kmの2本の950mm軌間の路線を運行しており、沿線の旅客および農水産物等の輸送のほか、カルボーニアやイグレージアス付近に点在する炭鉱から産出する石炭の輸送も主要な用途であった。 同鉄道では1926年の開業以降、蒸気機関車が客車と貨車を牽引する列車で運行されていたが、1936年には当時イタリア各地で導入されていたリットリナ[2]と呼ばれる軽量気動車の一機種であるALn200形4機を導入して客貨分離と閑散区間の旅客列車の効率化を図っていた。その後石炭の増産とそれに伴う旅客輸送量の増大に伴い一部区間を複線化した上で、1939年-1940年、1953年にはイタリア国鉄からR370蒸気機関車計22機を譲受して貨物輸送に充てていたが、1950年代以降、沿線の炭鉱が順次閉鎖され、輸送量が大幅に減少していた。そこで、同鉄道では1960年には気動車6機とその制御車4両を導入して、残っていた蒸気機関車牽引の旅客列車の代替を図るなど輸送の効率化を図ることとなり、導入された機体が本項で記述するADe300形の301-306号機およびその制御気動車であるRPe350形の351-354号車である。前者は同じサルデーニャ島の私鉄であるサルデーニャ鉄道 (FCS)[3]が1958年-1960年にADe1形として20機を導入したものと同型の機体、後者も同じくRPe100形制御気動車と同型のものとなっている。 RDe300形およびRPe350形はリットリナの流れを引くイタリア製の軽量気動車の一機種で、RDe300形は全長16m級で2機関搭載の電気式1等/2等合造気動車、Rpe350形はRDe300形と同型でこれと編成を組む1等/2等/荷物合造制御気動車であり、主機等をフィアット[4]、電気機器をBBC[5]のイタリア子会社であるTIBB[6]が、車体その他をStanga[7]が担当して製造されている。 車体・走行機器[編集] 車体は一連のイタリア製軽量気動車のデザインの流れを汲んだ流線形で、構体は軽量構造の鋼製のものとなっている。車体内は長さ1650mmの乗務員室、2900mmの1等客室、2900mmの乗降デッキとトイレ、7250mmの2等客室、1650mmの乗務員室の配列である。 正面は流線形で曲面ガラスを使用した2枚窓で、正面窓下部左右と上部中央に標識灯と前照灯が設置されるほか、正面窓下部中央に電気連結栓2箇所と、その下部に観音開式扉を持つ電気連結器のジャンパ線収納部が設置されている。なお、この正面窓下の電気連結栓が2箇所であることが、これが1箇所であるサルデーニャ鉄道(FCS)のRDe1形との外観上の差異となっている。また、床下カバーを兼ねたスカートが設置され、連結器は台枠取付のねじ式連結器で、緩衝器が左右に、フックとリンクがその下部に設置されている。 側面は窓扉配置d2D15d(乗務員室扉-1等室窓-乗降扉-トイレ窓-2等客室窓-乗務員室扉))で、客室窓は幅1000mm、高さ750mmの上部に小さな庇のついた下落とし窓、乗降扉は幅1366mmの4枚折戸、乗務員室扉は外開扉となっており、側面窓は後年に2段式窓に更新されている。車体側面下部には冷却気導入用のルーバーが設置されており、屋根上には両端部にラジエターが、その中間部には機関排気口が設置されている。また、車体側面下部にも床下カバーが設置されており、台車横部など一部については時期や機体によってカバーの切欠き形状が異なるものとなっている。 客室は座席は2+2列の4人掛けの合革貼りのベンチ式、1等室、2等室とも幅900mm、シートピッチ1450mmの固定式クロスシートとなっており、1等室に3ボックス、2等室に2ボックスずつが設置されているほか、運転室に補助席がそれぞれ2名分と1名分設置されている。 車体塗装はベージュをベースに床下カバー部を茶色としたもので、側面下部中央に「FMS」の切抜文字が設置されていた。その後、サルデーニャ鉄道(FdS)の所属となり、同社がサルディーニャ地域交通の一部となった後は、淡緑色をベースに窓下部に黄緑色と黄色の組み合わせの帯を入れ、床下カバー部を黄緑色とした新塗装に変更されている。 本機は主機としてFiat製で6気筒、定格出力110kW/1800rpm、排気量10676ccの203.0/37ディーゼルエンジンを2基床下に搭載し、そこに接続される主発電機によって発生した電力によって各台車の主電動機を駆動するもので、運転台や制御気動車からの電気指令などによる遠隔制御としている。なお、南サルデーニャ鉄道は比較的勾配が緩いため、ベースとなったRDe1形と比較して歯車比が6.27から5.15に変更されて最高速度が80km/hから95km/hに向上しており、また、後に主機を同じFiat製で定格出力117kWの203H61に換装している。また、ブレーキ装置として自動空気ブレーキと手ブレーキを装備する。 台車は軸距2000mm、車輪径750mmの鋼板・鋼材組立式台車で、枕ばね、軸ばねともにコイルばねで軸箱支持方式は軸梁式、基礎ブレーキ装置は片押し式の踏面ブレーキとなっている。 主要諸元[編集]

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チャトラパティ・シヴァージー国際空港 – Wikipedia

チャトラパティ・シヴァージー国際空港(チャトラパティ・シヴァージーこくさいくうこう、(マラーティー語::छ्त्रपती शिवाजी अंतरराष्ट्रीय विमानतळ、英: Chhatrapati Shivaji International Airport))は、インド、マハーラーシュトラ州の州都ムンバイにある国際空港。 市内から34km北側にある。空港の名称はマハーラーシュトラ州で英雄視されている17世紀のマラーター王国のチャトラパティ・シヴァージーに由来している(ちなみに、同様の改名がムンバイーの中央駅であるヴィクトリア・ターミナス(チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅)に対しても行われた)。 旧名は「サンタクルズ国際空港」。ここから新国際線ターミナルが隣接地に分離するかたちで新空港が造られた。国内線ターミナルは今日でも「サンタクルズ空港」(Santacruz Airport)と呼ばれる。両港は離着陸に使用する滑走路を共有している。空港間の移動は、航空券を提示すれば無料のシャトルバスが利用できる。 エア・インディア、Blue Dart Aviation、GoAir、IndiGo、スパイスジェットがハブ空港として運航している。 1932年開港。 1979年9月21日 – ターミナルビルで空調設備から火災が発生して全焼。3人が死亡し、空港が閉鎖された[1]。 ターミナル[編集] 国内線(サンタクルズ)

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テーブルウェアスタイリスト連合会 – Wikipedia

一般社団法人テーブルウェアスタイリスト連合会(テーブルウェアスタイリストれんごうかい、英: Tableware stylist association、略称: TWSA 。運営会社に株式会社空間スタイリング社がある)は、CMや広告・雑誌や書籍など撮影現場において、撮影される食器や料理の組み合わせ、インテリアなどの演出を手掛ける日本で初めての食器資格を創設した一般社団法人である。2012年から日本で初めて食器専用のスタイリストとして雑誌やweb等で活動し始めた二本柳志津香が設立した団体。 グループ会社に(株)空間スタイリング社、(株)御菓子司甘美堂がある。 2014年に一般社団法人として設立したライフスタイルを中心とした企業のCM、雑誌・カタログのスタイリング、イベント装飾、アートディレクションを展開するディスプレイ装飾と食器の専門家団体である[1]。登録商標のテーブルウェアスタイリスト[2][3]は食器に特化した専門スキルを学ぶ資格であり、多数の資格取得者が大企業のスタイリストとして、またメディアでも活躍する[4]。広告や雑誌、書籍の撮影現場において活躍するプロの資格保持者が多数在籍する。受講者1500名以上会員は570名を超え、世田谷区深沢の本部の他、全国に横浜・神戸・大阪・福岡・青森・札幌に支部がある[5]。2021年3月1日からポーセラーツ®︎などの人気資格を生み出している(株)日本ヴォーグ社がテーブルウェアスタイリストの資格講座を通信講座として取り組みが始まっている。 [6] 2014年 女子未来大学「女性が輝く未来会議」で、和菓子のテーブルケータリングを担当。 JAいわて「いわて純情米 恋するおコメプロジェクト」で、会場のディスプレイを担当。 女子未来大学「世界と繋がる日本を知る学部」で、煎茶道「三癸亭賣茶流」の和菓子のテーブルスタイリングを担当。 2016年 「テーブルスタイリングがある暮らし展」(山手111番館)を開催。 「国際ホテルレストランショー HCJ2016」(東京ビッグサイト)で、サーモス株式会社のテーブルスタイリングを担当。 「春のTable煎茶Lesson~桜の煎茶席~」(六本木ヒルズ)で、講師を派遣。 リクルートホールディングスの「ゼクシィ相談カウンター

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江ノ島鎌倉観光1000形電車 – Wikipedia

江ノ島鎌倉観光1000形電車(えのしまかまくらかんこう1000がたでんしゃ)は、江ノ島鎌倉観光および同社が商号変更した江ノ島電鉄が1979年から導入した電車である。 1970年代の江ノ島鎌倉観光(現:江ノ島電鉄)は、1953年から開始された「改善3か年計画」を契機として導入された[1]300形、500形連接車とその後導入された600形、800形連結車を主体として運行されていた。しかし、これらの機材は一部は車体を新造していたが、基本的には旧型車からの改造、機器流用車両であったり、他鉄道からの譲渡車両であり、老朽化と旅客サービスの低下が問題となっていた。 そのため、1976年度に策定された1976 – 1980年の長期計画[注釈 2]期間中の1976年6月に設置された「鉄道改良技術委員会」により、車両の老朽化による旅客サービスの低下への対応するためには新造車の導入が最良であるとの答申がなされ、1978年9月18日の常務会により、1000形2編成の導入が決定された[2]。この決定に基づいて導入された車両が本項で記述する1000形の1次車である1001編成および1002編成であり、その後1987年にかけて冷房装置の搭載、駆動装置の変更などの改良を加えながら2次車の1101編成、3次車の1201編成、4次車の1501編成、5次車[3]の1502編成の計6編成(12両)が導入されている。1000形の設計当初の基本構想は以下の通り[4]。 車体は近代感覚を盛り込んだ優雅かつ斬新なデザインとし、古都鎌倉の歴史的背景との調和を十分に配慮すること。 接客設備は座席の改良や換気、暖房装置により快適性を追求する。また運転室背面や客室側窓からの眺望性を向上する。 急曲線、急勾配、軸重などの現状施設条件を変更せずに乗り心地を向上させるため、連接構造とし、台車、車体などの相互関係を考慮する。 乗客の多少に関わらず、一定した加減速度を保つための応荷重装置を装備し、またブレーキの応答速度向上のため、全電気指令式ブレーキを採用。力行、ブレーキ操作をワンハンドルで行う中央運転台を採用し運転操作性の向上と安全性の配慮をする他、将来ATSを装備するための設備余裕を確保する。 運輸省A基準に基づく不燃化構造とし、特に海岸線を走行するため耐蝕性については充分考慮する。また材料、部品は省エネルギー、保守の経済性を考慮すること。 なお、江ノ島電鉄では個別の編成について、例えば車号1001と1051の編成を1001-1051(”編成”もしくは”号車”)もしくは1001(”編成”もしくは”号車”)と呼称しており、走行装置が異なる1501と1551の編成および1502-1552の編成のみを例外的に1500形と呼称する場合もある[5]が、本項でもこれに準じて記述する。 また、本項では車体塗装について、クリーム色をベースに窓下に緑色の帯を入れた製造当初の塗装を「旧標準塗装」、20形と同様の窓周りをクリーム色、車体下半部と上部を濃緑色として、濃緑色部に金色の縁取りを入れたものを「新標準塗装」、新500形と同様の、新標準塗装をベースに金色の縁取りではなく金色の細帯を入れたものを「現標準塗装」と便宜的に呼称する。 1001編成は1979年10月29日に、1002編成は30日に入線して11月5日に修祓式および公式試運転が行われ[6]、12月3日から営業運行に使用されている[7]。 1001-1051・1002-1052編成(1次車)[編集] 旧標準塗装(2000形導入以降の薄緑ががったクリーム色のもの)の1001編成 現標準塗装の1002編成、2020年 概要[編集] 営業運転開始日:1979年12月3日 在籍数:2両編成2本・4両

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ニューイヤーズ・フェスタ – Wikipedia

ニューイヤーズ・フェスタ(英語: New Year’s Festa)は、2003年以降、1月のはじめに東京ディズニーシーで開催されるスペシャルイベントの総称。開催年により開催時期は微妙に異なるが、おおよそ1月1日~1月7日にかけて行われる。 ディズニーシー・プラザには門松が飾られる(門松自体は前年の12月29日頃から飾られている)。この門松は日本の伝統的な門松に西洋の要素を含ませた和洋折衷のデザインとなっている。 また、2004年に開催した時は、ディズニーシー・プラザに「ニューイヤーズ・ラッキーカード」が配布された。これはおみくじ感覚で引けるもので、運勢などが書かれている手のひらサイズの円形のカードで、その日に入園したパスポート(年間パスポートを含む)提示することでもらうことができた。カードには、ディズニーキャラクターが描かれていた。 イベント[編集] ハッピーニューイヤーズ・サルート[編集] ハッピーニューイヤーズ・サルート(Happy New Year’s Saluto)は、2003年1月1日から1月5日にエントランスとメディテレーニアンハーバーのピアッツァ・トポリーノで開催されたミニパレード。 ポルト・パラディーゾ市長、ロミオとジュリエットの扮装をしたミッキーマウスとミニーマウス、ピノキオ、ジミニー・クリケット、ゼペット、東京ディズニーシー・マリタイムバンド、イタリアンフラッグ・スクワッドなどが登場し、アクアスフィアの周囲をパレードし、ピアッツァ・トポリーノにて新年の挨拶を行った。 ニューヨーク“お正月”グリーティング[編集] ニューヨーク“お正月”グリーティング(New York “Oshogatsu” Greeting)は2004年1月1日から1月7日、2005年1月1日から1月5日にウォーターフロントパークにて行われたショー。 ミッキーマウスやミニーマウスたちが袴姿で登場する。また、ショー中に使用される楽曲は『お正月』や『一月一日』など、馴染みのある曲が多数使われた。 このショーで使用されるステージは、前年のクリスマスシーズンに実施された『ハーバーサイド・クリスマス』で公演されたショー『クリスマス・ホリデー・イン・ニューヨーク』のステージを流用している。ステージの後方には赤地に白文字で「迎春」と書かれた幕がおかれている。

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ノリ・メ・タンゲレ (ティツィアーノ) – Wikipedia

サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂の祭壇画『殉教者聖ペテロの死』。1867年の火災で焼失し、現在はヨハン・カール・ロトの17世紀の複製が飾られている。 『ノリ・メ・タンゲレ』(伊: Noli me tangere, 「我に触れるな」の意)は、盛期ルネサンス期のヴェネツィア派の画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1514年頃に制作した絵画である。油彩。『新約聖書』「ヨハネによる福音書」20章1行-18行で語られているイエス・キリストの復活とマグダラのマリアのエピソードを主題としている。ノリ・メ・タンゲレとは同箇所の17行に登場する言葉である。ティツィアーノの初期の作品で、制作経緯は分かっていない。オルレアン・コレクションを経由して、19世紀にイギリスの銀行家で詩人のサミュエル・ロジャース(英語版)に所有されたことが知られている。現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている[1][2]。 ゴルゴダの丘で磔刑に処されたイエスが埋葬された後の出来事である。マグダラのマリアがイエスの墓に行くと入口の岩が開いていて、安置されたはずの遺体がなかった。驚いたマリアは何者かがイエスの遺体を持ち去ったと考え、そのことを弟子たちに知らせた。弟子たちは墓に入って遺体がないことを確かめたが、マリアは墓の外で泣いて中には入らなかった。マリアが身を屈めて墓の中を見ると2人の御使いがいて、なぜ泣いているのか尋ねてきた。その問いに答えた後、マリアが後ろを振り返るとイエスが立っていた。最初、マリアはイエスだと気づかず庭師だと思っていたが、マリアは自分の名前を呼ばれると思わず「師よ!」と叫んだ。イエスは「私に触れてはいけない(ノリ・メ・タンゲレ)、私はまだ父の御許に行ってはいないのだから」と言った。そこで彼女は弟子たちのところに行き、自分がイエスに会ったこと、そしてイエスがこれから父なる神の御許に行くことを伝えた。 ティツィアーノはゲッセマネの園でマグダラのマリアの前に現れたキリストを描いている。悲しみに暮れていたマグダラのマリアは驚いて身を屈めたまま、キリストを見上げながら手を差し伸べている。彼女の左手の中にはアトリビュートの香油壺がある。一方、復活したイエス・キリストはマグダラのマリアを拒みながらも見つめ返している。手には鍬を持ち、ねじれたポーズで立っている。キリストはほとんど裸体で描かれている。首周りで結ばれているのは埋葬用の白布(shroud)であり、下半身は下帯で覆われ、キリストが墓所から出てきたばかりであることを表している。画面左の背景では羊の群れが描かれ、画面右の背景では丘の上に多くの建築物が描かれている。 鮮やかな青色の空やマグダラのマリアの赤色の衣装などに色彩を重視するヴェネツィア派の特徴が現れている。背景は特にティツィアーノが学んだジョルジョーネの様式を反映している[1][2]。1510年頃の『聖家族と羊飼い』(Sacra Famiglia con un pastore)で確認できる明るい色調と自然の風景の中に人物を配置する方法は、5年後の『ノリ・メ・タンゲレ』でさらに洗練され、丘、木、低木が物語の一部を演じる緻密な構成を実現している[1][3]。画面中央で斜めに立つ樹木と丘陵の中腹の交差する線は、キリストとマグダラのマリアの斜めの視線を強調している[1]。これはティツィアーノがヴェネツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂のために制作し、現在は失われた1530年の祭壇画『殉教者聖ペテロの死』(Martirio di san Pietro da Verona)でさらに発展させたアプローチであり、人物像の行動に木々が動的に貢献している[1]。また優雅にねじれたキリストのポーズはこの時期におけるティツィアーノの裸体表現の理解の高さを示し、部分的に裸体像の明瞭な表現と古代彫刻の研究を訓練の中心に置いたラファエロ・サンツィオとミケランジェロ・ブオナローティの作品の版画と素描の研究によるものと思われる[1]。また表現力豊かな筆致と、ティツィアーノの後期の様式の特徴となったペイントの質感への関心も見出せる[1]。 ティツィアーノの初期の絵画の特徴として、緑色の顔料の樹脂酸銅が酸化し、茶色がかった色調の背景となっている[2]。画面右側の一連の建築物はほぼ同じ時期のボルゲーゼ美術館の『聖愛と俗愛』(Amor Sacro

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シェッド・セヴン – Wikipedia

シェッド・セヴン(Shed Seven)は、イギリス・ヨーク出身のロックバンドである。 1990年に結成。ザ・スミスやローリング・ストーンズなどの影響を受けたストレートなロックを特徴としており、ブリットポップの一角を担うバンドとして活躍した。2003年にいったん解散したが、2007年に再結成している。 90年代半ばのブリットポップの本格的なブーム到来前から活動を開始し、デビュー当時は同期のオアシスのライバルとも目されていた。 1994年に1stアルバム『Change Giver』を発表、全英トップ20入りを果たす。1996年発表の2ndアルバム『A Maximum High』はイギリス国内で25万枚を売り上げるヒットとなった。またこの年だけで、「チェイシング・レインボウズ」など6枚ものシングルを全英トップ30に送り込むなど、イギリス国内での人気バンドとしての地位を確立した。1998年、3rdアルバム『Let It Ride』を発表、再び全英トップテン入りを果たす。 1999年にベストアルバム『Going for Gold』を発表後、バンドはポリドール・レコードを離れ、ギタリストのポール・バンクスが脱退。後任には、ポール加入前のギタリストだったジョー・ジョンソンとキーボード担当のフレイザー・スミスが加入。2001年、インディーレーベルから4thアルバム『Truth Be Told』を発表するも、商業的には失敗に終わる。その後契約したレーベルからも、5枚目のアルバムのリリースを拒否されたことから、2003年に解散を発表。 解散後メンバーはそれぞれソロ活動を行っていたが、2007年には一回限りの再結成ツアーを敢行すると発表(ギタリストのポール・バンクスも復帰)。ツアーはおおむねソールド・アウトするなど人気が復活し、その後のブリットポップバンドの再結成ブームの先陣を切る形となった。以降も毎年のようにツアーやフェスへの出演を行っていたが、その間も一切新曲は発表していなかった。 しかし、2017年に16年ぶりとなるニューアルバム『Instant Pleasures』を、メジャーレーベルからリリースすることを発表。プロデューサーにはキリング・ジョークのユースを起用、ブリットポップ全盛期を彷彿とさせる充実作となり、キャリア史上最高位となる全英8位を記録した。アルバム発表後にはキャストをゲストに迎えた全英ツアーを行い、総計5万枚ものチケットが売れたという。 ディスコグラフィー[編集] 以下の順位は全て全英チャートによるもの

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