ティン・パン・アレー – Wikipedia

座標: 北緯40度44分44秒 西経73度59分22.5秒 / 北緯40.74556度 西経73.989583度 / 40.74556; -73.989583

ティン・パン・アレーにあった楽譜出版社

ニューヨークにある記念碑

I’m a Yiddish Cowboy (1908)

ティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)は、もともとはアメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタンの28丁目のブロードウェイと6番街に挟まれた一角の呼称である。この場所の音楽出版社や、その音楽を指すこともある。

この地名で呼ばれるあたりは、1890年代後半にブロードウェイのミュージカルの音楽に関係する会社(レコードの普及前であり、当時の音楽に関する主たる商品は楽譜であった。集まっていた音楽関係会社は楽譜出版社、演奏者のエージェントであった。)で楽曲の試演を行っていたため、まるで鍋釜でも叩いているような賑やかな状態だった。このことから、この名前(Tin Pan Alley[1], 直訳すると錫鍋小路、通称ドンチャン横丁)がついた。ポピュラー音楽における作詞家、作曲家と歌手の分業システムを確立し、代表的な作曲家にはジェローム・カーン[2]、コール・ポーター、アーヴィング・バーリンらがいた。商業主義ポップスを、「ティン・パン・アレー系」「ブリル・ビルディング系」[3]などと呼ぶ場合もある。

ジョージ・ガーシュウィンは、15歳頃、ティン・パン・アレーで楽譜を客に試演する仕事をしていた。当時レコードはまだ高価だったため、楽譜を買いに来た客に試演をして聞かせていたのである。

主な作曲家・作詞家[編集]

主な楽曲[編集]

  • “煙が目にしみる” (ジェローム・カーン)
  • “ホワイト・クリスマス” (アーヴィング・バーリン)
  • “ビギン・ザ・ビギン” (コール・ポーター)
  • “アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド” (アーヴィング・バーリン, 1911)
  • “A Bird in a Gilded Cage” (Harry Von Tilzer, 1900)
  • “After the Ball” Charles K. Harris
  • “A Bird in a Gilded Cage” (Harry Von Tilzer, 1900)
  • “After the Ball ” (Charles K. Harrl, 1892)
  • “Ain’t She Sweet” (Jack Yellen& Milton Ager,1927)
  • “Alabama Jubilee” (Jack Yellen & George L. Cobb, 1915)
  • “All Alone” (Irving Berlin, 1924)
  • “At a Georgia Campmeeting” (Kerry Mills, 1897)
  • “Baby Face” (Benny Davis & Harry Akst, 1926)
  • “Bill Bailey, Won’t You Please Come Home” (Huey Cannon, 1902)
  • “By the Light of the Silvery Moon” (Gus Edwards & Edward Madden, 1909)
  • “Carolina in the Morning” (Gus Kahn & Walter Donaldson, 1922)

関連項目[編集]