宮古島台風 – Wikipedia

宮古島台風(みやこじまたいふう、昭和34年台風第14号、国際名:サラ/Sarah)は、1959年9月にアメリカ統治下の沖縄県宮古島付近を通過し、同島に大きな被害を与えた台風である。後の1966年・1968年にも宮古島に台風が襲来したことから、第1宮古島台風とも呼ばれる[1]

宮古島台風の進路図

1959年9月12日、マリアナ諸島付近で発生した熱帯低気圧がグアム島沖(北緯13度5分・東経141度6分)で台風14号に昇格。14号は発達しながら西北西に進んで、15日19時頃には中心気圧905 hpaの猛烈な勢力で宮古島を通過した[2]。その後は東シナ海を北上した後に対馬海峡を抜けて、韓国の慶尚南道付近に上陸・通過。そして日本海へ進み、18日夜には宗谷海峡付近を通過し、19日9時に温帯低気圧に変わった[2]

宮古島測候所(沖縄県平良市)では最大風速53.0m/s(最大瞬間風速64.8m/s)に加えて、最低気圧908.1mb(hPa)を観測し、1934年の室戸台風の際に記録された911.6ミリバールを更新する、日本国内での記録となった。この記録は、後に1977年に沖永良部台風によってさらに更新された(907.3ヘクトパスカル)。

米国統治下にあった琉球政府の琉球気象台は、この台風を「宮古島台風」と命名した。また、日本の気象庁は、1966年9月に宮古島近海を通過して大被害を出した昭和41年台風第18号を「宮古島台風」と命名しようとしたが、琉球気象庁の申し入れにより「第2宮古島台風」と命名することとし、同時にこの台風(昭和34年台風第14号)をさかのぼって「宮古島台風」と命名した[1]

宮古島では島の7割の住家が損壊した。この台風は暴風域が広く、九州や北海道では25m/sを超える強風が吹いたため、長崎県や北海道を中心に波浪や高潮による浸害水や船舶被害が大きかった[3]。例えば、青函連絡船「摩周丸」は遭難寸前となった[4]

韓国全土では948人の死者・行方不明者が出た。この数は2020年8月現在もなお台風による最大の犠牲者数となっている[5]。台風通過時に釜山市で観測された最低気圧951.5hPaは、朝鮮半島で近代的な気象観測が始まって以来、半島本土で計測された最低の気圧で、2021年現在でも破られていない。

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