広島臨時仮議事堂 – Wikipedia
広島臨時仮議事堂(ひろしまりんじかりぎじどう)は、かつて広島県広島市にあった仮設の国会議事堂。 日清戦争開始にともない臨時首都となった広島で帝国議会(第7回帝国議会)が開催されることになり、その際に市中心部に建てられた。設計者は妻木頼黄、設計から竣工までほぼ20日間という突貫工事で作られた。東京以外に唯一造られた国会議事堂である[3]。議会終了後議事堂は撤去され、現存していない。 1930年ごろの広島市地図。地図中央上に西練兵場と憲兵隊が、右上に広島駅、右下に宇品港がある。 1894年(明治27年)7月、日清戦争勃発。当時山陽鉄道は広島駅が西端であったこと、第5師団の拠点があったこと、宇品港(広島港)が事実上軍港として整備されていたことから、広島が臨戦地となり大本営が置かれた[4]。明治天皇、および政府高官も移ってきたことから事実上首都として機能し(日本の首都参照)、帝国議会を広島で開くことになった[5]。同年9月22日に公布された詔書[6]により急遽決定したもので、議員召集日も決定していた。 伊藤博文首相は鍋島幹広島県知事に議事堂候補を調べるよう指示、鍋島はその中で過去に仮の県庁舎として用いたことがある寺町の仏護寺(現中区本願寺広島別院)[8]を調査し議事堂として利用するには手狭であると報告、結果新しく議事堂を建設することが決定した。中根重一貴族院および水野遵衆議院の両書記官長が加わった協議の結果、広島市の中心部である西練兵場の南東端の憲兵本部前、現在の中区基町中国電力基町ビル敷地に、設けられることが決定した。この地は元々広島城の南東端の外堀近くにあたり、廃藩置県後城の本丸に広島鎮台のち第5師団が置かれた際に城の南側にあたるこの一帯は練兵場として整備された場所である。 同年10月14日仮設議事堂竣工、翌日である同年10月15日議員招集、同年10月18日第7回帝国議会開会、会期は4日間、臨時軍事費予算案などが組まれた[3]。その後日清戦争は勝利に終え、明治天皇は1895年(明治28年)4月27日東京へ戻っていった。 その後は、陸軍予備病院、第5師団司令部、広島陸軍地方幼年学校開校に際しその仮校舎など、転々と陸軍の仮施設として用いられた後、1898年(明治31年)に取り壊されている。 広島城本丸に置かれた広島大本営 1894年(明治27年) 8月1日 – 日清戦争宣戦布告 9月8日 – 明治天皇は広島に大本営進駐を発令。 9月15日 – 明治天皇広島大本営入り。 9月22日 –
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