堀口由己 – Wikipedia
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議論の要約:名前「由己」の正しい読み方について |
堀口由己 | |
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生誕 |
1885年(明治18年)9月15日 岐阜県席田郡上保村 |
死没 |
1959年(昭和34年)1月17日 岐阜県本巣郡糸貫村 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 気象学 |
研究機関 | 中央気象台 |
出身校 | 東京帝国大学 |
主な受賞歴 | 帝国学士院賞恩賜賞「極東台風論」(1929年受賞) |
プロジェクト:人物伝 |
堀口 由己(ほりぐち よしき、1885年(明治18年)9月15日 – 1959年(昭和34年)1月17日)は、日本の気象学者。岐阜県出身。建築家の堀口捨己は実弟[1]。
主な経歴[編集]
1885年9月15日、岐阜県席田郡上保村に生まれる[2][3][4][1]。1911年(明治44年)7月、東京帝国大学理科大学実験物理学科を卒業し、同年に三重県の測候所技師となって津軽測候所の所長を務めるが、1年後に兵庫県技師となって神戸測候所長に変わる[4]。1919年(大正8年)に理学博士になるとともに、中央気象台技師兼任となり、岡田武松と海洋気象台創設に力を尽くした[3]。翌年には海洋気象台兼任となる[3]。
梅雨や台風について研究する台風論の権威者でもあり、1924年(大正13年)に沖縄周辺で複雑な進路を取った沖縄台風について、詳細な研究・解析を行った後、「極東台風論」にまとめた[5][3][2]。この業績により、1929年(昭和4年)に、帝国学士院賞恩賜賞を受賞[2][4]。
1939年、岡田武松の後を継いで、神戸海洋気象台台長となる[2]。第二次世界大戦中は、昭南軍政監部付の気象局長として、南方軍政地の気象を担当した。1947年に退官[3]。著書に『台風』がある[6][3]。
1959年1月17日、岐阜県本巣郡糸貫村の自宅にて死去(享年73)[4]。
- ^ a b “堀口由己”. 2019年3月25日閲覧。
- ^ a b c d 日本大百科全書(ニッポニカ). “堀口由己(ほりぐちよしき)とは” (日本語). コトバンク. 2020年3月25日閲覧。
- ^ a b c d e f 20世紀日本人名事典,367日誕生日大事典. “堀口 由己(ホリグチ ヨシキ)とは” (日本語). コトバンク. 2020年3月25日閲覧。
- ^ a b c d “堀口先生をしの・ぶ”. 日本気象学会. 2020年3月20日閲覧。
- ^ 第1報は「沖縄颱風の研究」海と空 5巻2号 1925年2月
- ^ “天体・気象・災害”. www.pat.hi-ho.ne.jp. 古書自然林. 2020年3月25日閲覧。
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