アレクサンドラ・フォン・ハノーファー (1882-1963) – Wikipedia

アレクサンドラ・フォン・ハノーファー
Alexandra von Hannover
メクレンブルク=シュヴェリーン大公妃
在位 1904年 – 1918年11月14日

全名
出生 (1882-09-29) 1882年9月29日
オーストリア=ハンガリー帝国、グムンデン
死去 (1963-08-30) 1963年8月30日(80歳没)
西ドイツ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州グリュックスブルク、グリュックスブルク城
配偶者 フリードリヒ・フランツ4世
子女
家名 ハノーファー家
父親 エルンスト・アウグスト2世
母親 ティーラ・ア・ダンマーク
宗教 キリスト教ルーテル教会
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アレクサンドラ・フォン・ハノーファー・ウント・クンバーラント(ドイツ語: Alexandra von Hannover und Cumberland, 1882年9月29日 – 1963年8月30日)は、ハノーファー王国の王族の子孫。ハノーファー王女およびカンバーランド公女、グレートブリテン及びアイルランド王女、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公女。

1882年9月29日、ハノーファー王太子であったカンバーランド=テヴィオットデイル公エルンスト・アウグスト(2世)とその妃であったデンマーク王女ティーラ(クリスチャン9世の三女)の間に次女(第3子)として、オーストリア=ハンガリー帝国のグムンデンで生まれた。

1904年にメクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ4世と結婚。間には2男3女が生まれた。

  • フリードリヒ・フランツ・ミヒャエル・ヴィルヘルム・ニコラウス・フランツ=ヨーゼフ・エルンスト・アウグスト・ハンス(1910年 – 2001年) – 大公世子
  • クリスティアン・ルートヴィヒ・エルンスト・マクシミリアン・ヨハン・アルブレヒト・アドルフ・フリードリヒ(1912年 – 1996年)
  • オルガ(1916年 – 1917年)
  • ティーラ・アナスタジア・アレクサンドリーネ・マリー=ルイーゼ・オルガ・ツェツィーリエ・シャルロッテ・エリーザベト・エンマロシア語版(1919年 – 1981年)
  • アナスタジア・アレクサンドリーネ・ツェツィーリエ・マリー=ルイーゼ・ヴィルヘルミーネ英語版(1922年 – 1979年) – シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公フリードリヒ・フェルディナント英語版(アルブレヒトの三男)妃

結婚式でのアレクサンドラとフリードリヒ・フランツ4世