伊藤隆 (キックボクサー) – Wikipedia

伊藤 隆(いとう たかし)
基本情報
階級 ウェルター級
スーパーウェルター級
身長 184cm
体重 70kg
国籍 日本
誕生日 (1970-09-22) 1970年9月22日(51歳)
出身地 埼玉県入間市
スタイル キックボクシング
プロキックボクシング戦績
総試合数 37
勝ち 31
KO勝ち 21
敗け 5
引き分け 1
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伊藤 隆(いとう たかし、1970年9月22日 – )は、日本の男性元キックボクサーで現在はキックボクシングジム「TARGET」の会長である。埼玉県入間市出身。元WMAF世界スーパーウェルター級王者。

B21スペシャルのデビット伊東は実兄である[1]

山木ジムに所属し、1998年から2000年の間、日本のウェルター級ではナンバーワンの実績を残したキックボクサーである[2]。ミドルキック・ハイキック・首相撲・膝蹴りなど多彩で高度な技術を持ち、特に肘打ちを得意としていてこれで幾多の選手を血の海に沈め、入場時からの動き一つとっても華があり、試合ぶりも含めて世界に通用するスター選手らしさを随所に漂わせていた選手だった[2]。10戦目にして元ルンピニー・スタジアム認定ウェルター級王者マーパロンの足をローキックでスネから粉砕骨折させ勝利。そこからは数々の強豪ジョン・ウェイン・パー、ムラッド・サリ、センティアンノーイ・ソールンロートから勝利を挙げた。当時、ムーブメントをおこしつつあったウェルター級・ミドル級の中量級戦線の中心的選手として期待されていたが、2000年(平成12年)連戦の試合で脳にダメージを受けドクターストップがかかってしまい、引退となった[2]。同年11月のK-1 J・MAX(後にK-1 WORLD MAXシリーズとなる)後楽園大会で大野崇(正道会館)と対戦し、判定勝ちを収め、これが現役最後の試合となった。

1996年、緒形健一に負け。1997年、ムラッド・サリに勝ち。1998年、ジョン・ウェイン・パーにTKO勝ち。

1998年

  • 5月22日 – チャンピオン・カーニバルのメインイベントでWMAF世界ジュニアミドル級王座決定戦を行い、ルーク・ケントン(オーストラリア/同級2位)と対戦。2-0で判定勝ちを収め王座獲得。
  • 12月26日にマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催の年間表彰式で、最優秀選手賞を受賞。

2000年

  • 3月20日 – センティアンノーイ・ソールンロート(1位:タイ)と対戦して5R2分28秒にTKO勝ち。WMAF世界スーパーウェルター級王座獲得。
  • 11月のK-1 J・MAX後楽園大会で大野崇(正道会館)と対戦し、判定勝ち。現役最後の試合となった。
  • 年末にマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催の年間表彰式で6戦6勝4KOの成績にて、最優秀選手賞を受賞。

2001年

  • 3月30日 – 引退興行が組まれ、魔裟斗と2分1Rのエキシビションマッチをした。後年、「K-1 J・MAXで魔裟斗がムラッド・サリをKOしたのを見て、引退を決意した」とも伝えられた[3]

2003年

  • 2月23日 – 山口元気と共にキックボクシング団体「R.I.S.E.」を旗揚げ。

獲得タイトル[編集]

  • 第10代MA日本ウェルター級王座
  • 第12代MA日本ウェルター級王座
  • 初代WMAF世界スーパーウェルター級王座(防衛1度)
  • 1998年度最優秀選手賞(MA日本) 1998年12月26日
  • 2000年度最優秀選手賞(MA日本) 2000年

エピソード[編集]

プロレスラーの蝶野正洋との親交がある。

  1. ^ 【ライズ】2・15デビット伊東の弟として伊藤隆がテレビ朝日に出演 GBR
  2. ^ a b c 新小田哲 (2001年3月26日). “伊藤隆引退記念興行。魔裟斗、小比類巻も出場” (日本語). 2010年2月16日閲覧。
  3. ^ 「私だけが知っている魔裟斗の素顔」『GONKAKU』第2巻第6号、イースト・プレス、No.13、2008年、 27頁。

関連項目[編集]

  • 男子キックボクサー一覧
  • 日本のキックボクシング世界王者一覧
  • マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟王者一覧

外部リンク[編集]

前王者
ハンマー松井
第10代MA日本ウェルター級王者

1996年12月1日 – 1997年7月26日

次王者
伊達皇輝
前王者
伊達皇輝
第12代MA日本ウェルター級王者

1997年9月23日 – 返上

空位
次タイトル獲得者
後藤龍治
前王者
王座新設
初代WMAF世界スーパーウェルター級王者

1998年5月22日 – 2001年9月22日

空位
次タイトル獲得者
白須康仁