株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド(英: Seibu Prince Hotels Worldwide, Inc.)は、西武グループに属し、グループの中では西武鉄道とともに中核的企業である。グループ内でのホテル・レジャー事業会社であり、西武ホールディングスの子会社。また、同社が運営するホテルブランドである。国内のホテル・レジャー業界で最大の規模を誇る。東京都心部を中心としたシティホテルやスキー場・ゴルフ場などのレジャー施設、それに併設されたリゾートホテルなどを運営している[1]。 概要・歴史[編集] 西武グループによるホテル・リゾート事業は、箱根土地(後のコクド、2006年2月解散)が主導して計画・立案した箱根・軽井沢などへの観光地への進出を図ったのが源流である。社名は、太平洋戦争敗戦に伴い行われた皇籍離脱後、生活に困窮した旧宮家の土地を購入し、ホテルを開業した事に由来している。また、旧宮家をグループで雇用することにより、生活の安定に大きく寄与した。長野県軽井沢町千ヶ滝地区にあった皇族・朝香宮家の別邸を改装、1947年にホテルとしてオープンした際、「プリンス・ホテル」と命名したところを起源として(千ヶ滝プリンスホテルで後述)、「晴山ホテル」(旧根津嘉一郎別荘。現在の軽井沢プリンスホテル)がオープンしたのが1950年、その3年後に「品川プリンスホテル」(旧竹田宮邸。現在の高輪プリンスホテル貴賓館)がオープンし、その後続々と開業していった[2]。 当初は西武百貨店と近い関係で、次男・堤清二がプリンスホテルを含むホテル・リゾート事業に関わっていた[3]。 国土計画・西武鉄道の創業者である堤康次郎が1964年に死去し、清二が西武百貨店の、三男・堤義明が国土計画・西武鉄道の後継者の座に就くと、清二から義明にホテル・レジャー事業の実権が移る。 西武企業グループが西武鉄道グループ・西武流通グループ(セゾングループ)の2つに分立すると、ホテル・レジャー事業は鉄道グループに属することになり、1971年に西武鉄道のホテル部門を独立させる形で「(初代)株式会社プリンスホテル」を設立。康次郎の五男で、西武百貨店寄りの要職に就いていた堤猶二が社長に就任する(後にセゾン下のIHGの社長・東京テアトル社長を歴任)。同氏によって「プリンスホテルスクール」が設立され、各種学校としてホテリエの育成を手がけ始めるが、1976年に笹川良一率いる財団法人日本船舶振興会が支援した「財団法人日本ホテル教育センター」に経営が譲渡され、「専門学校 日本ホテルスクール」として継承されている。ホテル会社によって設立されたホテル養成学校は、プリンスホテルスクールが日本国内では唯一であり、その設立には一定の評価がなされている。 1980年代からは大規模なスキーリゾートやシティホテルを首都圏や信越地方、東北地方、北海道を中心に数多く進出させる。また、時期を前後してアメリカ合衆国(ハワイ、アラスカ、グアム)やカナダ、東南アジア諸国、台湾、オーストラリアなどの海外リゾート企業を買収・提携のうえで進出を行い、バブル景気の中で都心の一等地を多く保有していたプリンスホテルの母体であったコクドは日本一のホテル・レジャー事業を運営する企業へ成長した。 コクドの下で行われてきた事業拡大に合わせて資金調達に用いた方法は、膨大な含み益を持つ東京都心の品川や高輪、芝、赤坂といった東京港区の超一等地の土地を担保に、銀行などから巨額の融資を得て土地を取得。その後、ホテルやレジャー施設を建設して土地の付加価値を高め、値上がりした地価上昇分で更に銀行融資を受けるものであった。 日本の経済がバブル景気に突入した1980年代末期から、加速した地価上昇により保有する土地の含み益が大幅に増加すると、さらに積極的にホテル・リゾート事業の拡大を推し進めることになった。1990年代のバブル崩壊後は、地価上昇を前提にした事業計画は軌道修正されたが、平成不況期にあっても、プリンスホテル事業はリストラや事業再編されず、2005年の「東京プリンスホテルパークタワー」の開業まで続けられていた。 2004年に西武鉄道を舞台にした総会屋利益供与事件・有価証券報告書虚偽報告事件により、堤義明が失脚。2006年前半(2005年度末)に西武グループが西武ホールディングスの下で再編される際に、不採算施設については順次、営業終了もしくは不動産と運営権を売却することとなり、それ以外の(旧)コクド、(初代)プリンスホテル、西武鉄道(西武線沿線施設は除く)が所有するホテル・リゾート事業の不動産については「(二代目・新)株式会社プリンスホテル」のもとに集約・統合された。また、それまでプリンスホテルが発行していた、西武グループのレジャー施設を全て網羅した冊子『レジャーガイド』も2006年版をもって発売終了となった。 2006年の西武グループ再編以前までの「(初代)株式会社プリンスホテル」は、堤義明の計画立案により西武鉄道、伊豆箱根鉄道、近江鉄道、西武不動産といったコクドの傘下企業(主に首都圏と関西)が開発した、あるいは地場企業とコクドの合弁や地方自治体の誘致による第三セクター方式で設立した運営会社(海外、苗場スキー場・軽井沢プリンススキー場以外のスキーリゾートなど)が開発した「プリンスホテル」のフランチャイズや客室販売など対外的なマーケティング事業が主体であり、経営自体は各社が行っているため統一的な戦略はなかった。(初代)プリンスホテルの自社物件は「サンシャインシティ プリンスホテル」のみである。 2006年7月、高輪地区と品川地区の競合解消のため、2名いた総支配人を1名にし、高輪地区を上位とする地区統合を行なった。2007年12月中に、本社を埼玉県所沢市の西武鉄道本社ビルから、東京都豊島区東池袋のサンシャインシティプリンスホテルへ移転した。 2007年4月1日にホテルブランドの「プリンスホテル」はグレードに応じた3つのカテゴリーに細分化され、シンボルマークを一新した。
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