Month: May 2021

オデッサ市電 – Wikipedia

オデッサ市電(ウクライナ語: Одеський трамвай)は、ウクライナの都市・オデッサに大規模な路線網を有する路面電車である。2020年現在、トロリーバス(オデッサ・トロリーバス(ロシア語版))と共に公共事業体「オデスゴルエレクトロトランス」(ウクライナ語: КП «Одесгорэлектротранс»)によって運営されている[2][3][5][6][7]。 第二次世界大戦まで[編集] オデッサ市内における最初の軌道交通は1881年に開通した馬車鉄道で、続く1882年に開通したスチームトラム路線も含め、19世紀の終わりにはオデッサ市内各地に軌道網が築かれていた。一方、同時期には旧:ロシア帝国各地の都市でこれらの交通機関よりも輸送能力が高い路面電車の建設が積極的に行われるようになり、オデッサでも20世紀に入ると路面電車建設の機運が高まり始めた。それを受け、まず1906年にはオデッサ市中心部と海岸沿いのルストドルフ(Люстдорф)へ向かう路線の建設が始まり、1907年に開通した。これに続き、オデッサ市内でも1908年から路面電車の建設が行われ、1910年9月24日に営業運転を開始した。これらの路線は軌間1,000 mmでオデッサ市との契約のもとベルギーの企業によって管理が行われ、車両も同国製のものを使用していたが、後にロシア帝国各地の企業へも発注を実施し、馬車鉄道が完全に置き換えられた1917年の時点で300両もの車両が在籍していた[2][3][5][8][7]。 第一次世界大戦やロシア革命の混乱期には路面電車の運行が一時休止し、1920年から1922年にかけては1913年に廃止されたスチームトラムが再度運行する事態になったが、1921年以降復旧工事が行われ、1927年までに戦前の路線網がほぼ運行を再開した。この時点でオデッサ市電は32系統、車両数301両(電動車242両、付随車59両)を誇り、ソビエト連邦全体でも4番目の規模を有する路面電車となっていた[2][5][6][7]。 1930年代初頭には一部の系統が廃止されたが、一方で乗客数は増加の一途を辿り、より多くの車両が必要となった。だが、当時のソ連では路面電車の軌間を1,524 mm(広軌)へ統一する動きが高まっており、オデッサ市電の1,000 mmに対応した車両の製造は1934年を最後に停止し、国外からの輸入も国際事情などから困難な状況だった。そのため、オデッサ市電は自社工場で新造車両を製造する事態になったものの、最終的に軌間を順次1,524 mmへ変更することを決定し、1934年から広軌路線の運行が開始された。その過程で、ルストドルフへ向かう路線については路線の変更および一部廃止が実施されている[8][6][7]。 第二次世界大戦(大祖国戦争)中、オデッサは枢軸国側の占領下に置かれるなど甚大な被害を受けた。路面電車も枢軸国によて一部区間が撤去されるなどの影響を受け、さらに整備もままならない状況となったことで多数の系統が運航を停止する事態になったが、それでも一部(2号線、11号線、21号線)は戦略上の重要さから終戦まで運行を続けた[6][7]。 戦後、ソ連崩壊[編集] 第二次世界大戦で荒廃した車両や施設の本格的な復旧は1946年から始まり、資材や予算が不足する状況の中でも車両の更新・増備が行われた。また同時期にはトロリーバス(オデッサ・トロリーバス(ロシア語版))も運行を開始し、1950年代はトロリーバスの延伸が優先されたが、1960年代以降は両者とも路線規模の拡大が実施された。1965年から1970年までに計8.8 kmが延伸され、車両もソ連のみならず東ドイツ(現:ドイツ)からも多数導入された。また1966年からはチェコスロバキア(現:チェコ)で開発されたタトラT3の営業運転が始まり、大量導入を経てオデッサ市電における標準型車両となった。1970年代後半にはオデッサ市電の路線網が最大規模に拡大したが、その一方で戦前から残存していた軌間1,000 mmは改軌および廃止が進み、最後に残った30号線は1971年をもって廃止されている[2][10][7]。 オデッサ市の路面電車・トロリーバス管理部門(Трамвайно-троллейбусное управление)によって長らく運営されていたこれらの交通機関は、ペレストロイカなどの改革が進行していた1980年代後半以降、路線や系統の廃止により規模が縮小し始めた。経済の混乱が要因となった資金不足はソビエト連邦の崩壊後にさらに深刻化し、車両や施設の更新のみならず従業員への賃金支払いも難しい状況となった。さらに1990年代には数年に渡りこれらの交通機関の運賃が事実上無料になる事態となり、企業の再編が即急に求められた[2][7]。

Continue reading

連合アイデンティティ – Wikipedia

英: Federated identityは、 複数の組織(情報システムの管理範囲)にまたがって利用できるようにしたアイデンティティ情報である。 いわば「連合した組織にまたがって用いられるデジタルアイデンティティ」もしくは「連邦化対応の(federated)デジタルアイデンティティ」であるが、定着した訳語は無い。 具体的には、ある組織の情報システムを利用できるユーザを、連邦化された別の組織においても利用できるようにユーザ認証の機能が連携するようにするほか、求めに応じて属性情報を送信できるようにする。 アイデンティティ情報の集中管理は、同じネットワーク内(あるいは同じ管理ドメイン下)でアクセスするユーザやシステムについて、情報セキュリティを確保するために行われる。 しかし、ユーザが外部のシステムにアクセスすることが多くなり、外部のユーザが内部システムにアクセスすることも多くなってきた。 このため、組織間(管理ドメイン間)のアイデンティティ管理を連携させる必要性が生じた。 ちなみに、先行していたPKI(公開鍵暗号基盤)技術に基づいても、ドメイン横断(cross domain)証明書を発行して連携させることはできたが、PKI技術自体が普及していなかった。 アイデンティティ管理の連邦化[編集] アイデンティティ情報の連邦化(federation)には、自律的な管理ドメイン間でアイデンティティ情報を交換できる標準技術が適用して相互運用可能性を確保できるようにする必要がある。アイデンティティ情報の連邦化による目的は、ある管理ドメインのユーザがシームレスに、余計なユーザ管理を要せずに、セキュアに別の管理ドメイン内のリソースにアクセスできるようにすることにある。そのユースケースとして、企業のイントラネットからのクラウドサービスへのログイン、合併企業のイントラネット同士のドメイン横断のログイン、提携企業のシステムとの連携などが挙げられる [1]。 ドメイン横断のユーザアカウント・プロビジョニングが行われることもある。 アイデンティティ情報の連邦化は設計(design)用語であり、特定のプロトコルや技術や実装や企業に関するものではない。 ただし、「連邦化対応(federated)」という用語には、オープン標準によってアイデンティティ情報を伝達するという意味が込められており、オープン標準を採用すれば誰でも完全な相互運用可能性を確保できることを想定している。 管理ドメインをまたぐので、プライバシー保護の観点からの論点がある。 例えば、アイデンティティプロバイダ(IdP)からサービスプロバイダに送信される属性情報をユーザ自身がコントロールでき、仮名アサーションによってユーザ認証結果のみを伝えることもできるようになっている。 アイデンティティ管理を連邦化するための方式には複数あり、OASIS

Continue reading

ラトビア・ソビエト社会主義共和国 – Wikipedia

この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2021年12月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。 英語版記事の機械翻訳されたバージョンを表示します(各言語から日本語へ)。 翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いることは有益ですが、翻訳者は機械翻訳をそのままコピー・アンド・ペーストを行うのではなく、必要に応じて誤りを訂正し正確な翻訳にする必要があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Latvian Soviet Socialist Republic}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より詳細な翻訳の手順・指針についての説明があります。 ラトビア・ソビエト社会主義共和国 Latvijas Padomju Sociālistiskā Republika (ラトビア語)Латвийская Советская Социалистическая Республика

Continue reading

三重県立相可高等学校 – Wikipedia

三重県立相可高等学校(みえけんりつおうかこうとうがっこう)は三重県多気郡多気町にある三重県立の高等学校である。 教育組織[編集] 次の教育組織がある。2019年(平成31年)度入試より三重県立高校で「保護者の転住を伴わない県外からの入学志願者枠」が拡大されたが、相可高校では県外入学枠は設けられていない。 全日制の課程 普通科 生産経済科 環境創造科(元は農業土木科) 食物調理科 教育の特色[編集] 総合的な学習の時間を「ドリーム・チャレンジ・タイム(DCタイム)」と名付けている[1]。 食物調理科[編集] まごの店・相可フードネットも参照。 食物調理科(より正確には調理クラブ)では実践教育施設として五桂池ふるさと村内にレストラン「まごの店」を店舗運営[2]。たびたびテレビ番組などでも取り上げられている。また、TOKIOの松岡昌宏主演でこれらをモデルにしたドラマ「高校生レストラン」が日本テレビ系列で2011年5月から7月まで放送された[3]。卒業生は相可フードネットを設立し、惣菜店「せんぱいの店」を運営している[4]。 2013年にオーストラリア調理師連盟の主催する2013高校生国際料理コンクール(全国高校生”S”の交流フェア実行委員会共催)で相可高等学校の2名のチームは金メダルを獲得し、同コンクール7回目で相可高等学校初の総合一位を受賞。 2016年に開催された伊勢志摩サミットで昼食会に出す料理の調理を担当した[5][6][7][8][9]。 生産経済科[編集] 生産経済科では地域の特産物である伊勢いもを栽培し、三重大学大学院生物資源学研究科と共同で優良な種イモを研究している[10]。2014年は300kgを収穫し、食物調理科の生徒によって調理された[10]。 2010年(平成22年)10月には、伊勢茶や柿の葉エキスを配合した「まごころteaハンドジェル」を開発、地元のスーパーマーケットなどで販売している[11]。これをきっかけに、近江兄弟社や万協製薬とのリップクリームやハンドクリームの共同開発も始まった[11]。 授業の一環で松阪牛の肥育を行っており、松阪肉牛共進会にも出品している[12]。 生徒会活動・部活動など[編集]

Continue reading

ご覧の勇者の提供でお送りします – Wikipedia

『ご覧の勇者の提供でお送りします』(ごらんのゆうしゃのていきょうでおおくりします)は、田口仙年堂による日本のライトノベル。イラストはしらびが担当している。2014年3月から富士見ファンタジア文庫より刊行されていた[1][2]。 あらすじ[編集] ゼルニア王国に突如出現する人類の敵・モンスター。そのモンスターと戦い倒す勇者たちの活躍を放送するゼルニア王国の大人気テレビ番組、それが「勇者テレビ」だ。勇者たちはそれぞれ組織の代表として街を守り、そして自身の人気を獲得しながら勇者の頂点を目指している。そんな勇者たちに新たな仲間が加わることになった。伝説の勇者の息子で学生でありながら勇者に選ばれたフウト。フウトは学園代表として勇者としては異例となるタッグを組んでのデビューとなったのだが、そのパートナーは色々と問題がある人物だった。はたしてフウトは勇者の仕事を無事にこなすことはできるのか。 登場人物[編集] 勇者[編集] フウト・ソーン 本作の主人公。17歳。ファティマ学園所属。 「伝説の勇者」の息子で、勉学・武術・素行どれをとっても文句なしの優等生。学園からの指示で、勇者としては異例となるフィオーネとタッグを組んで勇者をやることになった。 だらけた人間が嫌いで許すことができない性格。このため、異なる意見を持つフィオーネとはよく喧嘩をすることがある。 勇者の息子ということもあり、様々な武器の使い方を習得している。最も相性がいい武器は槍。魔法も使うことができるが、戦いの補助として使う程度であまり得意ではない。父親の影響もあり、みんなから頼りにされ安心させることができる勇者を目指している。 フウトが持っているスキルは「偶像守護者(アイドルセイバー)」。周囲の希望を力に変える能力。このため、周囲から希望を得られればそれだけ強力な力を手にすることができるが、希望が得られないと力が弱くなっていく変動の大きいスキル。 フィオーレ・ローゼンガルデ 本作のメインヒロイン。17歳。ファティマ学園所属。 学園では生徒会長を務めており、容姿端麗、才色兼備で成績も優秀であるが、実際はだらしない性格でいつもサボることに全力を尽くすような人間。勇者も自身はやりたくないと言っているが、学園長の命令で仕方なくやっている。 フィオーレが持っているスキルは「花道(スター・ロード)」。ただひたすらに強力な力で敵を潰す。その力はモンスターはもちろん人や建物、自然とあらゆるものを破壊することができる。ただし、スキルを発動するとフィオーレの肉体に尋常ではないほどの負担がかかるため反動で動けなくなることがある。力は食事と睡眠のみで補うことができる。 アスタナシア 勇者の1人。18歳。アン・フラン騎士団所属。 ゼルニア王国八大騎士団の一つである、アン・フラン騎士団の騎士団長でありエース。多少のことでは動じない平常心と、モンスターを容赦なく切り裂く冷淡さが特徴で主に男性のあいだで人気が高い。普段は何もないところで転んだりとドジな部分も多い。 アスタナシアのスキルは「非恋劇(ディス・エバー)」。剣で触れたものを全て両断することができる強力な技。しかし、狭い場所で使用するとその周りにある建物なども全て両断してしまうため注意が必要。 エリュシオン

Continue reading

ソ連運輸省ER2形電車 – Wikipedia

ER2形(ロシア語: ЭР2)は、ソ連運輸通信省(МПС СССР, Министерство путей сообщения СССР)が1962年から導入した直流電化区間用電車(エレクトリーチカ)である。この項目では関連する他の形式についても記す。 1957年に製造が開始されたER1形電車は、MT比の増加や機器の性能向上、車体の軽量化などにより、設計最高速度130km/h・加速度2.16km/h/s(0.6m/sq)というそれまで製造されていた電車を凌ぐ高性能ぶりを実現させた。しかし、ER1形が集中的に導入されたモスクワ~レニングラード(現:サンクトペテルブルク)間の電化路線は高床式プラットホームを採用している一方、ソ連運輸省が管理していた他の路線は低床式プラットホームが主流となっており、高床式に対応していたER1形をそのまま導入する事は難しかった。そこでER1形の運用成績に基づく機器の改良も行った新型車両・ER2形の開発が決定し、1962年に最初の編成が落成した[2]。 扉部の低床式プラットホームへの対応に加え、モノコック構造の弱点であった車体の強度不足を補うため台枠や先頭部、扉部などの強化が行われている。これにより、ER1形に比べ若干重量が増加している。床下機器に関しても、1962年に製造が始まった交流電化区間用電車・ER9形との機器統一を図るため電動車に設置されているブレーキシリンダーの数が変更されたほか、ER1形の鉛蓄電池をアルカリ蓄電池に交換するなどの近代化が行われている[2]。電動機については、初期の車両はER1形と同様のДК-106Бを採用したのに対し、1974年以降に製造された車両はリガ電動機製造工場で新たに開発された、より高性能のУРТ-110を装着している。連結器はソ連の鉄道車両の標準仕様である自動連結器のCA-3が用いられている。 車内の様子(初期製造車) 車内の様子(後期製造車) 車内の様子(近代化製造車) なお、1027編成までの先頭部はER1形と同様の半球状の構造であったが、1974年に製造された1028編成[2]以降は大きく外見が変わり中央部が突出した前面二枚窓の角形形状となった他、1122編成以降は車内レイアウトも変更されている。 左:角形形状の先頭車右:半球状の先頭車 形式[編集] 形式名の「ER2」(ЭР2)は、「リガ車両製作工場(Р)で製造された第2世代の電車(Э)」と言う意味である。 また、これとは別にリガ車両製作工場では62-61と言う番号で呼ばれていた他、車種によって以下の形式番号が付けられている。 62-62 – 中間電動車(Мп)。日本国有鉄道における電車の形式称号で言う「モハ」に該当する。

Continue reading

分岐器 – Wikipedia

この項目では、鉄道の分岐器について説明しています。電波工学における分岐器については「分配器」を、力学系における分岐については「分岐 (力学系)」をご覧ください。 分岐器(ぶんきき[1]、ぶんぎき[2]、英: railroad switch, turnout)とは、鉄道の線路において線路を分岐させ、車両の進路を選択する機構。アメリカ英語での正式名称は、ターンアウトスイッチ。アメリカでは、分岐器のうち、進路を転換する部分のことをポイント (point) というが、英国および英国から鉄道を導入した国々では、分岐器全体のことをポイントと呼ぶ。 片開き分岐器の概略図 分岐器は一般的に1線の線路を2線(またはそれ以上)に分岐させるものであり、下記の4つの部位から成る。1線側を前端、2線側を後端と称する。 ポイント部 概略図中 (1) 。トングレール(列車を分岐させる先の尖ったレールのこと)およびトングレールが密着する基本レール部分を指す。ポイント部には、ポイント後端を支点に先の尖ったレールを動かす先端ポイントとポイント前端を支点に先が尖ってない普通のレールを動かす鈍端ポイントがある。また、トングレールの線形は直線進路用は直線、分岐進路用は円曲線が普通となっている。 リード部 概略図中 (2) 。トングレールとクロッシング部を結ぶ部分を指す。一般的に、分岐線側はリード部が曲線となる。この曲線半径をリード半径と呼び、リード半径の大小が分岐器の列車通過制限速度を決定する大きな要因となる。 クロッシング部 概略図中

Continue reading

スンバラ – Wikipedia

スンバラ(SombalaまたはSoumbala)は西アフリカのサバンナ地帯で広く利用されている調味料。豆を煮て発酵させたものである。原料としてはヒロハフサマメノキ(アフリカイナゴマメ、Parkia biglobosa、またはParkia filicoidea)が主に使用される[1][2]が、他の種子を原料として使用することもある[3]。 スンバラはジュラ語[4]などでの呼び方であり、モシ語ではカールゴ[5]、セネガルのウォロフ語ではネテトゥ、ナイジェリアのハウサ語などではダワダワなどの名称で呼ばれる。 製法としては、ヒロハフサマメノキの固い種子を長時間煮込んだうえで皮を取り除き、葉を敷き詰めてその上に種子を置き、その上を葉やむしろなどで覆って乾燥させ[6][7]、枯草菌で発酵させることで完成となる[8]。 スンバラは水に溶いて使用することが多く、スープの味付けのベースとして欠かせないものであり、その使用法からスンバラ味噌などと呼ばれることもある[9]が、味噌とは異なり塩を全く含んでおらず[10]、製法的にはむしろ納豆の系譜に属するものであり[11]、日本の大徳寺納豆に匂いや風味が似ていると評される[12]ように、強い臭いを持つ[13]。スープのベースとしての利用のほか、主食に付けるための各種ソースの味付けにも利用される[14]。 スンバラは西アフリカ各国の料理には欠かせないものだが、近年ではヒロハフサマメノキではなく、より入手の簡単なダイズからスンバラを作ることも行われるようになり、ダイズ製のスンバラは工業化されてスープキューブとして市販されるようになっている[15]。 出典・脚注[編集] 出典[編集] ^ 「サバンナの博物誌」p38 川田順造 ちくま文庫 1991年5月28日第1刷 ^ 「マメな豆の話」p79 吉田よし子 平凡社 2000年4月20日初版第1刷 ^

Continue reading

マンスプレッディング – Wikipedia

公共交通機関で「マンスプレッディング」を行う男性 マンスプレッディング(英語: Manspreading)とは、「男」を意味する「man」(マン)と「開く」を意味する「spread」(スプレッド)をかけ合わせたかばん語。マン・シッティング(英語: Man-sitting)とも呼ばれる。公共交通機関において男性が開脚座りを行うことを指す[1][2]。これによって複数の座席を占有することになる。この姿勢と「manspreading」という言葉はインターネット上でいくつもの論争を引き起こし、アメリカ合衆国、イギリス、カナダ、トルコでは討論になっている[3]。この言葉は2013年にソーシャルメディアのウェブサイト「Tumblr」において開始されたフェミニストの反マンスプレッディング・キャンペーンの公開討論の場で最初に登場した。2015年8月に『オックスフォード英語辞典』に収録[4]されるまで、言葉の有用性が確立されていなかった[5][6]。 「manspreading」は2015年8月にOxfordDictionaries.comにおいて正式に認められた言葉である[6][7]。 公共交通機関管理局[編集] ニューヨーク都市圏のメトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ(MTA)とシアトルのサウンド・トランシット(英語版)はバスや電車の混雑により、他の乗客が立たなければならない場合に行儀の良い姿勢で座るように促すポスターを作成している。MTAのキャンペーンには「Dude, stop the spread please! 」(おい、どうか開かないでくれよ)というスローガンも含まれる[8]。 マンスプレッディングは立たなければならない他の乗客に対して無礼で配慮に欠けるとする批判がある一方で、空席がたくさんある時にもmanspreaders(マンスプレッダーズ)たちに公の辱めを与えているという批判もある。 このことは生理的な問題ではないかと指摘されることもあるが[2][9]、足を閉じて座ることで生殖機能が低下する可能性に対しては、30分程度の乗車では全く影響ないと専門家は指摘している[1]。 マンスプレッディングを目撃して不快に感じた人々がそのシーンを撮影してインターネット上に画像を公開するケースが確認されている[1]一方で、地下鉄やバスなどの交通機関で撮影された「マンスプレッダーズ」の写真を掲載するのは公の屈辱あるいは恥辱にあたるという批判もある[10]。 関連項目[編集]

Continue reading

水魑の如き沈むもの – Wikipedia

『水魑の如き沈むもの』(みづちのごときしずむもの)は、三津田信三による日本の推理小説・ホラー小説。刀城言耶シリーズの第5長編。 単行本は、2009年12月10日に原書房〈ミステリー・リーグ〉より書き下ろしで刊行された。文庫版は、2013年5月15日に講談社文庫より刊行された。装丁は、単行本がスタジオ・ギブ(川島進)、文庫版が坂野公一(welle design)による。装画は単行本・文庫版ともに村田修が手がけている。 2010年度第10回本格ミステリ大賞(小説部門)を受賞する[1]。「本格ミステリ・ベスト10」2011年版(国内部門)3位、『ミステリが読みたい! 2011年版』(国内編)5位、『このミステリーがすごい!』(2011年、国内編)7位など、各種ミステリ・ランキングで上位にランクインしている。 小説家の光原百合は「擬音語や擬態語を駆使し、肌に迫ってくるような描写は本当に怖い」「不可能犯罪を扱った本格ミステリであり、怪異がうごめくホラー小説でもあり、自然の猛威を背景としたパニック小説の要素まで盛り込まれている」「水魑というパワフルな存在をモチーフにしているだけあって、ストーリーを推し進めるパワーがシリーズの中でも特に大きい」と評価している[2]。 あらすじ[編集] 1954年6月、刀城言耶は、23年前に執り行われた水魑様の増儀といわれる雨乞いの儀の最中に、神男を務めた辰男が沈深湖に潜ったまま行方不明になったこと、13年前に執り行われた水魑様の増儀の最中に、沈深湖で神男の龍一が屍体となって発見されたということ、さらにその水魑様の増儀が今年も執り行われることなどを、阿武隈川烏からきく。 言耶と偲は今回の儀式が執り行われる前日に、奈良県蛇迂郡の它邑町で世路と游魔に出迎えられ、同じ郡にある波美地方の五月夜村に入る。翌朝、水魑様の増儀を執り行うため、龍璽と龍三を先頭に総勢26人もの一行が、水使神社を出発し、深通川を遡りはじめる。一行が沈深湖に着く。龍璽らによる楽器の演奏と苅女の富子による舞いが始まる。しばらくして、船頭の悟郎が「神男が死んでいる」と叫ぶ。屋形船に乗りこんだ言耶は、下半身を船底の穴に入れて俯けに倒れたまま動かない龍三の姿を認める。 翌朝、言耶は世路から「龍吉朗が殺された」ときく。水内神社の拝殿にある祭壇の前に倒れている龍吉朗の背中には、水魑様の髭と思われるものが突き刺さっていた。言耶や世路らが事件について議論をしているさなか、辰卅が参道の途中で殺されている旨を游魔が伝えに来る。辰卅の背中には、水魑様の牙が突き刺さっていた。翌朝、言耶は游魔から、流虎が尻尾の先で腰の辺りを刺されたことをきく。そして、言耶が一連の事件について解釈を試みることになる。 登場人物[編集] 五月夜村の人々[編集] 水使 龍璽(みずし りゅうじ) 水使神社の宮司。 水使 汨子(みずし いつこ) 龍璽の妻。

Continue reading