勝南桜聡太 – Wikipedia
勝南桜 聡太(しょうなんざくら そうた、1998年7月16日 – )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の元大相撲力士。本名は服部 祥多(はっとり しょうた)。式秀部屋に所属していた。服部桜(はっとりざくら)のしこ名で2015年9月場所に初出場し、2021年1月場所より「勝南桜」に改名した。大相撲史上最多となる104連敗など複数のワースト記録を持つ。最高位は東序ノ口9枚目(2021年5月場所)。身長179.5cm、体重85.8kg[3]。
式秀部屋入門への経緯[編集]
茅ヶ崎市立梅田小学校時代にテレビで幕下の取組を見て相撲に興味を持った。茅ヶ崎市立梅田中学校では1年時より陸上競技部に所属して、1500mの長距離走を専門としていた[4]。同中学卒業後は高校に進学せず、陸上競技の活動を継続すべく、独自の筋力トレーニングを研究した。その生活の最中、四股及び摺り足が陸上競技に必要な筋肉の鍛錬に最適である旨を知り、実際に試みて手応えを感じたことで入門を決意。北桜と一緒に写真を撮ってもらった際、その人柄に好感を持ったという理由から、北桜が現役引退後に継承し師匠を務める式秀部屋に単身で訪問し、入門志願を直訴した[5]。この時は両親の承諾が得られていなかったことから、式秀には入門を認められず、自宅へ戻るよう命じられた[6]。しかし、その後は両親の承諾を得たことで正式に入門が認められて、2015年9月場所で初土俵を踏んだ[7]。
前相撲[編集]
本名に因んだ服部桜 祥多の四股名で出場した前相撲では同期で入門した他の3名の新弟子全員(葉梨・人見・姫勝山。いずれも武蔵川部屋)と対戦。5日目の3戦目(葉梨戦)では立合い直後に意図的に尻餅をつく行為に及び、これを待ったと認識した境川審判がやり直しを提案したものの、服部桜本人が「待ったではなく、バランスを崩した」[4]旨の返答をしたため、決まり手「押し倒し」として勝負が成立した[8]。出世披露では師匠の実弟である元幕内・豊桜の化粧廻しを締めた[4]。
本割初出場からの22連敗[編集]
翌2015年11月場所に初めて番付に四股名が掲載されて以降、本場所では全く勝てない場所が続いていた。2016年1月場所はインフルエンザに感染したことにより11日目を不戦敗して以降休場した。2016年5月場所3日目の2番相撲・三浦(浅香山部屋・のちの四股名は魁舞翔)との取組まで、休場を挟み不戦敗を含め22連敗を喫した。
初白星[編集]
2016年5月場所6日目の3番相撲・澤ノ富士(伊勢ヶ濱部屋)との取組では、立ち合い早々にもろ差しに組まれたが、後退しながらもタイミングよく体を入れ替え、通算23戦目にして寄り切りで初白星を挙げた。この際は服部桜自身よりも同取組を観戦していたファンや式秀部屋の関係者の方が喜んだという[9]。
89連敗・敗退行為・ワースト記録の更新[編集]
上述2016年5月場所では結局2勝目を挙げることなく1勝6敗で終え、以降、2018年7月場所初日の1番相撲・若小山(西岩部屋)との取組まで89連敗を喫した。
2016年9月場所では、3日目の2番相撲で、錦城(九重部屋・現在の四股名は千代大豪)を前に2回目の敗退行為[10]に及び、日刊スポーツをはじめとするマスメディアや、能町みね子・中澤潔をはじめとする相撲愛好家に取沙汰された上に、師匠の式秀が審判部長の二所ノ関から事情聴取及び口頭注意を受けた[11]。式秀によると、稽古で首を痛め、立ち合い頭から当たることに恐怖心を感じていた[6][11][12]がゆえに同行為に及んだという。服部桜本人に直接の処分はなく、翌日以降の取組にも出場し続けた。不祥事を受けて引退も考えたが「今逃げると負け犬になるぞ」と式秀から叱咤されて続投を決意[7]。翌2016年11月場所以降、心機一転を図り服部桜 太志と四股名の下の名前のみを改名。「身体も精神も図太くなってほしい」とする式秀の意向に基づいたものである[13]。
2017年3月場所2日目の1番相撲で原田(錣山部屋・現在の四股名は将軍)に敗北した時点で、年6場所制となった1958年以降の本割最多連敗記録[14]を更新した。同場所13日目の7番相撲で栃颯(春日野部屋)に敗れたことで5場所連続での7戦全敗が確定。平松[15](旧伊勢ヶ濱部屋)と高岸[16](立浪部屋)の連続皆勤全敗記録(4場所)を更新した。2017年は6場所全てで7戦全敗を喫し、1年間皆勤しながらも1勝も挙げることが出来なかった。
2018年1月場所6日目の3番相撲で松岡(当時東関部屋・現在の四股名は北勝真で八角部屋所属)では両上手を引き粘ったが、最後は寄り切りで敗れ[17]70連敗。双葉山の連勝記録における数値(69連勝)を自身の連敗記録における数値が上回る事態となってしまった。服部桜本人も「数字は頭にあった」とコメントしていた。同場所で12場所目の7戦全敗を喫したことで、幕下以下における皆勤全敗場所数が、同部屋の兄弟子・桃智桜知和(現在の四股名は澤勇)の11場所を上回りワースト記録となった。
同年3月場所では中日の4番相撲で敏夷東(玉ノ井部屋)に敗れた時点で通算1勝100敗となり、石井晋(間垣部屋・2007年3月場所6日目に通算100敗目)の100敗到達時の最少勝利数記録(22勝)を大幅に更新。13日目の7番相撲・己竜山(大嶽部屋)との対戦では飛び出すように土俵を割り、11場所連続で全敗[18]。
2勝目[編集]
2018年7月場所3日目の2番相撲・颯雅(二子山部屋)との対戦において、颯雅の腰砕けより通算2勝目を挙げ、連敗を89で止めた[19]。非技による白星であったものの、颯雅が立ち合い直後に後転し軍配が服部桜に上がった瞬間は同取組の審判を務めた浅香山も驚いた表情をあらわにし、客席からは序ノ口の土俵とは思えない程の感嘆の声と拍手が上がった。
23連敗[編集]
上述2018年7月場所でも結局2勝目を挙げることなく1勝6敗で終え、以降再び、2019年1月場所8日目の4番相撲・獅子丸(田子ノ浦部屋)との取組まで23連敗を喫した。2018年は上述の1勝のみに終わったため、「自力」での(決まり手を伴った)白星は2年連続で0だった。
3勝目[編集]
2019年1月場所9日目の5番相撲で、峰雲(峰崎部屋)に寄り倒しで勝利し、2016年5月場所6日目以来、16場所114番ぶりに「自力」で勝利するとともに、再び重ねていた連敗を23で止めた。峰雲とは同取組以前にも4回対戦していたため「5度目の正直」で白星を挙げたこととなる。結果的に、これが自身最後の白星となった。
連敗・その後も続いたワースト記録[編集]
2019年3月場所では、7番相撲を終えて7戦全敗であったが、千秋楽に八番相撲が組まれた。しかし、対戦相手の渡部(尾車部屋)に敗れ「0勝8敗」となった。これは1960年7月場所より幕下以下一場所7番制が導入されて以降、1984年9月場所の佐野(東序ノ口50枚目・二所ノ関部屋)が記録して以来約35年間確認されておらず、平成では唯一の記録とされる。[要出典]
2019年5月場所2日目、令和最初の取組・北島(朝日山部屋)との対戦では「元号が変わり、違う自分を見せよう」と臨んだが、防戦一方のまま突き出された。取組後の取材では「相手が新弟子で情報が少なかったこともあり緊張した」と敗因を自己分析し、令和での飛躍を誓った[20]。
2019年7月場所3日目・2番相撲では、山本(朝日山部屋)との対戦で立ち合いから一気に攻め込んで土俵際まで押し込み、土俵際で山本の下手投げに倒れながらも寄り倒し、軍配は服部桜に上がったものの物言いがつき、山本の下手投げで服部桜の足が先に土俵の外に出ていたとして、行司軍配差し違いとして敗れた。自身の取組で物言いがついたのは初めてであったが、結局同場所も同取組を含めて負け続け7戦全敗、13日目・7番相撲では同日のみ出場した村田(高砂部屋・現在は十両朝志雄)と対戦したものの立合一瞬の押しを受け、両足が同時に宙に浮く程の勢いで押し倒された。
以降も尻込みする相撲が目立ち連敗が続き、2020年も1年間5場所皆勤しながらも1勝も挙げることが出来なかった。
尚、2020年3月場所も13日目の7番相撲を終えて7戦全敗であったが、14日目に千代大宝(九重部屋)との対戦で八番相撲が組まれ、これにも敗れ自身2回目の「0勝8敗」。上述の通り、同一の力士が幕下以下で「0勝8敗」を複数回記録したケースは史上初とされる。[要出典]さらに2020年9月場所及び2021年1月場所でも八番相撲が組まれていずれも敗れ、引退までに通算4度の「0勝8敗」を記録した。
2021年1月場所より、四股名を勝南桜 聡太に改名(勝南桜の「勝南」は「敗北」の対義語として作った造語[21])。出身の「湘南」地方と「勝つ」と師匠の現役時代の「桜」を掛け合わせ[22]、下の名前である「聡太」は、自身が将棋好きであることから、プロ棋士藤井聡太に肖った[23]。
2021年3月場所13日目の7番相撲でそれまでの連敗記録「89」を「90」に更新。朝日新聞はこれを「超えてはいけない大記録」と報じた[24]。
2021年5月場所では、前場所に前相撲が実施されず、出場予定だった新序力士37人全員が前相撲未勝利として扱われ、勝南桜より番付下位に編成された関係上、東序ノ口9枚目まで昇進し、12場所ぶりに自己最高位を更新した[25]。しかし連敗は続き、2021年7月場所7日目・3番相撲で京の里(伊勢ノ海部屋)に負けた時点で記録は「100連敗」に到達。最終的には連続皆勤全敗記録を「14場所」まで、本割の連敗記録を「104」まで、それぞれ更新した[26]。
引退[編集]
2021年7月場所後に式秀に「体力の限界」と申し出た上で現役を引退した[27]。勝南桜の四股名で勝ち名乗りを受けることは無かった。引退届が9月場所の番付編成会議後に提出された関係上、同場所の番付には西序ノ口20枚目で掲載されており、場所後に行われた11月場所の番付編成会議を以て正式に引退扱いとなった[28][29]。
引退の際に式秀は「負けても負けても挑戦していったことに彼のいいところがあるし、素晴らしさだと思う。土俵では連敗記録が目立ったかもしれないが、稽古場で朝一番早く土俵に降りてきて、一生懸命稽古して、掃除やちゃんこ番、あいさつ、礼儀を彼なりに頑張ってきた」と勝南桜を評価した上で「私としてはまだまだ頑張ってほしかったが、彼の気持ちを受け止めた」と決断を尊重し「まだ若いのでね。まずは実家で体を休めて、焦らず頑張ってほしい」とエールを送った[30]。断髪式は2021年8月7日に茨城県龍ケ崎市の部屋で行われ[31]、その後の動向は確認されていないが、引退の際には、神奈川県の実家に帰ってから仕事を探す意向を示していた。
2019年には立合いの当たりを強化して右四つの相撲を取りたいと述べていた[20]。
- 2015年の入門からしばらくBMIは20.67で、力士でありながら標準体重を下回っていたが、2018年1月の初場所で23.15となり、標準体重を上回った。
- 同部屋の兄弟子である宇瑠寅によると、オリックス・バファローズのファンであるという[32]。
- 初白星を挙げた2016年5月場所後に行われた相撲教習所の卒業式では皆勤賞で表彰された[33]。
- 2016年7月場所前に初髷を結ったことを自身のTwitterアカウントで報告した。
- 11場所連続の皆勤全敗が確定した取組(上述)の終了後には、abemaTVの視聴者から「服部桜、舞い散る」と言う皮肉めいたコメントが届いたとされる[18]。
- 式秀部屋で毎場所後に行われる打ち上げ会では、勝ち越した所属力士が1人ずつカラオケで歌唱することが慣例化されているが、上述の2勝目を挙げた2018年7月場所後も、3勝目を挙げた2019年初場所も、負け越したにもかかわらず式秀の計らいで打ち上げ会の壇上に立ち、加山雄三の「海 その愛」を歌唱した。
- 多数のワースト記録(後述)や敗退行為(前述)が話題となったことで、”最弱力士”[34]として取材を受けることも多かった。
- 式秀の証言によると、入門当初は腕立て伏せを1回もできなかったが、2021年7月場所時点では10回を10セットで100回以上できるようになった[35]という。
志向・目標[編集]
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2021年10月)
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- 入門当初、目標の力士として元関脇・旭天鵬を挙げていた[4]。
- 式秀部屋では年始に行われる書初めで、所属力士がそれぞれの目標を書いたものを部屋のTwitterにて毎年[要出典]公開していた。以下、服部桜の目標を年別に示す。
- 上述の令和最初の取組後に受けた取材では「最低でも1場所に3勝」さらに「勝ち越すこと」と目標として力強く語った。
実母による証言[編集]
以下は、いずれも「週刊新潮2016年10月13日神無月増大号」に掲載された服部桜の実母のコメントに基づく。
- 小中学校の運動会の駆けっこでは常に最下位争いであった。
- 幼少期から、竹馬を与えても『足をのっける部分が外れたらどうしよう』と心配する程の怖がりであった。
- いわゆるオタクで、パソコンで徹底的に調べ事をして、小学校の頃からよく首や肩が凝るほどであった。
- 上述の敗退行為に及んだ錦城戦の帰路で実母と対面した際には「自分でも、まさかあんなふうに身体が反応するとは思っていなかった。お母さん、悔しいよ。」と話した上で、故意ではなく著しい恐怖心に襲われていたことを強調していた。
主な成績[編集]
- 通算成績:3勝238敗8休(36場所)
- 通算勝率:0.0124
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2015年 (平成27年) |
x | x | x | x | (前相撲) | 西序ノ口24枚目 0–7 |
2016年 (平成28年) |
西序ノ口22枚目 0–6–1[37] |
東序ノ口22枚目 0–7 |
東序ノ口30枚目 1–6 |
東序ノ口18枚目 0–7 |
西序ノ口29枚目 0–7 |
東序ノ口25枚目 0–7 |
2017年 (平成29年) |
西序ノ口18枚目 0–7 |
西序ノ口20枚目 0–7 |
東序ノ口29枚目 0–7 |
西序ノ口28枚目 0–7 |
東序ノ口28枚目 0–7 |
西序ノ口24枚目 0–7 |
2018年 (平成30年) |
西序ノ口24枚目 0–7 |
西序ノ口24枚目 0–7 |
東序ノ口34枚目 0–7 |
東序ノ口34枚目 1–6 |
東序ノ口27枚目 0–7 |
西序ノ口28枚目 0–7 |
2019年 (平成31年 /令和元年) |
西序ノ口26枚目 1–6 |
西序ノ口15枚目 0–8 |
東序ノ口33枚目 0–7 |
東序ノ口33枚目 0–7 |
東序ノ口34枚目 0–7 |
西序ノ口29枚目 0–7 |
2020年 (令和2年) |
西序ノ口27枚目 0–7 |
東序ノ口26枚目 0–8 |
感染症拡大 により中止 |
東序ノ口35枚目 0–7[注釈 2] |
西序ノ口32枚目 0–8 |
東序ノ口30枚目 0–7[注釈 2] |
2021年 (令和3年) |
東序ノ口28枚目 0–8 |
東序ノ口24枚目 0–7[注釈 2] |
東序ノ口9枚目 0–7 |
西序ノ口24枚目 0–7 |
西序ノ口20枚目 引退 0–0–7 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 – 十両 – 幕下 – 三段目 – 序二段 – 序ノ口 幕内序列:横綱 – 大関 – 関脇 – 小結 – 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
ワースト記録[編集]
以下10項目は、いずれも2021年7月場所終了時点の大相撲史上ワースト1位の記録である。
(ワースト2位記録の89連敗・ワースト11位タイの23連敗・ワースト13位の22連敗の記録も持つ)
- 本場所の皆勤全敗30場所(うち4場所は八番相撲を含め8戦全敗)
- 本場所の未勝利(不戦敗・休場を含めた0勝)31場所
- 本場所の連続皆勤全敗14場所
- 序ノ口連続在位34場所
- 序ノ口連続負け越し34場所
- 参考までに、通算連続負け越し34場所は大相撲史上2位のワースト記録である(1位は森麗の38場所)。
- 序ノ口通算負け越し点数235点
- 本割100敗到達時点における最少勝数(1勝)
- 本割200敗到達時点における最少勝数(3勝)
- 関取在位歴が無い年間における最多敗数42敗(2017年6場所の0勝・2019年6場所の1勝)
- 服部桜 祥多(はっとりざくら しょうた)2015年9月場所 – 2016年9月場所
- 服部桜 太志(- ふとし)2016年11月場所 – 2020年11月場所
- 勝南桜 聡太(しょうなんざくら そうた)2021年1月場所 – 2021年9月場所
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