平田昭吾 – Wikipedia
平田 昭吾(ひらた しょうご、1939年 – )は、満州(現在は中華人民共和国の東北地区・瀋陽市)生まれの絵本作家、翻訳家。日本の福島県・会津若松市育ち。 日本のアニメ絵本文化の先駆者であり、300巻(総計330巻)の絵本作品を出版している。日本国外での評価も高く、2005年までに国外の出版冊数が3億巻を突破した。 1956年、会津工業高校時代に笹川ひろしらと「会津漫画研究会」を設立[1]。 1958年、高校卒業後、手塚治虫に師事[2]。内弟子となり、専属アシスタント第2号となる。貸本漫画にてデビュー。 1960年、平田ポン名義で「こだまブック」付録に作品掲載。手塚治虫の紹介でアニメ作家の政岡憲三の門下生となる[3]。 1962年、日活撮影所入社。研究室に勤務。特撮の技術の開発を行う。「零戦黒雲一家」(舛田利雄監督、1962年)[4]や「太平洋ひとりぼっち」(市川崑監督、1963年)などの特撮に関わる。 1964年、井上智と智プロを設立。漫画「魔神バンダー」などの原作を手がける。 1965年、漫画「マグマ大使」の一部を手塚の要請で智プロで制作する。 1968年、日活撮影所研究室を退職。手塚の誘いで智プロスタッフ全員、手塚プロダクションに入社[5]。 1969年〜1970年、手塚治虫のマネージャーを務める。 1971年、アニメ絵本アンデルセンどうわ(ポプラ社)で独立。 1972年、特撮テレビ番組『サンダーマスク』を企画する。 2008年、不法残留の中国人女性を仲介し、偽装婚容疑で逮捕される。 2011年、自宅(二階建て)が全焼する[6]。 作品リスト[編集] 魔神バンダー(1965年~1969年、「冒険王」、井上智による漫画版の原作)
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