赤石行三 – Wikipedia

赤石 行三(あかいし ぎょうぞう、1834年(天保5年)[1][注 1] – 1896年(明治29年)9月5日[1][2])は日本の政治家。青森県弘前市長。

津軽藩士土岐渡人の子に生まれる[3]。幼名、礼次郎[3]。藩命により赤石愛太郎家を継いだ[1]。鰺ヶ沢奉行となり、1867年には上京し、京都留守居役として二条城に赴く[1][3]。大政奉還の際にはその手腕を発揮し、明治天皇の即位の大礼には藩主の名代として祝辞を述べた[3]。1870年、会議局議員となる[3]

1880年には青森県会議員となり、1882年に県会副議長となる[1][3]。その後、第五十九国立銀行取締役支配人となり、1891年に弘前市収入役となった。収入役となって間もなく、市会の内紛により市長の長尾義連が辞職、その後任の市長となった[3]。5年後の1896年、市長在職のまま死去した。

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注釈[編集]

  1. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、182頁では「天保元年(1830年)」と記載。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 『青森県人名事典』3頁。
  2. ^ 赤石行三』 – コトバンク
  3. ^ a b c d e f g 『日本の歴代市長』第1巻、179頁。

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。