ポン=サン=マルタン (フランス) – Wikipedia

ポン=サン=マルタンPont-Saint-Martin)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、ロワール=アトランティック県のコミューン。

県内におけるポン=サン=マルタンの位置

ポン=サン=マルタンは歴史的なブルターニュの一部であり、伝統的な地方区分ではペイ・ド・レ、歴史的な地方区分ではペイ・ナンテに属する。

町はオニョン川が流れており、グラン・リュー湖の北東に位置する。ナントの13km南、サン=フィルベール=ド=グラン=リューの12km北にある。

2010年にINSEEがまとめた順位表によれば、ポン=サン=マルタンは都市圏に含まれる都市型コミューンである。ナント都市単位を構成する、ナントのバンリューである24のコミューンの1つであり、ナント都市圏の一部である。

境界を接するコミューンは、ブゲネ、ルゼ、レ・ソリニエール、ル・ビニョン、ラ・シュヴロリエール、そしてサンテニャン=グランリューである。

ポン=サン=マルタンの名は、ヴェルトゥーの聖マルティヌスという修道士の伝説からきている。彼はブルターニュとバ・ポワトゥーを結ぶ橋を、ポン=サン=マルタンのオニョン川に架けたのである。この伝説はコミューンの紋章に描かれている。

コトー・デルボージュのブドウ畑

特定の場所の地名は、ローマ人の存在を示している。コミューンの中にはカン・リュイネ(Camp ruiné、廃れた駐留地)または、ル・カン・デ・ロマン(le Camp des Romains、ローマ人の駐留地)といった地名がある[1]

ポン=サン=マルタンはヴァンデ戦争に巻き込まれた。住民の18%が戦争で命を落とし[2]、住宅も破壊された。

1832年のブルボン王党派反乱でナントを訪れていたベリー公爵夫人は、ポン=サン=マルタンの農家に隠れているところを発見された[1]

1865年5月、ポン=サン=マルタンからレ・ソリニエールが分離して新たにコミューンとなった[3]

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
1932 2134 2690 3320 3835 4756 5373 5658

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6]

ミュスカデの生産を含む、ワイン生産が行われる。園芸農業も重要な経済活動である。

姉妹都市[編集]