フランケンシュタイン対地底怪獣 – Wikipedia

ロケに使われた「厳島」。

フランケンシュタイン対地底怪獣』(フランケンシュタインたいバラゴン[3][4][注釈 2])は、東宝と米国のベネディクト・プロが製作し、1965年(昭和40年)8月8日に公開した怪獣映画である[6]。総天然色、シネマスコープ(東宝スコープ)[4][2]。同時上映は『海の若大将』[2]

東宝が、海外資本との提携によって怪獣映画の新機軸を模索した意欲作。怪獣映画としては初めて[要出典]の日米合作である。内容は「フランケンシュタインが地底怪獣バラゴンと闘う」というものである。怪獣と戦う巨人という構図は、後の『ウルトラマン』の先駆けになったとされる[出典 4]。怪獣の大きさは、従来のゴジラなどの半分程度とされ、大型のミニチュアセットでよりリアルな表現となった[出典 5]

原案はアメリカのSF作家ジェリー・ソウル英語版が担当、ソウルは米国側スタッフとともに医学監修として来日し、撮影にも立ち会った[10]

音楽担当の伊福部昭は、本作品のフランケンシュタインの主題曲のため、当時日本では個人所有の1つしかなかったバス・フルート(アルトフルート)という超低音の楽器を借りて使用している。本来、この楽器は低音すぎてオーケストラなどで利用価値のないものとされているが、「そこは映画音楽ですから(伊福部談)」と、伊福部はピックアップ・マイクによる採音技法で見事にこれを活かしてみせている。

ストーリー[編集]

第二次世界大戦末期、陥落寸前のドイツベルリンのリーゼンドルフ博士の研究室から、ナチによってはるばる日本に「あるもの」が運ばれ、Uボートを犠牲にしてまで広島の「広島衛戍病院」に移送された。いぶかる移送責任者の河井大尉の質問に対し、軍医長はそれが「フランケンシュタイン博士の創造した不死の心臓である」と説明する。それは大戦の切り札として、この永遠の生命力を持つ心臓をもとに不死身の兵士を作ろうとする日独の秘密の作戦であった。しかし、それは直後に米軍によって投下された原子爆弾の爆発で消滅したかと思われた。

それから時は流れ、15年後の1960年。広島県のある住宅の飼い犬が何者かによって殺害され、ある小学校でウサギのバラバラ死体が発見される事件が発生。また、激しく雨が降る晩、謎の浮浪児がタクシーにひき逃げされる。数日後、宮島周辺に徘徊していたこの浮浪児が、「国際放射線医学研究所」のボーエン博士と助手の戸上季子(とがみ すえこ)たちに保護された。少年は白人種であり、短期の内に急成長して20メートルに及ぶ巨人となっていく。その知能は低く行動を予測できないため、始末に困ったボーエンらは鉄格子付きの特別室で彼の手首を鎖でつなぎ、「飼育」することとなる。季子は彼を「坊や」と呼んで愛情を寄せる。

一方、秋田油田の技師になっていた河井は、油田を襲った地震の最中に巨大な怪獣らしきものを目撃する。それは、中生代の終わりに地下へもぐって大絶滅を切り抜けた巨大爬虫類バラゴンであった。同時に河井は国際放射線医学研究所のニュースを聞いて、巨人が敗戦直前に日本に運ばれたもの、すなわち「フランケンシュタイン」の不死の心臓が人間の形を取ったものではないかとの思いを強め、ボーエンの元を訪ねる。河井の打ち明けた話を受けて川地博士はドイツ・フランクフルトへ飛び、リーゼンドルフ博士から「もしそれがフランケンシュタインなら、手首でもどこでも、身体の一部を切り落とせばよい、フランケンシュタインならまたその部分が再生されるはずだ」との助言を受ける。

巨人へ成長した「坊や」はマスコミの格好の題材となり、取材が殺到することとなる。ちょうどそのころ、ドイツから帰国した川地は「坊や」の手を切り落とすことを決意して特別室へ向かうが、そこに取材許可を受けたテレビ局のスタッフが現れる。川地は「興奮するから光を当てないで」と指示するがテレビスタッフは横暴に無視し、鉄格子の中に照明を向けてしまう。結果、「坊や」は興奮して暴れ出し研究所を脱走する。破壊された特別室の中には手かせで千切れた左手首が見つかり、それがタンパク質を求めて床をはい回る姿から、「坊や」が「フランケンシュタイン」であることが判明する。

脱走したフランケンシュタインは、闇にまぎれて広島から岡山、姫路、琵琶湖を経て東へ逃走し、故郷のドイツに気候が近い、日本アルプス周辺にまで北上する。一方、バラゴンは白根山近辺で人畜を捕食していたが、地底を移動するうえに目撃者を全て喰い殺すバラゴンの存在は認知されず、世間はフランケンシュタインが人間を襲い、喰っているのではないかと疑い始める。こうして自衛隊の出動などの強硬策が実施され、石切現場でフランケンシュタインが発見されたことから、政府は一連の事件が彼の仕業であると断定し、葬り去ることを決議する。ボーエンらも「手首」というサンプルが手に入ったため、強く反対はできない。

こうして白根山麓へと自衛隊特車部隊が向かったころ、研究所では培養液から抜け出た「手首」が死んでいるのが見つかり、ボーエンらはフランケンシュタイン本人の飼育を再考せざるを得なくなる。また、河井が秋田油田で目撃した発光体(バラゴンの角)の目撃証言や石切現場での同様の現象を基に、あくまでフランケンシュタインの潔白を信じて疑惑を晴らそうとするボーエンらは、食料の投下でこれを納めようと努力を続ける。日本アルプスの樹海へ入ったボーエンと季子に、川地は最終手段として巨人の唯一の弱点である目を照明弾で無力化させることを提案する。ところが川地の投げた照明弾の光に反応し、その前に地底から真犯人であるバラゴンが現われる。絶体絶命となったボーエンたちにバラゴンが迫るが、その前にフランケンシュタインが立ち塞がる。

結末のバリエーション[編集]

本作品には2種類の異なる結末が存在している[5][8]

  • バラゴンを倒して死体を投げ棄てたあと、フランケンシュタインが地割れに呑み込まれるもの(劇場公開時のもので、いわゆるオリジナル版)[5][注釈 3]
  • バラゴンを倒した後に大ダコが出現する場面が追加されたもの(大ダコ出現版)[5]

「大ダコ出現版」は、元々海外版として別撮りされていたものであり[出典 6]、脚本も別途制作されていた[14]。これは企画時にベネディクト側により提案されていたフランケンシュタインとタコの怪物が対決する『フランケンシュタイン対ジャイアント・デビルフィッシュ』という企画に基づいたものであり、海外で好評であった『キングコング対ゴジラ』でのキングコングと大ダコの対決シーンの再現を意図していた[8][12]。しかし、「大ダコ出現版」はベネディクトプロ側の判断により使用されず、海外版もオリジナルと同じ結末となり、大ダコ出現版は公開から数年後のテレビ放映で初めて公開された[8][12]。当初はビデオなどでも「大ダコ出現版」が使用され、オリジナル版の方が幻の存在となりつつあったが、1991年のVHSビデオやDVDにて2種類のバージョンが視聴できることとなった。

この「大ダコ出現版」は長らく「海外版」として紹介されていた[出典 7]

別撮りとなった理由について、監督の本多猪四郎や特技監督の円谷英二は、国内での封切りに間に合わないためであったと証言している[12][注釈 4]

大ダコ出現版は特撮だけでなく、人物が描かれる本編も撮り直されている。なお、大ダコ出現シーンに流れるBGMは『キングコング対ゴジラ』での、大ダコ出現シーンの曲をそのまま使用している。

「大ダコ追加バージョン」と「オリジナルバージョン」では、フランケンシュタインがバラゴンの絶命を確認する方法が違っている。前者は「バラゴンの死骸を軽く蹴ってみる」という方法だが、後者は「バラゴンの首をつかんで顔を近づけ、息をしているか確かめる」という方法だった。

次作『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』でのガイラと大ダコの対決シーンは、本作品での「大ダコ出現版」を仕切り直したものとされる[8]

登場怪獣[編集]

フランケンシュタイン[編集]

太平洋戦争の末期、不死の兵士を造るためにドイツから広島市へ送られた「フランケンシュタインの心臓」が被爆後、心臓から幹細胞的に自ら人間形態へと再生した。たんぱく質を補給する限り、不死である。

その後、放射線医学研究室に保護されたが放射能を浴びて短期間の内に数メートルにも巨大化。テレビ局の取材中に当てられた照明に驚き、鉄格子を破壊して研究所を脱走する。バラゴンによる家畜や人間に対する食害行為の罪を着せられるが、性格はあくまで温厚であり[19]、自分から悪意を持って人間を傷付けることはない[注釈 7]

研究室では特製の衣服を着せられていたが、日本アルプスにいた時点では毛皮をまとっていた[注釈 8]。少年の姿から成長し、最終的には20メートルにまで成長する。その後、自分を追って富士山麓に来たボーエンたちをバラゴンの襲撃から守るためにバラゴンと対決し、苦闘の末にその首を折って倒したが、バラゴンが地中を移動するために掘っていた空洞が原因で地面が陥没し、それに巻き込まれて地中に沈み生き埋めになって絶命してしまう(オリジナル版)。別バージョンでは、バラゴンを倒した直後に湖から現れた大ダコと疲労した状態で連戦し、大ダコに湖に引きずり込まれて相打ちとなる(大ダコ出現版)。

  • 本作品におけるフランケンシュタインは、原作小説『フランケンシュタイン』におけるフランケンシュタインの怪物とは大きく異なり、死体を改造したものではなくクローン人間に近い存在となっている[15]。一方で、怪物的な容姿で人間的な心を持つという点は原作と共通している[15]。また、少年期の描写は戦災孤児を思わせるものとなっている[15]
  • 古畑弘二[3]と中尾純夫(少年)[3]が、怪奇映画ばりの特殊メイクを施されて演じている[15][6][注釈 9]。メイクアップはかなり本格的なもので、特殊美術課ではなく、メイク専門のスタッフが起用されている[20]。眉から上の造型部分は村瀬継蔵が担当[26]。造型部分はラテックス製で、亀甲紗の土台で閉める構造となっている[26][注釈 10]。瞳には、緑色のカラーコンタクトレンズを入れ、外国人らしさを表現している[15][7][注釈 11]。足は素足らしく見せるため、肌色の靴を履いている[15]。琵琶湖に現れるシーンでは、千切れた左手が再生途中の肉塊状にメイクされている。宣伝用スチールではメイクが異なっている[7]
  • 施設脱走時に千切れたフランケンシュタインの左手首がはい回るシーンでは、モーター仕掛けで5本の指が動く、1尺サイズの精巧なミニチュアが使われた。村瀬が制作当時に撮影した写真の中には、映像で用いられたものとは異なる試作品と推測される手の造形物も存在している[27]
  • バラゴンとの格闘シーンでは、演じる古畑が生身であるため負傷しないよう配慮が必要となり、動きが制限された[15]。このため、カメラを手持ちにして躍動感を出すなど工夫しているが、撮影を担当した有川貞昌は人間の見た目では怪獣に対して弱々しく見えてしまい苦労したことを述懐している[15]。一方で、生身ならではの素早い動きや激しい戦い方を評価する向きもある[15]
  • 檻に入れられた状態で巨大化している特写スチールが存在するが、劇中ではこのような場面はない[6]

地底怪獣 バラゴン[編集]

大ダコ[編集]

登場兵器・メカニック[編集]

架空[編集]

特殊火薬
川地博士が、フランケンシュタインの両目をつぶすために用意した特殊火薬。ダイナマイト状の形をしており、片手で持てるほどの大きさと重量を持つ。導火線は無く、スイッチを入れた後に投げてから数秒後に爆発し、強烈な閃光と煙を発生させる。川地博士が、ボーエン博士と季子に威力を見せるべく山中で使用したところ、偶然にも爆発地点から近い地底に潜んでいたバラゴンが驚いて地上に出現したため、用意した全ての特殊火薬がバラゴンに対して使用されるが、特に効果は見られなかった。

実在[編集]

自衛隊[編集]

警察[編集]

大日本帝国軍[編集]

ナチス・ドイツ軍[編集]

アメリカ軍[編集]

民間[編集]

キャスト[編集]

参照[3][29][9]

スタッフ[編集]

参照[3][4][9]

ノンクレジット[編集]

企画の変遷[編集]

本作品は、当初米国20世紀フォックス社が進めていた「キングコングとフランケンシュタインの怪物が闘う」という映画の企画が日本の東宝に持ち込まれ、映画化権を取得して実現したものである。ちなみに、フォックスの企画からキングコングの要素を生かして完成された作品が『キングコング対ゴジラ』(1962年、本多猪四郎監督)である。

この企画案の「フランケンシュタイン」の要素から、『ガス人間㐧一号』(1960年、本多猪四郎監督)の続編企画として、『フランケンシュタイン対ガス人間』の脚本が関沢新一によって起こされたが、未制作に終わった[出典 15][注釈 17]

その一方、「ゴジラ映画」の新作として『フランケンシュタイン対ゴジラ』と題した脚本が木村武によって執筆された[出典 16]。この時点でゴジラの部分以外はほぼ本作品と同じストーリーで、ゴジラの部分を新怪獣バラゴンに変更し、本作品に結実した[出典 17][注釈 18]

演出[編集]

監督の本多猪四郎は、本作品の撮入前に原典の1931年版『フランケンシュタイン』を再見しており、先人の作品に対して「厳粛な気持ちで演出に臨んだ」と語っている。当作では怪奇映画的題材ながら、むしろ「人間ではない」フランケンシュタインの悲劇性や哀感が強調され、アパートの季子に別れを告げに来る一連のシーンなどにそれがよく表れている。異形の者の悲劇というテーマは、変身人間シリーズとも共通するものである[15]

人間側も馬淵薫のきめ細かい脚本を基に、「彼も人間だ」と主張するボーエンと、「だとしてもまともな人間ではない」とする川地、あくまで母性的愛情を寄せる季子と、「怪物」に対する三者三様の姿勢を浮き彫りにし(といっても三者はあくまで冷静で、激しく対立することはない)、非常に丁寧に描かれている。冷徹な立場の川地のキャラクターも、陽性な高島忠夫を起用し、フランケンシュタインの手首の切断を決意した川地が事前にウイスキーをあおる[注釈 19]、などといった細かい演出で深みを持たせている。また、フランケンシュタインは季子と出会う前後の少年期に「深夜、タクシーに撥ね飛ばされた」という恐怖体験を持っており、それがトラウマとなってテレビ番組のスタッフが左右から浴びせた照明を車のヘッドライトのように感じて異常に興奮し、鉄格子を破って脱走する。その夜、醜い巨人として季子のアパートの前に現れた時にも足元を走り回る警察のパトカー(つまり恐怖の元凶である「車」)を怖がって逃げるという、フランケンシュタインの「人間としての心の傷」まで表現した馬淵脚本を、映像上で丁寧に描写して見せている。

フランケンシュタインが季子のペンダントに興味を持って迫り、彼女が襲われると勘違いしたボーエンがフランケンシュタインを椅子で殴るシーンがあるが、後年の雑誌『宇宙船』(朝日ソノラマ)でのインタビュー記事[要文献特定詳細情報]で、竹内博が「性的な意味合いを感じた」と述べたのに対し、本多は当然それはある、と答えている。

撮影[編集]

広島に原爆が投下されたシーンのキノコ雲の特撮カットは、後年の『怪獣総進撃』(1968年、本多猪四郎監督)や『人間革命』(1973年、舛田利雄監督)などにも流用されている。投下前の広島の全景には、渡辺善夫によって実景と見紛うようなリアルなマット画が使われている。

本作品に登場する怪獣は、ゴジラの半分近い20メートル前後の設定にされており、ミニチュアの縮尺も6分の1、15分の1[注釈 20]で作られ、非常にリアリティーのある映像に仕上がっている[15]。また、フランケンシュタインの成長度合いによってミニチュアの縮尺を変えている[35]。円谷英二は馬や猪といった動物の描写もあえてミニチュアで撮るこだわりを見せ、冒頭のドイツ空襲、Uボート、バラゴンによる白根山のヒュッテ襲撃など、円熟したミニチュアワークを展開している。

ヘリコプターからフランケンシュタイン用の食料を落とすシーンは、本編ロケに自衛隊員役で出ていた中島春雄が中代文雄と共にヘリコプターに乗り、足で押して落とした[36]

ベネディクト・プロとの合作映画であり、当初から海外での上映が予定されていたが、国内での封切り後に、東宝国際部から「アメリカでの規定に上映時間が2分足りず、売ることができない」と連絡が入った[35]。そのため、フランケンシュタインが研究所を脱走する場面で「うっかり警察官を踏み潰しそうになる」というカットを撮り足したり、アパートで戸上季子に別れを告げるフランケンシュタインの場面にパトカーの転覆炎上[注釈 21]などを2日かけて撮り足したりして尺増しを図った[35]。これらの輸出用追加撮影分は、DVDの特典映像に収録されている。

  • 月刊誌『冒険王』(秋田書店)1965年(昭和40年)9月号付録に、有川旭一によって読み切り漫画化された[37]

映像ソフト化[編集]

  • ビデオ
    • シネスコ、「大ダコ」登場版が1985年(昭和60年)に発売。1991年(平成3年)には「国内公開版」を巻末に付属させ発売。
  • レーザーディスク
    • シネスコ、「大ダコ」登場版が1987年(昭和62年)に発売。1992年(平成4年)にはリマスター版として「国内公開版」が発売。
  • DVD
    • 2001年10月21日ジュエルケース版発売[38]
    • 2007年(平成19年)1月26日トールケース版発売。

注釈[編集]

  1. ^ a b c ノンクレジット
  2. ^ 『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』と呼称する資料なども存在する[要出典]が、フィルム上のタイトルは「地底怪獣」に「バラゴン」とフリガナがつけられている。
  3. ^ 二見書房刊の『大怪獣ゴジラ99の謎』は、さらにフランケンシュタインとバラゴンが同時に地割れに呑み込まれるものが存在していると記述しているが[11]、この結末について有川貞昌は本作品DVDのオーディオコメンタリー(大ダコが出現するバージョン)で聞き手の倉敷保雄から「そのようなシーンは撮影されてませんね」と聞かれ、「そうですね」と答えている。
  4. ^ 書籍『東宝特撮映画大全集』では、両者の証言からオリジナル版は封切りのための間に合わせで制作されたもので、「大ダコ出現版」が完成形であり、そのためテレビ放映や初期のビデオで後者が用いられたものと推測している[12]
  5. ^ 資料によっては、「心臓大 – 20メートル」と記述している[22]
  6. ^ 資料によっては、「不明 – 200トン[22]」「1万1千トン[20][25]」と記述している。
  7. ^ 海外版では、街灯を引き抜いてパトカーに投げつけたり、自動車を投げ壊すなど、フランケンシュタインの凶暴性を示すカットが追加されている[16]
  8. ^ スチルではボロ布。
  9. ^ 書籍『東宝編 日本特撮映画図鑑』では、ボリス・カーロフが演じたフランケンシュタインのメイクに近いと評している[6]
  10. ^ 村瀬は、過去に映画『孫悟空』で主演の三木のり平がつける被り物をボンドで貼ったところ三木の地肌がかぶれたという失敗があったことからこの手法を用いた[26]
  11. ^ 村瀬は記憶にないと述べている[20]
  12. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、大阪府警幹部Aと記述している[29]
  13. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、大阪府警幹部Bと記述している[29]
  14. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、岡部警部と記述している[29]
  15. ^ DVDの特典である「東宝俳優名鑑」では、「遊覧船の船長」と誤記されている。
  16. ^ 東宝の映画資料室ウェブサイトでは「村瀬継」と誤記[3]
  17. ^ 書籍『ゴジラ大全集』では、変身人間シリーズの関連作品である『マタンゴ』の興行的失敗が原因としている[30]
  18. ^ ゴジラから変更になった理由は明らかになっていない[32]。書籍『ゴジラ大全集』では、田中友幸がゴジラには海外資本を加えないという方針であったためと記述している[30]。書籍『ゴジラ大辞典』では、『キングコング対ゴジラ』と類似するイメージであったことを指摘している[32]
  19. ^ 初期脚本では、川地は躊躇なくフランケンシュタインの指を切り落としている。
  20. ^ ゴジラ映画などでは25分の1[15]
  21. ^ 国内版では1台が道路標識に、もう1台がコンクリート製の塀に衝突するだけだった。

出典[編集]

  1. ^ a b ゴジラ画報 1999, pp. 122–123, 「フランケンシュタイン対地底怪獣」
  2. ^ a b c d 東宝特撮映画大全集 2012, p. 94, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak 映画資料室”. viewer.kintoneapp.com. 2022年2月20日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 東宝特撮映画全史 1983, p. 547, 「東宝特撮映画作品リスト」
  5. ^ a b c d e f g h i 円谷英二特撮世界 2001, pp. 110–111, 「フランケンシュタイン対地底怪獣」
  6. ^ a b c d e f g h 日本特撮映画図鑑 1999, pp. 36–37, 「フランケンシュタイン対地底怪獣」
  7. ^ a b c d e f g h i ゴジラ大全集 1994, pp. 104–105, 「昭和30年代 怪獣グラフィティ」
  8. ^ a b c d e f 東宝特撮映画大全集 2012, p. 97, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』撮影秘話/川北監督に訊く」
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n 東宝特撮映画大全集 2012, p. 95, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』作品解説/俳優名鑑」
  10. ^ 東芝EMIのCD「東宝怪獣映画選集7」解説より。
  11. ^ a b 大怪獣ゴジラ99の謎 1993, p. 151, 「54 地底怪獣バラゴンは何回変身したか?」
  12. ^ a b c d e 東宝特撮映画大全集 2012, p. 130, 文 鈴木宣孝「撮影秘話-特別編- 東宝特撮映画とその海外進出3 異色のフランケンシュタイン映画」
  13. ^ オール東宝怪獣大図鑑 2014, p. 109, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』大ダコ」
  14. ^ a b c d e f g 東宝特撮映画大全集 2012, p. 96, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』怪獣図鑑/資料館」
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m 東宝特撮映画全史 1983, pp. 294–295, 「東宝特撮映画作品史 フランケンシュタイン対地底怪獣」
  16. ^ a b ヒットブックスVSモスラ 1992, p. 75, 「東宝怪獣激闘外伝」
  17. ^ 破李拳竜『ゴジラ怪獣超クイズ』久保書店〈ジアス・ブックス 6〉、1992年、92頁。ISBN 4765910601。
  18. ^ a b c d e f ゴジラ画報 1999, p. 40, 「東宝怪獣紳士録」
  19. ^ a b c d e f g オール東宝怪獣大図鑑 2014, pp. 102–103, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』フランケンシュタイン」
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  21. ^ a b c d ゴジラ来襲 1998, p. 203, 「第7章 特選!東宝怪獣名鑑’98」
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  26. ^ a b c d オール東宝メカニック大図鑑 2018, pp. 92–93, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』」
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出典(リンク)[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]