山形県立酒田北高等学校 – Wikipedia

山形県立酒田北高等学校(やまがたけんりつ さかたきたこうとうがっこう、Yamagata Prefectural Sakata North High School)とは、山形県酒田市宮海字明治にあった県立高等学校。略称「北高」(きたこう)、「酒北」(さかきた)、「北」(きた)。

2012年(平成24年)3月に山形県立酒田光陵高等学校に統合され、閉校した。

歴史
1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校として創立された。現校名となったのは1961年(昭和36年)。2008年(平成20年)に創立60周年を迎えた。創立65周年を目前にした2012年(平成24年)3月に酒田市内の公立高等学校統合により閉校し、在校生は新設の山形県立酒田光陵高等学校に転学し、その普通科の生徒となった。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
校訓
「行学一如」
教育目標
  • 人間性を磨き、思いやりの心を持とう。
  • 意欲を燃やし、豊かな知性を身に付けよう。
  • 心身を鍛え、たくましい気力を養おう。
校章
1948年(昭和23年)5月3日の開校式を迎えるにあたり校章作成の会議を持ち、種々論議を経た結果として「働きながら学ぶ」との建学の精神と定時制高校の特色、地域性を校章に表現すべきであるとの結論に至り、校章作成委員会が発足。中国の故事「蛍雪の功」をふまえ、雪の結晶と蛍とを組み合わせ作成されたものである。当初の開校地である本楯村(旧・酒田市立鳥海中学校[1]付近)の地名に関連づけるため、雪の結晶を「盾」状に配し、更に蛍を「高」の字に図案化し作成、完成させたものである。
校歌
作詞は結城哀草果、作曲は信時潔による。初代校長の富樫吉男が知人を介し、歌人の結城哀草果に作詞を依頼したもので、1951年(昭和26年)7月に来校し、10月に作詞が完了した。その後すぐに作曲家で、『軍艦行進曲』、『海ゆかば』(大日本帝国海軍の将官礼式用儀制曲『海ゆかば』とは同名異曲)などで知られる信時潔に作曲が依頼され、同年11月10日に校歌は完成、披露された。
進路
就職が半数以上を占めている。進学でも専門学校の比率が高く、4年制大学や短大への進学は少ない。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 – 新制高等学校「山形県立本楯高等学校」が旧・酒田市立鳥海中学校[1]付近に開校。本楯の読みは「もとたて」。
    • この年 – 校章を制定。
  • 1951年(昭和26年) – 校歌を制定。披露。
  • 1956年(昭和31年)4月1日 – 「山形県立酒田北高等学校」(現校名)に改称。
  • 1979年(昭和54年) – 現校舎が完成、現在地に移転。
  • 1994年(平成6年) – 同窓会館建築完成。
  • 1996年(平成8年) – 特別教室棟(家庭科・情報処理)完成。
  • 2010年(平成22年)4月1日 – 2年後の統合・酒田光陵高校の新設に備え、制服を改定。統合相手校すべての制服が統一される。
  • 2012年(平成24年)3月31日 – 酒田市内の公立高校4校の統合により閉校
運動系
文化系

交通アクセス[編集]

最寄りの鉄道駅
  1. ^ a b 鳥海の読みは「ちょうかい」。2012年(平成24年)3月に酒田市立八幡中学校(八幡の読みは「やわた」)との統合により閉校。旧・八幡中学校の校舎に酒田市立鳥海八幡中学校が新設された。

関連項目[編集]