Month: May 2021

かわせみ やませみ・いさぶろう・しんぺい – Wikipedia

かわせみ やませみ・いさぶろう・しんぺいは、九州旅客鉄道(JR九州)が博多駅 – 門司港駅間を鹿児島本線経由で特別運行している臨時特別急行列車である。 列車としては「かわせみ やませみ」と「いさぶろう」、または「かわせみ やませみ」と「しんぺい」の併結扱いとなっている。 2020年7月3日の豪雨により肥薩線八代駅 – 吉松駅間が被災し復旧に長期間を要する状態となったため、同区間で運行していた特急「かわせみ やませみ」車両と「いさぶろう・しんぺい」車両を併結して門司港駅 – 博多駅間で運行している列車である。 全車指定席で、指定席特急券の発券上は「かわせみ やませみ」と「いさぶろう・しんぺい」は別列車扱いとなっている。また時刻表などでも別列車扱いとされている。 運行概況[編集] 2020年7月に運行予定だった臨時快速「8月8日に豊肥本線が全線開通します」号のダイヤをベースにしており、午前中に博多発門司港行きの「かわせみ やませみ92号」および「しんぺい92号」として運行し、午後に門司港発博多行きの「かわせみ やませみ91号」および「いさぶろう91号」として折り返し博多に戻るダイヤとなっている。 運転日は当面、2020年11月29日までの予定だったが、2020年10月26日に2021年2月までの延長が[2]、2021年1月に更に期間を2021年6月まで及びそれ以降と次々と延長することが発表されている[3]。

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前田花英介 – Wikipedia

前田花 英介(まえだはな えいすけ、1940年10月6日-)は、高砂部屋に所属した元力士。本名は田畑 友彦(たばた ともひこ)。岩手県下閉伊郡山田町出身。177cm、118kg。最高位は東十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 漁業に従事するのが嫌だったので、出身が同じである小結・宮錦の後援会会員から勧められて入門した。1956年9月場所に初土俵。1964年9月場所に十両昇進。新十両の場所は9勝6敗と勝ち越したが、翌11月場所から3場所連続で負け越して1965年5月場所に幕下へ陥落。幕下陥落後も調子を落としていたが、徐々に番付を戻していき、1968年1月場所に十両へ復帰した。それ以降も番付を上げていき、同年7月場所には自己最高位となる東十両4枚目まで番付を上げた。しかし、右膝の負傷で途中休場したため、幕内昇進はならなかった。翌1968年9月場所は十両下位で6勝9敗と負け越し、幕下陥落が濃厚となり27歳で廃業した。廃業後は岐阜で相撲料理店「前田花」を経営した[1]。 主な成績[編集] 通算成績:302勝279敗3休 勝率.520 十両成績:56勝76敗3休 勝率.424 現役在位:71場所 十両在位:9場所 場所別成績[編集] 前田花 英介 一月場所初場所(東京) 三月場所春場所(大阪) 五月場所夏場所(東京) 七月場所名古屋場所(愛知)

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率川神社 – Wikipedia

この項目では、奈良県奈良市本子守町の率川神社について説明しています。奈良県奈良市西新屋町の率川神社については「率川神社 (奈良市西新屋町)」をご覧ください。 率川神社(いさがわじんじゃ)は、奈良県奈良市本子守町にある神社。大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい[1]、また子守明神とも呼ばれる[2]。『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社 三座」と記載される式内小社。 推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤が勅命により神武天皇の皇后である媛蹈韛五十鈴姫命を祭神として奉斎したとされ[1]、奈良市最古の神社という[2]。後に元正天皇によって本殿の右側には媛蹈韛五十鈴姫命の父神である狭井大神を、左側には母神である玉櫛姫命が祀られるようになった。 仁寿2年(852年)、文徳天皇の代に従五位下を授けられ、神封6戸(左京4戸、丹後国2戸)を与えられている[1]。治承4年(1180年)12月、平重衡による南都焼討によって社殿が焼失する[1][3]。 建久元年(1190年)に興福寺の支援により再建されると、以後は興福寺の支配下に入った。 中世以降は春日若宮神官により管理され[1]、「春日三枝神社」とも呼ばれるようになった。その為、中世期の遷宮記録などは、『大乗院寺社雑事記』に度々記録されている[1]。近世には春日大社の大宮外院11社の中にあったが、1877年(明治10年)3月、内務省達により大神神社摂社率川坐大神御子神社と定められた[1]。 本殿中央に御子神(媛蹈韛五十鈴姫命)が祀られ、父母神(西に御父神・狭井大神、東に御母神・玉櫛姫命)が両脇によりそうような姿で鎮座していることより、古くから「子守明神」とたたえられ、安産、育児等の神として篤い信仰がよせられている[2]。南辺を流れる率川は、よって子守川との俗称もある[1]。 拝殿脇より望む本殿 末社及び率川阿波神社鳥居 奈良県指定有形文化財[編集] 6月17日に行われる例祭で、一般にはゆり祭りの俗称で知られている[1]。三輪山に咲く笹ゆりは古くはさいぐさと呼ばれ、この花が供えられる[1]。 供え物は 罇(そん)にしらき・清酒を盛り、缶(ほとぎ)にくろき・濁酒を盛って供え、酒樽の周りをゆりの茎で囲む 折櫃に納めた熟饌を柏の葉で蓋をし、黒木の棚に備える ゆりの花を大きな桶に盛って供える といった古式に則った様式で供えられ、鎮花祭に因んだ祭りで、悪疫除けの祈願が込められている[1]。 祭り当日は、祭神である五十鈴姫の古事に則り、祭典後にゆりをかざした七乙女の行列が町中に展開する[1]。大宝令にも記されている古い祭りで、『神祇令』にも「三枝の花を以て酒樽を飾る祭の故に三枝祭という」と記載されている[1]。 率川阿波神社[編集]

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立川かしめ – Wikipedia

立川 かしめ(たてかわ かしめ、1989年3月30日 – )は、落語立川流に所属する落語家。本名:木村 勇貴。 愛知県立明和高校、早稲田大学教育学部理学科地球科学専攻卒業後、アサツーディ・ケイに4年間勤務。文具や玩具メーカーの営業を担当する[1]。 2015年、立川こしらに入門。こしらが、入門直後のこの弟子の高座名の命名権(期間1年)をヤフオク!に出品した。落語家の命名権売買は史上初[2]。結果、アイドルグループの仮面女子が25万1000円で落札し、「立川仮面女子」を名乗ることになった[3]。2016年10月、命名権が切れたことにより、こしら命名の「かしめ」に改名。改名初日の10月15日から1週間にわたり、都内3か所の街頭ビジョンにて改名を告知する映像が流れた[4]。 2018年10月26日、横浜にぎわい座での「立川かしめ前座総決算二つ目イクアリテ」で、大師匠にあたる立川志らくから、「かしめが覚えて演じることができる(持っている)落語50席のうち、音源のみで覚えたものを実際に他の噺家に稽古をつけてもらう」という条件付きでの二ツ目昇進内定をもらった。 2020年4月、二ツ目に昇進。4月15日∶国立演芸場で予定されていた昇進披露興行は新型コロナウイルスの影響で延期され、ゲストに広瀬和生、春風亭一之輔、三遊亭兼好、三遊亭遊雀を招き、口上のみを同所から配信の形で行った。11月25日に渋谷区文化総合センター大和田さくらホールにて、延期になっていた二ツ目昇進披露興行を開催する。 師匠こしらの師匠立川志らくにとって初のプロの専業落語家の孫弟子である。また、その師である談志や5代目柳家小さんにとっても、初の曾孫弟子・玄孫弟子となる[注 1]。 こしらから噺の稽古をつけてもらったことはない。 林家木りんとインスタライブをしている。 2020年5月10日、こしらより、44日間連続出演していたYoutube配信番組『大喜利セーフ22』からの”破門”を宣告されるが、それ以降は大喜利セーフ22の派生番組『OOGIRI22:22(ツーフォー)』を立ち上げ、そちらの司会・配信活動も並行して行っている。 広告 youtube 注釈[編集] ^ 三遊亭遊雀は元々3代目柳家権太楼の弟子であり、権太楼は5代目柳家つばめの死後に大師匠にあたる小さんの直弟子(預かり弟子)となったため、系譜を当初の入門者毎に遡った場合、遊雀の弟子三遊亭遊かりが小さん初の玄孫弟子となる。なお、こしらの弟弟子志ら乃にはプロレスラーのASUKAや声優の関智一が客分格弟子として入門しているので、厳密な専業噺家以外も含めたら志らく初の孫弟子・談志初の曾孫弟子はこちらになる。

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王士禎 – Wikipedia

《王士禎幽篁坐嘯図巻》 王 士禎(おう してい、1634年10月19日(崇禎7年閏8月28日) – 1711年6月26日(康熙50年5月11日))は、中国清代初期の文人・詩人。字は貽上。号は阮亭・漁洋山人。諡は文簡。済南府新城県の出身。本来は「士禛(ししん)」の名であったが、死後、雍正帝が即位するとその諱「胤禛」を避けて「士正」と改名される。のち、乾隆帝の治世に「士禎」の名を賜った[1]。号を以て「王漁洋」と称されることも多い。 1658年(順治15年)25歳にして進士に挙げられ、揚州府司理から侍読に進み、刑部尚書(法務大臣)に至った。文人としても頭角を現わし、24歳のとき済南府において土地の読書人らとともに「秋柳詩社」を結成、その折詠んだ「秋柳」詩は全国的に賛美者を生むに至り、以後、ほぼ同時代を生きた朱彝尊とともに南朱北王と併称された。1704年(康熙43年)部下の疑獄事件に連座して官を辞め、のちに天子の恩赦によって再度官途についたが、ほどなく卒した。享年七十七。 士禎の詩は神韻を旨とし、後世清朝の詩壇に影響を及ぼした神韻説の首唱者と目される。当初銭謙益と交流を深めたが、その影響のもとに新しい詩風を打ち立てたものである。この神韻説とは、平静・沖淡・清遠を理想とし、文字面には直接現れない情味を行間に醸し出すのを目的とする。唐の司空図の『二十四詩品』、また宋の厳羽の『滄浪詩話』に見られる詩論の継承を目指し、詩禅一致の説に基づいて、自然と一体化した境地に生まれる余韻を貴び、婉曲でしかも垢抜けた表現のなかに奥深い滋味を求めようとする。神韻それ自体は空虚で、捕捉し難く、譬えて言えば「水中に月を掬(すく)い、鏡中に花を探るが如き」ものとされる。ために士禛が愛好する詩人は、王維・孟浩然・高適ら、枯淡の境地を描き出す者たちである。彼が神韻の二字を用いたのは、揚州在住の折、その子息のために歴代の五七言の絶句・律詩を選び、『神韻集』と名づけ家塾において学ばせたことに始まると言われる。神韻説は、沈徳潜の主導した「格調説」、袁枚を領袖とする「性霊説」と並び、当時の詩壇に鼎立する詩説の一角を形成していたものであった。 著名な作品[編集] 王士禛の詩は膨大な数に上るが、いま、中でもよく知られている「秋柳」詩四首のうち、特に第一首を以下に示す。 秋柳 其一 原文 訓読 現代語訳 秋來何處最銷魂 秋來 何れの処にか最も銷魂なる 秋になって最も人の哀愁をそそる柳はどこかといえば、 殘照西風白下門 残照 西風 白下の門 むろんそれは夕映えのなか秋風をうける白下の門だろう。

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スカパー!プロモ599 – Wikipedia

スカパー!プロモ599は、スカパー!プレミアムサービスおよびスカパー!プレミアムサービス光・光パーフェクTV!のCh.599で放送されている「スカパー!プレミアムサービス」のプロモーションチャンネル。 本項では、かつてスカパー!およびスカパー!プレミアムサービス(スカパー!e2など、それぞれの旧サービス名称時代を含む)で放送されていたプロモーションチャンネル全般について扱う。 現在放送されている「スカパー!プロモ599」は、2014年5月31日をもって放送を終了した「スカパー!プロモ200」のHD版として、2012年9月29日より「スカパー!インフォ599」から改称する形で放送を開始した。スカパー!プレミアムサービスの「受信確認ガイドチャンネル」に指定されている(スカパー!ではCh.161の「QVC」が指定されている)[1][2]。 スカパー!のプロモーション(宣伝)を目的としているため終日無料放送で、メンテナンスによる放送休止(深夜帯に不定期に実施)を除き24時間放送である。スクランブル信号やコピーガードは設定されていない。スカパー!およびスカパー!プレミアムサービス用のアンテナ・チューナー[3]や、テレビ等の受信環境が揃っていれば視聴できる。 「スカパー!プロモ599」およびその前身のチャンネルでは、長年スカパー!およびスカパー!プレミアムサービスへの新規加入の方法やサービス内容を紹介する番組のほか、両サービスで提供している各専門チャンネルの番組案内、そして後述の少数の独自番組を放送してきたが、2018年8月27日のスカパー!向けの「スカパー!プロモ100」の放送休止[4]と同時に全て終了した。同年8月28日からは環境映像の『世界の景色』を終日放送している。 過去には各スポーツ専門チャンネルが放映権を有するスポーツ中継(主にサッカー中継)について、特別編成などによりどのチャンネルでも放送できない場合に、当チャンネルを含むプロモーション用の各チャンネルで振替放送を行なったことがある[5][6][7]。2020年現在、そのようなケースが生じた場合は主にスカチャンで振替放送を行う。また、スポーツ中継以外の特別番組が放送された事例もある[8][9]。 なお、本チャンネルとは別に未契約のチャンネルからの誘導用として「スカパー!インフォ」(スカパー!・Ch.101)が設けられている。未契約のチャンネル(常時無料放送のチャンネルを除く)を選局すると、「この番組をご覧いただくには契約・登録が必要です(中略)ご案内チャンネルに切り替えますか?」といったメッセージがテレビ等の受信機によって表示され、リモコンの決定ボタンを選択すると同チャンネルに移動する。同チャンネルにはスカパー!に関する案内(静止画)がまとめられており、Ch.101ではリモコンの赤ボタンを押すとスカパー!の「受信確認ガイドチャンネル」であるQVCを選局できる[10]。 スカパー!プロモ599[編集] 1996年6月30日 – パーフェクTV!のプロモーションチャンネル「PROMO 200」として放送を開始(本放送は1996年10月1日)。 2002年4月 – チャンネル名を「倶楽部(CLUB)スカパー!TV」に改称。加入者向けに配布されている冊子(「倶楽部スカパー!」→「CLUBスカパー!、2010年現在は「スカパー!Days」)にちなんだ名称。 2009年1月1日 – スカパー!e2(現在のスカパー!)の「e2プロモ」(後のスカパー!プロモ100)に合わせる形で「スカパー!プロモ」に改称。 2012年9月29日 –

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浅場佳苗 – Wikipedia

この記事の主題はウィキペディアにおける音楽の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。基準に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。出典検索?: “浅場佳苗” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年6月) 浅場 佳苗 出生名 浅場 佳苗 生誕 (1990-03-10) 1990年3月10日(32歳) 日本・神奈川県 職業 シンガーソングライター編曲家モデル

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秋山雅之介 – Wikipedia

秋山雅之介 秋山 雅之介(あきやま まさのすけ、慶応2年1月23日(1866年3月9日) – 昭和12年(1937年)4月11日[1])は、日本の官僚、法政大学学長。 目次 1 経歴 2 栄典 3 親族 4 脚注 5 参考文献 6 関連項目 7

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草津節 – Wikipedia

「草津節」(くさつぶし)は群馬県吾妻郡草津町、特には草津温泉に伝わる民謡。単に「湯もみ唄」と呼ばれる場合がある。草津温泉ではこの唄とは別に「草津湯もみ唄」(くさつゆもみうた)が伝わるが、この草津湯もみ唄もまた「草津節」と呼ばれる場合がある。本項では「草津湯もみ唄」もあわせて解説する。 草津温泉では江戸時代より湯治が盛んであり、「時間湯」と呼ばれる温泉の湯に決められた時間浸かる入浴法が伝えられている[1]。今日も行われているこの時間湯の手順の中に、お湯の温度を下げるために六尺板で高温の湯をかき混ぜる「湯もみ」がある[1][2]。「草津節」はこの湯もみ中に唄われる[2]。このため現地ではこの草津節を指して単に「湯もみ唄」とも呼ばれる[2]。 これとは別に「草津湯もみ唄」と呼ばれる民謡がある。これが草津近郷では逆に「草津節」と称される場合がある[2]。原唄は、西方から伝わった船唄が商船学校の学生歌として変化したものが草津に伝わったとも、学生歌がダンチョネ節に変化したのちに草津に伝わったともされる[2][3]。 草津湯もみ唄は唄い出しの「草津恋しやヨーオホホーオイ」から「草津ヨホホイ節」「ヨホホイ節」と[2]、前述の草津節はその囃子言葉から「チョイナ節」と呼び分けられる場合もある[3]。草津温泉ではこの2曲と新民謡の「草津小唄」が「湯もみ唄」として伝えられている[4][5]。 草津(くさつ)よいとこ 一度はお出(い)で(ア ドッコイショ) お湯の中にも(コーリャ)花が咲くヨ(チョイナ チョイナー) 草津よいとこ白根の麓 暑さ知らずの風が吹く 草津よいとこ里への土産 袖に湯花の香が残る お医者様でも草津の湯でも 惚れた病は治りゃせぬ 惚れた病も治せば治る 好いたお方と添や治る — 町田 喜章、浅野 健二『日本民謡集』「草津節」(岩波書店、1960年)より抜粋

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