ワルテル・ノヴェッリーノ – Wikipedia

ワルテル・ノヴェッリーノ(Walter Novellino、1953年6月4日 – )は、イタリアの元サッカー選手、サッカー指導者。戦術へのこだわりが深く厳格な指導者であるため、選手との対立も少なくない。

トリノFCユース出身。エンポリ、ペルージャ、ACミランなどでプレーした。ポジションは主に攻撃的MF、そのフィジカルの強さと決定力の高さから、アルゼンチン出身プロボクサー、モンソンの愛称が与えられた。イタリア代表としても1度プレーしている。

指導者に転身してから、4-4-2システムを基軸としている。ヴェネツィア、ナポリ、ピアチェンツァを相次いでセリエAに昇格・残留させ、高い評価を受けた。

2002年より就任したUCサンプドリアでは、満足な補強が出来ない中で自らの戦術を選手に教え込みチームを躍進させた。2002-03シーズンにはチームを4年ぶりのセリエA昇格に導く。中盤での分厚い守備とサイドアタックを重視し、2003-2004シーズンにはチームを8位に導いた。翌2004-2005シーズンはチームを5位に導き、UEFAカップ出場権を確保。しかしチームはフランチェスコ・フラーキとサイドアタックへの依存度が高く、システムの限界が露呈してチームは低迷、2006-07シーズンはファビオ・クアリアレッラのブレイクもありUEFAインタートトカップ出場権を確保したものの9位に終わり、2007年にサンプドリアを去った。とはいえ、セルジオ・ヴォルピ、アンジェロ・パロンボやクアリアレッラなど、彼の指導により成長した選手は少なくなく、サンプドリアが中堅チームとしての地位を固められたことはノヴェッリーノの功績である。

2007-08シーズンにはトリノFCの監督に就任し、アルバロ・レコバ、アレッサンドロ・ロジーナ、エウジェニオ・コリーニらファンタジスタを擁して躍進が期待されたが、成績は低迷し、解任された。2008-09シーズン半ばに復帰するも、わずか4か月で解任されている。

サンプドリア時代には柳沢敦、トリノ時代には大黒将志を指揮している。

エピソード[編集]

  • ヴェネツィア時代、アルバロ・レコバを獲得すると、19試合で10ゴールと彼の才能を存分に引き出したことで知られる。レコバは好不調の波が激しく、守備も怠る選手であるため、彼を使いこなした監督は少ない。なお、トリノFCにおいても彼を呼び寄せたが結果は残せなかった。

指導者歴[編集]