梶井宮御流 – Wikipedia

梶井宮御流(かじいみやごりゅう)は、京都大原の三千院を源とする華道の一派である。

宮門跡として知られる京都・大原の三千院を源としている。三千院は、平安時代に僧最澄によって開創された天台宗の院であるが、堀河天皇の第二皇子最雲法親王の入山以降は、皇族が従侍となってきた。三千院には、創建依頼、本尊に供える三具足(香炉・瓶・燭台)のしつらいが伝承されており、瓶には、「たて花」が立てられており、仏前の供花であるために院内にとどめられている。このはなとは別に、院内の居住空間には「抛入花」がいけられ、四季の風情が賞玩されてきた。花を生け、花のいのちを尊び、一瓶の花に思いを表すというコンセプトが今日まで長きに渡って継承されてきた。中興の祖である(六世)常修院宮は、江戸時代前期の公家文化サロンの中心的な存在で、いけばなを好んだ直門一実院慈渓(七世)に梶井宮慈渓御流という流名を与え、当時の新都市であった江戸へ出向かせた。七世が江戸で抛入花をもっていけばなを広めるべく活動を始めたのが流派としての嚆矢となる。のちに江戸後期に成立した「生花」様式を取り入れ、この式正の格をもった生花に、新たな美を工夫して独自の花型を創った。以来、この形式が今日まで伝承されている。この他に、現代花として投入花と盛花がある。

年表と歴代[編集]

室町時代[編集]

  • 開祖 威徳王院一品智法親王(三千院第三十八世・天台座主 堯胤法親王弟)、号慈月園。御家元古流と称す。
  • 二世 後菩提院二品彦胤法親王

安土桃山時代[編集]

  • 三世 大雄院二品応胤親王
  • 四世 円妙院二品最胤法親王

江戸時代[編集]

  • 五世 常性院二品承快法親王
  • 1629年 (寛永6年) 六世 常修院二品慈胤法親王(元和3年~元禄12年)、中興の祖、号松翁館。後陽成天皇の15皇子。江戸時代前期の公家文化サロンの中心的な存在で、天台座主は3度に及ぶ
  • 七世 一実院慈渓師。六世の門人、号松雨軒。六世の名により梶井宮慈渓御流として江戸へ下り、いけばなを広める。
  • 八世 蓮空坊慈訣慧俊法橋、号泉龍寺。家元を継承。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]