大胡純 – Wikipedia

大胡 純(おおご じゅん、1847年(弘化4年[1]) – 1907年(明治40年)5月27日[1])は、幕末の水戸藩士。明治時代の公吏。東京市区長。

水戸藩士。大胡資敬の子としてのちの茨城県に生まれる[1]。1862年(文久2年)江戸に上り千葉道三郎の門に入り剣術を学ぶが、父と共に禁固5年に処される[1]。1869年(明治2年)箱館戦争で軍功を挙げた[1]。1871年(明治4年)水戸藩権少属に任じ、1880年(明治13年)東京府に出仕し、土木課長、1891年(明治24年)6月に参事官[2]、日本橋区長、市区改正課長、本所区長、麹町区長を歴任した[1]

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参考文献[編集]